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いる・こもんず 【普通名詞】 01| ありふれて変なもの 02| 扱いにこまる共有物 03| 分けても減らぬもの 04| 存在とは常に複数で他と共にあり、狂えば狂うほど調子がよくなる
はじめに、ふた、ありき

イルコモンズ編
見よ ぼくら
四人称複数
イルコモンズの旗
(Amazon.comで
大絶版廃刊中)
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▼見よ ぼくら 四人称複数 イルコモンズの旗(WEB版) 第三部
【第三部】
d0017381_3335554.jpg
■なるほどね、じゃあ今度は反対に、ケの生活の場で持続的な抵抗を
行ったマルチチュードをあげるとしたら誰だろう。

●花森安治がそうだね。花森は暮しの中の不屈の抵抗者だった。
僕は「暮しの手帖」の表紙の裏に書きつけてある次の花森の文章を
読むと、いつもきまって妙な感覚を覚えるんだ。

 この手帖は あなたの手帖です
 いろいろのことが ここには書きつけてある
 この中の どれか 一つ二つは
 すぐ今日 あなたの暮しに役立ち
 せめて どれか もう一つ二つは
 すぐには役に立たないように見えても
 やがて こころの底ふかく沈んで
 いつか あなたの暮し方を変えてしまう
 そんなふうな これは
 あなたの 暮しの手帖です


●まず「あなたの」という呼びかけがあり、それから「せめて、やがて、
いつか」と展開していった後に「変えてしまう」という決然とした句がくる。
そして最後にもう一度「あなたの」という呼びかけ。この花森の文には、
読み手の情動を喚起する独特の強度があって、なんだか本当に変え
られてしまいそうな気にさせられる。花森はこういう人を感化する情動
的なエクリチュールのセンスを大政翼賛会宣伝部時代に鍛えあげ、
戦後はそれを「暮しの手帖」の出版を通じた庶民の抵抗のために捧げた。
「見よ ぼくら 一銭五厘の旗」などの文筆を通じた抵抗もさることながら、
花森の独創的な非物質的労働としては商品テストがそうだ。

■あれは「商品テスト」とは云うけれど、むしろトライアルに近い。
それは単に商品の性能を計測するだけでなく、実際にとことん実用に
使ってみて、どこまで使うと機能が狂いはじめ、故障し、壊れて使い物に
ならなくなるかをシミュレーションテストするわけだから、試験というよりも
試煉だ。比較テストも単に性能を比べるというより、どれが最後まで持ち
堪えて生き残るかという、サヴァイバル・テストみたいになることもあるからね。
ある意味それは拷問でもある。

●トースターで4万枚のパンを焼いてみるとか、乳母車に人形をのせて
100キロの道を走破してみるとかね。それに必要とあれば、商品を
バラバラに分解して、まる裸になった部品だけを比べてみせるという
ことも辞さないしね。またそのグラビア写真が秀逸で、現場検証の写真
のようであったり、天井桟敷のアングラ芝居のようであったりと視覚的な
ショックを与える力があった。たとえば「愚かなりわが買物」のグラビアは、
バーバラ・クルーガーを先取りしていた傑作だと思う。

d0017381_340145.jpg
■花森が「商品テストは消費者のためのものではない」と宣言して
いるように、商品テストは消費者に商品知識を与えて啓蒙し、不買
運動を起こさせることを目論んだものではなく、相手はあくまで企業
だった。そこが商品テストの異例性であり、花森はこう書いている。

 私たちは今、いつも<なにか>を買いたがっている。買いたくて
 うずうずしている人間の前に、まるでこれさえあれば<幸せ>が
 やってくるような顔をして、新しい商品がつぎつぎに現れたとき、
 商品をみる目など、一体なんの役にたつだろうか...なにもかしこい
 消費者でなくても、店にならんでいるものが、ちゃんとした品質と
 性能をもっているものばかりなら、あとはじぶんのふところや
 趣味と相談して、どれを買うかを決めればよいのである。そんな
 ふうに世の中がなるために、作る人や売る人が、そんなふうに考え
 努力してくれるようになるために、そのために<商品テスト>は
 あるのである。


