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いる・こもんず 【普通名詞】 01| ありふれて変なもの 02| 扱いにこまる共有物 03| 分けても減らぬもの 04| 存在とは常に複数で他と共にあり、狂えば狂うほど調子がよくなる
はじめに、ふた、ありき

イルコモンズ編
見よ ぼくら
四人称複数
イルコモンズの旗
(Amazon.comで
大絶版廃刊中)
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▼前衛詩としての憲法9条 ザ・ムービー
d0017381_3575465.jpgこの夏、東中野の「ユーガーデン」で上演した
「前衛詩としての憲法第9条」のムービー版が
できましたので、さっそく公開します、が.......
ごめんなさい、mpeg2 で439MBあります。
もともとこれはビジネスマンや大学研究者が
プレゼンテーションなんかに使うMicrosoftの
Power Point を酷使して、どれだけのことが
できるのか実験してみたもので、それを後から
DVで撮影して、mpeg に変換したものです。

そこまでは、なんとか自分でできたのですが、これまで動く映像をろくに扱ったことが
ない上に、アプリケーションも運動会や遠足のホームビデオを編集するような簡単な
ものなので、どうやれば、これをストリーミングできるくらいのサイズに圧縮できるのか、
全くちんぷんかんぷんでコマってしまいます。ということで、当面は439MBのものを、
アップしておきますので、高速ブロードバンド回線に繋がってる方のみDLしてください。
(ごめんなさい、そのうちナントカしますので)。なお「コモンズ」としての憲法にコピーライト
がないのと同様に、この「イルコモンズ」としての憲法詩にもコピーライトはありません。
もしあっても永久に放棄します。バックトラックはコピーライトのあるものを流用したので、
もしかすると権利の問題が派生するかもしれませんが、ただ、こういった方面のことには
理解のある音楽家(ビル・ラズウェルとマシュー・ハーバート)のものを使ってますので、
彼らのことを信頼して、このまま借用します。もしいつか連絡がとれれば、連絡します。

「前衛詩としての第9条(Article No.9 as Avant-Garde Lyric) ザ・ムービー」
(mpg2 439MB 9分12秒) 使用楽曲:"Turning Backward the Page of Articlez"
(Material "Downward"+The Matthew Herbert Big Band "Turning Pages")
*ポエトリーリーディングをボイスオーバーしたトラック(映像なし 12MB)はここで聴けます。

内容は見ていただければお分りの通り、米国政府が起草した憲法9条の英語原文を
Google の自動翻訳プログラムで日本語に自動翻訳したものからはじまって、次に、
第9条の日本語原文を英語に自動翻訳した後、それをもういっぺん、日本語に翻訳
したもの、そしてさらにそれを、フランス語、イタリア語、ドイツ語に自動翻訳した後に、
もういっぺんそれぞれを日本語に翻訳しなおして、前衛詩のように書き換えたものを
IBMのテキスト自動読みあげシステムで朗読し、それにバックトラックとグラフィック
イメージをつけたものです。これは憲法九条を改憲しようとする動きがあることをうけ、
それに先がけて、より前衛的でより実験的でより国際的な改訂(というより脱構築)
の試練にかけてみたもので、実験の結果、それがどんなにコワれた文章になっても、
それでもなお、この憲法9条が「戦争の放棄」を宣言しているものだということは読み
とれるということがわかりました。そもそも「戦争の放棄」というのは第九条のみならず、
現行の憲法全体の原理原則であって、この原理を損なうような改訂は改訂ではなく、
憲法の「破壊」であるというのを、前に読んだことがあります。誰かがそしらぬ顔で、
そういう致命的な破壊をしないように、先に破壊をデモンストレーションしてみたのが、
このポエトリーリーディングなのですが、第九条はなかなかダイハードでタフでした。

そして、このどちらかといえば「解体」(脱臼)の方に比重を置いた「脱構築」の後に、
それをもういっぺん「蘇生」(原点回帰)させる「脱構築」として制作したのが、この
ブログで公開した「新日本憲法第九条草案」です。なお、「前衛詩としての第九条」を
ポエトリーリーディングしたときのライヴ映像もあるので、いずれ時間があるときに、
それも編集してみるつもりです。その時はもう少し色んなエフェクトがかけられる
アプリケーションの使い方をおぼえて、サイズももっと小さいものにしますので、
今回はご勘弁を。またこれとは別に「ユーガーデン」というイベントのコンセプト
をマニフェスト化した「ユーガーデーン」という、同じく PowerPoint でつくった
ポエトリーリーディングもありますので、いずれこれも手分けしてムービー化します。
そうやってイルコモンズ工場の夜はふけてゆく....(求む、無給の温和な工作者)。
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by illcommonz | 2005-11-30 04:04
▼想像力よ、一歩前に、理屈は後からついてこい
(イルコモンズの「文化人類学解放講座」本年度最終講義録)

最後の二回の講義は、グローバリゼーションについての、様々な映画や
ドキュメント・フィルム、ビデオ・クリップ、インディペンデント・ムービー、
グラフィックなどを、DJのようにつなぎあわせながら見てゆくことで、
いままさにリアルタイムで進行しているグローバリゼーションの現状と
その最新の動向について知り、それについてアクティヴに考えてみたい
と思います。まずは「知ること」、それが行動の第一歩です。

