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いる・こもんず 【普通名詞】 01| ありふれて変なもの 02| 扱いにこまる共有物 03| 分けても減らぬもの 04| 存在とは常に複数で他と共にあり、狂えば狂うほど調子がよくなる
はじめに、ふた、ありき

イルコモンズ編
見よ ぼくら
四人称複数
イルコモンズの旗
(Amazon.comで
大絶版廃刊中)
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▼不倶戴天の敵・国内候補ナンバーワン
d0017381_19424712.jpg
姜尚中氏の福岡応援に石原知事反発「怪しげな外国人」
「五輪の国内立候補都市を巡り、石原慎太郎・東京都知事が、福岡市の応援演説をした
姜尚中・東大教授に激しく反発、「怪しげな外国人」などとかみついた。姜教授は演説で
「金持ちの、金持ちによる、金持ちのためのオリンピックで、世界に勝てますか」
と東京を批判。すると、続く東京側のプレゼンテーションで石原知事が「さっき、どこか
外国の学者さんが東京は理念がないとおっしゃっていた。何のゆえんだかわかりませ
んが」と発言。その後の祝賀パーティーのあいさつでも「怪しげな外国人が出てきてね。
生意気だ、あいつは」などと述べた。姜教授は在日韓国人2世で、熊本で生まれ育った。」
(朝日新聞 06年8月30日)。
--------------------------------------------------------------------------------
[追記1] 「ひとのことをバカだというものがバカだ」と小学校でならったので、
かわりに、このうたを大きな文字でうたう。

NOと言える男、太陽の季節に生まれた、
NOと言える男、弟の兄にござります
NOと言える男、いじわるばあさんの後釜
NOと言える男、勝ち目のあるケンカだけする
NOと言える男、世間知らずのボンだから
NOと言える男、小物らしく弱者をたたく
NOと言える男、神の国ならボスだけど
NOと言える男、くさった男のなれの果て


ソウル・フラワー・ユニオン 「NOと言える男」

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[追記2] 「そう云いたい気持ちはわかるけど、言論にたずさわる者として、
そういう野卑な言説はなるべく控えた方がいい。朱に交われば赤くなるの
譬えの通り、ばかにかまうとばかが伝染るよ」という訓示を頂きましたので、
下記のとおり訂正してお詫びはしません。

【誤】「ばかちん!」
【正】「拝啓、都知事さま、あなたのあたまはどうかしてると思います。敬具」

--------------------------------------------------------------------------------
[追記2] これに気をよくして次の都知事選にも出馬するそうだけど、
もしまかりまちがって、オリンピックのときまで都知事をやってたら、
また開会式とかで、ここぞとばかりに、暴言はくんだろうなぁ。。。

[追記3] ということで、「バカと云えるこども」になりたい。
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by illcommonz | 2006-08-31 19:46
▼イルコモンズの「みんなのうた」
「TWO PUNKS」 (うた: THE MODS)

虚ろな街に風が吠えぬける
俺たちはアスファルトの上 
転げおち

もう真夜中だ 何をすればいい
押し合いへしあい 地下鉄にもぐる

いつものうす汚れた小屋へ行き
俺たちはうたった 朝までうたった
ひと切れのパンを 腹におしこみ
ぐったり地下室で 横になる

もう朝六時だ 家を探さなくちゃ
俺たちは実際 金がなかった
ポケットの中には キラリとナイフが
さあ、歩こう 街は眩しすぎる

どうにかしてくれ
ハマー・スミスに電話しよう
男がやってきて切符をくれた
「2か月以内に決めな、小僧」
そう言いやがる

でも、その行く先は
俺たちには似あわない

TWO PUNKS しばられて
TWO PUNKS 見はられて
TWO PUNKS 逃げられない

俺の女は目に 涙を浮かべてた
「いつまで続けるの、ねぇ」
そう言いやがる

そんなこと俺にも わかりゃしねえよ
でも、もう列車には乗り遅れた    ←ここと

俺たちは乗ることができなかった
俺たちは乗ることができなかった
俺たちは乗ることができなかった
俺たちは乗せてもらえはしなかった ←ここがすき

TWO PUNKS しばられて
TWO PUNKS 見はられて
TWO PUNKS 逃げられない
TWO PUNKS 見はられて
TWO PUNKS しばられて

TWO PUNKS にげまくれ
すすめ TWO PUNKS
オリンピックなんか、
やらなくて結構。
山笠で十分

........................................

d0017381_71929.jpgお金なら今だって持ってないし、
列車にも乗ったことがない (ははは)。
だいたいいつも乗りそこねてばっかりで、
乗せてもらったことは、ない。
でも、福岡生まれのパンク育ちは、
マルタイラーメンとこの歌があれば、
だいたい世界中どこでも生きのびてゆける、
と思って、はや20余年。イルコモンズになって
幾歳月。近ごろますます、これは、だいたい、
まちがってなかったと思う、今日のこのごろ。


この「だいたい」さが福岡生まれの強みと旨み。思へば遠くへ来たもんだ。多分、
これからも列車には乗せてもらえそうにないので、いつかこの自転車に乗って、
自力で帰ってきます、母上さま、イルコモンズ....と、今日のブログには、そう
書いておくことにしよう、のどの痛みに浅田飴。せきには龍角散。
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by illcommonz | 2006-08-31 07:31
▼明日の神話の原画と壁画はちがう
d0017381_3525371.jpg
と思いました。以下の作文は、いまから1年半くらい前に、原画(=下絵)について
書いたもので、壁画についてはまた別のことを感じましたが、それについては、また、
「明日のブログ」で。

ちなみに「明日の神話にまけぬくまの子くーまん」は、下の作文のエッセンスを
こどもでもわかるように物体化してみたもので、現代の絵画のひとつである、
携帯画面をつかった、オルタナティヴな批評のようなものです。
........................................................................................

