Top

いる・こもんず 【普通名詞】 01| ありふれて変なもの 02| 扱いにこまる共有物 03| 分けても減らぬもの 04| 存在とは常に複数で他と共にあり、狂えば狂うほど調子がよくなる
はじめに、ふた、ありき

イルコモンズ編
見よ ぼくら
四人称複数
イルコモンズの旗
(Amazon.comで
大絶版廃刊中)
以前の記事
2017年 11月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
2006年 01月
2005年 12月
2005年 11月
2005年 10月
2005年 09月
2005年 08月
2005年 07月
2005年 06月
2005年 05月
2005年 04月
2005年 03月
2005年 02月
記事ランキング
<   2006年 12月 ( 54 )   > この月の画像一覧
▼涵養されるもの
d0017381_231721100.jpg
「国と郷土を愛せ、愛せ、愛せ」というが、その愛は、国を愛せないものや、
郷土をもたないものを、のけものにし、つまはじきにし、非国民あつかいする、
新たないじめの精神を涵養することにならないのか。
[PR]
by illcommonz | 2006-12-12 23:18
▼口をひらけば、莫迦のひとつ覚えのように
d0017381_23101357.jpg
「愛国心、愛国心」というが、
本当におしつけたいのは
国家への忠誠心なんだと思う、
それは帝国心であって、
愛国心ではない。
以上。

「美しい国、美しい国」というが、
ビューティフル・カントリーなら分かるが、
ビューテイフル・ステイツというのは、
言葉として、ちんぷんかんだと思う。
そんなものはありえないのだ。
以上。
[PR]
by illcommonz | 2006-12-12 23:11
▼国家、国家、国家というが、
d0017381_2351073.jpg国家ほど、愛されるものと
かけはなれたものはない。
国家と愛の崇高さは対極にある、
(ジョルジュ・バタイユ)
国家の理想はひとつになること、
でも個人の夢はふたりでいること、
国家は国家、個人は個人、
両者は決してであわない。
(ゾフィーとキップリング)
【参考】イルコモンズ講演
「<一>なる国家と歴史の孤独に抗する<二>であることの愛とそのはじまり」
[PR]
by illcommonz | 2006-12-12 23:06
▼これは愛のうたではありません
d0017381_22501539.jpg「僕は君といる時が
いちばん幸せなんだ。
僕は君を死ぬまで離さないぞ、
いいだろ?」
「君といつまでも」
作詞:岩谷時子 うた:加山雄三

「改正教育基本法」がたとえ成立しても
しなくても、旧教育法世代は、死ぬまで
国を愛さないぞ、いいだろ、と同意を得る
までもなく、死んでもなお愛さないだろう。
ここでも書いたように、旧教育法世代の
イルコモンズは愛国心ゼロだ。非国民で
上等、美しくなくて結構、古臭い人間で
万歳、こんなに国嫌いの人間にしてくれて、
どうもありがとうサンキューと云いたいくらいだ。国がいばる時代が国民は一番不幸せなのだ。
ともかく、旧教育法の精神にのっとり、精神をのっとり、死ぬまで国を愛さないぞ、いいだろ?
嫌だといっても絶対に愛してやらないから、そのつもりで。
[PR]
by illcommonz | 2006-12-12 22:57
▼イルコモンズの週間天気予報
d0017381_4283060.jpg
この週末にかけてのイルコモンズは、
低気圧が東にはりだした西高東低の
典型的な冬型の気圧配置で、15日を
ピークにかなりの荒れ模様がつづき、
国会の動き次第では、突然、機嫌が
悪くなることが予想されますので、
どうか、くれぐれもご注意ください。

