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いる・こもんず 【普通名詞】 01| ありふれて変なもの 02| 扱いにこまる共有物 03| 分けても減らぬもの 04| 存在とは常に複数で他と共にあり、狂えば狂うほど調子がよくなる
はじめに、ふた、ありき

イルコモンズ編
見よ ぼくら
四人称複数
イルコモンズの旗
(Amazon.comで
大絶版廃刊中)
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▼文化人類学解放講座/学期末公開試験
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 今日は学期末試験の日です。テストの問題はいつもとおなじ問題です。なにかのためのテストではなく、自分で自分を試すDIYのテストだと思って、たのしんでやってください。

【問題】この一年間の講義を通して知ったことや考えたことをもとに、自分でこたえることのできる問いを自分でつくり、その問いに自分で答えをみつけて、それを自分で評価して下さい。

 ※評価はABCや点数などでつけないこと
 ※パソコン・携帯電話・電子辞書などの持ち込み可
 ※グループでの話し合い、アイデアの共有、共同作業可
 (よって今回も「不正行為」「カンニング」はゼロ(無理)です)

[参考1] 「自分で問いをつくり答えをつくること」
 「明治六年に全国ではじまった学校制度は、①先生が問題を出す、②その正しい答えとは先生の出す答えだ、という前提にたっており、生徒自身がそれぞれ、6歳までに知っていることの中から自分で問題をつくり、答えを出すということは除外されている。もし大学まで進むとして、十八年、自分で問題をつくることなく過ぎると、問題とは与えられるもの、その答えは先生が知っているもの、という習慣が日本の知識人の性格となる。今は先生は米国。[...] 教師も、明治以前の寺小屋の気風を受け継ぐ時代から離れて、大学教育学部養成の教師たちになると、知識人共通の性格から自由ではない。[...]そのときの光背を失わずに、点数によって人を見ない運動を続けている人は、現代の中で私の知る限り、無着成恭だけである。こうした姿勢を日本の教師は、小・中・高・大を通して失った。無着成恭が僧侶になったのは、今の日本の学校に彼のいる場所がないからだ。[...]日本の大学は、日本の国家ができてから国家がつくったもので、国家が決めたことを正当化する傾向を共有し、世界各国の大学もまたそのようにつくられて、世界の知識人は日本と同じ性格を持つと信じられている。しかし、そうではない。(鶴見俊輔)

[参考2] 「文化人類学解放講座答案集」
http://illcommonz.exblog.jp/7051941/
http://illcommonz.exblog.jp/5822249/
http://illcommonz.exblog.jp/4574257/
http://illcommonz.exblog.jp/4574278/

