Top

いる・こもんず 【普通名詞】 01| ありふれて変なもの 02| 扱いにこまる共有物 03| 分けても減らぬもの 04| 存在とは常に複数で他と共にあり、狂えば狂うほど調子がよくなる
はじめに、ふた、ありき

イルコモンズ編
見よ ぼくら
四人称複数
イルコモンズの旗
(Amazon.comで
大絶版廃刊中)
以前の記事
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
2006年 01月
2005年 12月
2005年 11月
2005年 10月
2005年 09月
2005年 08月
2005年 07月
2005年 06月
2005年 05月
2005年 04月
2005年 03月
2005年 02月
記事ランキング
<   2005年 10月 ( 68 )   > この月の画像一覧
▼秋のイルコモンズまつり
d0017381_595259.jpg
下記のとおり、
これからしばらく、
催事がつづくため、
当分のあいだ、ブログの
更新頻度を下方修正しますので、
悪しからず、ご了承ねがいます。



11月04日(金) [討議] 「野生の近代 再考-戦後日本美術史」(大阪・国立近代美術館)
11月05日(土) [展示] 「STRIKE EVERYWHERE」(東京・新宿NOANOA)
11月11日(金) [討議] 「ふつうサミット」(東京・銀座ANPONTAN)
11月13日(日) [討議] 「アザーミュージック」(東京・表参道カフェ・ファーリ)
11月20日(日) [展示] 「闇、に、つ、い、て」(東京・代官山ボールルーム) 中止

催事の詳細については、決まり次第、追ってまたお知らせします。
なお、「文化人類学解放講座」は、通常どおり、開講します。
[PR]
by illcommonz | 2005-10-31 05:42
▼万聖節前夜のイルコモンズ回答
さきほど『美術手帖』 編集部より下記のアンケートへの回答依頼がありました。

問1) 今回の「横浜トリエンナーレ」を100点満点で評価すると何点ですか?
問2) その理由を400字程度で教えて下さい。

担当編集者の説明によると、このアンケートは「評論家、キュレーター、前回
ディレクター・作家・スタッフを中心に、10名ほどに」依頼したものだそうです。
横浜トリエンナーレについての所感は、すでにこのブログにも書いたとおりで、
この問いにどんな風に回答したかは、11月17日発売の『美術手帖』12号号を
ご覧ください。ちなみに回答に際しては、今月の『美術手帖』に掲載されている
S・ポルケのインタヴューで、ポルケが開口一番、まず口にしたことを手本に、
回答を作成しました。無論ポルケのそれとは、事情もレヴェルも異なりますが、
ポルケの云うように、それは「重要」なことだと思うので、待遇についてふれた
トリッキーな回答にしました。それに今日は、Treat or Trick!の万聖節前夜
のお祭りの日でもあるので、それにちなんで、「ちゃんと treat してくれないと
Trick しちゃうぞ!」というイタズラ心をこめて回答してみました。この回答に、
どんな応答があるか、たのしみです。

d0017381_19516.jpg
[PR]
by illcommonz | 2005-10-31 04:10
▼凹んだときは i have a dream と云ってみる
d0017381_22192242.jpg
と、本気で、そう思っているのですが、なかなか「大学は判ってくれない」ようなので、
だれでも分かる明快な言葉ではっきりと意思を表し、うそいつわりなきイルコモンズの
夢と希望を、サウンドトラックつきで、ここに残しておきます→ [凹→凸] (8.78M mp3)
[PR]
by illcommonz | 2005-10-30 21:57
▼世界の周辺で起きている変化を想像する
「文化人類学解放講座」より)

