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いる・こもんず 【普通名詞】 01| ありふれて変なもの 02| 扱いにこまる共有物 03| 分けても減らぬもの 04| 存在とは常に複数で他と共にあり、狂えば狂うほど調子がよくなる
はじめに、ふた、ありき

イルコモンズ編
見よ ぼくら
四人称複数
イルコモンズの旗
(Amazon.comで
大絶版廃刊中)
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▼村崎百郎のいない世界
▼村崎百郎のいない世界_d0017381_19173168.jpg 村崎百郎が死んだ/殺されたことを知ったとき、まず最初に思ったのは、他の人たちはどうかわからないが、自分のなかでは、しばらく後をひくだろうな、ということで、実際そうなった。もう一週間になるが、ぜんぜん気持が落ちつかない。先日のDOMUNEの追悼番組で、根本敬が「黒田一郎さんの冥福は祈るが、村崎百郎には「がんばれ」といいたい」と云っていたように、黒田一郎氏とその遺族にはもちろん哀悼の意を表したいが、村崎百郎には「この手の犯罪に、あれほど通じてたアンタが、なんでこんなにあっさりと殺されてしまうんだよ」といいいたい。そして「いま、アンタに死なれてはこまるんだよ、クソ!」と云いたい。「村崎百郎がいない世界」というのは、「ナンシー関のいない世界」や「都築響一のいない世界」と同じくらいこまる。ナンシー関亡き後、村崎百郎と都築響一が、このクソのような国と、腐った世の中を生きのびてゆくための、心のよりどころだった。日頃あまり人をたよりしない自分だが、この三人の視点とことばは、同時代の世界や日本を見るときに、あてにしてよい導きの糸だった。その糸の一本がぷっつり切れたのだから落ち着かないのも当然だ。「毒をもって毒を制す」式の、「鬼畜をもって鬼畜を制す」鬼畜現代文明批評家のいない、鬼畜だらけの鬼畜新自由主義の世の中なんてアブなくて、おそろしい。おそろしいのは、鬼畜な世の中ではなく、人が言葉を失うような事件や出来事が起きたとき(そう、それはこれまでも、そしてこれからも起き続ける)に、それを制す言葉がないことで、これがいちばんアブない。DOMUNE の追悼番組で根本敬が云っていた「どんなモードで、どんなニュアンスで語ればいいのかわからない」まさに今回のような事件や出来事について、鬼畜の言葉で語り続けたのが村崎百郎であり、それがどんなに困難な仕事かは、DOMUNE の追悼番組ひとつみてもわかる。そんななか、根本敬の口から不意に発せられた「親の因果が隣の子に報い」という言葉は、自分の死についての村崎百郎からのラスト・メッセージのように聞こえた(なわけねぇだろ、信じるなバカ!、とこういう場合、村崎なら書いただろう)。それはともかく、問題は、すでにはじまっている「村崎百郎のいない世界」をどう生きのびてゆくかである。そのためには「電波」が必要だと思う。電波にもいろいろあるが、いま必要なのは「他者についての過剰な想像力」という電波であり、その電波をこんなふうに使うことだ。すなわち「もし村崎百郎が生きていたらどう云っただろう」。村崎百郎がこの世に残していった仕事は、大きくわけてふたつあると思う。まず「鬼畜のススメ」や「あぶない一号」に代表されるマニアや通好みのディープな鬼畜語りがひとつで、もうひとつは「社会派くんがゆく」に代表される鬼畜文明批評である。DOMUNE では前期の仕事だけが紹介され、「社会派くんがゆく」(2001-2010)についてはまったくふれられなかった。現在進行形で、あしかけ10年にわたって続けてきたライフワーク的な仕事にふれられないのは、故人としても不本意ではないだろうか、と思ったので、いま家のあちこちに散らばっていた村崎百郎の本(「電波兄弟の赤ちゃん泥棒」だけがなかった)と「社会派くんがゆく」全巻を机に積み上げ、通夜がわりの通読、というか、弔い読みをしている。最新の「社会派くんがゆく・疾風編」から逆に遡って読み返していて、あと残り2冊である。まとめて読みなおしてみると、唐沢俊一が書いていることは、ほんとにその通りだなと思った。

 「ことに最近は、村崎さんの発言は鬼畜どころか、むしろ社会の不条理に、被害者の非運に憤慨する、いち常識人と化していました。もちろん、それはテープ起こし校正の段階であとかたもなく消えるわけですが、読んでみれば、露悪的なセリフの間ににじみ出る、村崎百郎の、人間という存在に対する愛情というものははっきりわかったでしょう。」

 たしかに最近のものほど、「鬼畜にも五分の魂か?」「鬼畜の目にも泪か?」と簡単にツッコミをいれられてしまいそうな、鬼畜らしからぬ人情味あふれる発言(本来、鬼畜は「発情」するものであって「人情」には無縁のはずだ)や、鬼畜にあるまじき説教クセー発言が多い。そこには村崎百郎が封印していた(※以下、感傷的で読むにたえない文章が続くので143文字削除)が表れているようによめる。そうした「人間的な、あまりに人間的な」(というか昭和のある時代まで日本の田舎や地方のどこにでもあったような伝統的意識や生活倫理)については、村崎がかつてどこかで書いてたように、「えぇい、この人間野郎め!」と心のなかで悪態をつきながら読み返している。「社会派くんがゆく」全巻合わせると軽く4,000ページを超える。これを読み切れば、さぞかし「電波」がフルチャージされて、「村崎百郎のいない世界」でもなんとか生きのびていけるだろう。それにしても勝手にくたばった上に、こんなめんどくさい文を書かせんじゃねぇ(涙)&(はぁと
by illcommonz | 2010-07-30 19:22
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