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いる・こもんず 【普通名詞】 01| ありふれて変なもの 02| 扱いにこまる共有物 03| 分けても減らぬもの 04| 存在とは常に複数で他と共にあり、狂えば狂うほど調子がよくなる
はじめに、ふた、ありき

イルコモンズ編
見よ ぼくら
四人称複数
イルコモンズの旗
(Amazon.comで
大絶版廃刊中)
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▼こどもたちにもっともっともっと映画を
d0017381_1975322.jpg「人生は映画だ」と思うので「映画100本ノック」。
せめて、これくらいは見てから、それから死ぬ
ことを考えてほしい。「死ぬな、生きろ」とは云わ
ないが、死ぬにはまだはやい。一生かかっても、
みきれないくらいの映画があるし、映画はまだ
これからもつづく。映画をみても、世界はなに
ひとつ変わらないが、世界の見えかただけは
変わる。何かがちょっと変わる。そして、もし、
映画を愛してしまったら、もう、おしまいだ。
死ぬまで生きるしかない。ということで、
ノック開始。
..................................................................................................

▼「映画100本ノック(おもに子供むけ)」
"生きることは苦しいが人生は美しい、苦しみと戦う人生こそ美しい"(映画のことば)

「トリュフォーの思春期」「動くな、死ね、蘇れ」「小さな恋のメロディ」
「裸足の1500マイル」「りんご」「暴力脱獄」「抵抗」「素晴らしき哉、人生」
「火垂るの墓」「ガープの世界」「無防備都市」「群集」「ミラノの奇跡」
「運動靴と赤い金魚」「大地のうた」「汚れなき悪戯」「仁義なき戦い」
「抵抗の詩」「ライフライン」「シティ・オブ・ゴッド」「サイクリスト」
「ブッシュマン」「ドイツ零年」「肉弾」「石の婚礼」「街の灯」「生きる」
「エル・トポ」「十二人の怒れる男」「泥の河」「ミツバチのささやき」
「ダンサー・イン・ザ・ダーク」「マイライフ・アズ・ア・ドッグ」
「ゆきゆきて神軍」「いちご白書」「天国からきたチャンピオン」「恐怖の報酬」
「ダンボ」「大人は判ってくれない」「カッコーの巣の上で」「わんわん物語」
「ブラザー・サン・シスター・ムーン」「バグダットカフェ」「大脱走」
「バニシングポイント」「ゾンビ」「悪魔の追跡」「道」「ディアハンター」
「ロンゲスト・ヤード」「昭和残侠伝・死んで貰います」「恋する惑星」
「プロミス」「わらの犬」「コヤニスカッティ」「天国は待ってくれる」
「ファイヴ・イージー・ピーセス」「がんばれベアーズ」「さらば青春の光」
「木靴の樹」「赤ちゃんよ永遠に」「フィツカラルド」「ジョーイ」
「アルジェの戦い」「レイジング・ブル」「麻雀放浪記」「アニマルハウス」
「ニューシネマ・パラダイズ」「冒険者たち」「屋根」「アメリカの友人」
「アラバマ物語」「レオン」「網走番外地」「少林サッカー」「路上のこどもたち」
「いまを生きる」「コンボイ」「日本侠客伝・関東篇」「ブルースブラザーズ」
「ドント・ルックバック」「アワーミュージック」「スティング」
「無法松の一生」「セックスピストルズ」「パラダイス・アレイ」
「ダウンタウン物語」「ハスラー」「ローラーボール」「ひとりぼっちの青春」
「ベルリン天使の詩」「トレイン・スポッティング」「ドラゴン怒りの鉄拳」
「メリーポピンズ」「トゥルー・ロマンス」「自転車泥棒」「ピアニストを撃て」
「そして人生はつづく」(つづく)
...........................................................................................