d0017381_803714.jpg
"新世界にて"
「おーい、みんな、おれたち、
発見されちまったようだぞ!」

(クリストファー・コロンブスに気づいたインディアン曰く)
ジョルジュ・ペレック『さまざまな空間』(1974年)より


今回の講義では、まず、前期の講義で見たトロブリアンド諸島のクラの
その後を取材したドキュメントフィルムを見ます。前期の講義で見たのは、
マリノウスキーのフィールドワークから約半世紀を経た、1970年代初頭の
クラでしたが、今回はそれから20年後の1990年代初頭のクラを見て、
そこに現われている変化を見ます。なおクラは、グローバリズムの市場経済
や貨幣経済との対比で、最近、よく耳にするようになった「ギフト・エコノミー」
(贈与経済)の有名な実例ですので、そうした観点からも見てみましょう。

d0016471_139440.jpg
「クラ・島々をめぐる神秘の輪」(1991年)
Kula: Ring of Power
監督:マイケル・ベルソン
カラー 51分
..............................................................................

次に、先日の講義で見た映画「緑のアリが夢見るところ」の監督ヴェルナー・
ヘルツオークがブラジルで制作したドキュメント映画「失われた一万年」を見ます。
これは「10ミニッツ・オールダー」というオムニバス映画のなかの一本で、
ほんの数分間の出会いが1万年の時をとび越えるという話です。そして、
そのことが何をもたらすかを描いた作品です。

d0017381_7375471.jpg

「失われた一万年」(2002年)
Ten Thousand Years Older
監督・脚本:ヴェルナー・ヘルツォーク
カラー 10分
...................................................................................

d0016471_4303557.jpg
「死のまつり」(2002年)
The Festival of Death
制作・編集:ザ・レジデンツ
カラー 10分26秒

最後に、アメリカのマルチメディア・アート・ユニット、ザ・レジデンツが制作した
「エスキモー」という作品を見ます。この作品は1970年代後半に、メンバーの
知人であった(とされる)N・セナダなる人物が現地で録音した(とされる)音源と
写真をもとに「エスキモーの生活のロマンチックな再創造(re-creation)」として、
3年がかりで制作されたもので、はじめは1979年にLPレコードとして発表され
ました。エスキモーの儀式の音楽を模倣したこのアルバムの解説の最後には、
エピローグとして、こんな断り書きが記されていました。

                [おことわり]
  この作品で語られる話はすべて過去形で表現されています。
  なぜならこの作品のベースになっているエスキモー、とりわけ、
  北極エスキモー(イヌイット)の人びとは、政府の福祉政策に
  よって、一九六〇年代の後半に、その「悲惨な」生活環境から
  「救出」されてしまったからです。いまでは、北極エスキモーの
  人びとは、政府が支給したプレハブ住宅に一人残らず完全に
  移住させられ、一日中、再放送のテレビを見て過ごしています。


この作品は全くの想像の産物ですが、その裏にはこのエピローグに読まれる
ような批評がこめられていて、たとえば、それはこんな風に評価されています。

d0017381_854570.jpgザ・レジデンツ
「エスキモー」(1979年)

「イヌイットから伝統的遊牧生活を
取り上げた、福祉政策という名の
善意を「エスキモー」は撃つ。この
アルバムにある人間性は徹底的に
冷徹だ」(湯浅学)

「レジデンツは極北に住むエスキモーたちの生活を独自のフレームで切り
取り、壮大なドラマを作り上げてゆく。異文化の学習を通じてレジデンツが
獲得したのは、再現/模倣の技術ではなく、想像力なのである」(小山哲人)