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▼ザ・ブッシュマン・リターンズ

「"理性はいらない (NO REASON)" だって!? こりゃ、いよいよ
神さまたちは頭がおかしくなったに違いない(The Gods must be crazy)」
d0016471_21594171.jpg
*コカ・コーラのキャッチコピー「NO REASON, COCA-COLA」より

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▼法人企業の精神分析

d0016471_2236173.jpg・他人への思いやりがない。
・人間関係を維持できない。
・他人への配慮に無関心。
・利益のために嘘を続ける。
・罪の意識がない。
・社会規範や法に従えない。

【診断結果】完全なサイコパスです
(映画「ザ・コーポレーション」より)

(参考) 映画「ザ・コーポレーション」オフィシャルサイト
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▼新たな帝国(ネグリ+ハート)の惑星

d0016471_13452739.jpg#ムーアの悪夢 
「いま僕らは不気味な歴史の転換期に来ている。
やがて候補者は1人になり、政党は1つになり、
企業も1つになる時代がやってくる。そうなれば、
悪の帝国の幕開けで、行く先はひとつ..」
(映画「ザ・ビッグワン」より)

(参考) ネグリ+ハート『帝国』、スチャダラパー「帝国の影」
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▼グローバリゼーションの光と影

d0016471_13415030.jpg#グローバリゼーションのA面:
地球市民、多文化の共存、ひとつの地球に生きる
#グローバリゼーションのB面:
地球規模での貧富の拡大、資本主義の覇権、
ひとにぎりの人間だけが...
「グローバリゼーションは災厄だ」(メキシコの農民)
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▼貧富の惑星

d0016471_2087.jpgNLC監修 CRA制作
「ミッキーマウス、ハイチへ行く
ウォルト・ディズニー社の搾取のサイエンス」1996年
Mickey Mouse Goes to Haiti:
Walt Diseney and the Science of Exploitation.
カラー 17分

d0016471_23382144.jpgハイチの「低賃金工場 sweat shop」で
製造されているディズニーTシャツの価格と
アメリカの工場労働者の時給を聞いて驚く
ハイチの人びと。

しかし本当に驚くべきなのは、ハイチでの
時給(約US30セント)の方である。
d0016471_053183.jpg
ハイチのディズニー工場の実情を知って
「私たちは何をしなければならないのか?」
とチャールズ・カーナガンに問いかえす男性。


さしあたりまず、最初にしなければならないのは、そんな最低賃金
(どうにか死なずにただ生き(のび)てゆけるだけの額)で暮らさねば
ならない人びとの存在とその暮らしを想像することではないだろうか。

d0016471_0163437.jpg(参考) ジェレミー・シーブルック『世界の貧困』

(関連) ディズニーの著作権について
ローレンス・レッシグ「フリーカルチャー講義」
セクション2「ソニー・ボノ法(別名:ミッキーマウス保護法)」
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▼路上の子供たち

d0016471_0381290.jpgサンドラ・ウェルネック監督
「路上の子供たち」 1996年

「ブラジルでは、700万人の見捨てられた
子供たちが、路上で暮らしている。[...]
1990年だけで420人の子供が抹殺された。
d0016471_0383410.jpg
「彼らは、最低賃金で暮らすより、リスク
を犯してでも、太く短く生きることの方を
選ぶのです」
d0016471_0385184.jpg
「まず第一に、経済成長のなかでの所得
分配をより公平にすること」

................................................................
(参考1) ディアス&リートヴェーク「ディヴォーショナリア」

d0016471_103035.jpg1993年のヴィガリオ・ジェラウ事件、カンデリア事件
(ともに路上で生活する子供の虐殺事件)の翌年
から1995年にかけて、現代美術家のディアス&
リートヴェークは、ブラジルの「ファヴェーラ(スラ
ム街)」で暮らす子供たちと共同で「ディヴォーシ
ョナリア」という作品を制作し、ブラジル国内で展示
を行った。それから8年後の2003年に、そのプロ
ジェクトのドキュメントビデオを制作したとき、その
プロジェクトに参加していた約600人の子供のうち、約半数近くがすでに死亡して
いた事が分かった。「路上の子供たち」が制作されたのもちょうど同じ頃で、それから
10年が経過した現在、はたして、この映画に出てくる子供たちのうちの何人が生き
のびることができたのだろうか。ドキュメントフィルムと劇映画の違いは、そこにある。
劇映画の中の人物たちは、その映画が終われば、その役とは別の生活があるが、
ドキュメント・フィルムのなかの人物たちは、映画の後もその役を現実として生きな
ければならない。

(参考2) 映画「シティ・オブ・ゴッド」 「バス174」
前者はファベーラの子供たちの抗争を描いたギャングストーリー。後者は2000年に
起きたバスジャック事件のドキュメント、犯人の若者はカンデリア事件の生き残りだった。
---------------------------------------------------------
▼資本主義の惑星

d0016471_144419.jpgCRA制作 NLC監修
「グローバリゼーションの隠れた素顔」 2003年
The Hidden Face of Globalization.
カラー 34分
*バングラデシュのディズニーの「低賃金工場」
の労働者に取材したドキュメント・フィルム

