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いる・こもんず 【普通名詞】 01| ありふれて変なもの 02| 扱いにこまる共有物 03| 分けても減らぬもの 04| 存在とは常に複数で他と共にあり、狂えば狂うほど調子がよくなる
はじめに、ふた、ありき

イルコモンズ編
見よ ぼくら
四人称複数
イルコモンズの旗
(Amazon.comで
大絶版廃刊中)
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▼[エジプト革命] 日本のメディア・ウォールが遮断した、同時代世界を生きる体験の共有

▼ギル・スコット・ヘロン「(今でも日本の)テレビは革命を放映しない」

 「困ったことに、日本はエジプトを発信源に欧米や全世界が巻き込まれたグローバル・メディア空間の国際政治から取り残された、ほぼ唯一の先進産業国だった。取り残されているという現実認識すら、政治やメディア業界のエリートの間にも乏しいところが深刻である。確かに、日本とエジプトの間には7時間の時差があり(エジプトが7時間遅い)、今回は主に現地の夕方から夜(日本の夜から明け方)にかけて重要な進展があったため、日本の新聞は現地の夕方に起こったことを、最終版の一部を差し替えて伝えるのがやっとだった、という事情は斟酌すべきだろう。しかしそもそも世界の一流紙はすでにウェブ中心の報道態勢に切り替えている。ウェブ版に逐次最新記事をアップロードしていき、印刷する瞬間に最新の情報を編集して紙面にしている。ところが日本の大手メディアは、依然としてインターネットを敵視・忌避するか、あるいは単に適応できていない。従来からの、深夜に小刻みに版ごとに最新情報を差し替えて行くという、さして意味のない作業で人員が疲弊している。
 全世界が共有したエジプトの政変のドラマを、大多数の日本人は共有しなかった。このことは今後の日本人の国際社会での地位に(ただでさえ低い地位に)、深刻な影響を与えるのではないかと危惧する。大げさに書いているように見えるかもしれないが、想像してほしい。例えば2001年に9.11事件があったことが、「夜だったから」「祝日だったから」といった理由で報じられなかった国があったとしよう。その国の子供たちはどう育つだろうか。リアルタイムで世界の変化を見詰め、新たな世界に目を開かされながら育った外国の子供たちに、伍していけるだろうか。国際社会の動きを理解し、自ら行動するための基本的な前提や感覚を共有していないことは、重大なハンディとなる。大手メディアに属するエリート社員たちが、停滞し老化した意思決定過程の改革を怠り、連休を安楽に寝て過ごすことが、将来の日本人が国際舞台で立ち遅れることに手を貸しているかもしれない。それぐらいの想像力を持ってほしいものである。」(池内恵「ムバーラク最後の一日―加速するグローバル・メディア政治」)

 この話は、これから国際社会で活躍することになる一部のエリートたちや、TPP以後、否応なしに国際化を余儀なくされる国内企業で働くことになる若者たちだけに限った話ではない。テレビをはじめとする日本のメディアの分厚い「メディアウォール」に遮断され、エジプト革命を共有できなかったことで、これから先、日本の若者や子どもたちが、どんな場面で、どんな目にあうだろうか、と想像してみた。


▼「シンク・ディファレント/世界を変えたクレイジーな人びと」(2011年版)

 たとえば、こういう感動的なムービーを外国人の友人や恋人や同僚たちと一緒に見た時、日本の若者だけがこのムービーの最後に登場するアスマ・マフフーズの顔や名前はおろか、その存在さえも知らず、そのことで友人や恋人や同僚たちから呆れられ、世界についての見識のなさや視野の狭さを指摘されて、へこむ、というのがそれである。つまり「メディアウォール」による同時代世界についての共有体験の遮断は、こうした感動の共有の機会さえ奪いかねないものだ。それを考えると、日本のメディアが犯した功罪はあまりに大きい。

