はじめに、ふた、ありき
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というのは、昔、花森安治が、政府の「国民生活白書」について書いたことだが、
文部科学大臣名義のこの作文は、その「白書」よりも、ずっとおそまつで、 子どもたちにむけて、「こんないいかげんな作文をされてはこまる」と思った。 というか、読んでて、はずかしいと思った。こんな作文では、子どもたちに なめられると思う。そして、子どもたちをなめてはいけない。 文部科学大臣からのお願い 未来のある君たちへ 弱いたちばの友だちや同級生をいじめるのは、はずかしいこと。 仲間といっしょに友だちをいじめるのは、ひきょうなこと。 君たちもいじめられるたちばになることもあるんだよ。 後になって、なぜあんなはずかしいことをしたのだろう、 ばかだったなあと思うより、今、やっているいじめを すぐにやめよう。 いじめられて苦しんでいる君は、 けっして1人ぼっちじゃないんだよ。 お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、 きょうだい、学校の先生、学校や近所の友達、 だれにでもいいから、はずかしがらず、1人でくるしまず、 いじめられていることを話すゆうきをもとう。 話せば楽になるからね。きっとみんなが助けてくれる。 ............................................................................................. 「文部省」を「文部科学省」にしたせいで、作文がヘタになったか? 読んでいて、かなりはずかしい作文である。こどもたちがよく云う 「キモイ」というのは、おそらくこういうもののことを云うのだろうと思う。 「今、やっているいじめを、すぐにやめよう」というのは警告の文句だし、 「いじめられて苦しんでいる君は、けっして1人ぼっちじゃないんだよ」 というのは、できそこないの映画の宣伝文句みたいで、はずかしい。 これにくらべると、戦後まもなくの文部省の方がずっと作文はうまかった。 うそだと思うなら、これをよんでみるといい。 ............................................................................................. 文部省作「あたらしい憲法のはなし」 ▼憲法 みなさん、あたらしい憲法ができました。そうして昭和二十二年五月三日から、私たち日本国民は、この憲法を守ってゆくことになりました。このあたらしい憲法をこしらえるために、たくさんの人々が、たいへん苦心をなさいました。ところでみなさんは、憲法というものはどんなものかごぞんじですか。じぶんの身にかかわりのないことのようにおもっている人はないでしょうか。もしそうならば、それは大きなまちがいです。 ▼民主主義 こんどの憲法の根本となっている考えの第一は民主主義です。ところで民主主義とは、いったいどういうことでしょう。みなさんはこのことばを、ほうぼうできいたことでしょう。これがあたらしい憲法の根本になっているものとすれば、みなさんははっきりとこれを知っておかなければなりません。しかも正しく知っておかなければなりません。みなさんがおゝぜいあつまって、いっしょに何かするときのことを考えてごらんなさい。だれの意見で物事をきめますか。もしもみんなの意見が同じなら、もんだいはありません。もし意見が分かれたときは、どうしますか。ひとりの意見できめますか。二人の意見できめますか。それともおゝぜいの意見できめますか。どれがよいでしょう。ひとりの意見が、正しくすぐれていておゝぜいの意見が、まちがっておとっていることもあります。しかし、そのはんたいのことがもっとも多いでしょう。そこで、まずみんなが十分にじぶんの考えをはなしあったあとで、おゝぜいの意見で、物事をきめてゆくのが、いちばんまちがいがないということになります。 そうして、あとの人は、このおゝぜいの人の意見にすなおにしたがってゆくのがよいのです。 このなるべくおゝぜいの人の意見で、物事をきめてゆくことが、民主主義のやりかたです。 国を治めてゆくのもこれと同じです。わずかの人の意見で国を治めてゆくのは、よくないのです。国民ぜんたいの意見で、国を治めてゆくのがいちばんよいのです。つまり国民ぜんたいが、国を治めてゆく、これが民主主義の治めかたです。 ▼主権在民主義 国では、だれが「いちばんえらい」といえるでしょう。もし国の仕事が、ひとりの考えできまるならば、そのひとりが、いちばんえらいといわなければなりません。もしおゝぜいの考えできまるなら、そのおゝぜいが、いちばんえらいことになります。もし国民ぜんたいの考えできまるならば、国民ぜんたいが、いちばんえらいのです。こんどの憲法は、民主主義の憲法ですから、国民ぜんたいの考えで国を治めてゆきます。そうすると、国民ぜんたいがいちばん、えらいといわなければなりません。 国を治めてゆく力のことを「主権」といいますが、この力が国民ぜんたいにあれば、これを「主権は国民にある」といいます。こんどの憲法は、いま申したように、民主主義を根本の考えとしていますから、主権はとうぜん日本国民にあるわけです。そこで前文の中にも、また憲法の第一条にも「主権が国民に存する」と、はっきりかいてあるのです。主権が国民にあることを「主権在民」といいます。あたらしい憲法は、主権在民という考えでできていますから、主権在民主義の憲法であるということになるのです。 ▼戦争の放棄 みなさんの中には、今度の戦争に、おとうさんやにいさんを送りだされた人も多いでしょう。ごぶじにおかえりになったでしょうか。それともとうとうおかえりにならなかったでしょうか。また、くうしゅうで、家やうちの人を、なくされた人も多いでしょう。いまやっと戦争はおわりました。二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。こんな戦争をして、日本の国はどんな利益があったでしょうか。何もありません。ただ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。戦争は人間をほろぼすことです。世の中のよいものをこわすことです。だから、こんどの戦争をしかけた国には、大きな責任があるといわなければなりません。