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いる・こもんず 【普通名詞】 01| ありふれて変なもの 02| 扱いにこまる共有物 03| 分けても減らぬもの 04| 存在とは常に複数で他と共にあり、狂えば狂うほど調子がよくなる
はじめに、ふた、ありき

イルコモンズ編
見よ ぼくら
四人称複数
イルコモンズの旗
(Amazon.comで
大絶版廃刊中)
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▼「チャッチリヤ(=すぐやめろ)」
d0017381_2316062.jpg
これまで何度も書いてきたことだけど、自分が「こんな目にはあいたくない」
と思うことが、どこかで起きたときは、それがアジアだろうが、アフリカだろうが、
南米だろうが、北極だろうが、ミャンマーだろうが、ビルマだろうが、日本人が
巻き込まれようが巻き込まれまいが、一方的な「制圧宣言」が出ようが出まいが、
そんなことには関係なく反対する。単純で素朴すぎるかもしれないが、その方が
まちがいがす少ない。見過ごしてはいけないことを見過ごすというまちがいを
犯さなくてすむ。ヘタに考え過ぎれば、云いたいこともいえなくなる。それこそ
制圧する側の思うつぼである。「慎重な対応」とか、「冷静な情勢分析」とか、
そういうものは専門家にまかせておけばよい。素人には素人の優先順位があり、
素人は反対することがまず先で、理屈は後まわしでいい。素人は、素人の分際で、
素人のくせして、素人であるがゆえに、素人の強みで、とにかく、反対し、抗議する。
それでいいと思う。民主主義はそうやってはじまった。その昔、政治に口出しする
ことなどゆるされてなかったデモスたちが、デモスのくせに、デモスの分際で、
政治に口を出したところからデモクラシーがはじまった。軍がネットを遮断するなら、
こちらは接続するまでだ。軍が見せたくない映像があるのなら、こちらはそれを
配信するまでのことだ。

■アムネスティ
▼footage of the repression in Myanmar
http://emedia.amnesty.org/burma-280907-eng.ram
▼footage of the protests in Myanmar
http://emedia.amnesty.org/myanmar-270907-int.ram
▼Amnesty International activists protest in London
http://emedia.amnesty.org/myanmardemo-270907-int.ram

■BBC
▼Violence amid Burma protests
http://www.youtube.com/watch?v=hERsoYHaryw
▼Witness: Monks held in Burma
http://www.youtube.com/watch?v=eDsBrrBRsC8
▼VIOLENT CRACK DOWN ON PROTESTING MONKS IN BURMA
http://www.youtube.com/watch?v=PYwSH8fEQgc

■BBC等の日本語放送
▼軍事政権が倒れるまで続ける
http://www.youtube.com/watch?v=ScpP0EoT34M
▼世界各地での反軍政デモ・集会
http://www.youtube.com/watch?v=glGJpH1CJSk
▼ビルマの人々の声:Voices from Burma
http://www.youtube.com/watch?v=TZRgpExv4U4

「ミャンマーのデモ弾圧に抗議、大阪でも難民らが訴え」
東京では在日ミャンマー人ら約1千人がデモ行進し、「チャッチリヤ(すぐやめろ)」と声を上げた。民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさんが率いる国民民主連盟(NLD)日本支部が呼びかけた。日本の僧侶や市民グループのメンバーらも加わった。東京都品川区のミャンマー大使館前では同日午後5時半から、日本の市民グループやミャンマー人計約300人がろうそくをともし、武力制圧による犠牲者の冥福を祈った。午後6時からはデモに参加したミャンマー人の有志約20人が、東京・渋谷の国連大学前で48時間のハンガーストライキを始めた。大阪市北区のJR大阪駅近くの歩道橋でも同日午後、日本ビルマ救援センター(事務局・大阪市)など難民支援に取り組む6団体が抗議行動をした。約30人が民主化の必要性を街頭演説で訴え、在日ミャンマー大使館への抗議を求めるビラを配った。大阪市在住で05年に難民認定を受けたミャンマー人男性マウンマウンさん(39)は、スー・チーさんの写真を手にマイクを握り、「軍事政権を倒すため、今こそ国際社会が協力して圧力をかけて欲しい」などと訴えた。
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by illcommonz | 2007-09-30 23:16
▼坊主に手をあげる者は、
d0017381_153576.jpg「こら、なにするんだ、ばか」
という言葉に継いで、思わず
口走りそうになったのは、
このことばだった。
「坊主に手をあげた者は
地獄に落ちる」
信仰の有無や宗教の別に
関係なく、「手向かうものと
いえど、女こどもと聖職者
には手をあげない」という
のが万国共通の社会の
約束のはずである。それは、