この映画をみせずに死なせられるか。ねぇ、淀川さん。

d0017381_19124569.jpg『日曜洋画劇場40周年記念
淀川長治の名画解説』DVD

世の中には、こういう映画の後見人が
必要だと思う。特にこどもには、こういう
映画狂いのじいさんが必要だ。それも
毎週日曜日の夜9時から必要だ。
この解説をきかずに死ねるか。ということで、
ちっとも安息できずに安息日がおわった。
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by illcommonz | 2006-11-19 19:20
▼こどもたちにもっともっと映画を
d0017381_9193922.gifヴィターリー・カネフスキー
「動くな、死ね、蘇れ」(1989年)
(ZAMRI, UMRI, VOSKRESNI)

この映画もみたほうがいいと思う。
理由は、みればわかると思うが、
みたら、ことばをなくすと思う。
死なせたくないと思うと思う。
生きのびさせたいと思うと思う。
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by illcommonz | 2006-11-19 09:51
▼こどもたちにもっと映画を
d0017381_5281317.jpg「ジュリアンほどではないが先生も不幸だった。早く大人になりたくて仕方がなかった。大人は何でも出来る。不幸なら、よそへ行って新しい生活も出来る。子供には許されない。子供には自由がない。不幸だから親を捨てるなんてことは出来ない。子供は不幸を親や大人のせいに出来ない。大人に許されることが子供には許されない。実に不当な仕打ちだ。このような不正と闘わなければならない。世の中は変わっていくが、すぐには変わらない。政府は何事にも妥協しないと言うが、実際には色々な圧力に妥協ばかりしている。みんなの要求が強いと何かが変わる。そのことがやっと分かり、人々は街に出て叫び始めた。大人はその気になれば、闘って自分の生活を変えることが出来る。自分の運命も。しかし子供はその闘いに参加出来ない。ジュリアンも君達も。その理由は、子供には選挙権がない。選挙権があれば子供も政治家に尊重される。冬は一時間遅く学校が始まる制度も作れる。先生は、実は学校が大嫌いだった。だから学校が好きになれる仕事を選んだんだ。教師の仕事を。生きることは苦しい。苦しみに耐えなければならない。自分の苦しみにも、他人の苦しみにも。子供時代に苦しんだ者ほど生命力に恵まれる。幸福にも恵まれる。生きるのはつらいが、人生は美しい。生きている喜びは、健康な時には分かりにくい。体が動かなくなった時に初めて分かる。……明日からは夏休みだ。初めての土地に行き、初めての人に出会う。9月の新学期にはみんな上級だ。それに来年からは男女共学だ。それから、やがてみんなも子供を持つ親になる。子供を愛する親になれ。子供を愛する親は子供にも愛されるはずだ。人生とは、愛し、愛されることだ。人間は愛がなくては生きられないものなんだ。では、みんな、楽しい夏休みを」
(フランソワ・トリュフォー「おこずかい」(邦題:「トリュフォーの思春期」)より)
............................................................................................

こどもたちの自殺がとまらなくて、どうにも居たたまれないので、映画をみた。
自殺したこどもたちはたぶん、この映画をみずに死んだと思う。ほかにもまだ
みてない映画が山ほどあると思う。「生きることは苦しいが、人生は美しい」と
いうことを教えてくれるのは映画だ。もし、あの映画やこの映画がなかったら、
とっくに死んでただろう、とまでは云わないが、映画があったおかげでどうにか
こうやって生きのびてこられた気がする。これを書いてるいまだって、そうだ。
トリュフォーのこの映画をみなおしたおかげで、こうしてまたものを書く気にも
なった。そういう映画が山ほどあるのに、それを見ないまま、こどもたちが次々
に死んでいくのがやりきれない。いまは昔とちがって、見ようと思えば簡単に
みれるのに、ばかげたテレビ番組や無意味なゲームが、そうした映画に出会う
機会を奪っているのが腹立たしい。それにまた、この世界には、なにをおいても
一度は必ず見ておくべき映画がある、ということを、こどもたちにちゃんと伝えて
やれる大人がいないのが情けない。いっそのこと、もう授業は全部つぶして、
1時間目から6時間目まで、大人もこどももいっしょになって映画をみた方が
いいんじゃないかと思う。「生きることは苦しいが、人生は美しい」ということを、
大人が教えてやれなくても、そのかわりに、ちゃんと映画が教えてくれるだろう。
簡単なことだ、明かりを消して、黙って一緒にスクリーンをみてればいいのだ。
それで、自殺やいじめがなくなるとは思わないが、文科相のメッセージなんか
よりは100倍ましだと思う。ゴダールがいうように「映画はうそをつく」ものだが、
うそが必要なときや、そのうそによってすくわれるものもあるのだ。どうせ学校や
教師はうそをつくのが下手だろうからから、映画にうまいうそや素敵なうそを
ついてもらってはどうか。そのくらいしないともう本当にとりかえしのつかない
ところまできてるような気がする。

