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いる・こもんず 【普通名詞】 01| ありふれて変なもの 02| 扱いにこまる共有物 03| 分けても減らぬもの 04| 存在とは常に複数で他と共にあり、狂えば狂うほど調子がよくなる
はじめに、ふた、ありき

イルコモンズ編
見よ ぼくら
四人称複数
イルコモンズの旗
(Amazon.comで
大絶版廃刊中)
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▼「"愛"の反対は"憎しみ"ではなく"無関心"である」なら、「自己責任(論)」の反対はなんだろう?
▼「\"愛\"の反対は\"憎しみ\"ではなく\"無関心\"である」なら、「自己責任(論)」の反対はなんだろう?_d0017381_2263133.jpg
「いきなり「自己責任」といって突き放してしまう冷たさは何なのか」?たしかに何なのだろう?「自己責任」という言葉がさかんに飛びかっている、こういうときにこそ、おちついて、よく考えてみなければならない。たとえば、かつて、マザー・テレサがそう言ったといわれているように、「"愛"の反対とは憎しみではなく、"無関心"である」とするなら、"自己責任(論)"の反対は何だろう? うさぎによれば、それは「親切」ということになる。以下、「親切」と「自己責任」についての、子どもにでもわかるおはなし。

 「灰色は、人の心を知るために昔話をよんでみることがありました。すると、どうやら昔話には、世界のどこの国の昔話にも、共通している3つのことがあるようでした。それは、貧しい人への親切、死者への親切、動物たちへの親切、という3つのことでした。「親切」というのは、人が、他の者の痛みを感じることによって生まれる行いのようでした。しかも、その痛みを、他人ごとではなくて、自分のお腹の中の痛みとして感じとることによって、人は、相手にむかって、一歩、足を踏み出して、親切をするらしいのでした。遠くにあるものではなく、いまここに生きる、自分の中の痛みとして、感じとる。人には、そんな得体の知れない能力があるようでした。そしてどうやら、その「親切」によって、人はまわりの者や自然と、つながっているらしいのでした。人には、動物たちや、山や、神々の痛みさえ、「そんなもの関係ないよ」と切り捨てるのではなく、「自然を大切にしましょう」とアタマで考えるのでもなく、自分のお腹の中にある、正直な痛みとして、「ああ、これはひどい」と感じとる。つまり、ある人が、貧しいものなどをみて、「ああ、見ているこっちのお腹の仲間で痛むようだ。どうにかしなくては。」と思うと、手を差しのべずにはいられなくなって、その差しのべられた手によって、人と、まわりの者や自然が、つながっていくのでした。そうやって人をまわりの者や自然とつなげている「親切」を、人の心の中から追い出していくために、灰色は、言葉をつくるのが上手い手下たちを使って、1つの言葉をつくり上げました。

 それは、「自己責任」という言葉でした。

 「自己責任」という言葉を心に叩きこまれると、人は、苦しんでいる人を見かけても、「あそこに苦しんでいる人がいるが、あれは自己責任で、私が感じる必要はない苦しみだ」と思うようでした。ということは、「自己責任」という考え方を人の心に叩き込むことによって、まるで除草剤を撒くように、雑草のように生えてくる「親切」という行いを、根絶やしにすることができるはずでした。けれど、人は、長いあいだ、貧しい人や、死者や、動物たちの痛みを、いつも感じとって、親切をして、生きてきたのでした。その親切を失って、人がどうやって生きていくかは、「自己責任」という言葉をつくった手下たちにもわかりませんでした。けれど、とりあえず灰色の顔色をうかがって、灰色の考えを察して、灰色のしてほしいことをしていればいいや、と、この「言葉をつくる手下たち」は思うのでした。それにこの手下たちは、自分たちのつくった言葉で、人びとが右へ左へ動く様子を見るのが、何より楽しいのでした。」(小沢健二作「うさぎ!」第3話より)

 「自己責任」の反対は「親切」だけでなく、他にもまだたくさんあるはずだ。たとえば、

 (つづく) このつづくはゆっくりつづく。
by illcommonz | 2015-01-25 22:30
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