 岡本太郎の「明日の神話」・・・・・・・・・・・・・・・イルコモンズ
 「前衛なき戦中美術所縁の荒事十八番ノ手帖 其の九(2005年)」より

●この連載もそろそろ一年になるので、このへんで一区切りつけて、しばらく休みを
とろうと思うんだけど、どうだろう。

■「荒事十八番」も半分まできたことだし、悪くない考えだね。じゃ、前半の最後は、
岡本太郎の話でしめることにしよう。

●先月号の音楽欄で、一九六七年に制作が中断されて以来、「未完の最高傑作」
として神話化されてきたB・ウィルソンの「スマイル」が、三十七年目に遂に陽の目を
見て、ツアーが行われたという話があったけど、その同じ年の一九六七年から
三年がかりで制作され、完成した後、結局一度も陽の目を見ることなくそのまま
三十五年間ずっと行方不明になってた岡本太郎の「幻の最高傑作」が今まさに
蘇ろうとしてるね。

■原爆の巨大なキノコ雲の下で核の炎に焼かれる人間と被爆した第五福竜丸を
描いた「明日の神話」だね。被爆から六〇年目の今年、この再び見出された壁画を、
メキシコから日本に移送するというプロジェクトが目下進行中で、青山の岡本太郎
記念館でいまちょうどその下絵の展示をやってるけど、これは何としてでも実物を
この眼で見てみたいものだね。

●幅三十五メートルというから、縦にしたら「太陽の塔」のちょうど半分くらいの大きさの、
かなり巨大な壁画だね。

■もともとこの「明日の神話」は「太陽の塔」と同じ時期に手がけられたもので、
「太陽の塔」と対をなす作品だといわれてる。現に六七年に撮影された大阪万博の
ニュース映画では、「明日の神話」の下絵と「太陽の塔」の模型づくりを同時に進め
ている太郎の姿を見ることができる。いってみれば、太郎は、片方の手で、万博という
国家の祭典のシンボルとなる「太陽の塔」をつくりながら、もう片方の手で、「明日の
神話」を人知れず描いていたというわけだ。モダンな建築が建ちならぶ万博会場の
どまんなかを突き破り、「人類の進歩と調和」という、これまたモダンなテーマを
豪快に笑いとばしてみせた「太陽の塔」がアポロン的な反博作品だとしたら、
「明日の神話」の方はディオニュソス的だね。

●「太陽の塔」が人間の生命の根源であるマザーネイチャーとしての「原色の太陽」を
讃えるものだったのに対し、「明日の神話」は人間の生を根こそぎ奪いとるデーモン
としての原爆という「黒い太陽」を直視させるものだから、この二つの作品は単なる
対ではなく、対極的な緊張関係にあるものだ。太郎が五〇年代に書いた「黒い太陽」
という文章の中に「黒い太陽に矢をはなとう、そして赤いカニをしとめなければならない」
というフレーズがあるけど、核の放射能に汚染された暗黒の空と海とを引き裂いて、
画面いっぱいに真っ赤な炎を走らせた「明日の神話」はまさにそれだね。

■その同じ文章の中で太郎は、今日は「実験的に太陽をつくりだした時代」だと云い、
それによって太陽に対する神秘や感動が失われたという。だから自分は「幻想的に
太陽を神話化する」のであり、「暗い、やきつく光を持った―黒い太陽」を「克服」し、
「身体いっぱいに新しい太陽を作り出すこと」、そして、それによって「価値観念を
根底的に逆転」させることが「芸術の課題である」とそんな風に書いてる。
「明日の神話」はいわばこのマニフェストに真正面からとりくんだ大作で、太郎の
作品には「太陽の塔」のように太陽をモチーフにした作品が多いけど、その中でも
ずばぬけて強い強度を持ったこの作品がこうして再び、幻ではなく現存する作品
として回帰してきたいま、太郎の最高傑作はこの「明日の神話」ではないかと
僕はそう思うんだ。

●最高傑作かどうかはさておき、ある意味、集大成的な作品であることは確かだね。
太郎が「黒い太陽」という文を書いたのは五六年なんだけど、この同じ年、太郎は
「死の灰」という原爆を主題にした作品を描いていて、さらにその前年、つまり、
第五福竜丸事件の翌年にあたる五五年には「燃える人」という作品を描いてる。
この作品には血ヘドを吐く第五福竜丸やキノコ雲の目玉がすでに登場していて、
この絵の構図がほぼそのまま「明日の神話」の右側半分の構図として引き継がれ
ている。一気呵成に絵を書きあげることの多かった太郎の作品の中にあって、
「明日の神話」に限っては、その下絵が何種類もつくられているということなどからも、
この作品が太郎にとって相当に手強い相手だったことがわかるね。

■ついでにいうと、太郎が「黒い太陽」や「燃える人」を発表した時期というのは、
「アウシュビッツ以後、そして、ヒロシマ以後、詩を書くことは野蛮である」という
アドルノの有名なテーゼが記された『プリズメン』が刊行された時期とちょうど
重なっていて、アドルノ的理性が超克不可能なものとして立ちつくしてみせた、
その同じ時期に太郎は、そうした「現代的ニヒリズム」こそ「克服しなければ
ならない」と書いて、やがて「明日の神話」へとたどりつく暗く危険な道に踏み
出している。理性の醒めた目からすれば、まさに「野蛮」にほかならないような、
そうした危険な賭けに太郎をつき動かしたのは一体何だったのだろう。

