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いる・こもんず 【普通名詞】 01| ありふれて変なもの 02| 扱いにこまる共有物 03| 分けても減らぬもの 04| 存在とは常に複数で他と共にあり、狂えば狂うほど調子がよくなる
はじめに、ふた、ありき

イルコモンズ編
見よ ぼくら
四人称複数
イルコモンズの旗
(Amazon.comで
大絶版廃刊中)
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▼イルコモンズ・アカデミソロジー
d0017381_73635.jpgイルコモンズ・トラベリング・アカデミー続・京都篇。
終わってみれば、イルコモンズアカデミー史上、
最多の上映本数でした。イルコモンズの記憶が
正しければ(そんなことはめったにないが)、
スクリーニングしたのは次のとおり。

【セットアップリスト】
NHK「考えるヒト~教育テレビ試験電波放送」
マイクロソフト「スタート・ミー・アップ」M・ムーア
「ザ・ビッグワン」C・カーナハン「ミッキーマウス、
ハイチへ行く」 ナイキ「JUST DO IT」 クレジット
なし「ナイキAD」クレジットなし「奴隷工場」K・
マック「中国のディズニー工場」H&Cフィルム
「スウェットショップとは?」スウェットショップ・
ユニオン「THE THING ABOUT IT」 JTH feat.
R・ワースレイ「消費されるもの」「バークレー大の
裸の抗議デモ」B・ビッグマン「スターバックスに告ぐ」ウゴ・グレゴレッティ「にわとり」
G・A・ロメロ「ショッピング・ゾンビーズ」ゼネラルエレクトロニクス「夢をデザインする」
M・アクバー&J・アボット「ザ・コーポレーション~悪夢のマーケティング戦略」
ソウル・ワックス「エクスキューズ」アドバスターズ「ショッピングマシンの工場」
「消費大国USA」「ビッグマック」「テレビ消灯週間」「無買日広告」「脅迫観念」
ザ・ヴァキュウム・クリーナー「ホイールマート~儀礼的抵抗」「ホイール・マートUK」
「ホイールマート・ヘルシンキ」「ホイールマート・ストックホルム」「ノーショッピング・
ツアー2003」「ショッピングモール・プレイヤー」インディメディアほか「ザ・ブラック
ブロック in シアトル1999」「プラハのピンクの妖精」「ダイレクトアクションとは
こんな感じ」「誰がジャアントパペットを怖れているか?」「シアトル警察の暴動」
RTS「リクレイム・ザ・ストリート・ザ・ムービー」クレジットなし「リクレイム・ザ・
ストリート・バーミンガム1999」ASC「サウンデデモ2003-2004」「T.C.D.C.」
素人の乱「三人デモ」「パリのピローファイターズ」「バンクーバー・ピローファイト
クラブ」「モントルー・ピローファイトクラブ」「ポーランドのフラッシュモブ」
「リトアニアのフラッシュモブ」「ブタペストのフラッシュモブ」「イエローカードモブ」
モバイルクラビング「モバイルクラビング・リヴァプール2006」トム・ヘイデン
「ザ・ニュージェネレーション・オブ・アクティヴィスト」そのほか。

