Top

いる・こもんず 【普通名詞】 01| ありふれて変なもの 02| 扱いにこまる共有物 03| 分けても減らぬもの 04| 存在とは常に複数で他と共にあり、狂えば狂うほど調子がよくなる
はじめに、ふた、ありき

イルコモンズ編
見よ ぼくら
四人称複数
イルコモンズの旗
(Amazon.comで
大絶版廃刊中)
以前の記事
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
2006年 01月
2005年 12月
2005年 11月
2005年 10月
2005年 09月
2005年 08月
2005年 07月
2005年 06月
2005年 05月
2005年 04月
2005年 03月
2005年 02月
記事ランキング
▼「そげなもんたい」
d0017381_20404650.jpg 「これは、あなたが本当は何者であるかを試される瞬間です。あなた自身の真実の瞬間です。あなたの良心はまだ生きていますか。あるいは、あなたは人間性よりも利害関係を重んじますか? あなた自身の尊厳を証明し、私たちが人間性の回復を要求することを手伝ってくれるでしょうか。それはあなたが決めることですが、覚えておいてください。それはあなたが一生抱えていくことになる何かであり、いつかあなたはこの件で子供たちと正面から向き合わなければならないかもしれません。」(ある手紙より抜粋)
 エジプト革命のときから、ずっとその瞬間が続いているような気がする。「良心」や「尊厳」といったことはひとまずおいといて、次から次に起きてくる様々な局面で、自分が「ほんとうは何者であるか」ということを絶えず試されるので、考えることをやめることができない。気が休まるときがない。こんなことはめったにない。いや、めったにあってほしくないのだが、めったにないからこそ、いま・この瞬間にしかできないこととして、それをいつもより遠くまで考えようとする。より深いところまで遡って考えようとする。「何者か」というのは、たとえば、人類学者だとか、芸術家だとか、メディア・アクティヴィストだとか、そういうことではない。それはあくまで現在の肩書きや身上でしかない。そうではなく、自分の原点や過去とつながり、その根幹をなすような「何者か」のことである。こういうとき、どういうわけか自分は、まっすぐにものごとを考えず、ヨソから考えたり、ズレから考えるクセがある。簡単にいうと、変なところから考えはじめ、まわりくどく考えてゆくクセがある。たとえば、いま世界では、被災地の人びとの「我慢強さ」や「冷静さ」が「日本人」の美徳として称賛されている。人類学者の目からすると、こういうステレオタイプはまずあてにならないし、こういうステレオタイプはそれから逸脱する言動や行動を排除するあやうさをもっている。だがひとまずそれはさておき、自分は「日本人」かといえば、たしかに国籍はそうだが、自分では「九州人」だと思っている。全然、我慢強くないし、冷静でもない。なにより、いまそれを、政府やメディアが無理やり押しつけようとしているのが我慢ならない。だが、それもいまはひとまずさておき(この「ひとまずさておき」もそろそろ限界に近づいている)、いまは東京で暮らしているが、もともと生まれも育ちも福岡なので、自分が「何者か」を考えるには、やはり、生まれた土地の言葉や育ってきた過程で耳にした言葉がいちばんしっくりくる。逆にいえば、「尊厳」や「良心」といったことばは、どこか借りものの衣装のようで、自分の身になじまない。ひとはよく「自分のことは自分がいちばんよく知ってる」というが、たぶんそれは思いすごしか錯覚で、むしろ自分以外の誰かの方がよほど、自分が何者であるかということをよく心得ていると思う。そう思うので、これまで自分が生きてきた中で、ある時期、全幅の信頼を寄せ、かつ、大きな影響を受けてきた人物の言葉から、それを考えてみることにした。その人物とは祖母である。祖母が亡くなってもう二十年以上経つが、どういうわけか祖母が自分によく云っていた言葉を鮮明に覚えていて、特にこのところそれが、次から次に思い出され、よみがえってくる。ということは、そこからはじめるのがいいのだろうと思い、そうすることにした。祖母はよく自分にこんなふうに云っていた。

.................................