では、つづいて国内のニュースです。


「教育基本法改正案 与党が「15日成立」確認」
自民、公明両党は11日の国対委員長らによる会談で、教育基本法改正案を15日までの今国会会期内に成立させる方針を確認した。野党が内閣不信任決議案の提出などにより徹底抗戦する場合は小幅の会期延長も検討する構えで、同改正案の参院特別委員会採決を予定している14日に最終判断する。一方、自民、民主両党は同日、衆院教育基本法特別委でいじめ問題などの集中審議を13日に行うことで合意。先月21日に野党が審議拒否をやめる際の約束で、公明党幹部は「これで野党に対する義理はすべて果たした」と述べ、野党が反対しても改正案の採決に踏み切る考えを示した。(毎日新聞 12月11日)
[PR]
by illcommonz | 2006-12-12 04:39
▼ディス・イズ・ノット・ア・ラヴ・ソング
d0017381_421265.jpgThis is not a love song.
This is not a love song.
This is not a love song.
And I have a new goal.
I'm changing my ways
where new law applies.
This is not a love song.
You take the first train
into "the ordinary state".
Now will I find you,
Now will you be there.
This is not a love song.
And no future 4U >美しい国の与党

(画像はイメージです。歌詞は本心です)
[PR]
by illcommonz | 2006-12-12 04:07
▼こんないいかげんな作文をされてはこまります
というのは、昔、花森安治が、政府の「国民生活白書」について書いたことだが、
文部科学大臣名義のこの作文は、その「白書」よりも、ずっとおそまつで、
子どもたちにむけて、「こんないいかげんな作文をされてはこまる」と思った。
というか、読んでて、はずかしいと思った。こんな作文では、子どもたちに
なめられると思う。そして、子どもたちをなめてはいけない。

d0017381_8274698.jpg
文部科学大臣からのお願い

未来のある君たちへ

弱いたちばの友だちや同級生をいじめるのは、はずかしいこと。
仲間といっしょに友だちをいじめるのは、ひきょうなこと。

君たちもいじめられるたちばになることもあるんだよ。
後になって、なぜあんなはずかしいことをしたのだろう、
ばかだったなあと思うより、今、やっているいじめを
すぐにやめよう。

いじめられて苦しんでいる君は、
けっして1人ぼっちじゃないんだよ。

お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、
きょうだい、学校の先生、学校や近所の友達、
だれにでもいいから、はずかしがらず、1人でくるしまず、
いじめられていることを話すゆうきをもとう。
話せば楽になるからね。きっとみんなが助けてくれる。
.............................................................................................

「文部省」を「文部科学省」にしたせいで、作文がヘタになったか?
読んでいて、かなりはずかしい作文である。こどもたちがよく云う
「キモイ」というのは、おそらくこういうもののことを云うのだろうと思う。

「今、やっているいじめを、すぐにやめよう」というのは警告の文句だし、
「いじめられて苦しんでいる君は、けっして1人ぼっちじゃないんだよ」
というのは、できそこないの映画の宣伝文句みたいで、はずかしい。
これにくらべると、戦後まもなくの文部省の方がずっと作文はうまかった。
うそだと思うなら、これをよんでみるといい。

.............................................................................................

文部省作「あたらしい憲法のはなし」

▼憲法
 みなさん、あたらしい憲法ができました。そうして昭和二十二年五月三日から、私たち日本国民は、この憲法を守ってゆくことになりました。このあたらしい憲法をこしらえるために、たくさんの人々が、たいへん苦心をなさいました。ところでみなさんは、憲法というものはどんなものかごぞんじですか。じぶんの身にかかわりのないことのようにおもっている人はないでしょうか。もしそうならば、それは大きなまちがいです。

▼民主主義
 こんどの憲法の根本となっている考えの第一は民主主義です。ところで民主主義とは、いったいどういうことでしょう。みなさんはこのことばを、ほうぼうできいたことでしょう。これがあたらしい憲法の根本になっているものとすれば、みなさんははっきりとこれを知っておかなければなりません。しかも正しく知っておかなければなりません。みなさんがおゝぜいあつまって、いっしょに何かするときのことを考えてごらんなさい。だれの意見で物事をきめますか。もしもみんなの意見が同じなら、もんだいはありません。もし意見が分かれたときは、どうしますか。ひとりの意見できめますか。二人の意見できめますか。それともおゝぜいの意見できめますか。どれがよいでしょう。ひとりの意見が、正しくすぐれていておゝぜいの意見が、まちがっておとっていることもあります。しかし、そのはんたいのことがもっとも多いでしょう。そこで、まずみんなが十分にじぶんの考えをはなしあったあとで、おゝぜいの意見で、物事をきめてゆくのが、いちばんまちがいがないということになります。 そうして、あとの人は、このおゝぜいの人の意見にすなおにしたがってゆくのがよいのです。
 このなるべくおゝぜいの人の意見で、物事をきめてゆくことが、民主主義のやりかたです。 国を治めてゆくのもこれと同じです。わずかの人の意見で国を治めてゆくのは、よくないのです。国民ぜんたいの意見で、国を治めてゆくのがいちばんよいのです。つまり国民ぜんたいが、国を治めてゆく、これが民主主義の治めかたです。