「それをやったら、おしまいだ」と云われても、申し開きのできないことだと思う。
なのに、その約束をこれほどあっさりとふみにじり、また、ふみにじらなければ
維持できないような体制は、根本的に無理があり、まちがった体制だと思う。
海外のサイトによると、マンダレー、ヤンゴンなど都市部から火の手があがった、
この「オレンジ色の革命」は地方にも波及しているらしい。今回、立ち上がった
僧侶たちの多くは88年を知らない若い世代の僧侶たちだという。2001年に
軍事政権を追い出したアルゼンチンなどの例もあるので、「ミャンマーでも
「ヤ・バスタ」は可能だ」と思いたい。とにかく「坊主に手をあげてはいけない」
そして「坊主に手をあげた者にはこの世でもバチがあたるのだ」ということを
もう一度、世界に対して、知らしめてほしい。

d0017381_1514626.jpg
...........................................................................

[追記] 人びともやはりそう云っている。

▼「威嚇発砲に激高するデモ参加者と物陰で静かに見つめる市民」
ミャンマーで反政府デモへの武力弾圧を強化する軍事政権が僧院を襲い、僧侶を大量拘束した27日、在ヤンゴンの本紙通信員が伝えてきたのは、非情で容赦ない弾圧を前に、憤りを感じながらも恐怖におびえる市民の姿だった。徹底弾圧の方針を示す軍政を前に、民主化を求め立ち上がった市民らは無力感を感じ始めている。ヤンゴン・南オカラパ地区のグェチャン僧院。窓ガラスが割れ、威嚇で発砲された弾が転がる敷地内は閑散としていた。デモを終えて体を横たえていた僧侶約250人は27日午前2時(日本時間同4時30分)過ぎに治安部隊の急襲を受けた。近くに住む女性は「僧侶の叫び声に交じって銃声が聞こえた」と顔を覆った。約100人が拘束され、難を逃れたものの、負傷し出血した僧侶らは、うちひしがれた表情で座り込んでいた。女性は「生活がよくなればとは思うが、怖い思いはしたくない。デモは良い手段ではないのかもしれない」とあきらめの表情だったという。軍政の武力行使が始まって2日目のヤンゴン中心部は、軍政による道路封鎖が前日よりも徹底され、近づく市民らに銃口を向けるなど、緊張感がさらに増している。それでも、連日のデモの終点に近い仏塔スーレ・パゴダ付近には、昼過ぎから学生を中心とした若者が多数集まり、軍政の対応を非難。トラック3台に分乗した治安部隊の兵士に投石した。兵士らは無表情で催涙弾や警棒などで応戦。若者らは次第に劣勢となり、解散を余儀なくされた。部隊の強硬措置は前日よりも苛烈(かれつ)で、流れ弾に当たる負傷者も出てきた。「学生が撃たれた」「僧侶がまた死んだ」といった情報は駆けめぐり、市民はおびえている。「武器を持たない者に対して卑劣すぎる」。30歳代の無職男性は興奮気味に語った。政治には興味がなかったが、この先の人生に展望が持てず、数日前から街頭に出て僧侶に水や食糧を施すようになったという。「ここまで盛り上げた僧侶や市民の思いを実らせたい。軍政は長くない。国連に期待したい」と話すが、その一方で、「でも、暴力は怖い。どうしたらいいのかわからない」。男性は仲間のいる場所に戻ると、「僧侶を解放しろ」などと再び叫んだ。ヤンゴンでは、デモや集会に直接参加せず、遠巻きにのぞいたり、拍手を送ったりするだけの市民が増えたという。別の男性も「刑務所に入れられるよりいい」と表に出るのをためらった。しかし、聞こえてくるデモ参加者の平和の歌に気持ちを高ぶらせたのか、本紙通信員の視線も構わず、怒りをぶちまけた。「軍政も仏教徒だ。僧侶を襲った彼らは必ず地獄に落ちる」(読売新聞 2007年9月28日)
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by illcommonz | 2007-09-30 01:53
▼「オレンジ色の革命」
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非常勤の講義が終わったあと、大学の衛星テレビで、ミャンマーのニュースをみた。
軍兵による武力弾圧がはじまる前のデモの映像。立ちあがった僧侶たちの行進と、
それに拍手を送る人たち、道に額づく人たち、勇気をふるって一緒に歩き始める人たち。
雨のなかでの行進。「ガンジーたちの「塩の行進」も、はじまりはこんなふうだったの
だろうか、、、」と思いながら見る。それはプラカードもコールもない静かなデモだが、
軍事政権下では「命がけのデモ」だ。人びとの表情にもそれが表れている。だから、
みんな背筋がピンと伸びている。覚悟をきめた人間の顔とすがただ。それに対し、
軍政がふるった暴力が、これを文字どおりの意味での「命がけのデモ」にし、この
「オレンジ色の革命」を流血の血で染めた。「こら、ばか、なにするんだ、ばか」と
つい口にでた。(つづく)