 ・あんたは、ほんなごつ、きものほそかね。

 ・なんでそげん、あたまのちのめぐりがわるかとかね。

 ・ふぅたんぬるかねぇ。

 ・ひとのこと、ばか、ていうもんが、ばかたい。

 ・ばかちん

 ・こら、どげんした、へたくそまんきんたん、かいな。

 ・だらくさにせんと。

 ・かんしゃく、おこしたらいかん。

 ・たんきは、そんき。

 ・ぴしゃっと、せんといかんよ、ぴしゃっと。

 ・いっぺんじゃわからんと。にへんもさんべんもせんと、わからんと。

 ・いうてもしょうのないことは、いわんとが、りっぱ。

 ・そのめんたまは、なんのためについとうとね。

 ・そのあたまは、なんのためについとうとね。

 ・そのくちは、なんのためについとうとね。

 ・よそは、よそ、うちは、うちたい。

 ・たべもんば、そまつにしたら、ばちがあたるけんね。

 ・みっともないけん、だつだつせんと。

 ・たいしたことなか。

 ・めそめそしんしゃんな。

 ・うじうじしたらいかん。

 ・ほら、ようとみんしゃい、どげんなっとうね。

 ・わからんことがあったら、ひとにききんしゃい。
  きくとは、なぁもはずかしゅうなかと。

 ・テレビばっかし、みよったら、あたまがぱぁになるけんね。

 ・めばはなしたら、あんたは、どげんことでもするね。

 ・ほら、かせいしちゃらんね、こまりよんしゃろうが。

 ・じぶんのことは、あとまわしでよか。

 ・ひとのことばっかり、あてにせんで、じぶんのことは、じぶんでせな。

 ・ばかでよかけん、ひとのやくにたつひとになりんしゃい。

 ・きょうでできることは、きょうのうちにしときんしゃい。
  あしたできることも、きょうのうちにしときんしゃい、
  そしたら、あした、てばなしで、あそべろうが。

 ・よかよか。

 ・きのすむまでしたらよか。

 ・なんでんよか、あんたのしたいごと、すればよか。

.......................................

 こんなふうに祖母は自分によく云いきかせていた。孫としてかわいがられたというより、人としてこんなふうに「ぴしゃっ」と仕込まれて育った。はたしてそれがどこまで自分の血となり肉となったかはわからないが、こんなふうにして「仕込まれた部分」と「仕込まれそこねた部分」の総和が自分であることにはまちがいない。もはやこれはとりかえしのつかないもので、おそらくよほどのことでもない限り変わらないだろうし、また変わらなくていいと思っている。祖母なら「そげなもんたい」というだろう。その祖母がよく口にしていた言葉がもうひとつある。

 「ほんなごつ、あんたは、だれににて、そげんあるかね。」

 そのときは自分が誰に似たのか分からなかったが、いまはよく分かっている。

 「あばあちゃん、それは、あなたですよ。」

 そう、自分は、自分の祖母に似た「何者か」であると同時に、祖母がそうありたいと願ったような「何者か」にいまだなりそこねている「何者か」なのだと思う。とはいえ、祖母の云うとおり、自分は「ほんなごつ、ちのめぐりのわるい、ふぅたんぬるか人間」なので、まだそこまでしか分からない。というか、「そげなもんたい」と思っている。

--------------------------------------------
[追記] 世界がどんなに称賛しても、自分は「我慢強い」のを決して美徳だと思わない。どこまでも「我慢し通す」のではなく、ぎりぎりまで辛抱したその果てに仕返しに討って出るのをよしとするような人間である。祖母もそうだったようで、忠臣蔵の「南部坂、雪のわかれ」のくだりが「いちばんよかね」と云ってた。辛抱といえば、自分は昔からこの映画がすきで、このところ毎日、この映画の「予告篇」をみている。



 いまは、この映画のだいたい70分目あたりの気分で、フォルダはもう満杯だ。
d0017381_20462650.jpg
[PR]
by illcommonz | 2011-03-23 20:57
<< ▼「サイコロジカルファーストエ... ▼みんな「被災してはいないのに... >>