はじめに、ふた、ありき
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人前で話す時はなるべく使わないようにしているのですが、それでもたまに、ことばに
窮して、仕方なく「脱構築」と云ってしまうことがあります。そういうことがだんだん積み 重なってきたせいか、近頃よく「脱構築ってなぁに?」とたずねられることがあります。 イルコモンズの10代後半は、世に云う「ニューアカ」流行期で、その頃からその手合いの 本をやたらと読み散らかしてたので、多少はアカデミックな説明できなくもないのですが、 そもそもまずイルコモンズというものそれ自体がアイデンティティとか作家性とか著者性 を脱構築しようとしたものだし、リミックスとしてやってきたことの多くが脱構築の実験でも あったので、アカデミックな説明はなるべく避け、もっぱらそういう実例を使って説明する のですが、そうやって説明しながら、ふと考えてみたら、脱構築という言葉を知るずっと 前から脱構築的なものの考え方をしてきたことに気がつき、よくよくさかのぼって考えて ゆくと、そのルーツのひとつになったのは、この人じゃなかったかと思いました。 通称・篠沢教授こと、仏文学者の篠沢秀夫、 テレビ番組「クイズダービー」の名物解答者 です。篠沢教授のどこが脱構築的かというと、 ふつう解答者というのは、与えられた問題に 正解を出すことをその当然の使命とするはず なのに、篠沢教授は与えられた問題にいつも 正しい答えを出すのは「下品でよくない」と そう云ってはばからず、正解を出すよりも むしろ間違うことの方を喜んでいたからです。 たとえば司会の大橋巨泉が「ひとりをのぞいてみんな同じ答え」と云うときはたいてい、 その「みんな同じ答え」が正解で、「ひとりを除いて」の「ひとり」は、ほとんどの場合、 篠沢教授なのですが、篠沢教授を最高に喜ばせるのが、まさにこの状況なのです。 それと非常に対照的だったのが漫画家のはらたいらで、あらゆる問題につねに正解を 出そうと苦悩し、またそれを期待され、全問正解に執拗にこだわるその姿勢は今にして 思えば、モダニストのそれであり、その苦悩をよそに、いかにユニークな間違いをするか の方にこだわった篠沢教授のふるまいはポストモダン的でした。そしてどういうわけか、 この「ひとりをのぞいてみんな同じ答え」という状況になって、篠沢教授がひとり喜ぶのを テレビの前で一緒になってひとり喜んでいたのが、こどものイルコモンズで、どうやら これが脱構築の最初のレッスンになって、幸か不幸か、それ以来、この篠沢教授を 見習って、「ひとり」になろうとするクセが身についてしまったようです。 そしてこれは後のニュー・アカ流行期になってはじめて知るのですが、最近になって また再評価されはじたロラン・バルトの、『神話作用』をこの篠沢教授が翻訳している のを知ったとき、「なるほど、篠沢秀夫のあれは記号の戯れであり、クイズなるものの 脱構築を実践してみせてくれてたんだ」とそう気づかされ、「脱構築はまず実践すべし」 と思い定めて今日に至るわけです。 あまり参考にならないかもしれませんが、脱構築のひとつの事例として、ここに書き とめておきます。それにしても、この脱構築の実践者が、同時にまた三島由紀夫の 「憂國忌」の代表世話人であるというのも、これまたユニークな話だなと思います。 ---------------------------------------------------------------- [追記] この最後の「ひとり」が消えたとき、世界中でファシズムの再放送がいっせいに はじまるわけなので、そうならないように、「ひとりをのぞいてみんながそれぞれ違う答え」 になるように、テスト、がんばってください>文化人類学解放講座受講者のみなさん
by illcommonz
| 2005-12-12 03:10
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