[関連記事]
▼「ビルマ軍政はなぜ僧侶のデモを恐れるのか 非暴力の闘いに国民の支持」
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=200709221729586
(「日刊ベリタ」2007年09月22日)

[関連サイト] 軍政府はネットを遮断したそうだが、世界はちゃんとみている)
▼「Democratic Voice of Burma」
http://www.dvb.no/
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by illcommonz | 2007-09-30 01:03
▼文化人類学解放講座(後期)
d0017381_5473339.jpgイルコモンズ・アカデミーと
リブート・キャンプの原点、
「文化人類学解放講座」が
今日からはじまります。

「ぶんかじんるいがくぅ、
なんだったっけ、それ」

「世界は人間なしに
はじまったし、人間
なしに終わるだろう。
とっぺんぱらりの、
ぷぅ・・・」

れび・すとろーすの「かなしき・ねったい」より

というわけで前期は文化人類学の複数の原点の一つである「文明批判」について
学びました。後期はいよいよ、その「文明批判」と「抵抗の学」としての文化人類学
の視点を「いま・そこにある同時代の文明」である「グローバリゼーションの世界」
にむけてゆきますが、その前に前期の復習をかねて、「進歩とは」「テクノロジー
の光と闇」そして、「他者理解/誤解」などについて、おさらいします。

1回目と2回目は「文化人類学解放講座・映像篇」として一橋大学でおこなった
オールナイトのセミナーを短くまとめたものをやりますので、ここにアップしてある
教材資料に目を通しておいてください。さしあたりまずは、「モンド・ヌバ・ダルフール
ミックス」「レジデンツのエスキモー(日本語字幕つき)」、そしてW・ヘルツォークの
「失われた一万年」などをみる予定です。

なお週に1回の授業だけでは十分に講義できないので、教室その他の事情が許す
範囲で、後期は時間を延長することもありますので、ぜひ積極的に参加してください。
ただし出席はとりません。
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by illcommonz | 2007-09-26 06:19
▼イルコモンズリブートキャンプレポート
d0017381_563818.gif札幌からキャンプ・レポートが届きましたので、
転載します。これからキャンプを企画しようと
する方は、参考にしてみてください。

【オープンまで】

★2007年7月21~22日の「イルコモンズ・トラベリング・アカデミー」札幌編で、イルコモンズさんの講義を観て聴いたなかまたちが、9月8日の「市民メディアサミット」のパネラーとしてイルコモンズさんに参加してもらいたい!と発案し、今回の企画が始まりました。「メディアサミット」までの一週間、イベントスペース「ATTIC」さんを会場にして、イルコモンズさんの「展示」をおこなおうという計画です。

★イルコモンズさんからは二つ返事で来札OKのお返事をいただきました。IRAのナリタさんから、ロストックで手に入れた山のようなパンフレットやポスターをお借りして来てくださるとのこと。それから、ZINEをたくさん、太鼓をたくさん、ノートPCをたくさん、必要ならマネキンでも自転車でも展示のために送ってくださるとのことでした。

★1ヶ月前、企画運営をする6人のなかまが集まりました。一週間にわたる展示期間、臨時インフォショップを営業するという趣旨で企画を進めました。インフォショップという大枠のテーマの他にも、インディペンデント・メディア、地域からの情報発信、wikipedia、クリエイティブ・コモンズ、アンチ・グローバリズム、アンチG8、D.I.Y.、現場制作、持続可能な開発のための教育、イルコモンズ、などなど、企画者それぞれがさまざまなテーマを持ってのぞみました。期間が一週間と長いことと、インフォショップは、個々人の自発的なアクションを可能にする場なので、やりたいことはなんでもかんでも盛り込むことにしました。