.......................................................................
▼ひとにぎりの人びとの惑星

d0016471_1356595.jpg#企業という新たな帝国
#資本主義の惑星
「ディズニーのCEOのマイケル・アイズナーは1時間に
9,783ドル稼ぎ、ハイチの労働者は1時間に28セント
しか稼げない。アイズナーの時給を稼ごうと思ったら、
ハイチの労働者には、16年以上かかるだろう。アイ
ズナーが96年にストックオプションで得た1億8千
100万ドルで19000人のハイチ労働者とその家族を
14年間養うことができる」

#現実の世界(日常)をみすぼらしく、つまらないものに見せているのは何か?

d0016471_10333262.jpg一貫性のない大量のイメージ、誇張された描写、奇妙な創造物に、
民主的な詩人の作品が圧倒されてしまうことを、私はおそれる。
その空想的な脳の産物は、ときに現実の世界をつまらないものに
見せてしまうかもしれない (トクヴィル)

トクヴィルのこの予言は的中し、私たちはいま、それらに囲まれて
暮している。黄金に輝くアーチ、異常に美しく滑らかな看板、ウソ
くさいテーマパークをうろつくアニメキャラクター。こどものころ、
私はこれら奇妙な創造物のとりこになった。ニセモノの誘惑は
私の心をつかんで離さず、私は光り輝く完璧なウソの世界に
消えてしまいたいと思った。これはおそらくテレビの影響であり、
あまりにも早くディズニーランドに行ってしまったからであり、
ショッピングモールの影響でもあったが、ちょうどトクヴィルが
1835年に指摘したように、現実の世界は、これに比べて、
とてもみすぼらしく見えた。両親はしょっちゅう私を街から
連れ出した。カナダの大自然にふれさせ、家族とともにある
喜びを体験させようとした。しかし私はとくに感動しなかった。
5、6歳だった私は、マクドナルド、テキサコ、バーガーキング
などの人工的な看板が見えてくるのを車の中で首を長くして
待ち望んだ。私が好きだったのは、シェルの看板だった。
明るくて漫画のようで、もしこれに登って触れるならそれは
まるでテレビの世界のような手触りだろうと確信していた。
私たち兄弟は、ピカピカの箱にはいったファーストフードが
ほしくて、とまってくれとよく親にせがんだ。私がシェルの
看板に夢中になっていただけでなく、私の兄は6歳にして
テレビCMのジングルを覚える天才になっていた。両親は
そのバカな歌をやめろと本気で怒った。なぜそんなに怒る
のか私にはわからなかった。しかし、いまでは両親の痛み
がわかる。奮闘努力した末に、わが子をゼネラルミルズの広告をしてまわる子に
育ててしまったのだから。漫画やファーストフード店は、誘惑に満ちた声で子供に
よびかける。生身の人間である親がそれに太刀打ちできるはずがない。どの子供
も漫画の世界にふれていたい。だから、年間161億ドルの巨大産業となるのだ。

ナオミ・クライン「ノー・ロゴ」(邦訳『ブランドなんか、いらない』)より

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▼世界は売り物ではない
d0016471_253064.jpg
#マクドナルドのどこがいけないの?
*テキストはMcSpotlightのサイトを参照

#ジョゼ・ボベとラルザックによるマクドナルド破壊事件

【活動家ら3万人集結へ 仏のマック破壊裁判】
ホルモン肥育牛肉をめぐる欧州連合(EU)と米国の農産物
貿易紛争で昨年8月、フランス南部ミヨーのハンバーガー店
マクドナルドを「米国の象徴」として破壊、器物損壊罪などに問われたジョゼ・ボベ
被告(47)ら11人の公判がミヨー軽罪裁判所で30日、開かれる。「グローバリゼー
ション(経済の世界市場化)との闘争」を呼び掛けたボベ被告の主張は国境を超えて
共感を呼び、支援者らは「市場万能主義を問う裁判」と位置付けている。人口2万の
ミヨーに、昨年11月の世界貿易機関(WTO)のシアトル閣僚会議に匹敵する
3万人以上の活動家が集結する。弁護団によると、判決は7月1日午後言い
渡される予定。EUによるホルモン肥育牛肉の禁輸措置を違法と裁定したWTOと、
欧州産の高級農産物に高率関税制裁を科した米国に抗議するボベ被告ら中小
農家組合「農民同盟」のメンバーらは昨年8月12日、建設中のマクドナルドの
工事現場に侵入、柱や壁などを破壊した。その後も「フォアグラの国にホルモン
肥育牛肉はいらない」とのスローガンに賛同した農民らが全国約百カ所のマクド
ナルドで店内に肥料をまくなど「闘争」を拡大。ボベ被告は保釈後シアトルに渡り、
WTOに対する数万人規模の抗議デモに参加、「新しいフランス農民」として人気
を集めた。(共同通信 2000年6月29日)

d0016471_9323226.jpg
Indymediaによる
ジョゼ・ボヴェへのインタヴュー
(rm 805KB)
...........................................................................

