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いる・こもんず 【普通名詞】 01| ありふれて変なもの 02| 扱いにこまる共有物 03| 分けても減らぬもの 04| 存在とは常に複数で他と共にあり、狂えば狂うほど調子がよくなる
はじめに、ふた、ありき

イルコモンズ編
見よ ぼくら
四人称複数
イルコモンズの旗
(Amazon.comで
大絶版廃刊中)
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▼文化人類学解放講座「文明批評入門篇 ツイアビ・チャーリー・カイ mix」
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▼エーリッヒ・ショイルマン「パパラギ」
(邦訳=「パパラギ はじめて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集」)

 「これは鋭い文明批評の書であり、同時に文化人類学的記録であるとも言える。また、これは一種のSFとして読むこともできれば、一巻の美しい詩集であるとも思える。ポリネシアの酋長ツイアビの記した言葉は不思議な力に満ち、私たちの胸を打つ。私たちは私たちの信じている(と思っている)もろもろの価値が、根本から否定されるのを見て、恐ろしくなり、また愉快にも感じる。」(谷川俊太郎)

 「神がサモアの酋長ツイアビの言葉を借りて文明批評を書いた。一九二〇年のことだ。批判は鋭く、それでいて南の風のように、ゆったりとしており、ときに嵐のように激しい。驕る文明はこの批判を素直に受けねばならないだろう。この本は反文明の鏡に映された僕ら自身の姿である。」(浅井慎平)

d0017381_22291449.jpg 「パパラギとは白人のこと、見知らぬ人のこと。まるい金属と重たい神、彼らが「お金」とよんでいるもの、これが彼らの神だ。すべてのパパラギは、寝ているあいだも、お金のことを考えている。まるい金属と重たい紙。パパラギの国では、お金なしに生きていけない。お金がなければ、飢えも渇きもしずめることはできない。「働け、そうすればお金がもらえる」というのがヨーロッパのおきてである。このおきてには不公平がある。お金をたくさん持っている人が、かならずしもたくさん働くわけではない、ということだ。それはこういうふう起こる。もしひとりのパパラギが、たくさんお金をもうけたとする。たべものや小屋を手にいれても、まだ余る。すると彼は、そのお金で、彼の兄弟たちをはたらかせる。自分の手がよごれる仕事や苦しい仕事を兄弟にさせるのである。人びとはこの人のことを「お金持ち」と呼ぶ。みんなは彼をうらやみ、お世辞をのべたてる。つまりパパラギの世界で、ひとりの人間の重さをはかるのは、精神の気高さでも、勇気でもなく、心のかがやきですらなく、一日にどのくらいたくさんのお金をつくり、どのくらいたくさんのお金を頑丈な鉄の箱にしまっているかなのである。彼らはそのお金をしっかり守られた場所に運びこむ。すると、お金そのものが、彼らのために働いてくれるのだ。魔法でもないのに、どうしてそんなことができるのか、私にはどうしてもわからない。しかし本当にそうなのだ。たとえ眠っていても、この人はますます金持ちになる。もしこの人に「そんなにたくさんのお金をどうするんですか。着たり、飢えや渇きをしずめるほか、この世であなたに何ができるのです」とたずねたとする。しかし、それに答えはない。あるいは彼は、こう言うかもしれない。「もっとお金がほしいのだ。もっと、もっと、もっと、たくさん」。やがておまえにも分かるだろう。お金が彼を病気にしたことが、彼がお金にとり憑かれているということが。パパラギは、「富、つまりお金をたくさんもっていることが幸福のもとである」という。また「たくさんの富を持つ国、それがもっとも幸せな国である」とも。わが兄弟たちよ、わたしたちはみんな貧しい。太陽のもと、私たちの国ほど貧しい国はない。私たちのところには、箱いっぱいのまるい金属もなければ、重たい紙もない。パパラギの考えからすれば、私たちはみじめな物乞いなのだ。しかし、おまえたちの目を金持ちの紳士の目と比べるなら、彼らの目はかすみ、しぼみ、疲れているが、おまえたちの目は、大いなる光のように輝いている。よろこびに、力に、いのちに、そして、健康にあふれ、輝いている。おまえたちの目は、パパラギの国では子どもだけしか持っていない。もてなしをしたからといって何かを要求したり、何かをしてやったからといってアローファ(交換品)をほしがるような人間を、私たちは軽蔑する、この尊いならわしを私たちは大切にしよう。ひとりの人間が、他の者たちよりもずっとたくさんの物を持つとか、ひとりがたくさん持っていて、他の人は無一物というようなことを私たちはゆるさない。そのならわしを大切にしよう。そうすれば私たちは、隣人が不幸を嘆いているのに、それでも幸せで、ほがらかにしていられる、あのパパラギのような心にならずにすむ。私たちはお金から身をまもろう。私はおまえたちに告げよう。お金で人はたのしくなったり、しあわせになったりすることはない。それどころか、人のこころを、人間のすべてを、悪しきいざこざのなかへ引き込んでしまうということを。そしてお金は、ひとりの人間をも救うことはできない。ひとりの人間をも、たのしく、強く、幸せにすることはできないのだということを。」(ツイアビ「まるい金属と重たい紙について」よりサンプリング)