そして、その後もこの作品は、1980年、1992年、2000年と3度にわたって
再アレンジされ、そして2002年に、その決定版ともいえる映像つきのDVD版
がリリースされました。この2002年版の「エスキモー」では、インターネットを
通じて見つけたという国立機関(例:NOAAなど)の収蔵写真をもとに、異文化に
対するアーティスト的な想像力が遺憾なく発揮され、エキスモーの伝統的な
儀式と伝承の物語を、ロマンチック、というよりも、むしろロマンチック・アイロニー
(*失われた対象を回復し、もう一度それと同一化しすることを欲しながら、
決してそれはできないという矛盾した意識を持った精神的態度)的に「再創造」
して見せているだけでなく、いま、世界で起きているグローバリゼーションに
対する冷徹な視線と批評的なコメンタリーが、そこに書き加えられています。

d0017381_2014252.jpg
また、2002年版の「エスキモー」には、ロバート・フラハティが1921年に
撮影した民族誌ドキュメント映画の古典「極北のナヌーク」に、レジデンツが
サウンドトラックをつけた作品が収録されています。このように過去の記録映画に
新しいサウンド・トラックをつけて批評的にリプロダクトするという試みは、
ほかにもポール・D・ミラー(aka DJスプーキー)による「国民の再創生」
「ウィークエンド」などでも見ることができますが、こうした実験については
いずれ紹介することにして*、「エスキモー」を見る際には、ヘルツオークが
「緑のアリが夢見るところ」に寄せて語ったようなペシミスティックな暗い予言を
文字通り視覚化したような驚愕のラストシーンをくれぐれも見逃さないように
してください。
...................................................................................

d0016471_12265768.jpg
[左] 「国民の創生 Birth of a Nation 」(1915年) 監督:D・W・グリフィス
[右] 「国民の再創生 Rebirth of a Nation」(2002年) 編集:P・D・ミラー
...................................................................................
d0017381_19464918.jpg
「極北のナヌーク」(1922年)
原題:Nanook 邦題:極北の怪異
監督:ロバート・フラハティ

「ナヌーク」(2002年)
音楽:ザ・レジデンツ

...................................................................................
1940年代に、パリ大学ソルボンヌ校の人類学部に所属し、人類博物館の
シネマテークに通いつめて数多くの民族誌映画を見たという、映画作家の
ジャン-リュック・ゴダールはフラハティのこの作品について、こう語っています。

「彼(フラハティ)は万事を演出するドキュメンタリストであって、
「極北のナヌーク」のどのショットも完全に演出されています」
(J-L・ゴダール)

d0017381_4521535.jpg
こうした想像にもとづく異文化の
「再創造」やドキュメント映画の
なかの演出の問題などについては
異文化表象の問題として、また、
想像ではない現実のイヌイットの
現在の暮しと、その同時代文化に
ついては、講義の中でお話しします。

--------------------------------------------------------------
[参考] 岸上伸啓「イヌイットとブリジッド・バルドーの関係」「民族学者の仕事場」より

岸上:食べ物がないんで生肉は食べますけど、とったばかりの血のしたたる生肉、
    とくにアザラシのは、よほど腹が減ってない限り、なかなか食べられなかった
    ですね。冷凍すれば、匂いはなんとか消えるので、ある程度平気なんです。
    だけど、生っていうのはやっぱりきついですね。カリブーはうまいですけどね。
  ─:とったばかりは、まだ温かい………
岸上:まだ温かいですよ。食べてたら口や手はみんな血だらけですよ。すごみが
    あります。
  ─:もしかして今はハンバーガーのほうがいいんですか。
岸上:子供たちはハンバーガーですね。おじいちゃんおばあちゃんは今でも肉類
    中心ですし、中年の人でもやっぱり、みんな子供のときに食べてますんで、
    生肉を食べます。だけどどっちが好きかとなると、ハンバーガー食べたり
    ピザ食べたりする人が多くなりました。だけど86年当時はまだ肉のほうが
    主流でした。
  ─:向こうの狩猟というと、イヌぞりなんかを想像するんだけど、そのころはなかった
    わけですか?
岸上:ええ、70年代を境にもうないですね。今は観光用とか、もしくは自分の楽しみ
    のために使うということで復活してますけどね。
[PR]
by illcommonz | 2005-10-30 04:45
▼おまわりブタさんと網点
d0017381_215232100.jpg
今週の週末は、上野でこれを見てきます。
会期終了間際になって、余った招待券を
おすそわけしてもらったので見てきます。

