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いる・こもんず 【普通名詞】 01| ありふれて変なもの 02| 扱いにこまる共有物 03| 分けても減らぬもの 04| 存在とは常に複数で他と共にあり、狂えば狂うほど調子がよくなる
はじめに、ふた、ありき

イルコモンズ編
見よ ぼくら
四人称複数
イルコモンズの旗
(Amazon.comで
大絶版廃刊中)
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▼マイ・ローカル・ニュース
d0017381_2220165.jpgとんこつラーメンの老舗、
元祖長浜屋が「替え玉」値上げ

 とんこつスープが特徴の長浜ラーメンの老舗として知られる「元祖長浜屋」(福岡市中央区)が1月6日から、替え玉を約30年ぶりに、現在の50円から100円に値上げすることになった。小麦の価格高騰などのあおりを受けた末の苦渋の決断だが、常連客からは「ついに長浜屋もか」と残念がる声があがっている。山本和子社長によると、同店は屋台としてスタートし、1975年に店舗化して以来、ラーメン自体は小刻みに値上げしていたが、替え玉の50円は据え置いていた。しかし、小麦の値上がりや、石油価格高騰に伴う燃料費の増加が経営を圧迫していた。(読売新聞 12月31日)

1975年といえば、第一次「オイルショック」(1974年)の翌年。

「オイルショック」とは、なにか?
「1973年10月6日に第四次中東戦争が勃発。これをうけて10月16日に、石油輸出国機構(OPEC)に加盟のペルシア湾岸産油6カ国は、原油公示価格の21%引き上げと、原油生産の削減とイスラエル支援国への禁輸を決定。さらに12月には,翌1974年1月より原油価格を2倍に引き上げると決定した。(中略)前年からの列島改造ブームによる地価急騰で急速なインフレが発生していたが、オイルショックにより相次いだ便乗値上げなどにより、さらにインフレが加速されることとなった。国内の消費者物価指数で1974年は23%上昇し、「狂乱物価」という造語まで生まれた。インフレ抑制のために公定歩合の引き上げが行われ、企業の設備投資などが抑制。結果1974年は-1.2%と戦後初めて、マイナス成長を経験し、高度経済成長がここに終焉を迎えた」

「オイルショック」で、なにが起きたか?
▼トイレットペーパーや洗剤など、原油価格と直接関係のない物資の買占め騒動(トイレットペーパー騒動)、デパートのエスカレータの運転中止などの社会現象も発生した。
▼競争力を失った「構造不況業種」を縮小させ、成長分野に資源を振り向ける「積極的調整政策」。素材産業の不振、加工組立産業の成長。
▼雇用調整(新規採用の停止、残業時間の短縮など)
▼テレビの深夜放送の休止

そして、もうひとつ忘れてはいけないのが、これ。
「フランスのジスカール=デスタン大統領の発案により、1975年に第一次オイルショック以降の経済の回復を主たる議題とした第1回先進7カ国首脳会議(サミット)がフランスのランブイエ城で開催された」

歴史はくりかえしたがっているようだ。

「2004年からの(目立った供給減少を伴わない)原油価格高騰が、これら石油ショックの再現となるのではないかとの懸念もある。事実、原油先物相場が史上最高値を更新し続けているなど原油価格高騰を受けて、石油が関係している製品の値上げも相次いでいる。 この値上げが原因で個人消費が冷え込み景気を後退させる恐れがあるとして、一部から第三次オイルショックの発生を懸念する声がある。2007年現在も原油先物相場での原油価格が伸び続けており、1バレル100ドルを越えるのは時間の問題と言われている」(以上、Wikipediaより)