▼演劇版「パパラギ Le Papalagui」

 「パパラギは私たちのことについてこう言う。「きみたちは貧しくて不幸せだ。きみたちには多くの援助と同情が必要だ。きみたちはなにも持ってないではないか」と。物とはなにか。物にはふたつの種類がある。ひとつはヤシの実や貝やバナナのように、私たち人間がなんの苦労も労働もせず、あの大いなる心がつくりだすものである。もうひとつは、指輪や皿やハエたたきのように、たくさんの人間が苦労し、労働をしてつくりだすものである。紳士がいう物とは、彼が自分の手でつくった、人間がつくったもののことであり、私たちが持っていないといわれるのは、こうした物のことである。しかし、いったい誰が、私たちよりも豊かであるだろうか、大いなる心がつくりだした物を、誰が私たちよりもたくさん持っているだろうか。みまわしてみなさい。すべては大いなる物にみちあふれているではないか。鳩やハチ鳥、オウムたちの棲む原生林、ナマコや貝やエビ、あかるい顔と柔らかな砂の皮膚をもつ海岸、刻々に色が移りかわる青い大空。どうしてこれらの物のうえに、おろかにも、それ以上の物を作らねばならないのか。いうまでもなく、パパラギはそういうものが作れると信じている。パパラギは、ゆく先々で大いなる心が作ったものをこわしてしまうから、自分が殺したものをもう一度自分の手で生き返らせようとするのだ。そうすることで、本当は自分がなにも持っていないことを忘れようとするのだ。パパラギは貧しく、その国はみじめだから、物をつかんで集めはじめる。そのために、私たちをねたみ、私たちが彼らを同じように貧しくなればいいと思っている。物がたくさんなければ暮らしていけないのは、貧しいからだ。大いなる心によって造られたものが乏しいからだ。パパラギは貧しい。だから物に憑かれている。物なしにはもう生きていけない。少ししか物を持たないパパラギは、自分のことを貧しいと言って悲しがる。私たちなら、食事の鉢のほかは何も持たなくても、歌を歌って笑顔でいられるのに、パパラギの中にそんな人間はひとりもいない。 彼らは物をつくらねばならない、彼らは物を見張らねばならない。物を手に入れるために、冷酷な心であらゆる罪を犯す。名誉のためにでも力比べのためでもなく、ただただ物のために、たがいに争いあう。私たちの国をよく知っている人がこういうのを聞いたことがある。「欲、それが物だ。そうすればきみたちも、もっと仕事をする気になるだろう」と。兄弟たちよ、私たちは目覚めていなければならない。澄んだ心を持っていなければならない。私たちは、あの大いなる心がつくりだした物のほかには、ほとんど物など必要ではないということを決して忘れてはならないのだ。」(ツイアビ「たくさんのものがパパラギを貧しくしている」よりサンプリング)