●まず一つには「平和」とは与えられるものではなく、「闘いとる」ものだという
考えが太郎にはあったようで、太郎はこう書いてる。「原爆がサクレツした
という事実と平和の問題とは言うまでもなく別個の秩序である。平和運動は
あの激しい現実をみつめたところから始まる。それは戦争よりもっと積極的に、
強烈に闘いとるものなのだ」「ヒロシマ'63」

■この「強烈に闘いとる」という姿勢は「明日の神話」の中心で文字通り火ダルマ
になりながら、しかし死に物狂いで踊ってる骸骨の図に最もよく現れてて、
その立ち姿はどこかしら「殺すな」の文字や「戦士」の絵を思わせるものだし、
さらにその燃え上がる骸骨の灰色の骨によって照らし出された世界の図は、
かつて太郎が交流を結んだバタイユの次の文章と強く交感しあってるように思う。
バタイユはこう書いてる。

 「私が、ある瀕死の存在の、恍惚として憔悴しきった顔を、それを変貌させる
 ひとつのヴィジョンの中に思い浮かべるとすれば、この顔から放射されるものが
 空の雲を照らし出しているというものがそれで、その灰色の微光は太陽それ
 自体の輝きよりも深くモノに浸透する力を持つようになる。この表象の中で死は、
 照らし出す光と同じ性質を持つようになる」。

●つまり「明日の神話」は、原爆の「激しい現実を見つめる」ものであると同時に、
その圧倒的な悲劇をそれとは何か別のものに変貌させる強烈なヴィジョンの
闘いであって、まさに岡本敏子が指摘しているように、それは「ただ惨めな、
被害者の絵ではない」ということだね。

■そう、原爆という最悪のものを相手に死のダンスを踊る骸骨は現代のディオ
ニュソスであって、人間の生を最も強く照らし出す「死を前にした歓喜」のうちで
死と生とがぶつかり合い、新たな分裂生成の魔術が起きるその瞬間を
描きとったのが、太郎の「明日の神話」だと思うんだ。

●悲惨、残酷、絶望、苦悩、狂気、「それに耐えながら、あえて前進するところに
デーモニッシュなたくましい創造がある」と太郎はどこかでそう書いてたけど、
「明日の神話」は、このデーモニッシュな力から生まれたものにほかならず、
それは矛盾に直面するたび思考を停止させてしまう硬直した理性を矛盾の
束縛から解放してやる起爆力を含んでいる。岡本敏子は「明日の神話」を
評して「画面全体が哄笑している」と書いてるけど、「哄笑」とは「死を前に
した歓喜」が発する破裂音のさえずりだ。誰もが知ってる太郎の有名な
言葉に「芸術は爆発だ」というのがあるけど、太郎の作品の前に立つ時、
その画面から鳴り響いてくるのはガーン!とかバーン!といった騒々しい
音ではなく、持続する小さな爆発の連鎖が奏でるリトルネロの方なんだ。
いいかえればそれは、花火のようにパーッと開いてサーッと閉じてしまう
ものではなく、開いたまま永遠に閉じることのない開放状態の爆発であり、
決してやむことのない哄笑だ。

■その感じは太郎の遺作となった、そのものズバリ「哄笑」と題された彫刻を
見るとよくわかるね。古代の洞穴を思わせる無彩色の土管にはいくつもの
穴があって、火や風や光や音が自由に通りぬけることのできる開放された
空間になってる。そんな風にあらゆるものを受け入れ、そしてあらゆるものが
通過していった後の抜け殻のような作品について太郎はこう書いてる。

 「これは笑っている人間です。あまり愉快そうでなく、苦しがっているようです。
 しかし、この笑いと苦悩は矛盾していないのです。真の喜悦、嘆喜は苦しみに
 近いし、また反対に苦悩は残酷な喜びと交錯しています。これが人間精神の
 本質です」。

これを読むと「哄笑」は「明日の神話」で「死を前にした歓喜」を放射していた
あの骸骨のその後の姿であり、それはまた太郎自身であったように思えてくる。

●かつてヨシダ・ヨシエは、丸木位里・俊の「原爆の図」を背負って巡回展示を
やったけど、そんな風に「明日の神話」が運び人を見つけ、僕らの目の前に
現れることを願ってる。(了)

*岡本太郎の「明日の神話」展は東京・南青山の岡本太郎記念館で4月4日まで
開催中(←とっくに終わりました)

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[追記] 今回公開された「壁画」については、イルコモンズのともだちの
東谷(隆司)さんが、キュレーターの目でみたプロフェッショナルな論評を
mixi に書かれているので、ぜひ、そちらをご覧ください。壁画の前で
東谷さんの目が"分裂"し、評価が"矛盾"してるところがすごくいいです。

岡本太郎「明日の神話」
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=208675702&owner_id=898215
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by illcommonz | 2006-08-31 03:55
▼明日の神話にまけぬくまのこ
d0017381_13122746.jpg明日が「明日の神話」の公開最終日なので、
明日の夕方、みにゆこうと思っていたら、
明日は何やら特別イベントがあるらしい。
そういうイベントがあると何かと不自由なので、
今日のうちに見ておいた方がよさそうなのだが、
さっきから雨がふりだしてきて、思案のしごころ。
*左の画像はイルコモンズの携帯電話の
待ち受け画面。「明日の神話」に描かれた
原爆の"死の雲"の前を、赤ちゃんクマの
くーまんが「でふ~でふ~」と幼児語を
しゃべりながら、でんぐりがえりしたり、
おしりをふったりして、いったりきたりする
対極主義の図。以下の解釈をもとに作成。

