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いる・こもんず 【普通名詞】 01| ありふれて変なもの 02| 扱いにこまる共有物 03| 分けても減らぬもの 04| 存在とは常に複数で他と共にあり、狂えば狂うほど調子がよくなる
はじめに、ふた、ありき

イルコモンズ編
見よ ぼくら
四人称複数
イルコモンズの旗
(Amazon.comで
大絶版廃刊中)
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▼「わたしのすがた」をみる
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 おそるべき、いまの世にぞ、われらは生きる
 さしせまる危機にありて、生きるはきびし
 みよや、国はきそいたち、いくさをはらむ
 きけ、たみのなやむこえは、世界にみてり
 賛美歌115番「われらは生き、われらは住まう」

 飴屋法水の招待で、28日目の「わたしのすがた」をみせてもらった。

飴屋法水考案「わたしのすがた」
[日時] 2010年10月30日(土)-11月28日(日)
[場所] にしすがも創造舎 豊島区西巣鴨4-9-1
「F/T09では「転校生」「4.48サイコシス」を演出し、日本演劇史に鮮烈かつ不動の1ページを書き加えた飴屋法水。演劇、美術、音響、動物店の経営など、さまざまなフィールドを越境しながら、一貫して「生命」や「身体」を見つめ続けてきた彼が、ついに戯曲も舞台も俳優もない、脱・演劇的装置の作成に取り組む。今回飴屋が着目したのは「不動産」。かつて誰かがそこに存在し生を営んでいた空間、しかし今は誰も存在しない場所。にしすがも創造舎を基点に、観客はたったひとりで4箇所の「不動産」を訪れ、そこに息づく事物や生物、物質、言葉と対峙する。複数の生や時間が交錯する場所/非場所で、見る者はどんな「わたしのすがた」を見出すのだろうか。会場や体験方法など作品の全容がわかるのはF/T10開幕当日の正午、その場、その時に立ち会うものだけが知りうる謎に包まれた30日間の幕があく。」

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 西巣鴨周辺の廃屋を舞台に上演された今回の「市街劇」は、劇場で上演されるどんな芝居にも増して、見る者によってその見え方は大きく異なり、そこに見い出すものも、ひとりひとりちがっていたはずだ。さらには、その日の天候や気温、時刻や湿度、そして、そこに居合わせた人たちの存在によっても、その見え方は大きく異なっていたと思う。したがって最大公約数的な何かを語るよりも、自分がそこで何を見たかを実直に告白することの方がこの芝居によりふさわしい語り方ではないかと思う。そしてそれが「わたしのすがた」をみることでもあると思う。ただその前にひとこと。これはいうまでもないことなのだろうが、しかし大事なことなので、まず最初に書いておくと、これは飴屋による「廃墟ツアー」ではないし、飴屋の「クリスチャニズムへ」の傾倒でもない。もちろんそう見てもかまわないし、そうみることで安心したいという気持ちも理解できるが、そうした理解に安住してしまうと、「わたしのすがた」はみえてこないし、物語もはじまらない。以下に記すのは、三時間半の市街劇の中で自分が目にしたものと、そこから想起したことの覚書である。ただし冒頭の賛美歌の引用のように、その場になかったものも含まれているし、さらに上演後に飴屋からきいた話もあるが、それはすべて省いた。

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 2010年11月26日金曜日午後5時、第一幕、東京都豊島区西巣鴨4丁目9番1号、主よ、たとえわずかでも、あなたように生きようとすれば、わたしもきっと罪に定められるでしょう。わたしはそれがこわいのです。人間の知恵に耳をかたむけるのがこわいのです。第二幕、昭和57年4月13日火曜日、だいだいの家、4畳半、9畳、3畳、罪、とが、不義、悪、やみ、汚れ、主よ、主よ、かせそはこばちて、ときはなちたまえ。愛用者サービス券、この券10枚にてウタマコマホー石鹸1個とお引き換えします。第三幕、東京都豊島区西巣鴨4丁目12番地、半分の教会、半分の境界、第一、わたしが生まれたといふことは、わたしに使命のある証拠である。第二、わたしが今生きているといふことは、わたしにまだ使命があるという証拠である。万人に使命がある。之を信じてこそ人格尊重の根拠ができる。後藤静香、使命と人生、大正13年。せとのやぶからのぞくと、とのさまがえる、まかりでて、両手をついたが、やがて考へて、わたしの用事なんだっけ? 赤十字、希望社、第四幕、休日診療所、永遠の安息日、それは道ばたを通っていただけなのに、むりやりひっぱってこられた、見ず知らずの人でした。終生観、33人は眠っている。肉体はよわい。群衆がやってくる。生歌にコーダがきた。思い出さそうよ、吹く風も、帰らぬ主の、あと追うように、今もなお、目に浮かぶ、姿よ眠れよ、大地は静か。もう忘れよう、そしてみんな、うちへ帰ろう。終幕。

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 こうして芝居は幕をおろしたのだが、偶然にも、今回の芝居の舞台となった西巣鴨は、かつての勤め先があった場所で、多少の土地勘があったので、そのままうちには帰らず、寄り道をした。第四幕で灰になったそれを見たとき、帰りにあそこに寄らないと、おわらない/はじまらない、と思ったので、そうした。

 2010年11月26日金曜日午後8時半、東京都豊島区巣鴨4丁目33番地、庚申塚ときわ食堂、スタミナ満点、明日への活力、ホルモン炒め、450円、たまご焼き、350円。

 そう、わたしはこうやって生きのびてゆくのであり、これも「わたしのすがた」である。

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 芝居の終わりに手渡されるパンフレットには、飴屋のこんな言葉が記されていた。

 「わたしは日本に生まれました。わたしは無宗教、無神論者です。」

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 このパンフレットをみながら帰りの電車の中で考えた。「わたしはどうだっけ?」と。たぶん自分はこうだろう。

 「わたしは1966年に生まれました。わたしは多神教、アニミストです。」

 そして神についてはこう考えている。

 「神も仏もくそもあるもんか、とは思うばってん、
 もしいらっしゃるのなら、天地・宇宙・万物をつかさどる神さま、
 おいどんは、男ばい、 しあわせにしてくださいとも、たすけてくださいとも、
 死んでもたのみません。 おいどんは、おいどんのやりかたで、
 がんばるけん、見ていてください。」 (大山昇太)

 わたしのたましいのすがたは、こんなふうにできている。

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[追記] ところで、神さま、仏さま、最近はなにをなさったのですか?

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神さまはスケボー、仏さまはバッジ・プレゼントですか。。。
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by illcommonz | 2010-12-03 03:31
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