▼映像版「パパラギ Los Papalagi」

d0017381_22315992.jpg 「ツイアビは、現地語のまま眠っていたこの話を、ヨーロッパで発表したり、ましてや本にするつもりなどはまったくなかった。彼はただ、ポリネシアの自分の国の人びとのためにだけ、この話を考えた。私は彼の了承なしに、これをヨーロッパの読者に紹介したのである。なぜなら、深く大自然と結ばれているこのひとりの原住民の目が、いったいどのように私たちを、見ているかが、ただ興味深いだけでなく、そこから何かを学びとることは、私たち、白人、啓発された人間にとって非常に意義深いものであると信じたからである。私たちは、彼の目という、私たちにはもう絶対に持ち得ない視点を通して、私たち自身を経験する。彼の観察は、文明を狂信的に信じている人たちにとっては、無邪気、いやそれどころか、ばかげていて愚にもつかないように映るかもしれない。しかし、いくつかの言葉は、真の理性を持った人、人生をしっかりみつめる人びとを、深い思索と自己批判へ導くだろう。世界大戦によって、私たちヨーロッパ人は、人間そのものに対する不信感を持つにいたった。今こそもう一度、ものごとを調べなおし、私たちの文明は、果たして本当に私たちを理想へ向かわせるものであるかどうかを考え直さなければならない。」(エーリッヒ・ショイルマン)


▼チャールズ・チャップリン「モダンタイムズ」
 「どのパパラギも職業というものを持っている。職業というものが何かを説明するのはむずかしい。たいていちっともやりたくない何か、それが職業というもののようである。職業を持つとは、いつでもひとつのこと、同じことをくり返すという意味である。おのずから職業はひとつだけになる。だから、たいていのパパラギが、その職業ですることのほかは何もできないということが起きる。できることはたったひとつだけ、というこの能力には大きな欠陥と危険がある。大いなる心が、私たちに手をくださったのは、木の実をもいだり、沼から芋をひきぬいたりするためである。あらゆる敵から身を守るためであり、踊りや遊び、そのほかすべてのたのしみをたのしむためである。まったく同じくりかえしの仕事ほど、人間にとってつらいことはない。彼らの顔は灰色のように暗い。仕事が楽しくないからである。職業があらゆるよろこびを食いつぶしてしまったからである。それゆえ、職業を持つ人びとの心には、憎しみの炎が燃えている。この人たちの心は鎖でしばれれ、逃げようとしても逃げられない獣のような何かがある。そしてこの人びとは、他人をうらやみ、嫉妬しながら、おたがいの職業をくらべあい、その職業は尊いとか卑しいとか、しきりにごたくをならべている。そうではなく、すべての職業は、それだけでは不完全なのだ。なぜなら人間は、手だけでも、足だけでもなく、頭だけでもない。みんなをいっしょにまとめていくのが人間なのだ。手も足も頭もみんないっしょになりたがっている。からだの全部、心の全部がいっしょにはたらいて、はじめて人の心はすこやかな喜びを感じる。だが、人間の一部だけを生かそうとすれば、ほかの部分はみな死んでしまうほかない。こうなると人はめちゃくちゃになり、やけになり、そうでなければ病気になる。パパラギの生き方は、職業のためにめちゃめちゃになっている。しかし、そのことに彼らは気づこうとしない。」(ツイアビ「パパラギの職業、そしてそのために彼らがいかに混乱しているか」よりサンプリング)


▼チャールズ・チャップリン「モダンタイムズ」
 「パパラギはいろんなものをつくりだす。私たちにはとても作れない、とても理解のできないものばかりで、私たちの頭には、ただの重たい石にしか思えない。それらの物は、私たちがほしいというようなものではない。機械、それには大きな力が潜んでいる。機械とはなにか、私の頭の力では説明するのがむずかしいが、このことだけは分かっている。機械が黒い石を食って力をつくるということ、人間にはとても出せないような力をだ。パパラギは努力して神になろうとする。だが、神はなお、最大のパパラギの機械よりも大きく強い。水も火も神につかえる。パパラギのだれひとりとして、月の動きを、風の向きを、自分の思いままにきめられてものはない。そうである限り、パパラギのおこなう奇跡にたいした意味はない。彼らの奇跡には、かくされた不完全さがある。機械は見張り番と監督がいなければ働こうとしない。そしてどの機械も、そのなかに呪いを秘めている。というのは、たとえ機械がどんなものでもつくれるとしても、そのとき、私たちがつくる手づくりのものにこめられている愛情を食ってしまうからだ。機械がつくったものは、私にとっては、血の通わない、無情のものにすぎない。それは完成しても、その苦労について語ることもできず、微笑むことももない。それを両親に捧げて喜ばすこともできない。機械がなんでも即座につくりだすので、パパラギはどんなものにも愛情を持たなくなってしまった。それこそが機械が持つ大きな呪いなのである。この愛なき奇跡をうけいれるために、パパラギは自分の心を機械に食わせなければならないのだ。」(ツイアビ「機械は大いなる心より弱い」よりサンプリング)