 だが、悲観することはない。リアルタイムの体験は無理だとしても、知識は今からでもとりもどすことはできるし、知識があればハンディはのりこえられる。そのためにも大学の講義で「エジプト革命」をとりあげなければならないと思った。いや、そうでもしないと学生たちがあまりに気の毒である。大学は就職やキャリアアップのためにあるのではなく、こうした同時代世界についての知見や理解を手にいれるためにある。とりわけ文化人類学は「世界を知る」ための学問であり、そのメディアである。講義ではまず最初に「メディアウォール」という言葉とその意味を伝えることからはじめようと思う。

 「メディアウォールとは、視聴者が「世界」を見ないようにするための遮蔽幕であり、人びとが「歴史」を直視することを妨げる隠蔽の制度、「未来」への展望を禁じる「時代閉塞」の情報体制なのだ。歴史的にはメディアとは、議論する公共圏を開くものであったとしても、「メディアウォール」はそれを閉ざす効果をもっている。国民に一定のフィルターを通してしか外の世界を見せないために、歴史を忘却し内輪の世界へと閉じこめるために、消費者を私的なおしゃべりの世界へと差し向けるべく存在している。」(石田英敬「世界を覆い隠すメディアウォール」「世界」2005年4月号)

 さらにいえば、「メディアウォール」で遮断された世界についての知識を伝達するのは、なにも大学や文化人類学だけの役目ではない。たとえば、「世界をどこまで知ることが出来るか」、そして「みる、そだてる、つなげる」をテーマを掲げた国際現代美術展にだってそれはできるはずだし、また、やらなければならないと思う。

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 「次回の「横浜トリエンナーレ2011」は、「われわれは、世界をどこまで知ることが出来るのか」という問いのもと、世界や日常の不思議、魔法のような力、さらには超自然現象や神話、伝説、アニミズム等に言及した作品に注目したいと思います。この方向性は、決して科学の限界を問うものでも、また神秘主義を讃えたり、単にアートの娯楽性のみを追求するものでもありません。それよりも、こうした科学では解き明かせない領域に改めて眼を向けることで、これまで周辺と捉えられていた、あるいは忘れ去られていた価値観や、人と自然の関係について考えるとともに、より柔軟で開かれた世界との関わり方や、物事・歴史の異なる見方を示唆しようとするものです。このように、知らない世界の探求、新しい知識の航海への船出ともいえるような本展が、停滞感が強く先行きの見えない現代に対してなんらかのメッセージを持ち、また世界中で国際展が氾濫し、その存在の明確化が求められるなか、世界に初めて開かれた港である横浜に適した国際展のかたち、そのアイデンティティーの模索に繋がれば幸いです。」(横浜トリエンナーレ2011 アーティスティック・ディレクター 三木あき子)

 これから半年後に開催される、この「横浜トリエンナーレ」で、もし、「エジプト革命」に関わる展示や企画がひとつもなかったらどうなるだろうか、と想像してみた。おそらく海外のメディアや美術批評家は、この国際展のいったいどこが「世界をどこまで知ることが出来るか」なのだろうかと酷評し、この日本発の国際展の見識のなさを指摘するだろう。たしか今月の下旬に、横浜トリエンナーレのアーティスティック・ディレクターが、「横浜トリエンナーレ2011の方向性」をトリエンナーレのサポーターたちに語る中間報告会があるはずなので(実は自分はサポーター登録している)、その話を聞きにいって、その方向性次第では、前言を撤回しようと思う。前言とはこれのことである。

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▼イルコモンズ「横浜トリエンナーレに出たい」(「イルコモンズのふた」2011年1月24日)

 一方、エジプトの若者や子どもたちは世界に対してすこぶる楽観的だ。なにしろ、こんなにはっきり口にだしてそう云ってるのだから、まちがいない。



 「停滞感が強く先行きの見えない現代に対するなんらかのメッセージ」ということでいえば、このメッセージにまさるものはないだろう。日本のメディアウォールによって遮断されたこうした声やメッセージが、いったいどのような世界からどのようにして生まれてきたのかを伝達するメディアとしての美術。みえない「メディアウォール」を可視化し、共有することのできなかったタハリール広場を別のかたちで再現してみせる表象。もし「同時代芸術」としての現代美術に求められているものが、まだ残っているとすれば、それだろう。
[PR]
by illcommonz | 2011-02-18 04:36
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