はじめに、ふた、ありき
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どうにもこうにも、いろんなことが、
うまくいかない、今のこの惑星で、 カナダのケベック州にあるサン・ カミーユという、ちいさな村では、 いろんなことがうまくいっている。 「たたかうごはん」の提唱者、 にむら(じゅんこ)さんが訳した ベルナール・カセンの「小さく てもグローバルなケベックの 村」というタイトルの記事に、 なぜ、その村では、ものごとがそんなにうまくいくのか、その理由が分析してあって、 それが、なかなかおもしろかったので、以下、抜粋して紹介します。(全文はこちら) ............................................................................................. 「小さくてもグローバルなケベックの村」 「これら盛りだくさんの活動が、たった446人しか住民がいない小さな村で繰り広げら れているのだ。その秘密はどこにあるのだろう。同じ芝居の中でひとり何役もこなす 劇団のように、サン・カミーユ村の人々にとって自分のあり方はひとつだけではない。 無給で働く人と有給で働く人、消費者と生産者、給仕する人とされる人、教える人と 教わる人、俳優と観客という具合に、時と場合によって、そのどちらにでもなる。(...) それは何か「見えざる手」が生み出したものでもない。この錬金術のかげには様々な 人間がいる。概して個性が強く、明確な見通しを持ち、村の存続のために一肌脱ごう と決意した人びとだ。私心がなく、斬新な解決策をあみ出し、あらゆるチャンスをすば やくものにする。この人たちは教え上手でもあり、自分たちの考えを村の中に上手く 広め、常に「アンテナ」を張りめぐらせていて、まずは隣村、そして五大陸にわたる 広い世界とつながっている。(...) 社会的実験は、ポルト・アレグレやカラカスのような 規模の都市でなくてもできる。小さな村だって、グローバル・ビレッジになれるのだ。 (...) サン・カミーユ村、かくあれり。ここには愉快な人生があり、村の存続はみなの 知恵の結集にかかっている。村を支える原則のひとつになっている応用倫理を、 村に出張開設した大学教育コースで教えているのが、シャーブルック大学教授の ジャン=フランソワ・マレルブである。ラローシュがよく引用するウィンストン・チャー チルの次の言葉をどう思うか、と我々はマレルブに聞くのを忘れた。「変化が喉元に 迫りくる前に、変化を手でつかんだ方がいい」 ............................................................................................. 大学教授かくあれり。そして、こういう社会実験は、何もよその国の小さな村だけで なく、活気をなくした大学の教室でだってできる(はず)。問題は「概して個性が強く、 明確な見通しを持ち、村の存続のために一肌脱ごうと決意した人びと」や、「私心が なく、斬新な解決策をあみ出し、あらゆるチャンスをすばやくものにする」人、そして 「教え上手でもあり、自分たちの考えを村の中に上手く広め、常に「アンテナ」を張り めぐらせて、広い世界とつながっている」ような人は、いまのこの惑星では「変人」 あつかいされるということだが、でも、それがどうした。「自分のあり方はひとつだけ ではない」のだから、人はときどき「変人」になった方がよいと思う。ダブルキャスト、 トリプルキャストの分裂した人格を社会の現場でアクト(演じる/実行する)してみ てはどうかと思う。世界を「変える」のはいつも「変人」たちである(なにしろ「変人」と いうくらいだから。もっとも小泉のような変人はわるい方に変えてしまうのだけども)。 なにはともあれ、間に合いたいのなら、間に合わせたいのなら、今のうちである。 今なら、たぶん、まだ間に合う。いま、やらなくて、いつ、やる。 ----------------------------------------------------------------------------- [追記] て、ことで、「イルコモンズ・トラベリング・ アカデミー京都篇」、開催までいろいろたいへん だったみたいだけど、最後まで、どうかひとつ よろしく>京都担当者 イルコモンズ・トラベリング・アカデミー京都 2006年9月22日(金)13:00-19:00 龍谷大学瀬田キャンパス4号館201教室 (滋賀県大津市瀬田大江町横谷1-5)
by illcommonz
| 2006-09-10 01:15
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