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★8月12日の晩に、過ぎゆく短い夏を惜しみつつ、某公園で決起飲み会がおこなわれました。

★8月14日に、ドリルさん主導でこの「リブート・キャンプ 札幌wiki」が開設されました。ニュース掲載やwikipedia翻訳プロジェクトなど、コンテンツが日々増殖しています。

d0017381_59362.jpg
★前もってイルコモンズさんより展示物が届けられました。ナリタさんからお借りした反G8行動のパンフ・ポスター・新聞・ZINE等と、イルコモンズさんのコレクションアイテムの書籍やビデオ、DVD、CD、ZINEなどです。

d0017381_5101536.gif【感想放談】
(☆印 参加者・談 ★印 企画者・談)

☆「イルコモンズ」の一連のイベントに参加して、見せ方しだいでメッセージに耳をかけむける人が増えるんだなあと思いました。例えばゴミ拾い(ここでは、環境や世の中について話し合ったり、行動したりする事全般を表しています)なんかに興味のない人にでも、伝え方を変えれば、それが「かっこいい」ことに見えて、やりだす人が増えるかもしれない。7月の「イルコモンズ・サミット」に参加したとき、DJプレイやライブ演奏があって、「これなら友達も誘ってこれる!」と思いました。

★どんな活動にしても、見せ方の工夫することは重要ですよね。その次にくるのが、センスの問題ですね。見せ方でいえば、2000年代になって、デモをピースウォークと呼んだり、デモ行進の中で行うことが変わってきたそうで(わたしはデモに興味を持ち始めたのがこの1~2年のことなので後から聞いたことです)、ポスターなどを見ていると、ほんわかというか、かわいい、みんなで手を取り合って...みたいなビジュアルで、楽しんで主張しよう、っていう呼びかけで、それまでデモに参加しそうになかった人も集まるようになったとのことですが、それに対して、小田さんがつくるビジュアルや、例えば、反戦の表現は心地よくない感じだったりして、わたしはそういう表現がものすごく好みです。センスの問題、とは言ったけれど、デザインや表現は考え方を反映するものだと思う。

☆前回、今回と、主にグローバリゼーションに対する抗議行動、デモのいろいろ、を見て、デモに対する見方が少し変わりました。行進だけじゃなくていろいろな表現があって、実際に会議を中止させる力もあって、みんなで楽しんでやっているようなものもあって。デモ行為が少し身近に感じられましたが、でもやはり、私は過激な物はダメですね。ブラック・ブロックのように物を破壊しよう! と言われたら、あっさり引っ込んでしまうと思います。

★あの人たちは、自分たちが怒っているということを言葉を超えて行動で表現しているのだ、と聞きました。抗議行動に集まった人たちの中には、異言語の人たちや、教育を受けていなくて言葉が選べない人や、知識が足りないという人がいる。では言葉を使えないと何も抗議できないのか? いや、一番原始的な「怒る」という表現ができる。言葉ではなくて身振りで抗議の意志を表現する手段もある、ということを知って力を得た気がします。

☆直接行動の形態が、ブラック・ブロックしかなかったら、私は参加するところが無くて、何も言わない一人、になりますね。でも今、海外のデモは表現の裾野が広がっているから、いろんな人が参加できそうですね。

★音楽を演奏して歩くシルバー・ブロックや、巨大人形を使うパペット・ブロック、他にもピンク・ブロックやクィア・ブロック、さまざまな表現手法をとる「ゾーン」があって、どれもこれも「組織」ではないので、参加したいところに個人が自由に参加できるそうです。いずれにしても「非暴力」が原則で、イルコモンズもガンジーの映像を使って、非暴力を説いていました。つっぱった派手な行為をしなくても、「今のままじゃいけない」「おかしい」と思っている、わたしたちみたいな割と一般の人が周りにどんどん広がって、好みのスタイルでデモをして、権力者が決めた世界じゃない、金第一の世界じゃない自分たちが作る「もう一つの世界」のあり方を、行動しながら探していければいいですよね。儲けることを優先してきたせいで、本当にひどいことが起こってきましたよね。公害、戦争、労働搾取。

★周りの人たちは、テレビや広告を見て、あれほしい、これほしい、ディズニーランド行きたい、安くブランド買いに香港行きたい、物価の安い海外に旅行して贅沢したい、こういう欲望に、特に疑問を感じずにいるように見えます。企業側も消費を増やすためには惜しまず力を注ぐから、広告手法もどんどんかっこよく洗練されていって、生活スタイルも価値観も広告によって規定されていく。でも、最近では、センスのよい人たちが、消費じゃない事に動き出して、どんどん格好いいものを作っているから、反消費もどんどん盛り上がってゆくと思う!