▼ジャミー・ユイス「神さまたちは頭がおかしくなったにちがいない」

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 「『パパラギ』は、1920年にドイツで画家で作家のエーリッヒ・ショイルマンによって出版された書籍である。サモアの酋長ツイアビが訪問したヨーロッパについて話した演説をまとめたものとしているが、実際はショイルマンの手になるフィクション(偽書)である。文化人類学者の間では、ツイアビの演説がサモアの話法とは異なっていることなどから、この本は実際にはツイアビの演説をまとめたものではなく、ショイルマンの創作だと考えられてきた。近年の研究により、ツイアビは現地語で「酋長」を意味する言葉であり、本書でツイアビとされている人物はアガエセ(Agaese)という名のドイツ軍の軍属で、ヨーロッパを訪問したこともなかったことなどが分かっている。しかし、ドイツ及び日本での出版時にはフィクションとの断り書きがなかったので、真実だと取り違えている人も多い。」(Wikipedia)
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【参考】
 「この丸い星の、「豊かな」国々でも、「貧しい」国々でもないところに「灰色」が棲んでいました。灰色は、人ではありません。灰色は「大きなお金の塊」と呼ばれるものの中に棲んでいました。そのお金の塊を、どんどん大きくすることだけが、灰色の考えていることでした。灰色は、すべての人のする、すべてのことを、急いで「大きなお金の塊」につなげてしまおうとしていました。このころ、「大きなお金の塊」は、この星の四倍もの大きさになっていました。」(小沢健二「うさぎ」)

 「労働には二種類ある。生活を楽しく晴れやかにする労働と、単なる生活の重荷でしかない労働だ。一方には希望が含まれており、他方にはそれがない。前者をおこなうのは、人間らしく、後者の労働は、拒否するのが人間らしい。大事なのは、労働者が労働のなかで変化とよろこびを手に入れることだ。これによって、すべての労働によろこびという刻印が押される。だがこれらは、文明社会の労働からは消え失せてしまった。」(ウィリアム・モリス「意義ある労働と無意味な労苦」)

 「仕事というものを、労働者にとって無意味で退屈で、いやになるような、ないしは、神経をすりへらすようなものにすることは、犯罪すれすれである。人間性はおもに仕事をつうじて培われる。自信をもってのびのびと仕事をすれば、仕事をする当人とその産物はすばらしいものになる。「より大きく、より速く、より豊かに」ということが人間の仕事をゆがめ、その結果、ある法王が述べたように「工場から死せるモノが改良されて世に出てくるが、その一方でそこにいる人びとは腐敗し、堕落している」、さらに環境の悪化と再生できない資源の急速な枯渇を招いている。ゆるがせにできないことがひとつあるとすれば、それは、ゆがんだ仕事から正気の社会はうまれないということである。」(エルネスト・シューマッハ「スモール・イズ・ビューティフル」)

 「人類がせめて一度だけでも、のんびりしているのを見られたら、どんなにすばらしいことだろう。ところが、仕事、仕事、に次ぐ仕事だけなのだ。僕たちが偏狭なのは、目的ではなく、手段にすぎない貿易や商業、工業、農業というようなものへの献身によって、僕たちがゆがめられ、せばめられてしまったからである。人が金を得るための道は、ほとんど例外なしに、人を堕落させる。ただ金を稼ぐために何かをするということは、怠けているのと同じか、それよりも悪い。あらゆる偉大な事業は、自給自足的である。生計は愛することによってたてなければならない。」(ヘンリー・デヴィッド・ソロー「無原則な生活」)

 「曾つてわれらの師父たちは乏しいながら可成楽しく生きてゐた。そこには芸術も宗教もあった。いまわれらにはただ労働が 生存があるばかりである。宗教は疲れて近代科学に置換され然も科学は冷く暗い。芸術はいまわれらを離れ然もわびしく堕落した。いま宗教家・芸術家とは真善若くは美を独占し販るものである。われらに購ふべき力もなく 又さるものを必要とせぬ。いまやわれらは新たに正しき道を行き、われらの美をば創らねばならぬ。芸術をもてあの灰色の労働を燃せ」(宮沢賢治「芸術をもてあの灰色の労働を燃せ」)
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by illcommonz | 2013-06-11 22:35
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