かつてマルクスはどこかでこう書いていた。「歴史はくりかえす、一度目は「悲劇」として、二度目は「喜劇」として」。しかし、彼はこう書くのを忘れていた。「三度目は「寸劇」として」。さて、もうじき年が明ける。「明けましておめでとう」といってよいのか、わからないが、もうじき泣いても笑っても、年はあける。ごーん、ごーん、ごーんというゴングととともに。
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by illcommonz | 2007-12-31 22:43
▼「社会鍋と路上鍋」考
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サルベーション・アーミーの「クリスマス・ケトル」。日本では「歳末の助け合い、
救世軍の社会鍋」。駅前でやってると、つい、じぃぃっと立ち止まって見てしまう。
昨晩は新宿駅の西口でやってた。小さい女の子が大きなアルト・ホルンを抱えて、
「アメイジング・グレイス」を演奏してた。それにあわせて、いつも持ち歩いてる
パンデイロで、タタタタタンとリズムと打ってみたら、なかなか具合がよかった。
チンドン屋にしろ、マーチングバンドにしろ、外でドラムとラッパが鳴ってるのが
聞こえると居ても立ってもいられなくなるから困ったものである。それはさておき、
新宿駅の西口と東口という違いはあれ、同じ鍋でも社会鍋は公けに認められ、
路上鍋が公権力によって追い払われるのは、ちょっと不公平だな、と思った。
路上鍋は、居酒屋のテーブルチャージどころか、電車代すらろくに持ってない
ような貧乏人たちが、歳末の冬空の下、ひとつのこたつで鍋をかこんで、今年
一年の貧乏を笑いとばす、歳末助け合いの運動である。慈善事業とまでは
云わないが、少なくとも、悪ではないはずだ。もちろん犯罪であるわけがない。
たしかに多少騒がしいところもあるが、クリスマスセールの呼び込みなんかに
比べれば、ずっとおとなしい。それに、ちょっとくらい騒がなければ、鍋だって
うまくないし、酒もまずくなる。三波春夫だって云ってるぞ。「知らぬ同士が
小皿たたいてチャンチキおけさ」と。「外で食べるな」というかもしれないが、
それなら屋台はどうなのだ?屋台でたべるからこそうまいものもあるだろう。
テレビのCMだって「寒いこの季節はやはり鍋ですね」と云ってないだろうか。
それなのに「なぜ路上鍋だけが?」と今頃になって急に疑問に思えてきた。
だが、むずかしく考えることはない。それは単にひとが路上鍋をまだ見慣れ
てないからだと思う。慣れれば、なんてことはない、ただの路上鍋である。
はじめはどんなに奇異にみえるものでも、慣れてしまえば、なんでもない。
文化というのはそういうものだ。はじまったばかりの文化のことを流行と呼び、
長続きしている流行のことを文化と呼んでるだけのことだ。そもそも「外で
鍋を食べることのどこが変なのか?」と問われて、それにちゃんと答えられる
人がいるのだろうか?それに、路上鍋だって歳末恒例の行事となりつつある。
今年はクリスマス・イヴの夜に福岡、京都、札幌の3ヶ所でデモが行われ、
それぞれに、こたつと鍋が登場した。。ケータイやゲームでバラバラにされた
現代社会のどまんなかに、人と人とむすびつけるこたつと鍋がよみがえって
きたのはきわめて象徴的である。ポストモダンのどまんなかにプレモダンな
民衆文化が回帰してきたのだ、これを反乱と云わずて何という。おそらく
来年はもっとたくさんのこたつと鍋が、クリスマスめがけて戻ってくることだろう。
大分でも、熊本でも、鹿児島でも、兵庫でも、鳥取でも、大阪でも、横浜でも、
「こたつの民」と「鍋の衆」たちの反乱が始まるだろう。そして、もし、そこに、
おばさんたちが加勢してきたら、これはもうたいへんなことになる。富山の
「米騒動」、別名「女房一揆」以来の、「こたつ騒動」と「鍋一揆」がはじまるだろう。
もしこの「オイルショック」がこのまま続いて、食料品の値段が上がり続ければ、
クリスマスを待たずに、夏には各地で火の手があがるだろう。あらゆる革命は
おばさんたちが鍋をもって街にとびだし、鍋を打ち鳴らすところからはじまった。
お腹をすかせた家族のためにおばさんたちが立ちあがるとき、歴史が動く!!
とかなんとか、たしかクリスマスの夜は、高円寺の「素人の乱」でそんな話を
してたっけなぁ、、と、いま思い出した。

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by illcommonz | 2007-12-28 11:37
▼ダウンロードは音楽業界をつぶさない
ということをレコード会社に教えたいので、ダウンロード版ではなく、
輸入CD版を買った。そして今日まで我慢して待ってたかいがあった。
これはすごい!

