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いる・こもんず 【普通名詞】 01| ありふれて変なもの 02| 扱いにこまる共有物 03| 分けても減らぬもの 04| 存在とは常に複数で他と共にあり、狂えば狂うほど調子がよくなる
はじめに、ふた、ありき

イルコモンズ編
見よ ぼくら
四人称複数
イルコモンズの旗
(Amazon.comで
大絶版廃刊中)
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▼よみがえれベイトソン、エコ撲滅活動への招待


「いまはまだ、いかにも頼りないものであるが、エコロジーの思想が広がりつつある。この思想も、生まれるそばから政治と商業の場に持ち運ばれ、矮小化されてしまっているのが実状ではあるが、ともかくも、いまなお、人間の心のなかに、ユニティをもとめる衝動、われわれがその一部として包みこまれている世界全体を聖なるものとして見ようという衝動がはたらいていることは事実である。生物世界と人間世界との統一感、世界をあまねく満たす美に包まれて、あらゆるものがつながっている、という安らかな感情を、ほとんどの人間は失ってしまっている。目を大きく開いてみよう。美的統一感を失ったとき、われわれは認識上の大きな過ちを犯した。昔の認識論にもいろいろと狂ったところがあったが、そのどれと比べても、美的統一感の喪失の方がより重大な誤りだと私は信じている。」(グレゴリー・ベイトソン「生きた世界への招待」)

「エコロジーという言葉について、誤解が起きないように云っておきます。よく、それがすでに破壊された自然を回復することだというふうに解釈されていますが、それはせまい間違った誤解です。というのは、自然を救うといっても、現在の社会の状況のなかで、大きな権力とか、様々な規定とか、経済秩序の中では、どんなことをしても自然を救うことはできないのです。その意味で自然を救うということだけに話を絞って、エコロジーという言葉を生物の世界にだけ狭めるのは反対です。現在の状況では自然を救えない以上、あるいは自然回復できない以上、どのような社会が、社会エコロジー的にみて、本当に生物を救う、自然を救うために役に立つのか、あるいは意味があるか、という社会の改革の問題が先に来るのです。」(ヨーゼフ・ボイス「東京藝術大学講演」)

 政府や企業が押しつけてくる「エコポイント制」だとか「エコな暮らし」だとか、ああいうエコロジーもどきのエコノミーやビジネスの話を聞くと本当に腹が立つ。人をばかにするのにもほどがある。ジジェクが云うように、いまや「エコは民衆のアヘン」であり、それは「メディアウォール」と同じくらい有害で、忌々しいものだ。エコロジーはそんなものではなかったはずだ。エコロジーは「省エネ」や「節約」などとは対極にあるもので、人間と人間をとりまく広大な世界とを「つなぎあわせるパターン」に目を大きく見開かせくれるものだ。それは構造主義と実存主義とマルクス主義を全部かけ合わせても、まだ及ばないくらいの、人間と世界についての開かれたものの考え方や感じ方である。それがここ数年、右をむいても左をむいても、エコエコエコエコエコエコエコエコエコエコエコエコエコエコエコエコエコエコエコエコエコエコエコエコエコエコエコエコエコエコエコエコエコエコエコエコエコエコエコエコエコエコエコエコと、耳にタコとイボと魚の目ができるくらいインチキな話を聞かされ続けて、さすがにもう我慢できなくなってきたので、ここでもう一度初心にもどってベイトソンを読みなおし、エコバスターズ(=エコ撲滅)活動をはじめたいと思っているのですが、誰かいっしょにやる人はいませんか?

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[参考]
▼エコ・セントリズムの時代のエコ・ポリティクスに抗するもうひとつのECO
http://illcomm.exblog.jp/9773180/
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by illcommonz | 2011-03-10 08:50
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