▼主権在民主義
 国では、だれが「いちばんえらい」といえるでしょう。もし国の仕事が、ひとりの考えできまるならば、そのひとりが、いちばんえらいといわなければなりません。もしおゝぜいの考えできまるなら、そのおゝぜいが、いちばんえらいことになります。もし国民ぜんたいの考えできまるならば、国民ぜんたいが、いちばんえらいのです。こんどの憲法は、民主主義の憲法ですから、国民ぜんたいの考えで国を治めてゆきます。そうすると、国民ぜんたいがいちばん、えらいといわなければなりません。
 国を治めてゆく力のことを「主権」といいますが、この力が国民ぜんたいにあれば、これを「主権は国民にある」といいます。こんどの憲法は、いま申したように、民主主義を根本の考えとしていますから、主権はとうぜん日本国民にあるわけです。そこで前文の中にも、また憲法の第一条にも「主権が国民に存する」と、はっきりかいてあるのです。主権が国民にあることを「主権在民」といいます。あたらしい憲法は、主権在民という考えでできていますから、主権在民主義の憲法であるということになるのです。

▼戦争の放棄
 みなさんの中には、今度の戦争に、おとうさんやにいさんを送りだされた人も多いでしょう。ごぶじにおかえりになったでしょうか。それともとうとうおかえりにならなかったでしょうか。また、くうしゅうで、家やうちの人を、なくされた人も多いでしょう。いまやっと戦争はおわりました。二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。こんな戦争をして、日本の国はどんな利益があったでしょうか。何もありません。ただ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。戦争は人間をほろぼすことです。世の中のよいものをこわすことです。だから、こんどの戦争をしかけた国には、大きな責任があるといわなければなりません。このまえの世界戦争のあとでも、もう戦争は二度とやるまいと、多くの国々ではいろいろ考えましたが、またこんな大戦争をおこしてしまったのは、まことに残念なことではありませんか。
 そこでこんどの憲法では、日本の国が、けっして二度と戦争をしないように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戦力の放棄といいます。「放棄」とは、「すててしまう」ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの国よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。
 もう一つは、よその国と争いごとがおこったとき、けっして戦争によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとそうとしないということをきめたのです。おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの国をほろぼすようなはめになるからです。また、戦争とまでゆかずとも、国の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを戦争の放棄というのです。そうしてよその国となかよくして、世界中の国が、よい友だちになってくれるようにすれば、日本の国は、さかえてゆけるのです。
みなさん、あのおそろしい戦争が、二度と起こらないように、また戦争を二度とおこさないようにいたしましょう。

▼基本的人権
くうしゅうでやけたところへ行ってごらんなさい。やけただれた土から、もう草が青々とはえています。みんな生きいきとしげっています。草でさえも、力強く生きてゆくのです。ましてやみなさんは人間です。生きてゆく力があるはずです。天からさずかったしぜんの力があるのです。この力によって、人間が世の中に生きてゆくことを、だれもさまたげてはなりません。しかし人間は、草木とちがって、ただ生きてゆくというだけではなく、人間らしい生活をしてゆかなければなりません。この人間らしい生活には必要なものが二つあります。それは「自由」ということと、「平等」ということです。人間がこの世に生きてゆくからには、じぶんのすきな所に住み、自分のすきな所に行き、じぶんの思うことをいい、じぶんのすきな教えにしたがってゆけることなどが必要です。これらのことが人間の自由であって、この自由は、けっしてうばわれてはなりません。また国の力でこの自由を取りあげ、やたらに刑罰を加えたりしてはなりません。そこで憲法は、この自由は、けっして侵すことのできないものであることをきめているのです。こんなりっぱな権利を与えられましたからには、みなさんは、じぶんでしっかりとこれを守って、失わないようにしてゆかなければなりません。しかしまた、むやみにこれをふりまわして、ほかの人に迷惑をかけてはいけません。ほかの人も、みなさんと同じ権利をもっていることとを、わすれてはなりません。国ぜんたいの幸福になるよう、この大事な基本的人権を守ってゆく責任があると、憲法に書いてあります。