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「レクサスとオリーブの木」のなかでフリードマンが、「世界は10歳になったばかりだ」
と書いたのは1999年のことで、この「世界」とは僕らが生きている「グローバリズムの
世界」のことだ。それからすると、いま、その「世界」の年齢は17歳で、もうじき18歳に
なろうとしている。いくら文化の「幼児化」がすすんでいるとはいえ、人間でいえば、
思春期の終わりである。俗に云う「社会人」としての自覚や責任を意識しはじめても、
おかしくない年齢なのだが、米国生まれの資本主義育ちで、ネオコンとネオリベの
親たちの「自由放任主義」のもとで育ったせいか、一向に成長する気配がない。
ただ単に図体がデカくなっただけである。いずれはこのクソガキな世界も成長し、
バランスのとれた健全な大人になるだろうというフリードマンの見通しはハズれた、
と云わざるを得ない。第四世界には、依然として、スウェットショップが存在するし、
他者の生活を平気でふみつけにしている。ひとのたべものや文化をもてあそび、
マーケットごっこのコマくらいにしか考えていない。「大きな物語」が終わったことを
いいことに、神も仏もおそれぬ野蛮な青春時代のどまんなかで、一発ヤルことしか
アタマにないクサレ太陽族(←この言葉がはじめて役にたった)の愚連隊(←死語)が、
いまのこの世界である。いったい何が世界をこんなヤクザ者にしたのか、かといえば、
それは戦争や紛争だと思う。湾岸、ボスニア、コソボ、アフガン、イラク、パレスチナ、
東ティモール、レバノン......成長期の多感な時期にこういうものを見せられれば、
誰だっておかしくなる。しかも自分の生みの親がそれに手を染めているのを知れば、
非行に走らないほうがおかしい。では、地球に寄生するこの未成熟な世界をもう少し
ましなものに「更生」させるために必要なものは何か。こたえは簡単である。それは
文学や芸術だと思う。昔から少年院や感化院や刑務所がそうしてきたように、
文学と芸術は更生の手段である。作家やアーティストはそのことをよく忘れるが、
文学と芸術がもし何か社会の役にたつとすれば、ほとんどそれに尽きると思う。
それは泥臭い仕事かもしれないが、それだけに尊い仕事だと思う。あともうひとつは、
モダンが構想した「大きな物語」より、さらにもっと途方もなく大きな物語である。
たとえば「バチがあたる」というのもそのひとつで、その因果応報のストーリーは、
「科学の物語」の地平をはるかに越えるシュールでファンタジックな物語である。
生まれたときから戦争とビジネスのことしか教えてもらえなかった17歳の自閉した
世界に必要なのは、自分をその一部とする、自分よりももっと大きな世界の存在と
そこでの物語である。それは文化人類学者が「コスモロジー=宇宙論」と呼ぶもので、
世界中どこにだってあるものだ。たまたま二〇世紀の西欧社会がそれを見失った
せいで、なにか特別なもののように錯覚してしまうが、どこにでもあるものだ。
二〇世紀以前には西欧にだってあった。それは井戸や森や煙突の中だけでなく、
家の屋根や柱、鍋や釜、服や帽子、たべものや飲み物にもある。伝説や民話や
童話にはそれがアーカイブされていて、その一部は映画や小説に姿をかえたが、
映画や小説になったせいで失われたものがある。それは人を行動に導く力である。
というのも、そうしたコスモロジーの多くは「いま、ここで、これを、こうしておかないと、
こうなってしまう」というプログラム形式をもっている。それは、「そうしなければ、
なにかよくないことがある」というものから始まって、「そうしなければ神が怒る」とか
「スープがまずくなる」とか「世界が破滅する」とか「道にまよう」とか「雨がふる」とか
「恋がさめる」とかさまざまで、それによってひとを具体的な行動に導いてきたが、
いまやそれは映画や小説の登場人物たちだけが情熱的に行うものになっていて、
(たとえば村上春樹の「海辺のカフカ」ではホシノくんが世界を救うために、半信
半疑で石を運んだり動かしていた)、僕らはそれをただ見たり読んだりするだけの
役になってる。そればかりか、こうしたコスモロジーがしばしば悪徳商法やカルトの
ビジネスに利用されるせいで「信じてはならないもの」として扱われる。これでは、
「たらいの水と一緒に赤ん坊まで流す」つまり「元も子もない」というやつである。

、、、、、と、ここまで書いて、話が途中からものすごい勢いで転覆脱線事故を
起こしていることに気がついた。「分裂するは我にあり」とはいえ、こりゃひどい。
もうとても収拾がつきそうにないので、話を箇条書きにしてしまおう。

▽グロ-バル世界は17歳の未成熟な世界で、放っておいたらダメになると思う。
▽グローバル世界を更生させるには「ルネッサンス(文芸復興)」が必要だと思う。
▽グローバル世界には、地球よりも大きな「コスモロジー」が必要だと思う。以上。

ということで、昼ごはんにしよう。
[PR]
by illcommonz | 2006-12-07 11:54
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