自殺 福岡・桂川町と宗像市で中2男子が首つり(11月17日)
高2女子が飛び降り自殺=マンション10階から-遺書見当たらず・横浜(11月18日)
ニッポン自殺列島 校長、生徒次々
--------------------------------------------------------------------------------
[追記] トリュフォーのこの作品については、ソウルフラワーユニオンの中川敬が
すばらしいレヴューを書いてるので、そちらをぜひ (冒頭の引用はそこからカット
&ペーストしました)。ひさしぶりに、この映画をみなおしてみて思ったのは、
こどもたちにトランジスタ・メガホンを持たせてやってはどうかということだった。
それがどういうことなのかということについては、どうか映画をみてください。
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by illcommonz | 2006-11-19 07:02
▼安息日
d0017381_14260.jpg
Wright Nothing Day.
Fight Nothing Day.
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by illcommonz | 2006-11-19 01:04
▼こどもの話をきいてみる
d0017381_0493062.jpg



ブラジリアの
こども説教師
メリーナちゃん

on YouTube.

[大訳] 
 こどもがこどもをいじめるなぁぁぁぁぁ!
 おとなはこどもをころすなぁぁぁぁぁぁ!
 はれるや!みんないっしょに、はれるや!
 らいねんはよいとしになれぇぇぇぇぇぇ!
 もうお腹もへらないし、喉もかわかない!
 親鳥がひよこたちをやさしく抱くように、
 わたしがこの手でみんなを抱いてあげる、
 だから、はれるや! みんないっしょに、
 はれるや! みんなそろって、はれるや!
 こどもがこどもをいじめるなぁぁぁぁぁ!
 おとなはこどもをころすなぁぁぁぁぁぁ!
 みんなひとりのこらず しあわせになれ!
 ぴぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃす!
 では、また来週!

 [以上、イルコモンズによる妄想訳]
--------------------------------------------
[追記] 音楽がはいる30秒目からと2分35秒目がすごいです。
神さまはあてにしてないが、音楽は信頼してる。はれるや。
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by illcommonz | 2006-11-19 01:01
▼3分間の愛の魔法
d0017381_0562878.jpgさっき近くのコンビニに、宅急便を出しに行ったとき、
ふと、目にとまったので、手にとって読んでみた。

中谷彰宏著「たった3分間で
愛される人になる」
PHP出版

「ふぅん、じゃ、本当に3分間だけ」
と決めて真剣に読んでみた。
「・・・が大きくなってバランスが壊れます。
健康な状態とは血糖値の上下差が少ない
状態です。精神の血糖値も同じことです」
ふむふむふむふむ。

「・・・ているという状態は震度3で崩壊します。よくない出来事の責任の半分は自分にあ」

チーーーーン、3分経過。
シーーーーン、なにも変わらない。。。

静かに本を閉じて棚にもどしながら、やっぱり「自分には無理だな」と思った。
今日は、おとなしく家に帰ろう。。。。。ソラミレバ、、、甲州街道はもう冬の空。
では、また来週。
----------------------------------------------------------------------
[追記] イルコモンズには役にたたなかったが、愛国心をほしがっている国家は、
この本をよくよんで、ひとから愛される方法をべんきょうしたほうがいいと思う。
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by illcommonz | 2006-11-19 01:01
▼この季節になると、夜な夜な、その屋敷では、
d0017381_0445062.jpgもろびとこぞりて呆れかえる、
ザ・クレイジー・クリスマス・
ライトニング・ハウス