「中心に燃えあがる骸骨の背後にも、シルエットになって、亡者の行列が小さな炎を噴きあげながら無限に続いてゆく。その上に更に襲いかかる凶々しい黒い雲。悲劇の世界だ。だがこれはいわゆる原爆図のように、ただ惨めな、酷い、被害者の絵ではない。燃えあがる骸骨の、何という美しさ、高貴さ。巨大画面を圧してひろがる炎の舞の、優美とさえ言いたくなる鮮烈な赤。にょきにょき増殖してゆくきのこ雲も、末端の方は生まれたばかりの赤ちゃんだから、無邪気な顔で、びっくりしたように下界を見つめている。外に向かって激しく放射する構図。強烈な原色。画面全体が哄笑している。悲劇に負けていない。あの凶々しい破壊の力が炸裂した瞬間に、それと拮抗する激しさ、力強さで人間の誇り、純粋な憤りが燃えあがる。」(岡本敏子)
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by illcommonz | 2006-08-30 13:38
▼しごとちゅう
d0017381_1945757.jpgいま、来月の展覧会のために、
1万7千枚の写真を一枚づつ
チェックしてて、両眼と両手が
ふさがってますので、それが
終わったら(終わるのか?)←おわった。
つづきを書きます←疲れて書けません。
←いま、目の下にこいつがいます。
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by illcommonz | 2006-08-29 19:43
▼たたかうごはんと抵抗食とK.C.D.C.
d0017381_4235248.jpgこないだここにコメントをいただいた、
旅と食の文筆家で翻訳家の
にむら(じゅんこ)さんが、
この本について、こんなふうに
書かれてます。

「世界のひとたちがもっと、
一緒にゴハンを食べていたら
もっと、地球は平和になっていただろう」


「9.11以降の世界ではグローバリゼーションが急速に進展する一方で、民族間、宗教間の
闘争が激しさを増しています。(...) ここに来て、フランスでも移民の人々の文化背景などを
尊重すべきという「多文化主義」の考え方が台頭しています。 多文化主義の考え方に
「メルティング・ポットからサラダ・ボウルへ」というメッセージがあります。異質なものを
あえて一体化させるよりも、異質なものたちの個性を生かすことで活力を生み出していこう
という考え方です。世界中の人々が同じような食べ物を口にするのを強制するのではなく、
それぞれの文化背景の下で、培った食事(=スローフード)を一緒に食べ、おいしいと感じる
ことができれば、世界はもっと平和になっていたかもしれません。エスニックフードは、
「闘うご飯」です。食のグローバリゼーション(=画一化)という暴力から、自分たちの
食べ物を守るという闘う遺伝子としての食を追いかけ、私なりの「異文化食べまくりガイド」を
作ってみたつもりです。」
................................................................................

エスニック・フーズがグローバリズムの食の暴力と「たたかうごはん」(←こどもでも読めて、
口にしやすいように、ひらがなにしました)だというところは、うん、まったくそのとおり、だと、
思いました。これまで、このブログではあまり「たべもの」の話を書いてきませんでした
(例外はこれこれこれこれくらいです)が、いろいろ勉強+実践して、もうそろそろ
何か書け/できそうな気がしてきたので、これから時々、たべもののことを書くことにします。

いわゆる「衣食住」というのが人間の暮しの根本だということは、こどもでも知ってることで、
終戦後、花森安治が、もう二度と戦争に奪われたくないもので、これをないがしろにする
ところから戦争が始まると考え、「暮しの手帖」で一貫してとりくんできたのが衣食住でした。
花森は「暮しの手帖」を創刊するときに、社長の大橋(鎮子)さんに、こう云ったそうです。

d0017381_630413.jpg 
「今度の戦争に、だれもかれもが
 なだれをうっていったのは、
 一人ひとりが自分の暮しを
 大切にしていなかったからだ」。
 (花森安治)


この春、世田谷文学館で、「花森安治と暮しの手帖」展をみた時、改めて思ったのは、
「暮しの手帖」が教えてきた、自分の手でつくる、誰にも奪われたくない、かけがえの
ない大切な暮しこそ、ひとが戦争に反対するための最大の根拠だ、ということでした。

だからこそ花森は、終戦後のまだモノのない時代に、誰でも自分で簡単につくれる
直線裁ちの服をデザインし、拾ってきた廃品でインテリアをこしらえる方法を考え、
おいしい弁当やたのしい献立のつくり方を「暮しの手帖」で継続的に紹介し続けて
たわけです。というのも、そもそも「衣食住」とはイベントや流行ではなく、日々の
人間の生存のスタイルなので、この継続性がとりわけ大切なわけです。

そして、1970年代の高度成長期に始まって(マクドナルド一号店ができたのは
1971年)、80年代のバブル・エコノミーの時代には、ほぼその包囲網が完成し、
そして90年代になって、ついにその全貌を現しはじめた「グローバリゼーション」が
根こそぎ奪いとろうとしているのが、この「衣食住」とその「文化」にほかなりません。
この衣食住の文化への「グローバリズム軍の侵攻と占領」については「見よ ぼくら
四人称複数 イルコモンズの旗(WEB版)」
に書いているので、省略しますが、
その直後に出版された「ONE NO, MANY YES」という本で、キングスノースは、
ブラジルの「土地なき人たち」の運動(MST)をとりあげ、グローバリゼーションと
たたかう上での大切な原則のひとつが、「食の志向性」であることを指摘し、
MSTのメンバーであるネウリ・ロセッタの次のことばを紹介しています。

d0017381_6334392.jpg
この本は、近藤真理子さんの
読みやすい訳で、日本語でも
読めるようになったので、
日本語版(『ひとつのNO!
たくさんのYES!』の中から
その該当箇所を抜粋して、
引用します。


