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いる・こもんず 【普通名詞】 01| ありふれて変なもの 02| 扱いにこまる共有物 03| 分けても減らぬもの 04| 存在とは常に複数で他と共にあり、狂えば狂うほど調子がよくなる
はじめに、ふた、ありき

イルコモンズ編
見よ ぼくら
四人称複数
イルコモンズの旗
(Amazon.comで
大絶版廃刊中)
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▼「よわい運動」
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「ここで、非常に個人的なメッセージをお話しすることをお許しください。それは小説を書いているときにいつも心に留めていることなのです。紙に書いて壁に貼ろうとまで思ったことはないのですが、私の心の壁に刻まれているものなのです。それはこういうことです。「高くて、固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立つ」ということです。そうなんです。その壁がいくら正しく、卵が正しくないとしても、私は卵サイドに立ちます。他の誰かが、何が正しく、正しくないかを決めることになるでしょう。おそらく時や歴史というものが。しかし、もしどのような理由であれ、壁側に立って作品を書く小説家がいたら、その作品にいかなる価値を見い出せるのでしょうか?「私たちは皆、多かれ少なかれ、卵なのです。私たちはそれぞれ、壊れやすい殻の中に入った個性的でかけがえのない心を持っているのです。わたしもそうですし、皆さんもそうなのです。そして、私たちは皆、程度の差こそあれ、高く、堅固な壁に直面しています。その壁の名前は「システム」です。「システム」は私たちを守る存在と思われていますが、時に自己増殖し、私たちを殺し、さらに私たちに他者を冷酷かつ効果的、組織的に殺させ始めるのです。私が小説を書く目的はただ一つです。個々の精神が持つ威厳さを表出し、それに光を当てることです。小説を書く目的は、「システム」の網の目に私たちの魂がからめ捕られ、傷つけられることを防ぐために、「システム」に対する警戒警報を鳴らし、注意を向けさせることです。」(村上春樹)

行政代執行の前日、暴風雨のなかでおこなわれたミーティング・アクションでは、よいスピーチをいくつも聞くことができた。当日は、レインコートのポケットにいれておいた携帯電話とデジカメがポケットの中にたまった水で水浸しになり、動作不能になってしまったほどの激しい豪雨だったが、そんなふうに、どしゃぶりの雨の中、全身ずぶぬれになりながらも、いま・ここに・こうして大勢の人たちと共に立っている理由を、あらためて再確認させてくれるような言葉がたくさん聞かれた。メディアの報道ではそういうことばはカットされ、めったに外には届かない。だが、それをうらんでもはじまらない。「メディアをうらむな、メディアになれ」というのが、インディペンデント・メディアの出発点である。なかでも特に印象的だったのが、「わたしたちの運動はよわい運動です」ということばだった。それは、よくいわれるような「弱者のための運動」とか「弱者による運動」ということよりも、運動そのもののありかたについて語るものだった。つまり、よわいからもっと強くならなければならないとか、という話ではない。ましてや運動の「非力」さや「無力」を嘆くものでもない。むしろその「よわさ」を肯定するような話だった。ときとして運動が「強い運動」になるとき、よわいものたちはそこにいずらくなる。また、運動が「大きな運動」になるとき、ちいさなものたちはそこにいずらくなる。「強い運動」や「大きな運動」のなかで見失われ、そこなわれていってしまうものを見捨てないためには、あえて「よわさ」を選びとらなければならない。これは単なる敗北主義でもなければ、現状肯定主義でもないと思う。たとえば、藤本壮介の「弱い建築」や隈研吾の「負ける建築」の考えなどとつながるところもありそうだが、 まだうまくのみこめていないところがあるので、残念ながらいまここでそれを伝えることはできない。それとあともうひとつ、宮下公園を封鎖する壁をみながら思い出していたのが、冒頭にひいた村上春樹のスピーチだった。いま、この「よわい運動」の前に「堅固な壁」として立ちはだかっているのは、渋谷区とナイキといういずれも大きなシステムだ。この「よわい運動」に対してはさまざまな批判や中傷もある。もし仮にこの運動にただしくないところがあったとしても、作家がそう考えているのと同じく、自分が常に立ちたいと思うのは、壁ででなく卵の側である。こうした抗議のアクションには、いわゆる充実感や達成感のようなものはないが、少なくとも立つべき側に立つことができた、というあの感覚はしっかりあって、それさえあれば十分だと思うし、望むべくは、立つべき側に立つだけでなく、その風景や出来事の一部でありたいと思う。
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by illcommonz | 2010-09-26 04:29
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