d0016471_393328.jpg(参考1)
マティアス&クリストフ編
「ストリート・パーティ」.
(参考2)
モーガン・ スパーロック監督
「スーパーサイズ・ミー」2004年
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▼WTOなんか、いらない

d0016471_34937100.jpgフォーカス・オン・グローバル・サウス制作
「WTOのどこがあなたのためによくないのか」2003年
WTO: Why Is It BAD for You?
日本語版[前半部のみ] (wmv 9.0MB)


世界貿易機構(WTO)事務局長
マイケル・ムーア
...........................................................................

d0016471_42533.jpgフォーカス・オン・グローバル・サウス制作 2005年
「WTOのどこがあなたのために本当によくないのか」
WTO: Why Is It REALLY BAD for You?
予告篇(mpg 4.1MB) 本篇(dat 250MB)

d0016471_4233294.jpg(参考)C・スミス+D・オルマン+S・プライス監督
「ザ・イエスメン」 2003年 予告篇
「世界の低賃金労働収容所は現代の奴隷制である」
(WTO代表H・H・アンルー)

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▼アンチ・グローバリズムからグローバリズムを考える

d0016471_5174598.jpg#メディアを使ってグローバリズムに抗する人々

「バリーの見解」 サイモン・ロブソン
「コピーライト・クリミナル」 ケンブリュー・マクロード
「ノット・イン・アワ・ネーム」 ソウル・ウィリアムズ
「TV・ターン・オフ」 アドバスターズ

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▼世界の路上から

d0016471_4303684.jpg「路上は人びとが
最後にたどりつく、
行き止まりの場所となっている」
(映画「路上の子供たち」より)

d0016471_105686.jpgそして反撃は始まった....
「リクレイム・ザ・ストリート:ザ・フィルム」
「リクレイム・ザ・ストリート1998バーミンガム」
「インファーナル・ノイズ・ブリゲード」
「サウンドデモ 2003-2004」
「ミュータント・ストリートパーティー2004」
「ロンドン・クリティカル・マス2005」

「あるプラカードには「抗議運動は世界中で起こるだろう」とあった」
ナオミ・クライン「ノー・ロゴ」より
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【予告1】 抵抗の儀礼と文化のかきまわし

#国家に抗する社会 (ビデオ「サパティスタ」「山からの嵐」)
#帝国に抗する人びと (ビデオ「シアトル決戦」「キロメートル・ゼロ」)
#リクレイム・ザ・ストリート (ビデオ「路上の年」「Schニュース・アット・テン」)
#カルチャー・ジャミング (ビデオ「カルチャージャマーズ」)
#デモクラシー・ナウ (「DVD「これがデモクラシーというもの」)

d0016471_5543968.jpg

【予告2】グローバル・ウォーズの時代~野蛮はどっちか?

d0016471_11372076.jpgゴドフリー・レジオ監督
「ナコイカッツィ」2002年
音楽:フィリップ・グラス
ヨーヨー・マ-

BNF制作
「第4次世界大戦」 2004年
音楽:ムスリムガウゼ 
エイジアン・ダブ・ファウンデーション
[PR]
by illcommonz | 2005-11-29 23:14
▼2006年度文化人類学解放講座・予告篇
来年度の講義では、今年度の講義内容に加え、下記のトピックをとりあげます。
また、各種専門学校・短期大学等での一般教養過程科目での開講も可能です。

▼行動する人類学者(Activist Anthropologist)の系譜
d0016471_1293595.jpg
フランツ・ボアズ、マルセル・モース、ジュルメーヌ・ティリオン、キャサリン・ダンハム、
フランチェスカ・ボアズ、ゾラ・ニール・ハーストン、マヤ・デーレン、ミルナ・マック、
デイヴィッド・グレーバーなど
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▼グローバル・フィルム・スクリーニング
d0017381_1529329.jpg