クリスマスはカルトだ... 二〇〇〇年もつづくと、
ついつい忘れてしまいがちだが、それはやっぱり
カルトなのだ。そして、クリスマスとは関係なく、
ベイルートやガザにこそ、もっと、あかりを。
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by illcommonz | 2006-11-19 00:47
▼人間にもっとも絶望しているはずの作家が、
d0017381_0271159.jpg人間に対してもっともあきらめがわるく、
最後の最後まで人間への信頼と希望を
手放さない、という逆説とその矛盾を
あたまから抱きしめたくなるような本。

トッド・デイヴィス著
「カート・ヴォネガットの十字軍、あるいは、
ポストモダ二ズムのロマン小説はいかにして
新たな人道主義を説くのか?」
(2006年 未邦訳)

人間はとてつもない過ちや惨劇をひきおこす。とはいえ、人間は奇跡を起こす
こともある、ということを(信じてないかもしれないが)知ってる作家がヴォネガット
だと思った。あらゆるものに対して「そういうものだ」と、あきらめてみせる作家が、
どうしてもあきらめきれないもの、それは人間が…(以下省略)。
----------------------------------------------------------------------------
[追記] ヴォネガットが、シカゴ大の文化人類学の大学院で、当時の指導教官
だったロバート・レッドフィールドから学んだのは何だったのか、などもわかって、
非常におもしろい評伝です。どこかの出版社が翻訳してくれないでしょうかね。

Todd Davis Kurt Vonnegut's Crusade Or, How a Postmodern
Harlequin Preached a New Kind of Humanism

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by illcommonz | 2006-11-19 00:38
▼ものをくさらせない暮らしのローセオリー
「前にならえ、右むけ右、ピーー」の静かな号令が鳴りひびく、いまの
この時代に、かつて、軍国主義やファシズムに反対して死んでいった
過去の政治思想家や自由主義者たちが書きのこしていったものを、
いまさらながら、いそいそと読みなおし、人に「読め」とすすめてみた
ところで、なんだかもう間にあわないような気がする。云ってることや
書いてることは、あいかわらずただしいとは思うけど、いまの状況では、
どれも「ハイセオリー」すぎる気がする。いま必要なのは「ローセオリー」
であり、強度のある批評とポータブルなフレーズ(悪態もふくむ)だと思う。
全集や本をのんきに精読しているひまはなく、いま、必要とされている
知性は、ナンシー関のような知性だと思う。「もし、いま、ナンシー関が、
生きていたら、彼女なら何と云うだろうか」。そんなことを考えながら、
生前ナンシーが、消しゴムに彫ることのなかった人物たちの顔を
ナンシー風に版画してみた。

d0017381_23232560.jpg
「人類学者になりそこねた作家と行動する思想家たちの消しゴム版画」

d0017381_23242658.gif
ナンシー関の鋭い観察眼と批評精神、
そして、その卓越した文筆力について、
評論めいたことを書くのは野暮だし、
なによりナンシーに「けっ」といわれそう
なので、いまは書かない(これからも
ずっと書けないような気がする)。


そのかわり、ナンシーの青森の実家には、たぶん「暮しの手帖」があって、
彼女もそれを読んでたんじゃないだろうか、と思わせる文章があるので、
それをここに書きうつすことにする。「暮らし」のなかから生まれてくる
「ローセオリー」というのは、こういうものだと思う。

.................................................................................................

ナンシー関 「ちゃんとした生活、それはものを腐らせない暮らしだ」(ほぼ全文)

