はじめに、ふた、ありき
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(「文化人類学解放講座」より転載)
「大地の底から貴(たっと)きものが掘りだされるとき、 われらは大いなる災厄をまねきよせることになるだろう。 巨大なクモの巣が空一面をおおい、人類最期の日がやってくる。 灰の容れ物が空から投げ落とされると、大地は火の海となり、 海が沸きあがって、たちまち干れ果てることになるだろう」 映画「コヤニスカッティ」より「ホピ族の予言」 ------------------------------------------- 「カッティ三部作が 提供するのは、 体験であって、 思想や情報では ないのです、 ましてや....」 ▲グレッグ・カーソン監督 「生活の本質」 (2002年) 今回は、1983年の「コヤニスカッティ」の公開(日本公開は1984年)から 約20年後にゴドフリー・レジオ監督みずからが「コヤニスカッティ」について 語ったドキュメント映画「生活の本質」を、まずはじめにみることにします。 そこでは「テクノロジー」ということがキーワードのひとつになりますが、 さらにそれを補足するものとして「スクラップ&ビルド」や「モダニズム」 ということもあわせて考えてみたいと思います。 「なぜ、われわれ人間は、 こんなにもテクノロジーを 愛するのか?」 (ポール・ヴィリリオ) 次に、テクノロジーとその文明に対する冷徹な批評であるこの作品の、 その背景にあった具体的史実(例:1945年にヒロシマとナガサキに 投下された原子爆弾はホピ族の土地から採掘されたウラニウムから 製造されたものだった)や時代背景(冷戦時代)とからめて、この作品が 制作されていた時期(1976-1983年)よりちょっと前に映像作家の ブルース・コナーが制作した「クロスロード」を見ることにします。 ▲ブルース・コナー監督 「クロスロード」 (1974年) ▲岡本太郎「明日の神話」 (1967-1969年) 次に、「新たなテクノロジーの発明は、新たな事故の発明でもある」とする フランスの思想家ポール・ヴィリリオが監修した「まるで未知数なるもの」展 (2003年)の「事故の博物館」を見学し、「コヤニスカッツイ」以前/以後に 起こった「テクノロジーの暗部」ともいうべき「事故史」を見ることにします。 ポール・ヴィヴィリオ監修 「まるで未知数なるもの Unknown Quantity」展より 「事故の博物館」 01| 産業事故 02| 航空事故 03| 計画された事故 次に、ヴィリリオが「計画された事故」に分類している「事故」で、 「ブリコラージュ・テロ」などとも呼ばれた9.11の「事件」の日の NYの風景を記録したアート・ドキュメントフィルムをみます。 ▲ウィリアム・バシンスキー撮影 「ディスインテグレーション・ループ」 (2001年) 最後に、9.11の「事故/事件」が起きる20年前、まだNYという街が 世界の市場と金融の中心ではなく、前衛芸術の中心だった頃、 そこで暮らす人びとの様子と文化を記録したコンテンポラリーな 民族誌フィルムを見ることにします。 ▲ヘンリー・ヒルズ監督「マニー」(1985年) 事故と背中合わせのテクノロジーが世界のすみずみにまでひろがってゆく グローバリゼーションの巨大な津波、あるいは、その地殻変動によって、 文化の何がうしなわれ、また、ひとびとの暮らしはどうかわったか、 そして、「ち、き、ゅ、う」という名の「宇宙船」はどこへむかってゆくのか。 学問のことばによっては、なかなかとらえることがむずかしい、 その未だ未知数なるものを、これらの詩的な映像から、 まずは感じとってみてください。 次回は、オーストラリアの先住民(アボリジニ)の土地を舞台に、 テクノロジーと伝統文化の衝突を描いた劇作(フィクション)映画 ▼「緑のアリの夢見るところ」(1984年)を見ます。
by illcommonz
| 2005-10-10 03:36
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