[左] 兼高かおるの世界の旅(The World Around Us)
[右] すばらしい世界旅行
「こことよそ」「ベトナムから遠くはなれて」「ヴァンダの部屋」「路上の子供たち」
「ルアサッンブラージュ」「第四次世界大戦」「アザーファイナル」「軍隊を捨てた国」
「ミッキーマウス、ハイチへゆく」「トロブリアンドのクリケット」「戦場の女たち」
「100人の子供たちが列車を待っている」「サパティスタ」「そして人生はつづく」
「アララト」「イン・ディス・ワールド」など、海外の傑作ドキュメンタリーフィルムと
実際の事件や出来事にもとづいた劇作映画を見ます。
[PR]
by illcommonz | 2005-11-29 23:12
▼ハイジャックされた現実をリフレイムする
d0017381_23172594.jpg
いましがた「文化人類学解放講座」の本年度最終講義録のアップが終わったので、
ホッと一息ついて、どこかにダウンロードフリーのムービーがアップされてないかしらんと、
海外のサイトをあちこちみてまわってる途中に、CrimethInc のサイトに立ち寄ってみたら、
FORGET TERRORISM:The Hijacking of Reality というテキストを見つけました。
これはタイトルのとおり、911以後、いつ起きるともしれぬテロに対する終わることのない
警戒体制と、過剰なセキリティ意識の植えつけのせいで、僕らが生きてる現実が、すっかり
管理者たちにのっとられてしまっている、ということを指摘したもので、もうそろそろテロの
ことを忘れ、他者への信頼と寛容にみちた現実をとりもどそう、というポジティヴなものです。
また、このテキストは、今は亡きWTCが双子の亡霊のようにNYの街の上に暗い影を落とし
ている写真に The Shadow of the Past holds the Future Hostage (過去の
亡霊が未来を人質にとっている)
というヘッドコピーのあるポスターとセットになっていて、
非常によくできたソーシャル・ワークであり、また、パブリック・デザインだと思いました。
こういうよい仕事を見ると、ついこちらも何かしたくなって、何とはなしに、英文のテキストを
Google の自動翻訳プログラムにかけてみたところ、例によって、アヴァンギャルドな
詩のような文が生成されたので、プログラムが翻訳しそこねたいくつかの単語を補訳し、
誤訳は誤訳のまま活かし(例:It is up to us. それは私達次第だ それは私達までだ)
「私達」を「僕ら」に書き換えるなどして、ポエトリーリーディング用にリミックスしてみました。
で、これまた例によって、それをIBMのテキスト自動読みあげプログラムに朗読させ、
iTune にロードされている曲のなかから具合のよさそうなものを選んでマッシュアップ
したら、まるで、×××の×××があの世から何事かを語っているようなシャーマニック
なフローをもった、ポリティカルでポエティカルなものができました。下からダウンロード
できますので、下記に書き出したテキストを併読しながら、お聴きになってみてください。
いってみればこれは、ベンヤミンがいうような「あやうい作業」としての翻訳を通じて偶然
できた文(エクチュール)と音との偶発的なモンタージュで、それがつくるイマージュには、
計画的に創作することのできない不確定な何かが宿ってしまうようで、「エクリチュール、
この危険なるもの」という言葉でデリダが云おうとしてたことはつまり、こういうことなのか、
と少しだけそれが了解できたような気がします。

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「テロルの記憶をやりすごし、のっとられた現実を解放すること
~過去の亡霊から人質にされた未来をとりもどすこと」
[mp3 4.98MB 4分20秒]
(原詩:CrimethInc 改竄:イルコモンズ)

質問―すなわち、いまこそ、最終的質問。僕たちは、もう一度 Reframe する。この言葉、
いかに対立するか すべての生命、蝶番。それは、戦争への平和の質問。ただでない。
peace の十年、西への復讐を得る。死ぬ価値があった。現在の条件の下の新しい平和は、
さらにもっと反逆的であること。自殺の爆撃機の生成を説得するために。それは9月11日
の攻撃までだった。もう十分に、血を、導き。僕たちはイデオロギー間の対立として投げた。
これをできる。弾丸と爆弾が。立場に任意に雨が降る。間。僕たちの、より長い、しかし、
安楽椅子のクォーターバックであることを、することができなく、僕たちの支持された
チームかテーマを、他に対して支持する。僕たちのそれぞれが、僕たちの毎日の決定の、
グローバルな出来事と、いかに相互に作用しているか、僕たちが、僕たちの生命の....

つくる、何を、質問を。それはいつもあり、あっても、誰なのか、テレビか、それがどうした、
で、前述がある。死ぬか、殺すが、僕たちは、することができる。僕たちの反対者は、
反対者である。僕たちの努力を妨げる自分の限界、すなわち、のための、この質問を、
受け身の見物人たちの世界に覆うことは、恐怖と戦争によって、むしろ支配し、もっと
むしりとる、不公平の中の不公平を、訂正するために行動する。人と人との間の場所が
崩れ落ち、政治家とテロリストに正当化を、同様に提供してしまう。現実のハイジャック、
僕たちがそれを......

もうこれ以上の戦争、すなわち、もうこれ以上の搾取、すなわち、もうこれ以上の
テロがないことを、みんな知ってる。それは、私たちまでだ。

The question, now―the ultimate question, on which all life hinges―
is how 僕たち can once more reframe the terms of this conflict. It is
not question merely of peace versus war: the decade of peace that
led up to the 9月11日 attacks was sufficiently bloody to persuade a generation of 自殺の爆撃機 that it was worth dying to get 復讐 on
the West, and 新しい平和 under the current conditions would be
even more treacherous. Nor can we cast this as a conflict between ideologies: 僕たち cannot afford to be armchair quarterbacks any
longer, backing our favored teams or themes against others while
bullets and bombs 雨が降る randomly into the stands. 質問 is―
always is, no matter who is 死ぬか殺す, no matter what is said on television―what we can do ourselves, what we make of 僕たちの生命,
how each of us interacts with global events in 僕たちの毎日の決定.
Our opponents are those who would hinder our efforts and
obscure この質問 for their own ends, who would rather rule over
a world of passive spectators wracked by 恐怖と戦争 than take
a place among equals acting to correct the 不公平 that provide
justifications for 政治家とテロリスト alike.Everyone knows, if it were
up to us there would be no more 戦争, no more exploitation,
もうこれ以上テロがないことをみんな知ってる、それは私たちまでだ。
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by illcommonz | 2005-11-29 23:11
▼ブログの本懐
d0017381_13463090.jpg以前、左の本のことをこのブログに書きましたが、
その出版元であるフィルムアート社の編集の方が
それをご覧になられていたようで(やっぱり、悪い
コトはできません)、「アワーミュージック」の配給
会社の方を通じて、今朝がたメールがありました。