「どの国にも自国のために食物をつくる権利、つまりどうやって栽培し、何を
育て、何を輸入したり輸出したりするかをj決める権利があるのです。食物は
単にトレーニングシューズや自動車のような商品ではない。それは社会が
成長し、生き延びてゆくためのものなんです。食物の志向性というのは重要な
原則です。だから、農業はWTOをはじめとした全ての自由貿易の条約から
除かれるべきであって、自分たち独自の文化や需要に基づいた農業モデル
を決めるべきなんです」。

ただし、農業にたずさわっていない僕らは、これをこのまま読んでもあまりピン
とこないところがあるので、次のように書き直して読むといいかもしれません。

「誰にでも自分のためのごはんと献立をつくる権利、つまりどうやって材料を
調達し、何をどう料理し、何を食べたり食べないかを決める権利と自由がある
のです。食物は単にTシャツやCDのような商品ではない(もちろん株券でもない)。
それは人が成長し、生き延びてゆくためのものなんです。食物の志向性と
いうのは重要な原則です。だから食物は、ファーストフードをはじめとした、
外食産業からとりもどされるべきであって、自分たち独自の生き方や健康に
基づいた、たたかうごはんと献立のメニューを決めるべきなんです」。

実際、政府や企業の都合で、狂牛ビーフ・シチューや遺伝子改造コーンポタージュ
スープみたいな、見えない/見せない爆弾を、自分の口や胃のなかに撃ちこまれて、
自分の脳みそやこどもたちの舌を破壊されるのはごめんなので、それと、たたかう
ごはんと献立が必要ですし、僕らのまわりには、すでにそれを実践してる女子たち
ひとたちがいます。「抵抗食の会」というのがそれで、以下はそのマニフェストです。

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d0017381_6251717.jpg抵抗食の会(仮) vegan food collective

抵抗食の会(仮)では、(一)に、手作りの食い物を
選択することによって、当たり前に「食」を規格化/
商品化し、その過程で様々な労働の搾取を行う
コンビニ食やファーストフード食など、利益優先の
資本主義「食」システムに抵抗する。

(二)に、敢えて肉を使わないという選択の中に、世界の貧困に苦しむ人々と、戦争に
反対するという表現を含んでいる。資本主義、世界の貧困、環境破壊、石油など資源の
過剰消費(→戦争)に対する「抵抗」である。ここで喰らうこと、意識することによって、
一時的にでもこの選択、今、ここで食べる瞬間に日常にある私たちの「抵抗」がある。
奴らのイメージを壊す。反戦・抵抗の手段として。喰らえ!(祈るな!)

食うことは権利だ、特権ではない。
食うことは表現だ、日常における抵抗活動。
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この「抵抗食の会」は、3ピースのパンクバンドで(メンバーのひとりは、以前、
T.C.D.C.にも参加してくれました)、こういうロングステイのストライキイベントで、
おなかをすかせた参加者たちに、たべものやのみもの(お酒もあり)の提供を
してくれるとても貴重な存在です。次回の東京でのイルコモンズ・アカデミー
では、この「抵抗食の会」のひとたちに、アカデミーの「給食当番」をやって
もらえないかと打診していますので、どうぞおたのしみに。

で、絵に描いたモチが食えないのと同様、たたかうごはんと献立は、自分の
手を動かして実際に料理し、それを毎日、食べてこそのものなので、今回は
イルコモンズがほとんど毎日あきずに食べてるエスニック・フーズを紹介します。
これがそうです。

d0017381_6452913.jpg

誰でもどこでも簡単につくれる「きのこと納豆のたまごかけ麦ごはん」です。
イルコモンズの生まれはQ州なので、本来は、とんこつラーメンや明太子が、
いわゆるソウルフーズなのですが、それは自分では簡単につくれないので、
それにかわる東京での第二のオルタナティヴ・エスニック・フーズとして、
あみだしたのがこれで、ほとんど毎日あきもせず、これを食べています。
栄養学的にはどうなのかわかりませんが、膵臓があまり丈夫ではなく、
人より少し血糖値が高いイルコモンズの体質と健康には合ってるようで、
おかげで来年厄年ですが、身長166センチメートルで体重47キログラム、
おなかは1ミリもでてないし、髪の毛もつやつや、三日徹夜で仕事をしても、
ピンピンしてます。材料は、麦ごはんと納豆、しめじ、まいたけ、山菜の
のたまり漬け、それに海苔とすりゴマとカツオ節と玄米です(玄米は、
玄米茶に浮かんでるあれをお茶屋さんから分けてもらってます)。
つくり方は、ただひたすら混ぜるだけ。まぜればまぜるほどおもしろい
ほどおいしくなる、それだけがコツです。あと、これをベースにして、
お好み焼きをつくってもいけます。できあがりは、にむらさんが書いていた
メルティング・ポットとサラダ・ボウルを一緒にしたような感じのもので、
とりあえず日本人以外の口にはあまりあわないエスニック・フーズですが、
日本人以外でも食べれなくはないはず(ちなみに知り合いの豪州人は
こわがって一口も食べれなかったです。これは食べる前にかき混ぜたのが
失敗でした。上の写真はかき混ぜる前で、かきまぜるとすごいですから)。