シグマー・ポルケ展・不思議の国のアリス
2005年10月1日(土)~30日(日)
上野の森美術館


ポルケは、ドイツにまだ東と西があった時代に、リヒターなんかと一緒に
東から西に渡ってきた画家で、今月の『美術手帖』のインタヴューにも
読める通り、体制批判的であることを、何ら隠そうとしない気骨のある
画家で、それはインタヴューの冒頭の発言からもうかがえるとおりです。
そのポルケの作品の真骨頂はやはりコラージュで、見かけの粗っぽさ
とは裏腹に、緻密に計算されつくされた層の重合(superposition)が
つくりだす画面の上の無数の小さな爆発は、よく云う、手術台の上での
何とやらではなく、詩人が目を離した隙に、手術台の敷布にこうもり傘を
ガガガガガガガガガと縫いつけて、イメージの世界の外に走り去ってゆく、
素敵に狂ったミシンの暴走のようです。

----------------------------------------------
[追記]ということで見てきました、ポルケ展。「日本初の本格的な個展」
という割には、正直なところ、やや作品点数が少ない気もしましたが、
今回は「作家蔵」のプレイベート・コレクションを作品を中心にした展示で、
しかもドイツ政府からオフィシャルな資金援助が得られなかったということ
なので、その意味で、今回の展示はポルケ自身によるポルケのための
アンデパンダンな個展、インディーズ・エキシビジョンだと了解した上で
見ましたが、それにしても、さすがはポルケ、展示のいちばんはじめに
「おまわりブタ」をもってきたところに、ころんでもタダでは起きないぞ、
という国家や権力に対する不屈の精神が伺えて、なかなか痛快でした。
ちなみに今回の展覧会のタイトルになった「不思議の国のアリス」は、
ドイツの現代美術絵画というよりもむしろ、アムス(テルダム)のコーヒー
ショップ(ドラッグ喫茶)にたちこめるパープルな煙の臭いのするサイケな
作品でした。あと、子供むけのキンダーブックが元ネタになってる「魔方陣」の
連作は、ボイスが傾倒したシュタイナーの神秘主義とかゲーテのそれに
対するひやかしのようでちょっと笑えました。それから「否定的価値」の
まるで深みのない暗闇の図やおそろしく投げやりなドローイングは、
中原昌也の作風とどこか通じるところがあって、これもかなり愉しめました。
最後に、RAF・バーダー・マインホフ・グルッペの爆弾闘争をモチーフにした
「網点」の絵を眺めながら思ったのは、リキテンシュタインの網点がパルプ・
マガジン・コミックスのそれからきているのに対して、ポルケのそれは、
タブロイド新聞の事件写真の網点からきているのだなということでした。

ということで、次回はぜひ、ドイツ政府をうまくまんまとまるめこんで、本当に
「本格的な個展」が開かれることを願ってます。そのときに、見たいのは、
たとえば、こんな作品です。

d0017381_21473033.jpg
[PR]
by illcommonz | 2005-10-29 21:52
▼この写真を見てあなたが連想する歌には
d0017381_63194.jpg コピーライト・コントロールがあります。
って、ご存じでしたか? ほら、
よく目をこらすと見えるでしょ、
(C)のマークが。で、これから書く
のは、アメリカであった本当の話、
実話です。時は1990年半ばの
こと、ASCAPこと、米国音楽著
作権管理団体は、ガールスカウト
の団体に手紙を送り、特定の歌
を歌うには、実演許可を買わな
ければならないと通達しました。
その曲名リストのなかには、