■花森は商品テストを遂行するために企業の宣伝広告を一切雑誌に
載せなかった。したがって広告収入はゼロで、花森は自社の書籍の
販売収入だけで「暮しの手帖」を出版した。これは異常なことだよ。
ほかにこんな例はないと思う。「暮しの手帖」は文字通りのアウトノミア
出版で、この自主独立の姿勢は今でも貫かれている。

●花森が云うように商品テストの狙いは企業にまともな商品をつくらせる
ことなんだけど、実のところ商品テストには、商品の魔力を解除し、
商品の物神性をキャンセルしてしまう力があった。『買ってはいけない』
なんかとの決定的な違いはそこにある。アレは毒入り商品を告発する
けど商品の魔法はそのままだ。だからアレを読んでも結局は商品の
魔力に負けて毒と知りつつそれを買わずにいられない。だから毒にも
もちろん腹が立つが、毒の告発にも腹が立つ。

●当然、花森は商品テストの持つ脱魔術化の力に気づいていた筈だ。
というのもその当の花森自身、商品の魔力に人一倍魅せられてしま
うたちで、買うことの快楽を誰よりもよく心得ていた。つまりさっきの
花森の文は自分のことを書いているわけで、なにかを買いたくて
うずうずしてしまうのは花森なんだ。商品テストはなにより自分の
ためのものだった。花森はまさに我れと我が身のこととして消費
社会の欲望を誰よりも知り抜いたからこそ、その欲望に抵抗するため
自衛の手段として商品テストを発想し、それを「暮しの手帖」の命と考え、
自ら商品の拷問機械となり、商品と欲望に対して過酷な試練を続けた
のだと思う。つまり商品テストの真の相手は自分も含めた庶民の消費の
欲望そのもので、商品テストはその欲望を滅却させ、日々の消費の
ゲームから離脱するためのマイナスのたたかいなんだ。

■それは同時に、消費者に貶められ、消費者としての生を強いられて
いる庶民に<暮し>を奪還させるための失地回復のたたかいでもあった。
表紙の裏の文の中でも「暮し」という言葉が何度もリフレインして
力強いリトルネロをつくっている。そして七〇年の大阪万博のさなかに
花森は「見よ ぼくら 一銭五厘の旗」にこう書いている。

d0017381_3415275.jpg さて ぼくらは もう一度
 倉庫や 物置きや 机の引出しの隅から
 おしまげられたり ねじれたりして
 錆びついている<民主々義>を探しだしてきて
 錆びをおとし 部品を集め
 しっかり くみたてる
 <民主々義>の<民>は庶民の民だ
 ぼくらの暮しを なにより第一にするということだ
 ぼくらの暮しと 企業の利益とが ぶつかったら 
 企業を倒す ということだ
 ぼくらの暮しと 政府の考え方がぶつかったら
 政府を倒す ということだ
 それが本当の<民主々義>だ
 ぼくらは ぼくらの旗を立てる 
 ぼくらの旗は 借りてきた旗ではない
 ぼくらの旗のいろは 赤ではない 黒ではない
 もちろん白ではない 黄でも緑でも青でもない
 ぼくらの旗は こじき旗だ 
 ぼろ布端布をつなぎ合せた 暮しの旗だ
 ぼくらは 家ごとに その旗を 物干し台や屋根に立てる
 見よ 世界ではじめての ぼくら 庶民の旗だ
 ぼくら こんどは後へひかない


●帝国への抵抗の中で新たな暮しのモードと究極の民主主義を
うちたてることを唱えるネグリたちが目にしたら、それこそ共感の
情動にうちふるえそうなエクリチュールだね。