☆わたしは、競うように新製品を購入する流れとは違う家庭に育って、いまの自分もローテクでアナログな生活をしてる。でも私、セレブになりたかったんですよね。わらい。職人仕事に憧れていて、その技術と人生の時間と考えと材料を使って作り出したものを手にしたい、実際に使いたいと思っていました。大量に作られて、飽きたら捨ててしまうことを前提としている物じゃなくて。そういう職人や、芸術家仕事にお金をかけたら、その人はもっと技術をあげて素晴らしいものを作るに違いない。あれ? でもやっぱり、お金がないとダメなのか。職人を支援するにはやっぱりお金が第一に大事なのか? お金ってなんだろう。お金自体が問題じゃなくて、お金におく価値、お金の使い方、が問題なのかな。

★継続してほしいと思えるような、生産をしている人、小売店をしている人、運動をしている人のためにお金を使うのがいいと思う。(ここで「運動」という言葉が出てくることが尋常じゃないが。)

☆私、今回面白かった映像は、バキュームクリーナーという人たちの、「商品に祈りを」でした。あれがほしい、これがほしい、って、私もとりつかれているから、まさに! と思ったのと、ショッピングは宗教で商品は神だ、とは、ちょっとした見方の違いなのに凄く皮肉で面白い事をしているな、と思った。

★企業や広告や既成システムのスタイルを逆手にとって、批評的表現をするのが「カルチャージャミング」で、今回「アドバスターズ」その他の映像をいくつも見せてもらいました。どれも笑えますよね。あはは、と笑ったり、そうきたかとニヤリとしたり。

★あの晩、一番わたしの印象に残っている映像は、「やむなきことなきもの」です。繰り返される核爆発の映像と轟音に、久間元防衛相の「しょうがない」発言と昭和天皇の「やむをえない」発言の音声を重ねたものでした。

☆あの映像は、爆発によって立ち上った海水やうまれた雲が、ものすごい勢いで形を変えて、信じられないくらいで、でも現実におこったことで、想像つかないくらい巨大で、そしてもう止めてほしい、と願うほど何度も繰り返される爆発に、ものすごい恐怖を感じました。

★イルコモンズは「しょうがない」発言を受けて憤慨し、すぐさまあのような映像をこしらえました。途方もない恐ろしさや憤りや悲しみを感じさせる映像です。私自身、人としての本来もっているはずの感情を忘れて、主義主張の形式に沿って久間発言を批判していただけかもしれないと、気がつきました。イルコモンズは、怒りも悲しみも喜びも楽しみも、人が当たり前に持っているはずのまっさらで根源的な感覚を芯にすえた上で、社会と対峙し表現する、ということを一貫して追っているように思います。

☆普段の暮らしの中では、表現って、楽しみのためのもの、としか思っていなかったけど、それだけじゃなく怒りや悲しみ、伝えたい事のために表現があるんだと、今回参加して学びました。

d0017381_5145549.jpg以上
「イルコモンズ・リブート・
キャンプ 札幌wikiページ」より
http://www38.atwiki.jp/rebootcamp/

企画・立案の本多さん、おつかれさまでした。
るいくん、たみさん、ドリルくん、ATTICのみなさん、
自由学校のみなさん、やぎやのみなさん、
いろいろお世話になりました。