「ハッピー・バースデイ・トゥ・ユー」もあって、この歌をライセンス契約を結ばずに
キャンプの焚き火のまわりで歌ったりした場合は、法律によって罰されますよと、
そう警告したのでした。ちなみに、そうした違法な実演行為をおこなった場合は、
最低でも500ドルの罰金と6日間の禁固刑、最高で10万ドルの罰金と一年間
の禁固刑に処せられます、というのがASCAPからの通達でした。以下は、
ASCAPの言い分。「彼女たちも工作のための紙やのりを買うでしょ。だったら
音楽にもお金を払える筈です。必要とあらば告訴しますからね」。でも、さすがに
これには非難の声があがったらしく、結局、非営利のキャンプからは徴収しない
という合意が結ばれ、現在はスカウトの団体からASCAPは、1ドルのチャージ
を受け取っているのだそうです。しかもそれは、ASCAPがあるおかげで、こう
して歌が歌えるのだということを、子どもたちに思い知らせるためなんだそうです。
まったくどうかしてるとしか思えないような話ですが、これは実話です。しかし、
バースデーケーキを前にして「ハッピー・バースデー・トゥ・ユー」以外に歌う歌って
何かありましたっけ。よしんば歌をあきらめたとして、そうなると今度はろうそくを
吹き消すタイミングをどうすればよいのでしょう。もっといえば、親しい友人や家族が
生まれた日を歌で祝うのにもお金が要るというわけです。全く凄まじい発想です。
それだけじゃありません。黒澤明に「生きる」という映画がありますが、あの映画で、
胃ガンで余命幾ばくもないことを知って絶望のどん底に沈んこんでいた志村喬を、
「いや、もう一度生きよう、もう一度生きたい」と絶望の淵から連れもどしたあの曲は、
なんでしたっけね。たしか「ハッピー」なんとかじゃありませんでしたっけ。と、まあ、
そんなふうに歌というものは、時と場合によっては、人を地獄から救いあげるような
力とはたらきをもった、無償のギフトになり得ることがあるのだから、そういうものに
実演許可だのライセンスだのというのはどう考えても、どうかしてるとしか思えない
のですが、どうなんでしょうか。音楽の著作権については、まだいいたいことが
他にもあるのですが、いいはじめると、長くなりそうなので今回はこのへんで。

d0017381_7455553.jpg
あ、そうそう、「ハッピー・バースディ・トゥー・ユー」の話はケンブリュー・マクロードの
「表現の自由」という本に詳しいことが書いてありますので、興味のある方は、
ぜひ、そちらをお読みください。あと、そのマクロードがつくったドキュメント・ビデオ
「コピーライト・クリミナルズ」は「インターネット・アーカイブ」のサイトから
フリーダウンロードして見ることができますので、そちらもぜひどうぞ。

d0017381_817335.jpg
Copyright Criminals
This is a Sampling Sports. 2005年 カラー 10分10秒
[出演] ハリー・アレン (パブリック・エナミー)、マット・ブラック(コールドカット)、
ロビン・ランボー(aka スキャナー) ポール・D・ミラー(aka DJ・スプーキー)、
ローレンス・レッシグ、ソウル・ウィリアムズ、ピープル・ライク・アス、チボマット、
ドン・ジョイズ(ネガティヴランド)、DJ・Qバートほか大勢
[PR]
by illcommonz | 2005-10-28 06:31
▼このディランがいなければ、ボブは…
d0017381_624591.jpgそういえば、昨日は、この男が生まれた日でした。
秋のこの日に生まれたことを生涯、自らの宿命と
思い定めて詩を書き続けたウェールズ出身の男。
この男がいなければ、ボブ・ディランという名の
フォークシンガーはこの世に存在しなかったし、
ジョン・ケールの「ワーズ・フォー・ザ・ダイング」も
なかった。ハッピー・バースデ、、、、、、あ!
[PR]
by illcommonz | 2005-10-28 06:24
▼きみの母を犯し、父を刺せ、とイソザキは云った
d0017381_23424885.jpg
のっけから物騒なタイトルですが、
これは1969年に建築家の磯崎(新)さんが
建築雑誌誌に書いた文章のタイトルを借用したもので、
今日の午後、その磯崎さんから、このたび文庫化された
←この本を献本していただきました。