(青空文庫所収「あたらしい憲法のはなし」より)
..........................................................................................................

d0017381_8402321.jpgこれはイルコモンズ・アカデミーでもおなじみの
「あたらしい憲法のはなし」で、表紙にあるように、
1947年にこの作文を書いたのは、文部省だ。
教育基本法もそのときにできた。この作文は、
話してきかせてやれば、ちびこもんずだって
わかるように書いてある。わかるだけでなく、
戦争はいやだなぁ、民主主義っていいなぁ、
自由って素敵だなぁ、平等って大切だなぁ、
と思えるように書いてある。つまりよく書けてる。
文部科学大臣が「いじめをやめろ」と云って
いじめがなくなるなら、学校はいらないし、
教師もいらない。あんないいかげんな作文を
よく人前にさらせるものだと呆れてしまう。
「こんなできそこないの作文を、出すのは
やめろ」とそう云って、とめてくれる友だちが
大臣にはいなかったのだろうか、と思う。

本気でいじめをなくそうとするのなら、自由、平等、民主主義、戦争放棄、
このくらいベーシックなところから話をはじめないと、話ははじまらない。
いくら自分たちがそれにリアリティをもてないからといって、自由と平等の
話をさぼってはいけない。子どもはそういう話が好きだ。現実がどうであれ、
「自由と平等は気分がいいものだ」(←この感覚が大事)ということがわかる。
現実がどうであれ、「戦争のない世界」や「ほんとうの民主主義の世界」を
想像力を使って夢見ることができる。だから、もし本当にいじめをやめろと
いうのなら、そして、本当にいじめをやめさせたいと思うのなら、その前に
まず「戦争ができる憲法」にかえるのを大人がやめてみせるべきである。
あかるい未来の話をするのであれば、断じて、そうするべきである。
「戦争のできる憲法」が、未来を暗くて不安でやりきれないものにしてるのが、
どうしてわからないのかまったく謎である。その憲法で戦争に行かされるのは、
それに反対してくても選挙権のない、子どもたちで、子どもたちはそのことを
ちゃんと分かっている。子どもたちをなめてはいけない。それがわからない
この国の大臣たちは、よっぽどあたまがわるいか、あたまがわるいふりを
してるか、どっちかだと思う。どっちもあまりかわらないが、どっちにしても、
「こんないいかげんな作文をされてはこまる」と、この国で「いちばんえらい
国民全体」がはっきりそう云わなければならない。憲法にもそう書いてあるし、
「じぶんの身にかかわりのないことのようにおもっているとしたら、それは
大きなまちがいです」と、1947年の文部省がそう云ってる。

.............................................................................................
[追記]文部科学省のこの作文をよんで、次回のイルコモンズアカデミーでは
ひさしぶりに「あたらしい憲法のはなし・ポエトリーリーディング」をやろうと思った。
[PR]
by illcommonz | 2006-12-10 10:54
▼介入するゆえに我らにあり
d0017381_825955.jpg「【索引】テキスト・図版の主なる対象である作家・トピックおよび
第三部の対話者について、収録頁を太字で示した」(左掲書索引より)

押井守 176
小谷元彦 23,31,58,151
小田マサノリ(ヲダマサノリ) 8,26,33,35,36,37,89,90,121,134,243,248-255
オッペンハイム,デニス 73,257,260

以上、巻末の索引にあるとおり、イルコモンズはかつて美術の世界の「作家」であり
「トピック」であり、「対話者」だったが、いずれの場合も「介入者」であった。番外から
やってきた番狂わせの補欠メンバーだった。出番が終わったら、おとなしくベンチに
ひっこむのが補欠の役目で、次のピンチにそなえて待機するのがピンチヒッターの
仕事。もともと文化人類学者というのは「異文化への介入者」で、その社会や文化の
一員に「なりすます」のが得意な「飛び入り」の人間なのでやってることは大体同じ。
そして、これからイルコモンズ名義で介入してみたいと思うのは、これとはまた別の
フィールドで、次は「イルコモンズ・アカデミー」を「索引」に載せてみたいと思った。
[PR]
by illcommonz | 2006-12-10 08:16
▼STOP TO DIE
d0017381_20451131.jpgで、いま手がはなせません。
止まったら転ぶぞ、
眠ったら死ぬぞ、の、
怒涛の年末シフトに突入。
ふぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ、、、

