はじめに、ふた、ありき
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横浜トリエンナーレ組織委員会宛 最後通牒「トリエンナーレに告ぐ」
布告、イルコモンズは、以下の最後通牒を横浜トリエンナーレ組織委員会に呈示する。 去る平成13年9月、イルコモンズは「現代美術の祭典・第一回横浜トリエンナーレ 2001 メガウェィヴ」展組織委員会の要請をうけ、代表ヲダ・マサノリの名義により、 「give piece a chance」を正式出品した。すべてはここからはじまる。その後、 会期中に発生した9.11の同時テロ事件とアフガン空爆開始をうけ、イルコモンズは、 出品作のタイトルを「give piece a chance」から「give peace a chance」に 変更し、いくつかの追加展示を行ったが、諸般の事情により、同年11月、同展の 会期終了を待たずに、展示を自主的に中止した。なお、この間の事情については、 同年9月から11月にかけてイルコモンズが「図書新聞」に連載した「トリエンナーレ 時評」の最終回「逐電するは我にあり、総合なき新たな分裂にむけての」と、同年 11月の『VOICE』に掲載された浅田彰の「ジョンとヨーコはイマジンといった」に詳しい。 つづく翌2002年9月、イルコモンズは「横浜トリエンナーレ非公式回顧展」として、 「略称・去年、トリエンナーレで」展を自主開催したが、ふたたび諸般の事情により、 同展最終日の2002年9月11日をもって「美術作家を廃業する」との宣言を行った。 この宣言は2005年12月の現在もなお継続中で、イルコモンズの肩書きのひとつが 元・現代美術家(現在は元・元・現代美術家)であるのは、この宣言に由来するもの である。なお、この間の事情については、同年11月にイルコモンズが「図書新聞」に 寄稿した「廃とアンダーグラウンド(前・後篇)」、ならびに、同年11月の『VOICE』に 掲載された椹木野衣の「現代|美術2002 ヲダ・マサノリ"最終回答"」と、『美術手帖』 に掲載された白坂ゆりの「恋する美術だった~ヲダマサノリ・ビフォーアフター」に詳しい。 次いで2004年10月、イルコモンズは『10+1』に掲載された「年代記的に~浅田孝、 瀧口修造、六〇年代」で、横浜トリエンナーレの初代ディレクターに就任した磯崎新 へのインタヴューを行い、また、つい先ごろ刊行された『美術手帖』の「横浜トリエン ナーレ2005緊急アンケート」に回答を寄せるなど、足かけ4年にわたり(もともとは 3年のはずだったが)、現代美術の国際展である横浜トリエンナーレの社会的役割に ついての批評と表現活動を継続的に行ってきた。そこでの挑発的な言動や活動は、 いずれも同展に対する批評的な呼びかけとして行われたものであったが、こうした 一連の呼びかけに対し、今日に至るまで、いかなる応答も得られていないことは、 誠に遺憾であり、まさに痛恨の極みではあるが、もうそれもおしまいである。もはや これ以上の禍根を未来に残すことのないよう、まさに断腸の思いでイルコモンズは、 この通達をもって最後通牒とし、本日2005年12月7日午前11時までに、何らかの 応答がなかった場合、同日同時刻をもって、神奈川県横浜市元街・中華街駅方面より 同展への来場を開始し、指定の窓口で一般料金1,800円を支払って入場券を購入 した後、イルコモンズ全員とそのほか数名の同伴者たちとともに同展に一般来場者 として来場することを、ここに宣言する。最後にもう一度くりかえすが、これはあくまで 応答を期待した批評的呼びかけであり、決して優遇や招待を求めるものではなく、 入場拒否や退場勧告まで含めた応答をひろく期待するものである。なお、この 最後通牒を公布するにあたり、ひろく世人の注意を喚起するために、これをこの ブログに公表することにした。以上。 2005年年12月7日未明 イルコモンズしるす。 ----------------------------------------------------------- …ということで、ゴダールの原稿も書き終わったことだし、今日はこれから、横浜まで トリエンナーレを見に行ってきます。いろんな事情はあるにせよ、現代美術そのものは やはり好きなので、うひゃひゃひゃ、たのしみだ。特にインゴ・ギュンターの作品に期待。
by illcommonz
| 2005-12-07 04:51
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