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いる・こもんず 【普通名詞】 01| ありふれて変なもの 02| 扱いにこまる共有物 03| 分けても減らぬもの 04| 存在とは常に複数で他と共にあり、狂えば狂うほど調子がよくなる
はじめに、ふた、ありき

イルコモンズ編
見よ ぼくら
四人称複数
イルコモンズの旗
(Amazon.comで
大絶版廃刊中)
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▼空飛ぶマルチチュード(第二話)
d0017381_23441222.jpg『帝国』はネグリとハートが協働して
4本の手で書いたものですが、
この本の一番最後に置かれた
アッシジのフランチェスカの挿話と、
「ミラノの奇蹟」に言及しながら綴ら
れた「貧者」についてのくだりは、
おそらくネグリの左手が書いたもの
だと思います。ネグリはこう書いてます。


d0017381_234583.jpg「歴史のあらゆる時代にいつも存在し、
どこにあっても、同じようなものとみなされる
社会的主体がいる。[…] 地域を限定できない、
ただひとつきりの名前、あらゆる時代において
純粋な差異をしめす、そのコモン・ネームは、
貧しき者という名前である。[…] 貧しき者は、
困窮し、排除され、抑圧され、搾取されるが、
それでもなお生きている! それは生の共通
分母であり、マルチチュードの土台をなすもの
である。[…] ある見方をすれば、貧しき者とは、
永遠のポストモダン的人物像である。それは、
横断的で、偏在的で、多様な差異をもった、
移動する主体である。[…] 貧しき者は、
この世の中にただ存在するだけではない。
貧しき者それ自身がこの世界の可能性なの
である。貧しき者の存在のもとに、世界という
この場所、この唯一無比の場所が、(人の生の)
内在性平面として指し示され、確信され、
強化され、そして、開かれるのである。
実に貧しき者とは地上の神である。[…]
なぜポストモダニストたちにはそれが読み
取れないのか。[…] 横断性をつくりだしている
主体は誰なのか?誰がことばにクリエィテイヴな
意味を与えているのか?従属化しながらも欲望する
ことをやめず、困窮しながらもたくましく、つねに
誰よりも力にあふれた貧しき者でなければ、
一体ほかに誰だというのだろう。[…]
貧困は力なり。[…] マルクス主義的伝統の
支配的な一派は、貧しき者たちを嫌悪していた。
それはまさに彼らが"鳥のように自由"であった
からで、社会主義の建設に必要なディシプリンを
まぬがれていたからにほかならない」。

そして、さらにこう続きます。


d0017381_23575699.jpg「考えてもみたまえ、1950年代のはじめ、
ヴィットリオ・デ・シーカとチェザ-レ・ザバティーニが
『ミラノの奇蹟』という、すばらしい映画のラストで、
貧しき者たちがほうきにまたがって空を飛んでゆく
シーンを描いたとき、社会主義リアリズムの代弁者から、
「ユートピア思想だ」と、どれほどこっぴどく
こきおろされたことか。[…] だが、ポストモダンの
中心にそれは再び現れた。目もくらむような
白昼の澄みきった陽光のもと、貧しき者という
コモンネームが、すなわち、マルチチュードが
現れたのである。[…] かくして、貧しき者は
かつてないほど尊いものとなった。
貧しき者の生/暮らしがこの惑星をおおい、
その創造性と自由への欲望がこの地球を
つつみこむのである」[…]

そしてこの後に「チャップリンのモダンタイムズ」に
ついての言及などもあるのですが、長くなるので、
それはカットします。『ミラノの奇蹟』には他にも
いくつか印象的なシークエンスがあって、
中でも特に、自然が与えるコモンである太陽の
熱や光を共に分かちあい、文化が与えるコモン
である"ことば"や"うた"を贈り合うシーンは、
コモンのみならず、日々の暮らしのなかでの
ギフト・エコノミーの所在を教えてくれるものですが、
それはさておき、気になるのは、ネグリが物語る
「マルチチュードとしての貧しき者」の原風景は
いったい何なのか、ということで、もしや、この
『ミラノの奇蹟』がそれじゃないのだろうか、と
そんな気がしたので、「ハズれてもともと、
あたれば勿怪の幸い」というくらいの気持ちで、
例の質問をぶつけてみたワケです。では、
はたしてネグリの回答はどうだったのか。

この「おはなし」のつづきはまた次回に(つづく)。

【第三話へ】
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by illcommonz | 2005-05-18 23:43
▼「おはなし」の途中ですが、ここでCMです
d0017381_04711.jpg
本日発売の『美術手帖』06月号に、
このブログの一番古いログとして書いた
「殺すな博」についての特集記事があり、
そこにイルコモンズ名義で、
「追悼なき服喪と貧乏の叡智」という雑文と
「第〇九八三〇七番拾の組」という
愛知博来場予告メールアートを
寄稿しています。