磯崎さんには、02年の「EXPOSE2002」展の時に
展示に参加させていただき、またその前後に二度ほど、
事務所とアトリエでそれぞれインタビューをさせて
もらったことがあります。たしか、そのときのお礼に、現在は版権が鹿島出版に
移ったため絶版になってる『建築の解体』の初版本(美術出版社版)をさしあげたら、
その返礼に「THE CHANGING OF AVANT-GARDE」という図録をいただくという、
本の交換があったので、それで今回もまたこうして本を贈って下さったのだと思います。
「きみの母を犯し、父を刺せ」と、かつてそう書いた建築家はなんと仁義に厚いことか。
(それにひきかえ、前にも書いた×××はその後も依然として招待券を(以下省略)…)

で、献本をうけたときの心得として、古井由吉が、本をもらったら、読む前にまず、
礼状を書け、本を読んでしまったら、その内容にふれないわけにはいかなくなり、
それで、つい気後れして、礼状を書きそびれてしまうことになるからだ、ということを
書いています (いま、その本が見つからないのでこの引用は正確ではありません)。
成程、卓見だと思いますが、しかし今はメールがあるので、本をもらったときは、
たいていその日のうちに読んで、読んだその勢いで、お礼のメールを書いて送る
ことが多い(といっても本をくれる知り合いの数はそんなに多くない)のですが、
今回の本の場合は、文庫になる以前にすでに単行本で読んでいたばかりか、
それ以前に、雑誌『へるめす』に「他者としての建築家」という題で連載されてた
当時から読んでいたものでもあるので、こういう場合はどうしたものやら、という
感じなので、ちょっと不精をして、このブログにて書いてみることにした次第です。
とはいえ、本文について書きはじめると、まるまる1週間くらいかかりそうなので、
今回の文庫本化に際して、新たに (ということは、つい最近) 書き加えられた
「現代文庫版あとがき」(第一刷発行日は10月14日) について書きますが、
その「あとがき」の最後のほうで、その「あとがき」のあとからはじまる解説文を
書かれてる岡崎乾二郎さんのことにふれながら、磯崎さんはこう書いてます。

「博打の賭場のようになってる世界の先端的な議論の場に、この国から、
アーティストとして切り込めるのは、この人ぐらいだとさえ思っている。
九・一一のような花火でなく、思考形式そのものが地すべりをおこす、
そんな事件に切り込むチャンスを待ちのぞんでいるような人で、
およばずながら、そんな仕掛けを私もねらっているのだが。
とはいっても、事件がおこれば、アーティストも建築家も
なくなっているにちがいない。そうなれば、それでいい」
磯崎新 『建築家捜し』(岩波現代文庫版)

この「博打の賭場のようになってる世界の先端的な議論の場」というのは、
現代美術の世界についてもそのままあてはまることで、磯崎さんが横浜
トリエンナーレのディレクターに就任した時に提案した最初のプランは、
グローバルな市場と連動した昨今の国際展のシステムに、まさに地すべり
をおこさせるような、そういう「仕掛け」として考えられたものであっただけに、
この「あとがき」を読んでいて格別の思いがありました。現にそのプランは、
もしそれが実現されたなら、そこでは「アーティストも建築家もなくなって」
しまうようなものであっただけに、それが廃案になってしまったことがいよいよ
悔やまれます(そのアンリアライズドなプランについてはこのインタビュー
「新潮」05年4月号などで読むことができます)。とはいえ、かつては、
アンビルド続きだった磯崎さんの1960年代の建築プランが、ここにきて、
次々と実現してきているので、それと同じように、いずれは、この早すぎた
脱構築的なプランが息を吹き返してくることになるでしょうから、その時が
きて、事件が起こるのを待ちのぞんでいますし、「自我と社会との諍いは
相変わらずつづいている」と書く作家のなかでは、今でもまだ「きみの母を
犯し、父を刺せ」という前衛のことばが生々しく活きているのだというのを
感じたそんな「あとがき」でした。ということで、本、ありがとうございました>磯崎さん
[PR]
by illcommonz | 2005-10-28 01:33
▼右側に席をとれ
・・・というのが、ゴダールの「ヌーヴェルヴァーグ」を観るときの
お約束なので、昨晩は上映がはじまる1時間近くも前に劇場に
着いて、開場と同時にピンポンダッシュし、最前列やや右寄りの
席をすかさず確保しました。てっきり、その席をめぐる熾烈な
争奪戦があると思ってたのですが、意外にも誰もそこに座ろう
としないので、ちょっと拍子抜けしました。

