はじめに、ふた、ありき
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▼ジョー・オダネル「焼き場に立つ少年」 「歴史の天使は、顔を過去に向けている。わたしたちが出来事の連鎖を見るところに、彼はただひとつの破局だけを見る。その破局は、瓦礫の上に瓦礫を積み重ねては、かれの足もとに投げだしていく。天使は、できることなら、そこにとどまって、死者たちを目覚めさせたい、粉ごなになったものをもとどおりにしたいと思う。しかし、楽園から吹きつけてくる風に、翼が激しくあおられているために、天使は翼を閉じることができない。嵐は、みんなが向いている未来のほうへ、否応なく彼をおしすすめてゆく」(ヴァルター・ベンヤミン) 「佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていました。すると、白いマスクをかけた男たちが目に入りました。荷車に山積みにした死体を、石灰の燃える穴の中に次々と入れていたのです。10歳ぐらいの少年が歩いてくるのが目にとまりました。おんぶひもをたすきにかけ、幼子を背中に背負っています。弟や妹をおんぶしたまま、広っぱで遊んでいる子どもの姿は、当時の日本ではよく目にする光景でした。しかし、この少年の様子は、はっきりと違っています。重大な目的を持ってこの焼き場にやってきた、という強い意志が感じられました。しかも裸足です。少年は焼き場のふちまで来ると、硬い表情で目を凝らして立ちつくしています。背中の赤ん坊はぐっすり眠っているのか、首をうしろにのけぞらせたままです。少年は焼き場のふちに、5分か10分も立っていたでしょうか。白いマスクの男達たちおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶひもをほどきはじめました。このとき私は、背中の幼子がすでに死んでいることに、はじめて気づいたのです。男たちは幼子の手と足を持つと、ゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年の、まだあどけない頬を赤く照らしました。その時です、炎を食い入るように見つめる少年の唇に血がにじんでいるのに気がついたのは。少年があまりきつく噛みしめているため、唇の血は流れることもなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。夕日のような炎が静まると、少年はくるりと、きびすを返し、沈黙のまま、焼き場を去っていきました。」(ジョー・オダネル) 「歴史の天使は、未来に背中を向けて進んでいくので、過去から目をそらすことができない。かれは、楽園を出てからというもの、立ちどまることなく動き続けている。というのも、立ち止まって、うっとり見とれるような景色に出会ったないからである。彼を動かし続けているのは、いま目にしているものへの嫌悪であり、反感である。つまり、はっきりと目に見え、ありありと分かる恐るべき過去に対する恐怖である。歴史の「進歩」とは、空の鳥を追いかけることではなく、戦場に散らばった死体から、急いで離れたい、という強い衝動なのである。」(ジグムント・バウマン) ▼「平成25年長崎平和宣言」(抜粋) 「日本政府に、被爆国としての原点に返ることを求めます。今年4月、ジュネーブで開催された核不拡散条約(NPT)再検討会議準備委員会で提出された核兵器の非人道性を訴える共同声明に、80か国が賛同しました。南アフリカなどの提案国は、わが国にも賛同の署名を求めました。しかし、日本政府は署名せず、世界の期待を裏切りました。人類はいかなる状況においても核兵器を使うべきではない、という文言が受け入れられないとすれば、核兵器の使用を状況によっては認めるという姿勢を日本政府は示したことになります。これは二度と、世界の誰にも被爆の経験をさせないという、被爆国としての原点に反します。 インドとの原子力協定交渉の再開についても同じです。NPTに加盟せず核保有したインドへの原子力協力は、核兵器保有国をこれ以上増やさないためのルールを定めたNPTを形骸化することになります。NPTを脱退して核保有をめざす北朝鮮などの動きを正当化する口実を与え、朝鮮半島の非核化の妨げにもなります。 日本政府には、被爆国としての原点に返ることを求めます。非核三原則の法制化への取り組み、北東アジア非核兵器地帯検討の呼びかけなど、被爆国としてのリーダーシップを具体的な行動に移すことを求めます。 核兵器のない世界の実現を、国のリーダーだけにまかせるのではなく、市民社会を構成する私たち一人ひとりにもできることがあります。「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」という日本国憲法前文には、平和を希求するという日本国民の固い決意がこめられています。かつて戦争が多くの人の命を奪い、心と体を深く傷つけた事実を、戦争がもたらした数々のむごい光景を、決して忘れない、決して繰り返さない、という平和希求の原点を忘れないためには、戦争体験、被爆体験を語り継ぐことが不可欠です。若い世代の皆さん、被爆者の声を聞いたことがありますか。「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ウォー、ノーモア・ヒバクシャ」と叫ぶ声を。あなた方は被爆者の声を直接聞くことができる最後の世代です。68年前、原子雲の下で何があったのか。なぜ被爆者は未来のために身を削りながら核兵器廃絶を訴え続けるのか。被爆者の声に耳を傾けてみてください。そして、あなたが住む世界、あなたの子どもたちが生きる未来に核兵器が存在していいのか。考えてみてください。互いに話し合ってみてください。あなたたちこそが未来なのです。」 (2013年8月9日 長崎市長・田上富久「平成25年長崎平和宣言」)
by illcommonz
| 2013-08-09 12:20
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