限られた文字数と狭いスペースの中でこしらえたものなので、
ヌケてるところやトンでるところも、たくさんありますが、
同号所収の次のテキスト群とトラックバック・リーディングすると、
シナジー効果が発生して、いい具合にナニかがワカッテクル
はずですので、ぜひご一読ください。

暮沢剛巳「ミューアムX 最終回・エキスポとミュージアム」
暮沢剛巳「アルテポーヴェラ/貧しい芸術」
椹木野衣「あほう!そんなことも知らないのかという電撃的なことば」

ちなみに、同号の中で「よみもの」としておもしろかったのは、
椹木野衣の「この絵の中では、なにか非日常的な物語が進行
している。それがなんなのかがわからない。けれども、たしかに
今ここで、それは起こっている。それは……」でした。

「大きな物語」の時代が終わって、「小さな物語」が氾濫し、
そして今度は「大きな物語」が「大きな物語もどき」として
厚顔無恥にリバイバルしてきている現在、アートの世界では、
「大きな物語の断片」と呼べるような独特の気分をもった絵画が
次第に流行しはじめている、という指摘もおもしろいのですが、
それよりも、その論の末尾に書きつけられた、もうひとつの
「ものがたりのあらわれ」の予感の方に目がとまりました。

d0017381_0405550.jpg「大きかったり小さかったりせず、
断片であるとも全体であるともいえ、
だれのものともいえないようななにか」
としての不定形な「それ」がアンキャニーに
息をふきかえしてくる、そんな予感がします。
ただし、僕が待望しているのは、
「だれのものともいえないようななにか」ではなく、
「だれのものでもあるようななにか」であり、
「だれのなかにでもあるイルでコモンな原質」
なのですが...それについてはまたいずれ...
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by illcommonz | 2005-05-17 23:35
▼空飛ぶマルチチュード(第一話)
d0017381_7191480.jpg今日、日仏学院で開かれたアントニオ・
ネグリとのビデオストリーミング討論会に
いってきました。この手のアカデミックな
シンポジウムの現場で、テクストから
読み取れること以上の、水際立った話が
聞けたためしは、あまりないのですが、
ネグリ本人に直接、質問をぶつけること
のできるめったにないチャンスですし、
『現代思想』の「帝国」特集号に原稿を
書いた時からずっと気になってたことも
あったので、それを質問のかたちにして
投げてみました。たまたま僕らの前後の質問がそのものずばりマルチチュード概念の「定義」
と非物質的労働の「解説」を乞う、直球勝負な質問だったので、ちょうど好い具合にチャンジ
アップ的な配球になりました。以下がその質問です。

  【質問】
  時間が限られているので、単刀直入にお聞きします。前半のセッションでは、
  フランスやドイツの現代思想が、あなたの思想的なバイオグラフィーの中に
  どのように書き込まれているかということに話題が集まりましたので、それを
  うけるかたちで質問します。ヴィトリオ・デ・シーカの映画『ミラノの奇蹟』は、
  あなたの知的バイオグラフィーの中に、どのようなものとして書き込まれて
  いるのでしょうか?『ミラノの奇蹟』は1951年、つまりあなたが18歳の時に
  封切られた映画で、『帝国』の中で、あなたが「貧者」の希望を語るなかで、
  かなり唐突なかたちで言及している映画です。この映画とマルチチュードの
  関係について、何かお話しいただけるでしょうか?

d0017381_23165356.jpg『ミラノの奇蹟』は、戦後のイタリアン・ネオ・リアリスモを
主導してきたデ・シーカが、急に、なにを思ったか、
突然つくってしまったファンタジー映画で、文字通り、
「昔むかしあるところに...」という語りだしで始まる
筋金入りの「物語」であり「寓話」です。

d0017381_23222936.jpg主な登場人物は、ミラノ郊外の資本家の土地にバラック
小屋を建てて棲みついているポーヴェラの貧者たちで、
いまちょうど世界の都市部で進行しているエヴィクション
(立ち退き)に対し、この貧者たちが一致団結して抵抗
するという、そういう「おはなし」です(つづく)

【第2話へ】
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by illcommonz | 2005-05-17 02:38
▼大工よ、太郎の幟を高く上げよ/明日の神話・序章
d0017381_15443251.jpg岡本敏子に暗い喪章は似あわないので、
そのかわりに、岡本太郎デザインの
←このコイノボリを、歓喜の喪のあかしとして
五月の明るい青空にはためかせるのはどうかな、
と思いました。歓喜の死は青空によく映える
というバタイユのレッスンもあることだし、
明日の神話の門出を願って。
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by illcommonz | 2005-05-05 15:43