このまえの世界戦争のあとでも、もう戦争は二度とやるまいと、多くの国々ではいろいろ考えましたが、またこんな大戦争をおこしてしまったのは、まことに残念なことではありませんか。 そこでこんどの憲法では、日本の国が、けっして二度と戦争をしないように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戦力の放棄といいます。「放棄」とは、「すててしまう」ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの国よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。 もう一つは、よその国と争いごとがおこったとき、けっして戦争によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとそうとしないということをきめたのです。おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの国をほろぼすようなはめになるからです。また、戦争とまでゆかずとも、国の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを戦争の放棄というのです。そうしてよその国となかよくして、世界中の国が、よい友だちになってくれるようにすれば、日本の国は、さかえてゆけるのです。 みなさん、あのおそろしい戦争が、二度と起こらないように、また戦争を二度とおこさないようにいたしましょう。 ▼基本的人権 くうしゅうでやけたところへ行ってごらんなさい。やけただれた土から、もう草が青々とはえています。みんな生きいきとしげっています。草でさえも、力強く生きてゆくのです。ましてやみなさんは人間です。生きてゆく力があるはずです。天からさずかったしぜんの力があるのです。この力によって、人間が世の中に生きてゆくことを、だれもさまたげてはなりません。しかし人間は、草木とちがって、ただ生きてゆくというだけではなく、人間らしい生活をしてゆかなければなりません。この人間らしい生活には必要なものが二つあります。それは「自由」ということと、「平等」ということです。人間がこの世に生きてゆくからには、じぶんのすきな所に住み、自分のすきな所に行き、じぶんの思うことをいい、じぶんのすきな教えにしたがってゆけることなどが必要です。これらのことが人間の自由であって、この自由は、けっしてうばわれてはなりません。また国の力でこの自由を取りあげ、やたらに刑罰を加えたりしてはなりません。そこで憲法は、この自由は、けっして侵すことのできないものであることをきめているのです。こんなりっぱな権利を与えられましたからには、みなさんは、じぶんでしっかりとこれを守って、失わないようにしてゆかなければなりません。しかしまた、むやみにこれをふりまわして、ほかの人に迷惑をかけてはいけません。ほかの人も、みなさんと同じ権利をもっていることとを、わすれてはなりません。国ぜんたいの幸福になるよう、この大事な基本的人権を守ってゆく責任があると、憲法に書いてあります。 (青空文庫所収「あたらしい憲法のはなし」より) .......................................................................................................... これはイルコモンズ・アカデミーでもおなじみの 「あたらしい憲法のはなし」で、表紙にあるように、 1947年にこの作文を書いたのは、文部省だ。 教育基本法もそのときにできた。この作文は、 話してきかせてやれば、ちびこもんずだって わかるように書いてある。わかるだけでなく、 戦争はいやだなぁ、民主主義っていいなぁ、 自由って素敵だなぁ、平等って大切だなぁ、 と思えるように書いてある。つまりよく書けてる。 文部科学大臣が「いじめをやめろ」と云って いじめがなくなるなら、学校はいらないし、 教師もいらない。あんないいかげんな作文を よく人前にさらせるものだと呆れてしまう。 「こんなできそこないの作文を、出すのは やめろ」とそう云って、とめてくれる友だちが 大臣にはいなかったのだろうか、と思う。 本気でいじめをなくそうとするのなら、自由、平等、民主主義、戦争放棄、 このくらいベーシックなところから話をはじめないと、話ははじまらない。 いくら自分たちがそれにリアリティをもてないからといって、自由と平等の 話をさぼってはいけない。子どもはそういう話が好きだ。現実がどうであれ、 「自由と平等は気分がいいものだ」(←この感覚が大事)ということがわかる。 現実がどうであれ、「戦争のない世界」や「ほんとうの民主主義の世界」を 想像力を使って夢見ることができる。だから、もし本当にいじめをやめろと いうのなら、そして、本当にいじめをやめさせたいと思うのなら、その前に まず「戦争ができる憲法」にかえるのを大人がやめてみせるべきである。 あかるい未来の話をするのであれば、断じて、そうするべきである。 「戦争のできる憲法」が、未来を暗くて不安でやりきれないものにしてるのが、 どうしてわからないのかまったく謎である。その憲法で戦争に行かされるのは、 それに反対してくても選挙権のない、子どもたちで、子どもたちはそのことを ちゃんと分かっている。子どもたちをなめてはいけない。それがわからない この国の大臣たちは、よっぽどあたまがわるいか、あたまがわるいふりを してるか、どっちかだと思う。どっちもあまりかわらないが、どっちにしても、 「こんないいかげんな作文をされてはこまる」と、この国で「いちばんえらい 国民全体」がはっきりそう云わなければならない。憲法にもそう書いてあるし、 「じぶんの身にかかわりのないことのようにおもっているとしたら、それは 大きなまちがいです」と、1947年の文部省がそう云ってる。 ............................................................................................. [追記]文部科学省のこの作文をよんで、次回のイルコモンズアカデミーでは ひさしぶりに「あたらしい憲法のはなし・ポエトリーリーディング」をやろうと思った。
by illcommonz
| 2006-12-10 10:54
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