 親元を離れて一人暮しを始めたとき、あることにショックを受けた。それは、
ものがどんどん腐っていくことだ。いや、「ショック」というより、「驚愕」という
大仰な漢字で表した方がいいかもしれない。
 初めての驚愕は味噌汁だったように記憶する。鍋の中の昨夕の豆腐の
味噌汁が、朝、腐っていたのだ。たしかに真夏であった。しかし、忘れて
放っておいたわけでもなく、同じ味噌汁を2回の食事で食べきるというのは
(私としては)ごく普通の生活なのに、「腐る」ということで、その生活が
妨害されるなどとは思ってもいなかったのである。
 腐った味噌汁を流しに捨てながら、まだ私は半日足らずで物が腐るという
ことが信じられずに、「最初から豆腐が腐りかけていたんじゃないか」などと
首をかしげていた。
 実家にいた頃、前の食事の余った味噌汁はいつも鍋に入ってコンロの上に
あったし、その横には、おひつに入ったごはんも置いてあった。カレーや
シチューなども4~5日はそうゆうふうに置いてあったものである。土曜の
昼食に火曜日の晩のカレーを食べることなど、ごく当たり前のことだった。
しかし、一人暮しをしてみると、火曜日のカレーが金曜日に腐っている。
作った当日より、日が経つにつれ、おいしくなるとばかり思っていたあの
カレーがよもや腐るとは。驚愕以外の何物でもない。
 しかし、私がいくら驚愕しようとも油断していると、ものは腐るのである。
味噌汁を腐らせ、カレーを腐らせ、白飯を腐らせ、肉豆腐、カニかまぼこ、
すいか、麦茶、クリームパンとあらゆる物を腐らせるたびに、いちいち
驚愕していたのだが、そのうちようやく、ものが腐るということを現実として
受け取ることができるようになった。
 そして私が心に刻んだのは「冷蔵庫に入れないと、ものは腐る。しかし、
それはここが東京だからだ」という教訓だ。東京というのは、ものが腐る
ところだから用心しなければ。都会暮らしの知恵を学んだつもりになって
いたのだ。
 鍋の中まで入り込み、かつては防腐剤としても活用されていたという
各種香辛料のガードをものともせずに、カレーの肉やじゃが芋をてきめんに
腐らせる東京の暑さ。私は敵である暑さから我が子を守るように、味噌汁を
鍋ごと冷蔵庫へかくまった。そうやってなんでも冷蔵庫へ入れれば、
「腐る」という日常生活の妨害から守ることができると思っていたら、
冷蔵庫の奥の方で、高野豆腐の煮たやつとかポテトサラダが「ダメ」に
なっていたりする。食べものは冷蔵庫に入れようが入れまいが腐らせて
捨てるか、腐る前に胃に収めるか、なのである。そう思った時、
「東京の暑さ」というのは、私が自分を正当化するために創り出した
幻の敵かもしれん、と思ったのだ。
 私はものを腐らせることを「恥ずかしい」と思っている。なにかを腐らせる
たびに「ちゃんとした生活をしていないからだ」と責められているような気が
するのだ。本当は別に「ちゃんと」したいわけでもないし、いや、何をもって
「ちゃんと」とするのかも分からないのだが、ものを腐らせることは生活と
いうもの自体をやりこなせていないということで、屈辱なのである。
 私は整理整とんの類も苦手だが、たとえば、本を本棚に戻さず床に放って
おいても、それは私の勝手であると堂々と言える。しかし、ものを腐らせる
ことは申し開きの立たない過失である。
 実家の生活を難なくやりこなしているのは母である。その「難なく」ぶりは、
まるで何もしなくても生活が回転しているようにさえ見えた。当然それは
そうではなく、火曜日のカレーを土曜の昼に食べるためにはその間、毎日
1回火を通していたり、ごはんの入ったおひつにフタをしないでふきんを
かけておいたり、冷蔵庫の奥の常備菜も味の変わらないうちに食卓に
出したりということを、生活としてやりこなしていたからなのである。
 とは言いつつ、今夏もすでにいろんなものを腐らせた。チューブ入りの
おろししょうががダメになっていたのには驚いた。フタが半開きだったから
だろうか。ちゃんとしよう。

d0017381_2325276.jpg ナンシー関
 「ちゃんとした生活、それは
 ものを腐らせない暮らしだ」
 「読者の広場 新刊ニュース」
 1994年9月号
..............................................................................................