それによれば、単行本というかたちもふくめ、同社
の出版物に何か書かせてもらえるかもしれません。
今のところまだそれだけで、それが未完の絶版本
「見よぼくら四人称複数イルコモンズの旗」になる
のか、それとも「イルコモンズのふた」になるのか、
あるいは「イルコモンズ画文集」になるのか、それ
ともまた、これまでのように死産に終わるのか、


まだ、まったく未知数ですが、ともあれ、ブログからこういう話がもちあがってくるのは、
ブログの本懐だと思うので、それが雑誌であれ冊子であれ何であれ、何かになれば
いいなと、いまはそう願うばかりです。
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by illcommonz | 2005-11-29 23:07
▼今晩、家の庭で首を吊りますので、
d0017381_7551517.jpgご覧になりにいらっしゃいませんか....
という携帯メールが首くくり氏から届いたので、
土曜日の晩、国立に見にでかけて来ました。
やはり場所が変わると、ずいぶん見えかたが
ちがうものだな、と思いました。吹きっさらしで、
空気は冷たいし、時折、隣の人家から、物音
なんかもしたりして、なんとも云いがたい、
週末のアクションでした。
d0017381_8122492.jpg この晩は音楽がなかったので、頭のなかで、
 アルヴォ・ペルトの"Spiegel im Spiegel"
 脳内再生しながら見てました。こういう
 暮しと地続きの場での首吊りには案外
 合うように思います。ちなみにこの曲は、
 「若さ」「勇気」「思考」「記憶」「愛」「映画」
 など、いろいろなものどもの「最後の瞬間」を
  
d0017381_758079.jpg映像化してみせたゴダールの「時間の闇の中で」に
使われていた曲で、そこに「アワーミュージック」の
「地獄篇」でも使われていた"首吊りの樹"の映像が、
一瞬、映りこむので、それとの連想で思いついた
ものです。今回はヴィデオ撮影したので、いずれ
編集するときに、試しに合わせてみようと思います。
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by illcommonz | 2005-11-29 08:13
▼イラン映画が生き生きと輝いている理由
d0017381_16452071.jpgネットでイスラム圏の
サイトを検索してたら、
不意に見たくなったので、
今日は、これから
マジッド・マジディの
「運動靴と赤い金魚」

をみます。


キアロスタミの『友だちのうちはどこ』や、マフマルバフの『サイクリスト』のように、
イランには恵まれない暮らしの中で、たくましく生きてゆく子供たちを描いた映画が
なぜかたくさんあって、その中でも「運動靴と赤い金魚」は、特に好きな映画で、
マクマルバフがいうように、「イラン映画が生き生きと輝いている理由の一つは、
映画の中の子供の存在にある」、というのは、本当にそのとおりだと思います。

とはいっても、別に貧困がよいわけではなく、また、清貧を気高いとも美しいとも
思ってなくて、ただ、ジェレミー・シーブルックの『世界の貧困』のなかで、どこかの
お祖母さんがそう云ってたように「昔は、わずかなお金でも、これだけのことが
やれるのよってことが自慢になった」という、その感覚が今でも自分の生活と
物づくりのベースにあるので、それでたぶん、子供に限らず、ひとが知恵を
働かせ、いろんな工夫をしながら、貧しさや逆境に抵抗して、生き(のび)て
ゆく姿を描いた映画が好きなのだろうな、と、そう思った次第です。

-たとえば、デシーカの「ミラノの奇蹟」がそうですね。

そうですね。それに、考えてみれば、「わずかなものしかないところで、それを
使って何とかやってゆく」というのは、脱獄や移民を描いた映画にもいえることで、
そう考えてゆくと、結局、好きなのは、「レジスタンス」を描いたものかもしれないと、
ちょっと、そんな気がしてきました。

-子供たちが抵抗するといえば、ナチスの侵攻が始まった時代の旧ユーゴの
子供たちの抵抗を描いたブラニミール・ヤンコヴィッチの「抵抗の詩」はまさに
そんな映画でしたね。

ええ、あんな風に、子供たちが何かに抵抗する映画をご存知でしたら、ぜひ
教えてください。

-それに、考えてみたら、「アワーミュージック」も少女が抵抗する映画ですね。
「ヒア&ゼア こことよそ」にも、パレスチナの少女がダルウィーシュの抵抗の詩を
読みあげる場面がありますが...

あ、そうか、いまごろになって、ようやくそれに気がつきました、つまり好きな理由は
それなのかと...まさに知らぬは自分ばかりなり....ん、でも、ということは、もし何かの
まちがいで自分で映画をつくる/編集することになったときは、迷わずそれをつくれば
よいのか、なるほど、なるほど、そうか.....