次の11月のウィンターキャンプでは、
FOOD NOT BOMBS と PUPPET の
ワークショップをやりたいですね。

では、また。
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by illcommonz | 2007-09-26 05:29
▼廃業作家と廃物たちの栄光の日の記録
d0017381_61137100.jpgいま、六本木の国立新美術館で開催中の
「安齊重男の“私・写・録(パーソナルフォト
アーカイブス)”1970-2006」
展を観てき
た友人から、展示写真の中にイルコモンズ
が2001年の横浜トリエンナーレに出展した
インスタレーションとイルコモンズの後ろ姿
を写した写真があったよ、と教えてもらいま
した。そういえば、たしかに撮影してもらった
記憶があるし、そのとき誰かから「安齊さん
に撮ってもらったら、作家として一人前だよ」
と云われた記憶があります。でも、同展の会期中に911の事件が起こり、(以下省略)で、
いろいろあったあげくに作家を廃業したので、その写真のことはすっかり忘れてました。
まだ会期があるようなので、「作家になりそこねた廃業作家」のめずらしい記録写真として
みにゆこうかなと思います。ちなみに、そのインスタレーションはもう存在しませんが、
その素材に使った電子楽器や電気製品は、あの天下の悪法PSE法を生き延び、
イルコモンズの家で静かに余生を送っています。「この廃物たちがアートと呼ばれた
日があったのか」と思うと、ちょっと感慨深いので、その栄光の日の記録をみにゆこう
と思います。

[追記] 「安齊の写真は二つの側面を持っています。ひとつは、アーティストの個性を的確にとらえた芸術性の高いポートレイトとしての側面であり、日本人だけでなくイサム・ノグチやヨーゼフ・ボイスなど外国の著名なアーティストも被写体にした数々のポートレイトは、国内外で高い評価を受けています。いまひとつは、歴史的価値の高いアート・ドキュメントとしての側面です。30余年にわたり日本の美術の最前線と伴走して撮り続けたおびただしい数の写真には、展覧会の会期中しか存在しなかったインスタレーションや、今はない画廊、物故者などを写した現在では貴重な写真が数多く含まれています。この芸術性と記録性の二面性が、安齊重男の写真の大きな特色です」。(同展の解説文より)
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by illcommonz | 2007-09-25 06:49
▼誰怕公園? 誰憎恨公園?
d0017381_5501798.jpg台北のサイト「個人新聞台 寂寞有罪」で、
イルコモンズが何年か前に「現代思想」
に書いた作文が紹介されてるよ、と
メールで教えてもらいました。

でも残念ながら、台湾語はわからない
ので、台湾語が分かる方、どういう内容
なのか、教えてください。
.............................................................................

誰怕公園? 誰憎恨公園?

今天讀小田昌教的論文,他提到西荻窪的某個公園-西荻窪位於杉並區(鄰接武藏野市),那個社區的氣氛跟吉祥寺一帶還蠻像-,我看他對那裡的公園的描寫很有感覺,我上次回東京時對社區公園有怪怪的感覺,沒有想到還有其他人也有類似的感覺!

東京郊外「品質良好」的中産階級住宅區居民、資本家和政府都害怕、痛恨像公園那樣免費可使用的公共空間。他們用各種各樣的禁止看板,要把人?走!

不好意思,我先放原文,等我弄好中譯之後再貼。

小田昌教「さよなら落書きなき世界:街をノックする者を怖れているのは誰か?」
 (『現代思想』特集=グラフティ)

●「・・・この地域にお住まいのみなさまどもは、自分のウチの庭でもいじりながら、ドアにしっかりカギかけて、一日中ウチにいろ。天下の往来で昼間から【休憩】するな、暇なら、はたらけ。タバコを吸うやつ、落書きするやつは外に出るな、ウチでネットでも見てろ。戦争に反対なら大統領にスパムメールでも送ってろ、ということだ。これじゃまるでもう戦時下の暮らしだな、と思ったよ。」
■「あの公園にいて思ったんだけど、いま、怖れられ憎まれているのは、もしかすると公園という場そのものじゃないかという気がするんだ。あの禁止の多さがなによりの証拠で、公園という場所自体が恐怖の対象になっていうんじゃないかと思った。怖れているからこそあんなに禁止が多いんだと思った。云うまでもないことだけど、公園は人が勝手にただで休憩し、余暇を楽しみ、自由に何かをする場所だ。だから、いってみれば公園は、資本主義のテリトリーとそのコードからはみだしたフリーゾーンで、資本や通貨の流れから外れた残余の場所だ。帝国の中に最後に残った野生の地だ。帝国の生活に塗れきってしまった僕らは、その最後の希望の地かもしれない公園という場の力を読み違えてしまって、それを怖れてしまっているんじゃないだろうか。これは微妙な感覚なんだけど、例えば僕らは、ただで何かモノを手にいれることや、ただでモノをもらうことに妙な居心地の悪さを感じるし、休憩や娯楽ですら資本に管理された価格のあるものの方を求めるようになっている。カラスがセミを食うことに何かイヤな感じを覚えたり、タダのものに不信感や警戒心を覚えるという始末だ。あらゆるものにお金を払うことに慣れすぎてしまって、消費者根性とでも呼びたくなるような卑しさが身についてしまっている。無償のモノのなかで生きる感覚や想像力をなくしてしまっている。落書きのような無為な行為に手を染めることをつい臆してしまう。そんな僕らは、ライセンスのないとりひきやパッケージのないたべもの、レシートのない品物やビジネスのないつきあい、コピーライトのない歌やイズムのない思想。マーケットのない努力やプライスのないただのサービス、そういう資本主義生活のやりくり(エコノミー)から外れたモノや事件に囲まれた野生の暮しというものを想像することすらできなくなってしまっているために、公園を怖れてしまってるんじゃないだろうか」
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by illcommonz | 2007-09-25 06:00
▼とっぺんぱらりの、ぷ。
d0017381_5295035.jpg▼「美しい国」会議を廃止(時事通信 9月21日)
政府は21日、安倍晋三首相の退陣表明を受け、首相の下に設置していた「美しい国づくり」企画会議(座長・平山郁夫前東京芸大学長)を廃止した。同会議は文化、芸能、歴史、産業など各分野で、日本らしい優れたものを国民の意見を聞きながら選び、内外に発信する方策を検討していた。とさ、とっぺんぱらりのぷ。