(こたつでみかん食べたい)
(ふとんでまるくなりたい)
[PR]
by illcommonz | 2006-12-08 21:00
▼イルコモンズ・アカデミソロジー
d0017381_73635.jpgイルコモンズ・トラベリング・アカデミー続・京都篇。
終わってみれば、イルコモンズアカデミー史上、
最多の上映本数でした。イルコモンズの記憶が
正しければ(そんなことはめったにないが)、
スクリーニングしたのは次のとおり。

【セットアップリスト】
NHK「考えるヒト~教育テレビ試験電波放送」
マイクロソフト「スタート・ミー・アップ」M・ムーア
「ザ・ビッグワン」C・カーナハン「ミッキーマウス、
ハイチへ行く」 ナイキ「JUST DO IT」 クレジット
なし「ナイキAD」クレジットなし「奴隷工場」K・
マック「中国のディズニー工場」H&Cフィルム
「スウェットショップとは?」スウェットショップ・
ユニオン「THE THING ABOUT IT」 JTH feat.
R・ワースレイ「消費されるもの」「バークレー大の
裸の抗議デモ」B・ビッグマン「スターバックスに告ぐ」ウゴ・グレゴレッティ「にわとり」
G・A・ロメロ「ショッピング・ゾンビーズ」ゼネラルエレクトロニクス「夢をデザインする」
M・アクバー&J・アボット「ザ・コーポレーション~悪夢のマーケティング戦略」
ソウル・ワックス「エクスキューズ」アドバスターズ「ショッピングマシンの工場」
「消費大国USA」「ビッグマック」「テレビ消灯週間」「無買日広告」「脅迫観念」
ザ・ヴァキュウム・クリーナー「ホイールマート~儀礼的抵抗」「ホイール・マートUK」
「ホイールマート・ヘルシンキ」「ホイールマート・ストックホルム」「ノーショッピング・
ツアー2003」「ショッピングモール・プレイヤー」インディメディアほか「ザ・ブラック
ブロック in シアトル1999」「プラハのピンクの妖精」「ダイレクトアクションとは
こんな感じ」「誰がジャアントパペットを怖れているか?」「シアトル警察の暴動」
RTS「リクレイム・ザ・ストリート・ザ・ムービー」クレジットなし「リクレイム・ザ・
ストリート・バーミンガム1999」ASC「サウンデデモ2003-2004」「T.C.D.C.」
素人の乱「三人デモ」「パリのピローファイターズ」「バンクーバー・ピローファイト
クラブ」「モントルー・ピローファイトクラブ」「ポーランドのフラッシュモブ」
「リトアニアのフラッシュモブ」「ブタペストのフラッシュモブ」「イエローカードモブ」
モバイルクラビング「モバイルクラビング・リヴァプール2006」トム・ヘイデン
「ザ・ニュージェネレーション・オブ・アクティヴィスト」そのほか。

................................................................................................