[参考3] 「みんなの答案」(2005年)
 「グローバリゼーションとは、バランスのこわれた生活が、地球の残りの部分にまでひろがってゆくことだよ/そう、ディズニーはどんどん世界に進出しているのです。このことが世界にもたらしているのは何でしょう?それは、すてきな夢、そして、苦痛なんです/ハリウッド映画は一種の「思想的テロ」ではないか?ハリウッド映画の「思想的テロ」が最も威力を増すのは、我々がグローバリズムへの思考を止めたときである。我々が思考を止めれば、ハリウッド映画はまさに「思想的テロ」となって、我々を洗脳してしまうだろう/私たちはテクノロジーによってスピードを得たが、知らぬ間にいろいろなものを失ってしまった。「コヤニステカッツィ」は映像と音楽だけだが、これを見ると、失っていくものに対する恐怖を感じることができる/郊外にショッピングセンターができた。しかし今考えるとそういった所では消費者としての満足しかなく、その時の思い出というのはほとんどない。郊外のショッピングセンターが空虚なものに感じてしまう/金を払わねば、人として存在することもできなくなる世の中は本末転倒である。それのいったい何がグローバリゼーションなのだろう/グローバリゼーションに対して私が抱く危機感の本質とは、企業及び資本主義によってもたらされる、人々からの人間性・人間のはく奪である/自分の体からはなれすぎて、地球の裏側のことまでわからない、まるでRPGのような世界が今の世界だと思います/グローバリゼーションを通じて人は、本質を見抜く力を失っていることに気づくべきではないのか?/私たちのボーダーは消えたんじゃない、大きな何かに飲み込まれた、あるいは、買い取られた。そして新たに企業のなわばりというボーダーができたのだ/どの国からも「エキゾチック」がなくなるのか。いま流行の「ボヘミアン」「エスニック」など「~風」がなくなってしまうと考えると気持ち悪い/お土産というものがもっていた機能が交通機関の発達など昨今の急速なグローバリゼーションによってもはや維持できなくなってきている/貧困救済に貢献する自身の社会的評価を上げようとする私利私欲、その象徴を身につけることになっているという切り口からホワイトバンドを見てみると、なんとも諧謔に思えて仕方ない/資本主義・グローバリゼーションによって創り出された枠組から少しはみ出して「悲惨」といわれる世界側から、いま自分たちのいる世界を見てみたい/公共サービスへの民間企業の参入は高利潤を生むビジネスとして注目されており、公共サービスの自由化は、途上国ではサービスを受けられるものと受けられない人々ができてしまう/私たちは彼らに仕事を与えてあげたのではない。安く働かせられるから都合が良いと雇ったのだ/国内生産のセブンイレブンでは買い手・売り手・作り手の間に極端な貧富の差は出ない。ナイキは買い手・売り手・作り手の貧富の差が極端に出がちである。私とホリエモンぐらいの差かもしれない/ディズニーを毛嫌いするというのは答えではないし、楽しければ良い、と関係性を絶ってしまうのも違うはずだ/かつては今よりも便利ではなかったが、それでも生活していた。便利になるためにCMに踊らされて物を買い換えてゆく私達/私たちの社会は他者を想像していない社会である。私たちに想像力というものが欠けている、もしくは、欠けさせられたからである//私たちは何をしなければならないのか?最低賃金(死なないだけの額)で暮らさねばならない人々の存在とその暮らしを想像することである/我々が一番忘れてはならないもの、それは「他者の尊重」そして「相手から学ぶ」という姿勢では?/ある文化人類学者は、ある講義で次のように言った「文化人類学ではないもの(=似たもの)を見ることで文化人類学を学ぶ」と/無知ということの恐ろしさを感じればいい。自分が人権を持っているのさえ考えず、そんな人間は他人の人権も同じく考えない/私には、テクノロジーが生んだ便利さというヌルマ湯につかりすぎて、人々は"理性"を、"考える力"を失ってしまったとしか思えない。いま人々に必要なのは"理性"である。テクノロジーの影で声にならない声をあげているモノたちについて良く考えなければならない。それが出来なければ破滅の一途をたどり続けるだけであろう/押しつけが多いから、世界は怒るのだ。耳をすまして世界の声を聞くこと。簡単なことじゃないか。地球の理想は、世界中の合意の上に様々な文化が成り立っていることではないのか。グローバリゼーションはその過程なのだよ。世界中が国家の単位をこえて、同じ地球民族であることを確認し、力をあわせていかなくてはならない。そのためにまず自文化の押しつけを自覚することだ/私たちは企業に搾取されるばかりでなく、世界に呼びかけ、行動することもできるのだから。」

[追記] 毎年、この日がたのしみで、講義をしている。それまでは、もっぱら話をきくだけだった学生たちが、自分の考えとやりかたで、それぞれにまったくちがった答案をつくりはじめる。教室が映画「トントンギコギコ図工の時間」のようになる。サンデルのように教師ではなく、学生が主体となって教室を白熱させる光景を教壇からながめるのが好きだ。なにかというと「いまの学生たちは…」と口にしたがる教師たちにみせてやりたい光景だ。写真や文章をはさみやのりで切り貼りした答案には独特の手触りとにおいがある。本のかたちをしたもの、ビンにつめられたもの、地球のかたちをしたもの、たべものがはりつけられたもの、バッグのかたちをしたもの、スニーカーのかたちをしたもの、丼にはいったもの、手紙のかたちをしたもの、ひとつとして同じ答案はない。いろんなかたちをした答案があるので、家に持ち帰るのがたいへんだが、それがたのしみで講義をしている。
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by illcommonz | 2011-01-12 02:04
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