と、四人称複数のイルコモンズ会議は、つづく。
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by illcommonz | 2005-11-26 16:48
▼ミフラーブとオリーブ
d0017381_16205968.jpg
来年、レバノンのベイルートに新設される
「中東研究所」のロゴマークをデザインする
仕事がまいこんできたので、さっそく、
提携する研究機関や現地の大学の
ロゴ・マークの色使いなどを調べて、
ミフラーブをモチーフにしたものと
オリーブをモチーフにしたものの
二種類のマークをデザインして、
プレゼンシートにまとめりました。
かかった時間は約40分でした。
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by illcommonz | 2005-11-26 16:44
▼第二回「アザーミュージック」講義
d0017381_22311889.jpgイルコモンズの「アザーミュージック」講義
第二回目の分(4~5頁)がアップされました。
第一回目の分(1~3頁)にも加筆修正を行い、
映画で使われた曲を試聴できるようにリンクを
追加しましたので、ご覧いただく場合は、
お使いのブラウザで、リロードしてご覧下さい。

#次回の更新は来週の週末の予定です。

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[追記] この講義の謝礼として、プレノン・アッシュさんから講演料をいただきましたので、
それでようやく念願の、ゴダールの『映画史』のDVDを手に入れることができました。
(といっても、Yahoo Auction で中古を落札したのですが....)。なにしろそれまでは、GAUMONT社から出てたコピー・ガードのかかったVHS版を、家庭用にダビングした
ノイズだらけのビデオ(下記図版参照)で見てたので、まるで別の映画を見るようです。

ちなみに講演で上映したムービーはそのノイズまみれのビデオの中で何十秒かに一度、
ノイズの暗雲がパァーッと晴れて陽がさしたようにキレイに映る瞬間があるので、そこを
ピックアップしてつなぎあわせたものでした。もっとも、そうでもないと、あの長大な映画を、
2分ちょっとに圧縮することなんてできないので、これは怪我の功名でした。

d0017381_153032.jpg ←野獣派の絵画のような
壊れた色調の『映画史』。
でも、これはこれでまた
おもしろいです。
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by illcommonz | 2005-11-26 14:31
▼宙吊り体験の贈与(ギフト)
d0017381_12391689.jpg舞踏家の土方巽はかつて「暗黒舞踏」を評して、
「舞踏は命がけで突っ立ってる死体である」と
そう云いましたが、昨日、東京経済大学の
粉川氏の「身体表現ワークショップ」で見た、
首くくり栲象(たくぞう)氏(*元・古澤栲)の
「首吊り」は、明らかにそれとは異質なもので、
舞踏のようでもあれば、演劇のようでもあり、
しかしそのどちらでもないそれを、はたして、
どう考え、どんな言葉にすればよいのか?

それは「命がけで宙吊りになってる亡霊」だろうか?それとも「死に方を忘れて宙に
浮いてる何か」だろうか?とか、そんなことを考えあぐねながら、約一時間あまりの
実演を「見る」、というよりは「目撃」し、それに「立ちあう」というグランギニョルな
体験をしてきました。 [#上の写真を拡大してよくみる]

舞台ではまず首くくり氏が、首くくりの赤い紐の下をゆっくりと、まるで亡霊のように徘徊し、
突然、地面の上に倒れたかと思うと、すぐに立ちあがり、それから、きわめてあっさりと、
首くくりがはじまりました。その長く静かな首吊り (約10分間くらいか?)が続いている
あいだは、まるで、時間が停止してしまったかのように感じました。

そして、再び時間が動きはじめたのは、それまで宙吊りになっていた脚が、すぅぅぅっと
うしろにむかって反りかえり、踏み台に使ったテーブルの上に静かに着地してからで、
それまで見えなかった苦悶の表情が顔にうっすらとあらわれ、いま・そこにある衰弱
したナマの身体のふるえや痙攣が、首にかけた紐を通じて天井の梁を、カタカタカタ....
カタカタカタ...と震わせはじめたところからです。それはまるで、死を前にした人間の
ふるえのようであり、つまり、ある見方をすれば、これは、時間の流れを「逆転」させた、
ある個人の再生の劇(亡霊→首吊り→再生)として見ることもできなくはないのですが、
しかし真の見どころは、そうした死の淵からの「再生」の物語や、死の逆転劇による
「生」の肯定ではなく、首吊りの「あいだ」なるものによって、「宙吊り」にされてしまった
世界とその宙吊りの「体験」そのものの共有ではないかと思いました。

というのも、その首吊りの「あいだ」なるものには、何の悲劇のドラマもなければ、
また何の情念も感傷も、ブルースもメランコリーもなく、おそらくは、記憶すらなく、
その「あいだ」なるものは、首をくくった者の存在とそれを見る者の思考を共に
喪失(蒸発?)させ、存在や思考の流れを、一種の「停止状態=宙吊り状態」に
してしまうだからで、いわばそれは、日常世界のなかにポッカリ、と口をひらいて
世界の「裂け目」のようなものです。