■そして、とどめはこの一節。

 一銭五厘を別の名前でいってみようか
 <庶民> ぼくらだ君らだ


■花森は一銭五厘の旗のことをこじき旗だと呼んでいるが、その
旗はドゥルーズたちがノマドの暮らしに馴染み深いものだとする
パッチワークでしたてられている。「その互いに関係づけられる
ことなく併置された断片からなる不定形の集まり」としてのその旗は、
貧者に生成変化した民衆がマルチチュードとなって結集する時の
旗のデザインとしてこれ以上のものはないくらいそれに相応しい
ものだ。

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●かたやネグリとハートは、暮しのモードの変革のみならず、
ジェンダーやセクシュアリティのバリアを越えた、いわば突然
変異体的な身体をつくることを熱心に奨めている。性の区別を
越えた新たな装いのモードなどがそれで、意外にそれが、何かが
変わったことの眼に見えるイニシャルなあかしとして重要だという。

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■それではますます花森安治だ。戦後の花森はパーマをかけた
長髪をポニーテールにしたり女物のスカーフをかぶってたりして
みせた。花森はスカートを穿いていたという伝説まである。それは
戦争をはじめた男たちへの、庶民から<暮し>を奪った大日本帝国の
軍国主義への、花森の体をはった、目に見せる抵抗であり、宣伝
工作だった。それは男であることの拒否であり抵抗でもあったが、
裏をかえせば、女への生成変化だともいえなくはない、と、こんな風に
僕らはダダカンや目玉男そして花森安治にマルチチュードの影を感じ、
その影に慕いたいという情動を覚えてしまうわけだ。

●極言すれば、マルチチュードは存在しない。在るのは、その存在の
気配である影や痕跡だけで、それはデリダがいう夢の政治のような
もので、常に未来から到来してくるものだ。つまり、誰それはマルチ
チュードであるのではなく、誰もがマルチチュードになり能るのであり、
いまここでマルチチュードであるといえるような個人は存在しない。

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■もとより群れとしてのマルチチュードは個人ではなく、三人称単数や
複数で語れるものではない。それはブランショが「他者」を指し示して
みせるときのやり方にならって云えば、四人称複数の群れがマルチ
チュードだといえる。そしてネグリたちがドゥルーズたちゆずりのもの
だという「コモンズ」とはそれのことだと思う。延々と続く斜字体の英文の
なかに次の一節だけが衝立していたのは、なかなか印象的だった。
かなり意訳だけど、次の一節がそうだ。

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 コモンズは
 解きはなたれた
 マルチチュードであり、
 その化身であり、
 その誕生である。

■でも四人称複数にしろコモンズにしろ、そうした概念をもった既成の
言語は存在しないし、そもそもぼくらは言語の外部に出ることもでき
ないわけだから、それこそ花森のこじき旗のように既成の言語線を
断ち切り、ちぐはぐな断片を並べかえ、それをパッチワークのように
縫い合わせ、文字通り、旗のようにその言語を社会に向かって立ち
上げてゆかなければならないというわけだ。シンク・グローバル、
アクト・グローバルの抵抗活動にもしカウンターアクトの陣地がある
とすれば、それは不法占拠したビルや辺鄙な山里ではなく、グロー
バルなアンダーグラウンドという広大なロケーションなんじゃないか
と思うんだ。帝国の乳母日傘の地上の世界にもはや逃げ場がない
としたら、あとはアンダーグラウンドだけだね。国境や監獄を越える
エクソダスやレジスタンスたちに脱け道を提供し、革命の震源地と
なってきたのは、いつもアンダーグラウンドだった。抵抗運動の
忘れられた陣地として、もう一度、アンダーグラウンドという平滑
空間とそこに眠る資源を発掘してみてもいいんじゃないだろうか。
もちろんいささかロマン主義的だと承知してはいるけど、この帝国の
空の下、その地下に過去のアンダーグラウンドたちと通じる抵抗の
坑道を掘りめぐらすこと、それをとりあえずの僕らの活動方針としよう。
昭和の思想的変質者たちの影を慕う、ぼくら四人称複数イルコモンズの
最初の旗揚げ仕事は、帝国の地下の穴掘りと昭和残響伝の伝承だ。

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(おわり)
[PR]
by illcommonz | 2006-03-30 01:09
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