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いる・こもんず 【普通名詞】 01| ありふれて変なもの 02| 扱いにこまる共有物 03| 分けても減らぬもの 04| 存在とは常に複数で他と共にあり、狂えば狂うほど調子がよくなる
はじめに、ふた、ありき

イルコモンズ編
見よ ぼくら
四人称複数
イルコモンズの旗
(Amazon.comで
大絶版廃刊中)
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▼文化人類学解放講座:人類学者になりすました人びとと、その受難の映画史
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文化人類学解放講座教材「人類学者になりすました人たち」

 劇作映画の「キャスト(登場人物や主人公)」として人類学者が登場する映画をジャンル別に分類してみてみると、「オカルト、ホラー、ミステリー、カニバリズム、コメディ、ポルノ、モンド」が多く(ラブ・ストーリーはほとんどない)、映画のキーワードは「秘境、猟奇、残酷、恐怖、神秘、謎」などである。



▼[上] 映画「ゾンビ伝説」(1988年) [下] 映画「デモンズ2001」(2000年) 

 ・ロバート・ワイズ監督「たたり」(1963年)
 ・ジョー・ダマト監督「アマゾンの腹裂き族」(1977年)
 ・メルヴィル・ゴーティ監督「マニトゥ」(1978年)
 ・ルッジェロ・デオダート監督「食人族」(1979年)
 ・ウンベルト・レンツィ監督「人喰族」(1981年)
 ・ヴェルナー・ヘルツォーク監督「緑のアリの夢見るところ」(1984年)
 ・ウェス・クレイヴン監督「ゾンビ伝説」(1988年)
 ・E・マックス・フライ監督「アモス&アンドリュー」(1993年)
 ・トッド・ホランド監督「Dr.ジャガバンドー」(1998年)
 ・ルイス・リオサ監督「アナコンダ」(1997年)
 ・D・マイリック+E・サンチェス監督「ブレアウイッチ・プロジェクト」(1999年)
 ・ジョン・タートルトーブ監督「ハーモニーベイの夜明け」(1999年)
 ・グレン・スタンドリング監督「デモンズ2001」(2000年)
 ・アンドリュー・テイラー監督「カバルリ」(2002年)

 こうした作品のなかで、人類学者(になりすました人たち)たちに割りふられてきた役割(役柄)には、ある共通点がある。それは「受難の人」ということだ(ほかに「変わりもの」というのもあるが、それはさておき)、なぜ、人類学者たちは、映画のなかで、いつもこんなにひどい目にあうのだろうか。それは人類学の「フィールドワーク」と関係していると思われる。人類学者の箭内匡はこう書いている。

 「映画、精神分析、人類学的フィールドワークがほぼ同じ時期に誕生したことは、おそらく単なる歴史的偶然ではないと思われる。というのは、この三者は、「日常的な現実の外にある世界と、何らかの一貫した形で正面から向き合うことを主眼とする」、という点でよく似ているからである。人類学的フィールドワークは、異なる文化を生きる人々の現実を、旅行者が写真をとるような外面的かつ断片的なやり方ではなく、できる限り彼ら自身の内面に接近しながら、自律性をもった全体として把握することを目指す。このために人類学者は、フィールドワークの期間中、現地の人々と生活を共にし、自らの生身をもって彼らとかかわりあってゆくのである。映画・精神分析・人類学的フィールドワークの向き合う現実は、どれも、近代的な意味での「自己」に対しての「他なるもの」(いわば近代的自己の「夜の部分」)の空間である。」(箭内匡「文化人類学が変わる」)

 そう考えると、映画のなかの人類学者たちが「受難の人」であることは単なる偶然ではない。それは物語的必然であり、映画と人類学者は近代が「日常的な現実の外にある世界と、何らかの一貫した形で正面から向き合う」ための「身代わりの装置」だったのである。

[感想] 人類学者になりそこねてよかった。


▼映画「Dr.ジャガバンドー」(1998年)

 かつて、文芸批評家スーザン・ソンタグは、人類学者レヴィ=ストロースについて、「英雄としての人類学」という評論を書いたが、この映画をみると、「英雄」という役柄はもはや過去の失われた栄光となり、いまや「コメディアンとしての人類学者」という評論が書かれなければならないようだ。人類学者のレナート・ロサルドは「裸の王様としての人類学者」について、こう書いている。

 「民族誌が文化の研究にとって役に立つ視点であることがようやく認められた、そのちょうど同じ頃、民族誌のホームグラウンドである文化人類学はあるピンチに陥っていた。古典的な民族誌の読者たちが次第に「裸の王様シンドローム」に感染してきたのである。かつては、「文化の研究の王様」にふさわしい堂々とした衣装を身にまとっていたはずの文化人類学がいまや、まぬけな裸の王様のように見えてきてしまったのである。かつては「これこそ本当の真実」のように読めた言葉が、いまではパロディのように、あるいは、多くの見解のうちのひとつにしかすぎないように思えてきたのである。そのせいで、かつてはあれほど尊敬されていた民族誌の書き方の退屈さが驚くほどあからさまになってしまった。」

[感想] 人類学者になりそこねてよかった。
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by illcommonz | 2012-05-10 12:53
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