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いる・こもんず 【普通名詞】 01| ありふれて変なもの 02| 扱いにこまる共有物 03| 分けても減らぬもの 04| 存在とは常に複数で他と共にあり、狂えば狂うほど調子がよくなる
はじめに、ふた、ありき

イルコモンズ編
見よ ぼくら
四人称複数
イルコモンズの旗
(Amazon.comで
大絶版廃刊中)
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▼多摩美講義「原発なしですませる、野生の思考のレッスン」
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 「アメリカ先住民のオマハ族は「先住民は花を摘まない」という事実を、自分たちと白人たちのおおきなちがいとしている。「花を摘まない」というのは、気晴らしのために花を摘んだりしないという意味である。なぜなら植物にはそれぞれ、そのかくれた主人しか分からない用途があり、自分たちはそれを知らないからである。」 レヴィ=ストロース「野生の思考」より

 「すべてのひとたちのしあわせをもとめて、その目をこらし、耳をすませなさい。今しか見ないのではなく、これからの世代のことを、大地のなかからこちらをみあげている、いまだ生まれざる未来のくにのひとたちのことをつねに視野にいれるよう、こころがけなさい」(イロクォイ部族連合の憲法) スタン・パディラ「自然の教科書」より

 アメリカ先住民のナヴァホ族は、共同体にとって大事なこと(樹を切る、川から水をひくなど)をきめるときは、七代先の子孫たちの生活のことまでを考えて、ものごとをきめます。それに対して、わたしたちは、自分たちの生活の利便や快適さのために、自分たちの手に負えない原子力からどんどん電気を摘み取り、七代先どころか、七年先のことすら視野にいれません。そしてもし事故が起きれば、原発が七代先までおよぶ災いをもたらすことを考慮しないし、考えようとすらしません。

 アメリカ先住民の「野生の思考」からは、「原発に依存する社会」という発想はでてこないでしょう。「野生の思考」は、原発など決してみとめはしないでしょう。3.11から半年がたち、わたしたちのこれからの社会の姿やライフスタイルをきめる重要な岐路(クロスロード)となる9.11以後のいまだからこそ、「野生の思考」から学ぶことは多いと思います。原発なしですませることのできる「人間の暮し」を、リアルなものとして想像し、生きはじめるための、「野生の思考のレッスン」を開講します。

 「近代文明の弊害に冒されてしまっている人たちの関心は、この文明を擁護する事例、主張を見つけることでしかありません。そして彼らは、この文明が本物であると信じこんで、無意識のうちにそうしているのです。眠って夢をみている人は、夢のなかのことを本当のことだと信じており、夢から目が覚めてはじめて、その人は、本当のことにきづくようになります。文明という毒を浴びながら苦労している人びとは、夢のなかにいる人のようなものです。私たちが普段読むものも近代文明を擁護する人びとが書いたものです。たしかにこの文明の信奉者のなかにも、非常に優秀な人、さらには、とても善良な人もいますが、彼らの書いたものが私たちの判断を鈍らせています。そして、ひとりまたひとりと私たちは、その渦に飲み込まれていっているのです。この文明の炎で焼き尽くされている被害者には際限がありません。しかも救いようのないことに、この文明がまったくよいものだと信じこんで、人びとはその焼けつく炎に飛び込んでいるのです。人々は宗教を軽んじるようになってしまいましたが、かといって、この世で利益を得ることも実際にはできずにいるのです。この文明は、私たちの機嫌をとりながら、実はわたしたちにかじりついているネズミのようなものです。その影響が十分現われてくれば、宗教的迷信といわれるもののほうが、近代文明の弊害にくらべれば、まだ害がなかったということに私たちは気づくでしょう。」(マハトマ・ガンジー)
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by illcommonz | 2011-09-15 15:08
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