「門松は冥土の旅の一里塚
めでたくもありめでたくもなし」
(一休宗純)
※どことなく、ゴッホにも
似てるけど、画像は一休。
「ある年の正月のことです。一休さんは墓に行き、どくろを拾って竹の先にくくりつけ、家々の門口でどくろを見せては、「このとおり、このとおり、ご用心、ご用心」とふれ廻ったそうです。ある家人が「おめでたい正月になぜこのような不吉なことをなさるのですか」と問うと、一休はしゃれこうべを見せながら、「人間はいつまでも目がでてるわけではない。いずれは皆このようになるのです」と答えたそうです。」(
「仏教酔談」より)
一説によると、一休は1月1日の生まれ(明徳5年1月1日/1394年2月1日)だったらしい。自分の生まれた日に「死を想う(メメント・モリ)」とはやるなぁ。空気をよまない、このクリティカルな姿勢は、ぜひみならいたいものだ、と思ったので、みならうことにした。
▼イルコモンズ作「元旦デモ用ベル」
▼「高円寺・元旦デモ(仮)」
[日時] 2011年1月1日 12:00
[場所] 東京・高円寺中央公園
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[追記]
「
一休宗純は室町時代の臨済宗大徳寺派の禅僧である。説話のモデルとして知られる。自由奔放で、奇行が多かったと言われる。以下のような逸話が伝わっている。
・印可の証明書や由来ある文書を火中に投じた。
・男色はもとより仏教の戒律で禁じられていた飲酒・肉食や女犯を行い、盲目の森侍者(しんじしゃ)という側女や岐翁紹禎という実子の弟子がいた。
・木製の刀身の朱鞘の大太刀を差すなど、風変わりな格好をして街を歩きまわった。これは「鞘に納めていれば豪壮に見えるが、抜いてみれば木刀でしかない」ということで、外面を飾ることにしか興味のない当時の世相を批判したものであったとされる。
・親交のあった本願寺門主蓮如の留守中に居室に上がりこみ、蓮如の持念仏の阿弥陀如来像を枕に昼寝をした。その時に帰宅した蓮如上人は「俺の商売道具に何をする」と言って、ふたりで大笑いしたという。
・正月に杖の頭にドクロをしつらえ、「ご用心、ご用心」と叫びながら練り歩いた。
こうした一見奇抜な言動は中国臨済宗の高僧として知られる普化など唐代の禅者と通じるものがあり、教義の面では禅宗の風狂の精神の表れとされる。と同時に、こうした行動を通して仏教の権威や形骸化を批判・風刺し、仏教の伝統化や風化に警鐘を鳴らすものでもあった。」