d0017381_4283927.jpg

で、どうして右側の席なのか、というと、ヌーベルバーグ時代の
ゴダールは、トリュフォーやリベット、ロメールなんかとおなじ
ヌーベルバーグ右岸派(セーヌ河をはさんで右岸に彼らの活動
拠点だった「カイエ・デュ・シネマ」編集部があったことに由来する
命名)に属していたからだ、という、おそらくは本当にただそれだけ
のパスティーシュな理由でゴダールは、この映画の全編を通じ、
(劇中に出てくるゴヤの「裸のマハ」に至るまで)被写体に対するカメラ
の位置を一貫して右寄りに据えつけているため、映画の中の大半
のシーンが、画面のむかって左側の奥に消失点がくるという、
いわゆる、右びらきの遠近の図になっていて、これを右寄りの席
(あるいは右寄りの位置)から左斜めの角度で眺めると、ちょうど
カメラアイとぴったり同じ視点になって、すこぶる画面の見通しと
見晴らしがよいからです。

d0017381_61662.jpg
ちなみに、参考までに、アマゾン・コムのレヴューを見てみると、
「『ヌーヴェルヴァーグ』は駄作だ、と私は思う。明らかに詩的
であることを志向しつつも、映画は観客に快楽を許さない。
この居心地の悪さは意図的なものか?」という記事があります
が、おそらくこのレヴュワーの方は、映画館で左側の席に座っ
たか、あるいは、ビデオの正面に座って見たせいで、居心地が
悪かったんじゃないかと思います。右側に座って見ると、これほど
見ていて見心地のよい映画はありませんし、しかも今回のように
爆音で観ると、文句なしの、音響映画の傑作だと思います。