まるで花森安治が書いた作文のようである。ところで、この「申し開き」とは、そもそも
なに対するものなのだろう?また「過失」とは、なにに対する罪なのか?そして、
腐らせてはならない「もの」とは何か?たべもの、いきもの、そこに宿る何か?
ナンシーのこの暮らしの倫理は、近代が「前近代的なもの」としてきり捨ててきた
何かとつながりを保っているように思える。そしてそれは彼女がときおり書く
「バチ」というものとも響きあってるような気がする。ナンシーはこう書いている。

 「文化財は大切にしなければならない。しかし、旅行の記念にと大事な
 文化財に彫刻刀とかで相愛傘などを彫ってしまう大馬鹿者がいる。
 そいつらは「バチ」というものを考えないのか。「バチ」が怖くないのか。
 バチといえば、近藤政彦の母親の遺骨を盗んだ犯人まだ捕まらない
 ようだが、こいつが警察よりも何よりも怖れなければならないのは、
 「バチ」だろう。「バチ」をあなどると痛い目にあうと思う」
 ナンシー関「けしごむ歳時記」

「バチがあたるぞ」という感覚は、単なる道徳ではなく、れっきとしたひとつの
コスモロジーであり、精神のエコロジーであって、単なる物資のやりとりに
限定されない「全域的な贈与経済」は、こういうコスモロジーによる支えが
ない限り、かならず失敗すると思う。地域通貨がうまくいかない理由も
たぶんこのへんにあるはずだと思うのだが、それについてはまたいずれ
書くとして、それとはまた別に、それほど遠くない未来の誰かに対する
「申し開きの立たない過失」として、いま僕らが腐らせようとしているもの
がある。以下はそのリストである。リストは時系列順になっている。
ちゃんとしよう。

 [このまま放っておいたらもうじき腐るもののリスト]

 ・教育基本法
 ・日本国憲法
 ・自由と平等
 ・民主主義
 ・こども
 ・愛
[PR]
by illcommonz | 2006-11-19 00:13
▼国会スタジアム法案 (乱筆乱文要注意)
d0017381_2233282.jpg
国会中継をよくみる。たしか最初にみたのは、ロッキード事件の証人
喚問のときだったと思う。「記憶にございません」というやつである。
あれがいちばん記憶に残っている。それから、ここ16年ほど、家に
テレビがない生活をしているので、今はもっぱらNHKラジオとネット
でみることにしている。直接民主趣味者にとって「国会」というのは、
永遠の癪のタネであり、アンチ・スペクタクル社会趣味者にとって
直接参加を拒む「中継」は屈辱的である。ずばり云って、国会での
やりとりは、ひたすら退屈である、しかし、この退屈がくせもので、
あれは国民の関心を政治からそらすために演出されたスペクタクル
級の退屈さだと思っている。政治は国民の手の届かないところで
行われる退屈なものである、とそう思わせたいのだ。だから、その
退屈さにも腹が立つ。

d0017381_22383429.jpg
ところで、その国会を首都からよそに移転するという話があったが、
あの話はどうなったのだろう。むかし「10+1」に建築批評を書いてた時、
国会議事堂についての記事を書いたことがあり、そのとき、そういう話を
読んだ記憶がある。あれはどうなったのだろう、気になる。気になると、
たちまち妄想が走りだす。

もし新築するなら、ハコのデザインはさておき、議事堂の本会議場を
ふくめ、あらゆる議会場に「国民傍聴席」をつくってもらいたいと思う。
抽選とか先着で選ばれた20人くらいしか座れないようなケチなものでは
なく、万単位の人間がゆうに見物できるような巨大な傍聴席である。
もちろん椅子は立派なものにしてほしい。少なくとも議員の椅子より
いいものにしてもらわなくてはこまる。「主権在民」の国では、国民が
あくまで主権者であり、連中はあくまでその代理人にしかすぎないの
だから、そこをまちがってもらってはこまる。そこを激しく勘違いして、
やたらと威張ってる連中が多いので、もう一度、民主主義の"基本"と
"根本"と"原則"と"鉄則"をわからせるために、そうしてもらいたい。
とにかく国民の椅子が最優先である。もしそれが無理だというのなら、
かわりに議員の椅子をなくせばいい。議員は議会のあいだずーっと
立ってるか、それがイヤなら床にすわればよい。主賓はあくまで、
国民である。要する、国民傍聴席とは、観客席のようなものであり、
新しい国会はスタジアムにしてほしいと思う(というか、絶対そうしろ)。