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▼Radiohead "In Rainbows"

本当に好きな音楽はmp3ではなく、CDで聴きたいと思うし、アートワークにも
ふれたいと思う。本当に好きなバンドならなおさらのことそうである。もちろん、
リスナーが自分で価格を決めるというシステムもいいと思うが、これほどまで
魂をゆさぶられる音楽には、そもそも値段のつけようがない。それなのに、
それが他のCDと同じ値段で手にはいるというのは、実は「ギフト・エコノミー」
ではないのかと思う。本当は何万ドルもの価値があるものを、レディオヘッドは
数ドルで世界に気前よく贈与し、平等に分配しているのだから。

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[追記]特にアルバムの最後のこの曲は聴いてると背筋が凍りそうになる。

「これが僕からの「さよなら」の挨拶。だって、もう君と顔をあわせて
話すことができなくなってしまったのだからね。そう、僕はずっと前に
君に話していたのさ。何が起こったって、こわがることなんかないよ。
僕にはわかってるんだ。今日はこれまででいちばん完璧な日だってね」
レディオヘッド「ビデオテープ」

19世紀イギリス・ロマン派の詩人サミュエル・コールリッジのことを
「墓石の向こうから語ることができる詩人」と評した批評家がいたけど、
トム・ヨークは「墓石の向こうから歌うことができる音楽家」だと思った。
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by illcommonz | 2007-12-28 08:31
▼「芸術新潮」かと思った
d0017381_885882.jpg「美術手帖」11月号
特集=鳥獣人物戯画絵巻

「美術手帖」12月号
特集1=松井冬子
特集2=日本画復活論

「美術手帖」1月号
特集1=展覧会のつくり方
特集2=村上隆
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by illcommonz | 2007-12-28 08:10
▼「渋谷246ギャラリー」と「ルート181ギャラリー」
d0017381_222559.jpg「渋谷246ギャラリー」問題をめぐる
第一回「表現者会議」に出席した。
この日は別の連絡会議もあったので、
途中でぬけたが参加者は14人で、
14人の中には美術雑の編集者や
ライターはひとりもいなかったようだ。
(みんな「GEISAI MUSEUM2」の
取材にでも行ってたのだろうか)。
あいにくあまり時間がなかったので、
「ギャラリー246」の壁画「春の小川」
を現場で見てみて、「アート作品」や
「デザイン」としてどう思ったかという
ことを主に話した。たしかに、絵そのものは、いかにもファンシーで、いかにもカワイク、そして、いかにもイノセントで、ソフトタッチな図柄なのだが、その図柄とは裏腹に、そこには或る強烈なメッセージを感じざるを得なかった、と発言した。すなわちそれは、「立ち止まるな、考えるな、忘れろ、そして、とっととこの場所を通りすぎて、ショッピングにでも行ってろ」というものだ。ちょっと大げさ過ぎるかもしれないが、そう思った。とはいえ、街の「ジェントリフィケーション」を進めたがってるクライアントが求めていたのは、まさしくそういうものだったはずなので、そういう意味では、クライアントの要望にまるまる100パーセントこたえた(こたえすぎてしまった?)「コミッションワーク=嘱託作品」なのだが、それによってアートやデザインの「何か」が失われてしまってるような気がしてならなかった。会議の詳しい内容については後日、主催者たちからレポートがあると思うが、とりあえず現時点ではまだ「日本デザイナー学院」との「対話」の見通しは立ってないという。なんとも気が滅入るので、気分なおしに、別の「ギャラリー」の話をひとつ。

d0017381_711526.jpgこの写真は、世界の反対をおしきって、イスラエル軍事政府が「国連決議181の分割線」の上に建てた「隔離壁」、つまり、パレスチナ人に対する「アパルトヘイトの壁」なのだが、いま、その壁は、バンクシーをはじめとする世界の有名・無名・変名・匿名のアーティストやデザイナーたちによる「反アパルトヘイト」のグラフィティやポスターなどで、どんどん埋めつくされつつあるらしい。数年前、ミシェル・クレイフィとエイアル・シヴァンが、「国連決議181の分割線」に沿って車で旅をしながら撮った、ポリティカル・ロードムービー「ルート181」にちなんで云えば、さしづめ「ルート181ギャラリー」とでも呼べそうな光景である。