d0017381_691841.jpg
で、ようやく、ここから本題ですが、爆音で観る/聴く「ヌーヴェル
ヴァーグ」は、誇張ぬきで、凄まじいものがありました。もともと
この「ヌーヴェルヴァーグ」と題された映画は、その題名どおり、
ヴァーグ(波)が映画の重要なカギとなってる映画なのですが、
爆音で観るそれは、寄せてはかえす波どころの話ではなく、
疾風怒涛のグラン・ヴァーグ、巨大な大津波のような猛烈な
ドラマに化けてました。一般に、物語のドラマティックな展開を、
「運命の波に翻弄されるがごとく」と表現しますが、この映画は
まさにそれを字義通りに映画化したもので、映画の終盤、
シェーンベルクの曲をバックに、波が岸辺に寄せてくるように、
それまで左から右へと静かに水平移動していたカメラが、
あるところでピタッととまり、そこから波が返してゆくように、
カメラが音と光と共に、右から左にリバースしてゆくシーンは、
何度も見ても背筋がゾゾゾッとするのですが、爆音で観ると、
そのゾゾゾゾゾッが、ゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾーっと
何倍にも増幅され、「海の波がすべて同じように現在も過去も
やがてひとつとなる」という言葉にむかって、そこから急展開
してゆくドラマの波にひきずりこまれていってしまいそうな
感覚を覚えます。これまではビデオを通して、もっぱらそれを
目と頭で理解していたのですが、今回はそれを耳と体とで
体験したような心地がしますので、この作品に関しては、
爆音と大画面の効果は絶大だったと思います。落雷のシーン
なんて冗談ぬきで、劇場全体の空気がズズズーンと震えて
ましたし、バンドネオンの音の洪水も凄まじいものがありました。
あと、この作品の中で一番好きな、金持ちたちの昼食会の席で
ウェイトレスがぶちキレて罵倒と呪いの科白を吐くシーンも
大音声で見ると、より感動的でした。もし、まだこの作品を
ご覧になってない方は、ぜひこの機会に劇場に足を運んで
みることをおすすめします。もちろんその時は、映像と爆音の
波を存分に浴びることのできる最前列右岸で。あと例によって、
R・チャンドラーの小説なんかからの引用が随所にありますが、
それはまぁ放っておくとして、最低限「太陽がいっぱい」だけは
見ておかれた方が確実に愉しめると思います。さらにいえば、
いっそのこと、ビデオかDVDで「ヌーヴェルヴァーグ」を先に
見ておいて、そのストーリーやからくりをある程度頭にいれた
上で、右側の席から見ると、画面右上に出る字幕が視界から
消えて、字幕に邪魔されずに、画面と音だけに集中して観る/
聴くことができます。そうやって見るとこれはかなりキますよ。
ともあれ、爆音と映像の波がおしよせる最前列波打ち際の
右側にキをつけろ」ということで、爆音ゴダールナイトは、
今週の28日(金)まで毎晩やってますので、ぜひ、どうぞ。
[PR]
by illcommonz | 2005-10-26 02:07
▼ソニ・マージュはソニ・マッサージである。
d0017381_15262065.jpg仕事が終わったら、今晩は、
これを聴きにいってきます。

爆音ゴダールナイト#1
ヌーヴェルヴァーグ
10月25日(火)-28日(金)21:00~
吉祥寺バウスシアター

イルコモンズ的には、ケティル・ビヨルンスタのハンマー・ピアノが全面的に
フューチャーされた「フォーエヴァー・モーツアルト」とか、「JLG/JLG」の
スラップスティック・シリアスコメディタッチの、抱腹絶倒のサウンドトラックが
好きなのですが、ディヴィッド・ダーリングが「どうだ、これでもか」と弾きまくる、
唸る重低音のセロを、そのへんの椅子や床や壁がミシミシといいだすくらいの
ポルターガイスト的大音声(だいおんじょう)で鳴らしたら、さぞや、好い
ソニ・マージュ(sonimage)ならぬ、ソニ・マッサージ(sonimassage)に
なりそうなので、お腹に低音がよく響くように、夕飯ぬきで聴いてきます。
もちろんけたたましい電話のベルや不吉な烏の鳴き声もいいです。
...........................................................................

d0017381_1664988.jpg ビヨルンスタの音はここで試聴できます。
「指圧の心は母ごころ、圧せば命の泉わく...」
というコトバのように、ときに強く、ときに穏やかに、
ビヨルンスタの指から圧しだされてくるモル状の
リトルネロが「ひでぶ、あべし.....」とツボ(と秘孔)に
ハマります。ここでチェロを弾いてるのがディヴッド・
ダーリングで、「Ⅱ」と「Ⅶ」は「アワー・ミュージック」
でも使われていたトラックです。ECM系の音楽は、
それだけ聴くと、ウィンダム・ヒル系のそれとかなり
紙一重なところがあるのですが、JLGは、決して
たれ流しにせず、つねに唐突に、しかもバッサバッサときりまくって、フラグメンタルに
使うので、そこが小気味よく、ちょうど好い指圧加減の、(音楽ならぬ「未遂の音楽」の)、
のマッサージになるわけです。
[PR]
by illcommonz | 2005-10-25 15:38