首くくり氏の「首吊り」は、「絶叫」や「跳躍」のような一瞬のスペクタクル劇ではなく、
クライマックスのない一種のプラトー状態のなかにそうした「裂け目」をつくりだし、
それを一定の緊張状態のなかで、持続的に垣間見せてくれるもののように思いました。

聞けば、もともと、この首くくりは、モーリス・ブランショの読書体験をきっかけに、
はじめられたものらしく、そのブランショやデリダが、自分たちの書くテキストが
完全に「読解不能」になるかもしれないという危険を承知の上で、それでもなお、
危険な「賭け」として「文」に挑み、テキストの上で一度ならず演じてみせてくれた、
あの文学と哲学の「宙吊り」状態を、首くくり氏は、自分の肉体が「再起不能」に
なるかもしれないことを承知の上で、それを首吊りの試練に晒し、その危険な
「賭け」によって、その時・その場限りのものとして出現する世界の「宙吊り」と
その体験を、惜しげもなく、そこで贈与してみせてくれていたように思うのです。

それは、もしこういってよければ、演劇や芸術や哲学にいまの狂いはじめた世界を
変えることはたとえできないとしても、それを「宙吊り」にすることならできるのだ、
ということを、自らのナマ身の身体を賭けた、具体的な行動でもって示してくれた
ように思うのです。

それはまた、かつて赤瀬川原平が、自分が生きている世界を構成する様々な
生活用品を次々に梱包して封じ込め、最後に世界をまるごと一個のカンズメの
中に封印する、ということをアートとしてやってみせてくれたことども思い出させる
ものです。

それにしても、まさか大学の講義で、こんな体験をすることができるなんて、
まったく思いもしませんでした。しかも、聞けば、石黒くんのパフォーマンスが
突然キャンセルになったため、その代案(代補?)として、この日の「アクション」
(*首くくり氏による定義)が決まったのは、なんと前日の夜中のことで、現場の
下見やうちあわせなどなにもせずに、いきなり本番という、ほとんどインプロ
ヴィゼーションに近いかたちで行われたものだそうです。

この日の「アクション」のバックで粉川氏が、絶妙の音量で流していた noto
(a.k.a. カーレステン・ニコライ)のグリッチ・ノイズ(おそらく「20 to 2000」)は、
首くくり氏の「アクション」に、一定の持続的テンションを与え、クライマックスのない
「宙吊り」のプラトー状態を演出するものとしては、おそらくこれ以上のものはない、
といえるくらいの抜群の効果をあげてました。粉川氏がビリー・ホリディの
「奇妙な果実」(リンチで樹に吊るされた黒人を"果実"に喩えてうたった怨歌)を
ひきあいにしながら指摘していたように、首くくり氏が行う首吊りの「アクション」は、
ルサンチマンやブルースを感じさせない非常に「コンセプチュアル」なものなので、
たとえば同じグリッチ系でも、フェネスやステファン・マシューでは叙情的すぎて、
まず合わないだろうし、パンソニックではややテンションが足りない気がするので、
noto を選んだのは、大正解だと思いました。また、首吊りを終えた首くくり氏が
舞台から姿を消した後、ほぼ完全暗転させた暗闇の奥のPAから可聴範囲スレスレの
ほとんど耳には聞こえない爆音の重低音が、その音のない音圧と振動をズズズズン
と鳴り響かせていた数分間は、「宙吊りになった時間」がまるで木霊(こだま)のように
エコーバックしてきたようで、これにはかなりゾッとしました。

この首くくり氏の「アクション」は、それを行う場所や環境によって、その見え方や
そこで起きることが、かなり違ってくるように思いましたので、また機会があれば、
ぜひ、それに立ち会ってみたいと思いました。

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[追記1] そして、当然のことながら、この「首吊り」の「アクション」は、飴屋(法水)さんの
「バ  ング  ント」での「アクション」との類似性や相違点を思わせずにはおかないもので、
「パフォーマンス」や「イベント」という薬にも毒にもならないような見世物が氾濫するなか、
薬と毒のどちらにもなり得る劇薬(ファルマコン)性をもった、ヘタをすれば「事件」や「事故」
にもなりかねない「アクション=行動」が再び息を吹き返してきているのを感じました。

[追記2] この日の「アクション」については、粉川さんも「シネマノート日記」のなかで、
「彼の公演のなかでは最高の部類に属する」と評されてますので、そちらもご覧ください。
■2005年 11月 25日「首くくり栲象のパフォーマンス」

[追記3] そのスジではよく知られているように、イルドーザーの石黒くんには、誰にもマネの
できない天賦の才能として、約束の時間に猛烈に遅れ、あらゆる〆切を無効にし、プログラム
を解体するというアクショニストとしての資質があり、サウンドデモを一緒にやっていた時から、
「もし今度また生まれ変わるなら、石黒くんになりたい」とそう思ってました。考えてみれば、
今回の「アクション」も石黒くんのアグレッシヴなドタキャンがなければ実現しなかったもので、
現実の社会生活のどまんなかに、本来の意味での「イベント」や「ハプニング」をつくりだす、
石黒くんのクリエィテイヴなドタキャンの「アクション」に感謝します。
[PR]
by illcommonz | 2005-11-26 12:51