それはさておき、「たたかうごはん」と「抵抗食」のことを書いていたら、
だんだん元気がでてきて、T.C.D.C.をもういっぺん再結成するとしたら、
今度はこういうのがいいなぁと思い、アイデア・シートをこしらえてみました。
募集チラシとステッカーと宣伝コピーとロゴマークまで一式そろってます。
あえてこれ以上の説明はしません。これをみて直感的に、なにかピンとくる
ものがあったら、mixi のイルコモンズ宛てにご連絡ください。ただし本当に、
おんなこども限定です。(画像をクリックして拡大して見てください)

d0017381_7252510.jpg
[参考1] 解散したT.C.D.C.の公式サイト
[参考2] CrimethInc の "Resistance is Fretile" (フリーダウンロード可)
[参考3] A Punk Vegan Cookbook パンクの献立集
[参考4] FOOD NOT BOMBS のサイト
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[追記1] mixi にK.C.D.C.のコミュニティつくりましたので、こちらを活用してください。
ただし、こちらも「おんなこども限定」で、考えてみたら、イルコモンズも、K.C.D.C.の
正式メンバーにはなれないので(今ごろ気がついた。。。)、あくまでこのコミュニティの
管理者として、ご相談その他に応じます。

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ザ・K.C.D.C.コミュニティ

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by illcommonz | 2006-08-27 07:30
▼ACADE-MIXの時代はいつ来る?
d0017381_913142.jpg「研究者の不正行為、全国55大学で学術会議が調査」
研究費の不正使用や論文データのねつ造・改ざん、
論文の盗用など研究者の不正行為が、ここ10年で
内部的に問題になった大学は、全国55校にのぼる
ことが、日本学術会議の実施したアンケートで明らか
になった。(...) 不正行為の疑義があった大学は、
10.2%にあたる55校。問題化した例は71件あり、
69%にあたる49件が、その後の調査で「実際に
不正があった」と認定された。49件のうち、研究費
の不正使用が24件で最も多く、次いで論文盗用の
15件だった。(読売新聞 8月26日)

盗用が認定された15件と、認定されそこなったその
他の論文のなかには、クリエィティヴな盗用とか
脱構築的な改ざんがあるのかもしれないけど、もし、
そうじゃない単なる書き写しだったら、そういう研究者は、
なるべく急いでクビにしてあげた方がいいと思う。
他人が考えたり書いたりしたものを、ただ写すだけの作業はひどく退屈だし、屈辱的で、
精神的にもよくない。それに、そういう人は、2日も3日も眠らずに夢中になるようなものを
自分で見つけてきて、自分で考え、自分で書くという、そのおもしろさを見失ってしまったか、
忘れてしまっているので、そんな時にものを考えたり、つくったり、書いたりしろ、ということ
の方がよっぽど酷だと思う。そういう時はすこし休むか、違うことをやった方がうまくいく。
もっとも、大学の外じゃツブシがきかないだろうから、非常勤講師に降格してあげるとよい。
で、そのかわりにイルコモンズを雇うとなおよい。なにしろ、よく働く。自分の業績とアリバイ
づくりのためだけの研究なんか放りだして、朝から晩まで、月曜から月曜まで、毎日毎日、
イルコモンズ・アカデミー概論Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ、Ⅳ、イルコモンズ・アカデミー特論Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ、Ⅳ、
イルコモンズ・アカデミー演習Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ、Ⅳ、イルコモンズ・アカデミー実習Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ、Ⅳ、
イルコモンズ・アカデミー合宿春・夏・冬の連続。なんなら現代美術とデザインも教えるし、
文化人類学解放講座なら得意中の得意。これだけ講義をすれば研究する暇もないので、
研究費が要らない。研究費がないから不正使用もない。月給だけで結構。自分の研究は、
ないがしろにして、講義と教育に夢中でうちこむから、文部科学省の「教育重視」の指針
にもぴったり。しかもポスターでもチラシでもパンフでもリーフでも頼まれれば何でもつくる
ので(ただし入試問題は除く、これは無理)、研究成果の社会的還元と情報開示と広報が
求められるこれからの大学経営にはもってこい、だと思うんですが、、、、、、依然として、
採用してくれる大学がないですね、ことしも不採用通知だけがⅠ・Ⅱ・Ⅲ、Ⅳ...(以下省略)。

d0017381_9582875.jpgイルコモンズ・アカデミーが
大学のアカデミーになる日は
はたしてくるのだろうか?
大学教育がリミックスされる
時代はくるのだろうかと、
案ずるよりは横山やすしで、
イルコモンズ・アカデミーの
旅はつづく。


京都のアカデミーは9月22日(金)になりそうです。確定したらまたお知らせします。
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by illcommonz | 2006-08-26 10:06
▼恩讐の彼岸
d0017381_19143090.jpg「おぼれたイスラエル人助け死亡=パレスチナの青年」
21日付のイスラエル紙「マーリブ」は、テルアビブ
南方のビーチで先週末、パレスチナ人の男性が
おぼれたイスラエル人を助けようとして、死亡した
と報じた。死亡したのは東エルサレム在住のアヘド・
タミミさん(24)。親族とともにビーチを訪れていた
タミミさんは、イスラエル人の10代の若者4人が
おぼれ、助けを求めていたのを聞いて救助に向かった。

おぼれた4人のうちの1人、デニス・ニハエフさん(15)は「我々が助けを呼んでいる
のを聞くと、迷うことなく海に飛び込み、こちらに向かって泳いできた。そして、私の
手をつかむと、陸まで連れて行ってくれた」と振り返った。タミミさんは引き続き、残る
3人を助けようとして海に戻ったが、強い流れに巻き込まれ、間もなく波間から姿が
見えなくなった。3人は、何とか無事に陸に戻ったという。タミミさんのおじのアシュ
ラフ・タミミさんは「決して泳ぎはうまくなかったが、躊躇することなく助けに行き、
自分の命を代償にした」と語った。
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ほんの2カ月前には、ガザのビーチではこんなことがあったというのに.....