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そしたら「記憶にございません」なんて発言はもう通用しないはずだ。
そんなこと云おうものなら、観客席からたちまちブーイングがとぶはずだ。
座布団だって飛んでくるかもしれないが、それでいい。それが本当の
民主主義だと思う。ブーイングと座布団をとばすのは、投票と同じく、
国民の義務であり権利である。ふざけた発言をする政治家は、国民が
一丸となってm野次りたおし、泣きべそをかくまで罵倒してよいと思う。
特に子どもたちには罵倒のことばをちゃんと教えてやるべきである。
誰かがまちがったことを云ったりやったりしたときに、非暴力的に
それを正すことばをちゃんと知っておくのは必要である。それが教育の
基本である。めちゃくちゃな話かもしれないが、こういうめちゃくちゃな話を
することも子供に教えたほうがいい。現実的で、あたりさわりのない話
ばかりしていると息がつまるし、想像力がなくなる。めちゃくちゃな話を
するには度胸もいる。さらに他人のめちゃくちゃな話に耳をかたむける
寛容の精神だって養われる。あまりめちゃくちゃな話をすれば、
罵倒されるかもしれないが、罵倒されることやそれに耐える忍耐力も
大事だ(話がそれた)。

ともかく国家をスタジアムにすれば、退屈がきらいでイベントが大好きな
スペクタクル市民の国民は、退屈な議事を決してゆるさないだろう。
おのずと議事は全力戦のバトルになるだろう。八百長なしのリアルファイト
になるだろう。議論がエキサイトしたらつかみあいをやってくれてもいい。
本当に頭にきたらジダンのように頭突きをかましてくれてもいい。武器さえ
使わなければ、スポーツマンシップにのっとって異種格闘技のルールの
範囲内で激しい議論をたたかわせてくれ。なにしろ国民がみてるので、
卑怯で汚いマネはできないはずだ。「劇場政治」とか「パフォーマンス」と
いうのなら、テレビや駅前ではなく、巨大なスタジアムでそれをやって
ほしい。議員にとってそれは悪いことばかりではないはずだ。すばらしい
発言やスピーチをすれば、生まれてこのかた一度も味わったことのない
(お世辞や社交辞令ではない)生の歓声をあびることができるかもしれない。
泣かせる発言をすれば、情にもろい国民もそろってもらい泣きするだろう。
それが本当の劇場政治であり、本当の政治だと思う。そんなめんどうな
ことはできない、というかもしれないが、民主主義というのは、もともと
めんどうなものであり、そこが尊いのだ。保守的な人びとは、そんな
スタジアムをつくって、そんなスペクタクルをやるのは、ばかげてる、
というだろう。そのとおりだ、ばかげてる。こんなばかげたことをするくらい
なら、いっそのこと間接民主主義をやめて、直接民主主義にしたほうが
ましではないか。これだけネットや携帯電話が普及しているので、それを
使えばある程度のことはできる、はずなのに、なぜかそういう使い方を
考えだす政治家がいない。19世紀まではたしかに直接民主主は無理
だったかもしれないが、通信メディアがこれほど発達した現状では、
擬似直接民主主義的なネットワークを構築することはそれほど難しい話
ではないはずだ。テクノロジーの発達に想像力がついてゆけてないだけ
の話で、後の時代に未来の歴史家はきっと「この時代にはすでに直接
民主主義を可能にするテクノロジーもチャンスもあったのに、この時代の
人間たちはまぬけなので、それを活かすことができなかった」と書くような
気がする。携帯での直接民主主義を可能にするには、エンターテイメントや
イベントの要素も必要だというのなら、それをいれてもいい。そもそも政治
というのは、祭りごとなのだから、どんどんやればいい、、、、、

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(と、めちゃくちゃな話を書いていたら、くたびれたので、ここでやめます。
字のまちがいがたくさんありますすが、どうせ、まちがいだらけのめちゃくちゃな
話なので、そのままにしておきます。このつづきはいずれまた)。
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by illcommonz | 2006-11-18 23:01