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いる・こもんず 【普通名詞】 01| ありふれて変なもの 02| 扱いにこまる共有物 03| 分けても減らぬもの 04| 存在とは常に複数で他と共にあり、狂えば狂うほど調子がよくなる
はじめに、ふた、ありき

イルコモンズ編
見よ ぼくら
四人称複数
イルコモンズの旗
(Amazon.comで
大絶版廃刊中)
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▼国会スタジアム法案 (乱筆乱文要注意)
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国会中継をよくみる。たしか最初にみたのは、ロッキード事件の証人
喚問のときだったと思う。「記憶にございません」というやつである。
あれがいちばん記憶に残っている。それから、ここ16年ほど、家に
テレビがない生活をしているので、今はもっぱらNHKラジオとネット
でみることにしている。直接民主趣味者にとって「国会」というのは、
永遠の癪のタネであり、アンチ・スペクタクル社会趣味者にとって
直接参加を拒む「中継」は屈辱的である。ずばり云って、国会での
やりとりは、ひたすら退屈である、しかし、この退屈がくせもので、
あれは国民の関心を政治からそらすために演出されたスペクタクル
級の退屈さだと思っている。政治は国民の手の届かないところで
行われる退屈なものである、とそう思わせたいのだ。だから、その
退屈さにも腹が立つ。

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ところで、その国会を首都からよそに移転するという話があったが、
あの話はどうなったのだろう。むかし「10+1」に建築批評を書いてた時、
国会議事堂についての記事を書いたことがあり、そのとき、そういう話を
読んだ記憶がある。あれはどうなったのだろう、気になる。気になると、
たちまち妄想が走りだす。

もし新築するなら、ハコのデザインはさておき、議事堂の本会議場を
ふくめ、あらゆる議会場に「国民傍聴席」をつくってもらいたいと思う。
抽選とか先着で選ばれた20人くらいしか座れないようなケチなものでは
なく、万単位の人間がゆうに見物できるような巨大な傍聴席である。
もちろん椅子は立派なものにしてほしい。少なくとも議員の椅子より
いいものにしてもらわなくてはこまる。「主権在民」の国では、国民が
あくまで主権者であり、連中はあくまでその代理人にしかすぎないの
だから、そこをまちがってもらってはこまる。そこを激しく勘違いして、
やたらと威張ってる連中が多いので、もう一度、民主主義の"基本"と
"根本"と"原則"と"鉄則"をわからせるために、そうしてもらいたい。
とにかく国民の椅子が最優先である。もしそれが無理だというのなら、
かわりに議員の椅子をなくせばいい。議員は議会のあいだずーっと
立ってるか、それがイヤなら床にすわればよい。主賓はあくまで、
国民である。要する、国民傍聴席とは、観客席のようなものであり、
新しい国会はスタジアムにしてほしいと思う(というか、絶対そうしろ)。

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そしたら「記憶にございません」なんて発言はもう通用しないはずだ。
そんなこと云おうものなら、観客席からたちまちブーイングがとぶはずだ。
座布団だって飛んでくるかもしれないが、それでいい。それが本当の
民主主義だと思う。ブーイングと座布団をとばすのは、投票と同じく、
国民の義務であり権利である。ふざけた発言をする政治家は、国民が
一丸となってm野次りたおし、泣きべそをかくまで罵倒してよいと思う。
特に子どもたちには罵倒のことばをちゃんと教えてやるべきである。
誰かがまちがったことを云ったりやったりしたときに、非暴力的に
それを正すことばをちゃんと知っておくのは必要である。それが教育の
基本である。めちゃくちゃな話かもしれないが、こういうめちゃくちゃな話を
することも子供に教えたほうがいい。現実的で、あたりさわりのない話
ばかりしていると息がつまるし、想像力がなくなる。めちゃくちゃな話を
するには度胸もいる。さらに他人のめちゃくちゃな話に耳をかたむける
寛容の精神だって養われる。あまりめちゃくちゃな話をすれば、
罵倒されるかもしれないが、罵倒されることやそれに耐える忍耐力も
大事だ(話がそれた)。

ともかく国家をスタジアムにすれば、退屈がきらいでイベントが大好きな
スペクタクル市民の国民は、退屈な議事を決してゆるさないだろう。
おのずと議事は全力戦のバトルになるだろう。八百長なしのリアルファイト
になるだろう。議論がエキサイトしたらつかみあいをやってくれてもいい。
本当に頭にきたらジダンのように頭突きをかましてくれてもいい。武器さえ
使わなければ、スポーツマンシップにのっとって異種格闘技のルールの
範囲内で激しい議論をたたかわせてくれ。なにしろ国民がみてるので、
卑怯で汚いマネはできないはずだ。「劇場政治」とか「パフォーマンス」と
いうのなら、テレビや駅前ではなく、巨大なスタジアムでそれをやって
ほしい。議員にとってそれは悪いことばかりではないはずだ。すばらしい
発言やスピーチをすれば、生まれてこのかた一度も味わったことのない
(お世辞や社交辞令ではない)生の歓声をあびることができるかもしれない。
泣かせる発言をすれば、情にもろい国民もそろってもらい泣きするだろう。
それが本当の劇場政治であり、本当の政治だと思う。そんなめんどうな
ことはできない、というかもしれないが、民主主義というのは、もともと
めんどうなものであり、そこが尊いのだ。保守的な人びとは、そんな
スタジアムをつくって、そんなスペクタクルをやるのは、ばかげてる、
というだろう。そのとおりだ、ばかげてる。こんなばかげたことをするくらい
なら、いっそのこと間接民主主義をやめて、直接民主主義にしたほうが
ましではないか。これだけネットや携帯電話が普及しているので、それを
使えばある程度のことはできる、はずなのに、なぜかそういう使い方を
考えだす政治家がいない。19世紀まではたしかに直接民主主は無理
だったかもしれないが、通信メディアがこれほど発達した現状では、
擬似直接民主主義的なネットワークを構築することはそれほど難しい話
ではないはずだ。テクノロジーの発達に想像力がついてゆけてないだけ
の話で、後の時代に未来の歴史家はきっと「この時代にはすでに直接
民主主義を可能にするテクノロジーもチャンスもあったのに、この時代の
人間たちはまぬけなので、それを活かすことができなかった」と書くような
気がする。携帯での直接民主主義を可能にするには、エンターテイメントや
イベントの要素も必要だというのなら、それをいれてもいい。そもそも政治
というのは、祭りごとなのだから、どんどんやればいい、、、、、

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(と、めちゃくちゃな話を書いていたら、くたびれたので、ここでやめます。
字のまちがいがたくさんありますすが、どうせ、まちがいだらけのめちゃくちゃな
話なので、そのままにしておきます。このつづきはいずれまた)。
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by illcommonz | 2006-11-18 23:01
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