「ガザ虐殺―空爆・暗殺で約20人死亡」
ガザでこの8日(木)と9日(金)に、イスラエル軍による空爆が相次ぎ、計20人が
殺害され、負傷者は50人を越えている。(...) 9日夕方の海岸への空爆では、
ピクニックに来ていたパレスチナ人の家族らが被害を受け、6ヶ月と1歳半の
子どもとその母親、十代の少年など、10人前後が殺され、40人以上が負傷した。
当初イスラエル軍は、関与を否定。しかしすぐに、民間人殺害となったこの空爆が、
イスラエル海軍の艦船からの砲撃によるものであったことを認めた。
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やっぱり、裸で、海で、矛盾したことを、と思った。(そしてやっぱり国はいらない)

かたや、政府はこう云うが、

「世界で紛争や人道的復興支援、災害派遣の要請があった場合、政府の
判断で国会の承認を得ながら機動的にすばやく対応できるように、一般的な
法律(恒久法)を作っておくことが望ましい」(額賀防衛長官)

そんな国の判断や承認を待ってたら、国に足をひっぱられて、おぼれ死ぬ。
それに、軍隊なんかなしでも、裸ひとつでできる海や山の人道支援もある。
そんなに、海外で活動したけりゃ、そういうかたちで貢献すればいいのに、
そういう発想はできないらしい。
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by illcommonz | 2006-08-25 19:31
▼・・・・○oドッテンかい?
d0017381_18311927.jpgさよならプルート....


「冥王星を除外 賛成多数で最終案採択」
チェコのプラハで総会を開いている国際天文学連合
(IAU)は最終日の24日、全体会議で惑星の定義案を
議決、1930年の発見以来76年間、第9惑星の座に
あった冥王星を惑星から降格する最終案を賛成多数
で可決した。太陽系の惑星は一つ減って8個になった。




そんなに数がたくさんあるわけじゃないんだから、惑星の仲間は、ひとつでも多い方が
いいじゃん。「矮小惑星」っていやな名前だなぁ。冥王星が地球から何万光年離れて
るのか知らないけど、太陽系の最果ての、あんなに遠くにいるのに、それをわざわざ
つまはじきにすることないじゃん。仲間はずれにすることないじゃん。小さくて丸けりゃ
いいじゃん。いじめか?だいたい天文学のくせして、了見がせますぎないか。人類が
はじめて冥王星を発見したときの感激とかよろこびを想像することができないのか?
定義にあわないからって....そもそもその定義がせますぎるからじゃないのか。これ
だから、定義ってきらいだ。定義は排除と差別のシステムだ。なりそこね、あぶれもの、
おちこぼれを生む元凶だ。だいたい、いつからそんなに偉くなったんだ?宇宙のG8
のつもりか?相手が大きすぎて話にもならないが、誰も云わないだろうから云っておく。

地球のばか!

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[追記] あはは、冥王星からのこんなメッセージがありました
「冥王星の言い分~惑星にだって感情はある」

おもしろいので、Google で自動翻訳したものを抜粋して掲載します。
サウンド・トラックもつけます。エヴァンゲリスの「コスモス」のテーマです。

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「プルートはこたえる~惑星、ある感じが、余りに」 by プルート

そこに私はあり、すべての他のような日曜日の、ちょうど回りを回る。私の自身のビジネスを気にする。私は行く。多くの氷が得られた。大気の私の小さいビットを得た。私は涼しかった。そして、何人かのガンコ頭、彼らは考える。「生命」を過すので、とても熱いことを。私がもう惑星でないことを決定した。それと何があるか。私の生命はある、と同時に、十分に懸命にある。最初にすべての、それは私が日曜日のまわりにラップをすることができる、ここに実際に、孤独に。それから私の名前がある。私はあり、他のだれでもなしで。十分に幸せが、私を言うことを許可し、私に名前を与える。何百万のも年月のあいだ、たぶん、十億を均等にしなさい。私はその名前。私が考えを有した。それの"うなる犬"のように、なんと犬、それからあったか、感じなかった。 しかし私は、自分自身に先んじて得ている。私は複雑な心境を有した。マイクロウェーブによってだった。「死」の向こうに神を聞いた。私はやっと「生命」だったが、私が死によって蹴られた、生命のバット。一年中知っていたもの、知っていた。しかし私は、私の軌道から、ほぼ私が飼い犬を調べたときに、ころんだ 突然プルートははかわいく、愛らしい何かであり、全然堅くないですか。脅す。私は屈辱を与えられた。惑星に感じあり、余りに、知っている。そう、私がこの惑星の事をいかに取っているか想像できる。連合によって涼しく見ることを試みるために、私と時を過ごすのが常であったネプチューンは、私にもう話さない。私はそれを取ることができない。太陽系は私が持っている唯一の家族である。そう、すべてのためにこれを。私はプルート。読んでいる人類は立場を取っている。私はここにいる。私は球である。それに慣れなさい。

ということで、イルコモンズも冥王星の名誉回復を要求する。

エッジワース・カイパーベルト連れて、かえってこーーーい (太陽系の家族より)