「レクサスとオリーブの木」のなかでフリードマンが、「世界は10歳になったばかりだ」
と書いたのは1999年のことで、この「世界」とは僕らが生きている「グローバリズムの
世界」のことだ。それからすると、いま、その「世界」の年齢は17歳で、もうじき18歳に
なろうとしている。いくら文化の「幼児化」がすすんでいるとはいえ、人間でいえば、
思春期の終わりである。俗に云う「社会人」としての自覚や責任を意識しはじめても、
おかしくない年齢なのだが、米国生まれの資本主義育ちで、ネオコンとネオリベの
親たちの「自由放任主義」のもとで育ったせいか、一向に成長する気配がない。
ただ単に図体がデカくなっただけである。いずれはこのクソガキな世界も成長し、
バランスのとれた健全な大人になるだろうというフリードマンの見通しはハズれた、
と云わざるを得ない。第四世界には、依然として、スウェットショップが存在するし、
他者の生活を平気でふみつけにしている。ひとのたべものや文化をもてあそび、
マーケットごっこのコマくらいにしか考えていない。「大きな物語」が終わったことを
いいことに、神も仏もおそれぬ野蛮な青春時代のどまんなかで、一発ヤルことしか
アタマにないクサレ太陽族(←この言葉がはじめて役にたった)の愚連隊(←死語)が、
いまのこの世界である。いったい何が世界をこんなヤクザ者にしたのか、かといえば、
それは戦争や紛争だと思う。湾岸、ボスニア、コソボ、アフガン、イラク、パレスチナ、
東ティモール、レバノン......成長期の多感な時期にこういうものを見せられれば、
誰だっておかしくなる。しかも自分の生みの親がそれに手を染めているのを知れば、
非行に走らないほうがおかしい。では、地球に寄生するこの未成熟な世界をもう少し
ましなものに「更生」させるために必要なものは何か。こたえは簡単である。それは
文学や芸術だと思う。昔から少年院や感化院や刑務所がそうしてきたように、
文学と芸術は更生の手段である。作家やアーティストはそのことをよく忘れるが、
文学と芸術がもし何か社会の役にたつとすれば、ほとんどそれに尽きると思う。
それは泥臭い仕事かもしれないが、それだけに尊い仕事だと思う。あともうひとつは、
モダンが構想した「大きな物語」より、さらにもっと途方もなく大きな物語である。
たとえば「バチがあたる」というのもそのひとつで、その因果応報のストーリーは、
「科学の物語」の地平をはるかに越えるシュールでファンタジックな物語である。
生まれたときから戦争とビジネスのことしか教えてもらえなかった17歳の自閉した
世界に必要なのは、自分をその一部とする、自分よりももっと大きな世界の存在と
そこでの物語である。それは文化人類学者が「コスモロジー=宇宙論」と呼ぶもので、
世界中どこにだってあるものだ。たまたま二〇世紀の西欧社会がそれを見失った
せいで、なにか特別なもののように錯覚してしまうが、どこにでもあるものだ。
二〇世紀以前には西欧にだってあった。それは井戸や森や煙突の中だけでなく、
家の屋根や柱、鍋や釜、服や帽子、たべものや飲み物にもある。伝説や民話や
童話にはそれがアーカイブされていて、その一部は映画や小説に姿をかえたが、
映画や小説になったせいで失われたものがある。それは人を行動に導く力である。
というのも、そうしたコスモロジーの多くは「いま、ここで、これを、こうしておかないと、
こうなってしまう」というプログラム形式をもっている。それは、「そうしなければ、
なにかよくないことがある」というものから始まって、「そうしなければ神が怒る」とか
「スープがまずくなる」とか「世界が破滅する」とか「道にまよう」とか「雨がふる」とか
「恋がさめる」とかさまざまで、それによってひとを具体的な行動に導いてきたが、
いまやそれは映画や小説の登場人物たちだけが情熱的に行うものになっていて、
(たとえば村上春樹の「海辺のカフカ」ではホシノくんが世界を救うために、半信
半疑で石を運んだり動かしていた)、僕らはそれをただ見たり読んだりするだけの
役になってる。そればかりか、こうしたコスモロジーがしばしば悪徳商法やカルトの
ビジネスに利用されるせいで「信じてはならないもの」として扱われる。これでは、
「たらいの水と一緒に赤ん坊まで流す」つまり「元も子もない」というやつである。

、、、、、と、ここまで書いて、話が途中からものすごい勢いで転覆脱線事故を
起こしていることに気がついた。「分裂するは我にあり」とはいえ、こりゃひどい。
もうとても収拾がつきそうにないので、話を箇条書きにしてしまおう。

▽グロ-バル世界は17歳の未成熟な世界で、放っておいたらダメになると思う。
▽グローバル世界を更生させるには「ルネッサンス(文芸復興)」が必要だと思う。
▽グローバル世界には、地球よりも大きな「コスモロジー」が必要だと思う。以上。

ということで、昼ごはんにしよう。
[PR]
by illcommonz | 2006-12-07 11:54