【とっぺんぱらりのぷ】 東北地方などで荒唐無稽な昔話のおしまいに発せられる句。
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by illcommonz | 2007-09-25 05:34
▼選べばよいというものではない
d0017381_5121662.jpg「選択肢がない時は何も選ぶな。
別の方法を考えよ」とは、
EZLNのマルコスのことば。

3日間、ねていたあいだに
「子が親の寝首をかく」国の
政治を与る党の次の総裁が
きまったらしい。さて、次の
辞任まであと何日。

そして、こんなニュースも。

「仏フィガロ紙、「福田康夫氏優勢」の記事に麻生氏の写真」
【パリ=林路郎】フランスの有力紙フィガロが22日に掲載した「日本の首相に福田康夫氏が優勢」との分析記事に、誤って麻生太郎・自民党幹事長の大きな写真が使われるハプニングがあった。福田氏が23日に自民党総裁選に勝利した後も、同紙のウェブサイトでは「新総裁」として麻生氏の顔写真が掲載された。紙面やサイトで使われたのは、AP通信が「麻生氏」として配信した写真。ところが写真説明は、「福田氏は、国だけでなく党を救う人物となるべく立候補している」となっていた。(読売新聞 9月23日)
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by illcommonz | 2007-09-25 05:21
▼ほんとうにあった話の夢
d0017381_4441868.gif寝て三日目にアフリカで暮らしてたころの夢をみた。となりの村で、
ある男がねずみ退治の毒を盛って実の兄弟を殺したときのこと。
夕暮れに、大きなムコネの樹の下にみんなが集まって話し合って
いる。この事件のことをみんなが話している。長老や大人たちは
口々にこう云っている。「これはおそろしいことだ、まったくひどい
ことだ」。真剣な表情でみんなそう云う。長老は杖で地面を打ち据え
ながら話す。杖が地面を打つたびに地面がビリビリふるえ、砂埃が
たつ。いつもは陽気な仕立屋の男も語気を荒げてこう云う。「兄弟を殺すなんて、
人でなしのすることだ」。こどもたちはじっとそれをきいている。陽がすっかり落ちて、
あたりがまっくらになっても、話は終わらない。暗闇のなかで怒声と非難が響く...
そういう夢だった。こんな夢をみたのは、「子が親の寝首をかく」というニュースを
みたせいだと思う。「人を殺せば世間が許さない、ましてや身内となれば、なおさら
のことである」。こういうあたりまえのことを、身近な人間たちのことばや感情を通じて、
身をもって知る場がなければ、こういう事件はこれからもつづくと思う。そう思うと、
せっかくたくさんねたのに、寝覚めがよくない。「心の闇」とかなんとかいうが、そんな
ことをいってもはじまらないと思う。それよりも、共同体社会は、こうした事件がおきた
とき、それにどう対応しているか、それを手本にして考えなおしたほうがよいのでは
ないかと思う。
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by illcommonz | 2007-09-25 04:57