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[おまけ] 「占いスーグ」のカンナさんの談話
「占い師によって違うが、占星術では冥王星は恋愛運であったり、金運だったり、対人関係を見る必要なアイテム。冥王星が惑星から外れれば、すでにこの世に誕生した人には1つのアイテムが減るだけで影響はないが、これから生まれてくる人を占う場合、冥王星の代わりに新しい星を加える占い師も出てくるだろう」
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by illcommonz | 2006-08-25 18:37
▼無題
d0017381_18262226.jpg(原文ママ・無修正・改行なし・画像なし) 
「日常生活のなかで抑圧したものが夢に出てくる」という有名な話があるが、あれは本当だと思う。ぶっつづけでデザインの仕事をした後にみる夢は、どことなく構図がヘンで、色調も狂っていて、字のまちがいとか、辻褄の合わないことがやたらと多い。もともとデザインというのは(とりわけモダニズムのデザインは)、世の中にどうしようもなく生まれてくる、まちがったかたちのものや、おかしな色のものを、かたっぱしから排除し、きれいさっぱり片付けてしまう残酷で非情な作業だ。夢におかしなものや変なものがたくさん出てくるのは、おそらくそのバチがあたってるのだと思う。因果応報である。ところで、昨日みたのは「戦場の夢」だった。見知らぬその街にある建物は、どれもこれも構図が変なのだが、それもそのはずで、空爆で破壊されつくされてしまっているので、そもそも構図というものが存在しないのだ。風景や景観が完全に破壊されてしまっていて、ここでは空の色までがおかしい。どこを向いても一面むらさき色の空で、マゼンタの量がおおすぎるのだ。この戦場は「アザー・ミュージック」のヴィデオににでてくるファタハの拠点の旧市街にどことなく似ているのだが、その土地の名前がどうしても思い出せない。あとで調べておこう。その廃墟のような街に、ひゅうぅぅうぅぅぅんという空気を切り裂く音がして、猛烈なスピードでミサイルが飛んでくる。ところが、なぜかそのミサイルが水平に飛んでくるのだ。水平に飛んでくるミサイルなんてきいたことないが、実際に飛んでくるのだから仕方がない。誰もそれに驚かないので、ここではそれがあたりまえなのだろう。一体どういう仕組みなのか分からないが、とにかくそのミサイルは、定規で線でひいたみたいに、まっすぐこちらに飛んでくる。弾道が放物曲線を描かないのだ。まっすぐな弾道はモダニストの夢だ。またしても「悪魔の発明」がなされたのだろう。とはいえ、ここにはもう破壊するものなど、なにひとつ残ってないので、ミサイルはビルの3階くらいの高さをひゅんひゅんとただ通り過ぎてゆくだけだ。たまに、木かなにかに命中するらしく、遠くのほうでミサイルが着弾し、どーんと破裂する音がする。もし、なにも命中するものがなかったら、このミサイルは一体どこまで飛んでゆくのだろうと思った。ふと気がつくと、小さな人形が地面の上に倒れていて、そのそばにこどもが落ちていた。この表現は適切ではないが、どうみてもそんな風にしか見えなかった。その子どもには外傷らしきものがどこにも見あたらないが、しかし確実に、まちがいなく死んでいた。うつぶせになっているので顔はみえない。かたや人形のほうはまっくろ焦げになってるのに、まるでそれに気づかないように笑ってた。そこへ黒い服を着た老婆が通りかかり、こどもの手と足をとってポーズをつけてやり、またそのままどこかへ歩いていった。そのポーズのおかげで、その子どもは行き倒れて野垂れ死にした人のようになった。いかにもニュースや報道写真むきの構図だ。何度も戦争を生きぬいてきた老婆はたくましい。そういえば、あの老婆は人形にはまったく見むきもしなかった。人形は人間のイメージでしかなく、実物とイメージを混同したりしないのだ。そのあいだにも、ミサイルがひゅんひゅんと飛んでくる。そのたびに突風が起こり、砂ぼこりが舞う。砂ぼこりが渦をまくので、どうやらミサイルは回転しながら飛んでくるらしい。しばらくしてサイレンが鳴りはじめた。するとそれを合図にミサイルがやめ、それきりぱったりと飛んでこなくなった。話があべこべのような気がするが、とにかくミサイルが停止した。砂ぼこりがおさまると、むらさき色の空がまた気になりだした。この空の色は補正が必要だ。すると急にパッと空の色が変わり、ただしい空の色になった。セルリアンブルーの空だ。そこではじめて半透明のツールボックスが宙にうかんでいるのに気づいた。どうやらこの世界は編集できるらしい。その瞬間、パソコンのモニターを通して戦場をみている自分に意識がセット・バックした。木造の古い家でなにか宿題のようなものをやってるようだ。庭ではセミが鳴いていて、縁側の廊下を紺色の服を着た祖母が花瓶を持って通りすぎていくのが見えた、が、祖母はもう20年以上も前に亡くなっているので、インターネットのある世界に祖母がいるのはどうも変だ...と思っていたら、突然、祖母が消えてパソコン画面の上のアイコンになった。しかも球体の3Dアイコンで、マウスオーバーするとイルカがでてくる。「イコンとアイコンを一緒にするな、ばかウィンドウズ!」と怒った拍子に目がさめた。ついさっきまでミサイルがとびかう「戦場にいた」のに、それがいまはこうやって何事もなく、家で寝ているのが、なんだか妙に不思議に思えた。生きてるのがなんだか不思議な気がしたので、もうすこし寝て、起きたら、この歌をきいてみようと思い、水を一杯飲んでから、また寝た。(速記者:イルコモンズ)

[補記] これは夢の話なので支離滅裂ですが、なにしろ夢なのでそのへんは仕方ありません。なおしたいところはたくさんありますが、今回は編集ぬきで、夢でみたまま、夢のなかで思ったまま(夢のなかでも理屈っぽいなぁ)、目がさめて書きとったままにしておきました。で、いままたこの歌をきいてたら、ふと「海にいきたいなぁ」と思いました。考えてみれば、東京に来てからまだ一度も海をみたことがないことに気づきました。太郎の壁画がある汐留には、海があるんでしたっけ?
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by illcommonz | 2006-08-25 18:30