この写真は、いま、ベツレヘムを旅している元・T.C.D.C.のメンバーの友だちが現地で撮影したもので、メールにはこう書いてあった。


「このあたりは、パレスチナのこどもたちもたくさん住んでいます。それに世界各地からの観光客がグラフティを見にきています。壁にかかれたグラフティの観光化はパレスチナ人に対するイスラエル政府の隔離政策も世に伝える一歩だと思います。それに、薄暗い壁を楽しく書き換えるのはすごくおもしろいと思います」

d0017381_5213265.jpg薄暗い壁を楽しく書き換えるグラフィティ。それをこの壁でまず最初にやってみせたのがバンクシーだった。このビデオに見られるようにバンクシーは、他者への恐れと不信、そして憎悪と排除の念がつくりあげてしまったこの巨大なアパルトヘイトの壁を、「風船を手にした子どもが飛びこえてゆこうとするグラフィティ」を描いてみせた。「この高い壁をのりこえて向こう側に行くための梯子のグラフィティ」を描いてみせた。「この部厚い壁に巨大な穴をあけるための切り取り線のグラフィティ」を描いてみせた。こうしたものこそ本当のファンタジーであり、ヒューモアだと思う。それは、いま・そこにあるシリアスな現実や同時代の社会問題と、その現場で正面から向かい合うときにはじめて生まれてくるもので、解決困難と思える問題を浮かびあがらせつつ、しかし、それにからめとられることなく、それをふりほどいてゆく思考と想像力の産物である。そうした思考や想像力に、かたちを与え、目に見えるものにするのが、アートの役目であり、デザインの仕事ではなかっただろうか。

この「ルート181ギャラリー」のグラフィティやポスターは、「立ち止まるな、考えるな、忘れろ、そして、とっととこの場所を通りすぎて、ショッピングにでも行ってろ」という、「渋谷2446ギャラリー」の壁画とは反対に、ショッピングに行く人をその前に立ち止まらせ、考えこませ、そして依然としてそこにある問題を、もう一度思い出させる力を持っている。そういえば、「渋谷246ギャラリー」の壁画にも、ひとつだけ問いがあった。それは渋谷の小川に住む魚たちが「わたしたちは何匹いるでしょう?」と問いかけるというもので、いかにも無邪気な問いのようだが、それは、他の問いをたてさせないためのニセの問いとしか思えなかった。この数の問いには答えはひとつしかなく、一度その答えが分かればそれきり、という使い捨ての問いである。というより、なんだかひどくバカにされてるような気がした。

d0017381_6432662.jpgそれはさておき、たとえば、バンクシーのそれのように、いかによくできたグラフィティであっても、グラフィティによって、いま・そこにある現実そのものを変えることはできないし、アートやデザインによって社会や政治の問題そのものを解決することはできない。でも、それはあたりまえの話で、それはもともとグラフィティやアートの役目ではないのだ。だが、しかし、よくみてみよう。この「アパルトヘイトの壁」に描かれたグラフィティやポスターには、ある共通の「何か」が感じられないだろか。何かつながりのようなものが感じられないだろうか。それは、バンクシーが描いてみせたファンタジーに解放感を感じ、そのヒューモアに鼓舞され、そして、その表現と姿勢に共感を覚えたアーティストやデザイナーたちの連帯である。アパルトヘイトの壁を埋めつくしはじめたグラフィティやポスターがつくりだした光景は、そうした共感や連帯から生まれたもので、そうした共感の連鎖や連帯の風景をつくることが、「アートやデザインにできること」だと思う。たしかにアートやデザインは現実そのものを変えることはできないが、共感の連鎖を生み出すことができる。アートやデザインに社会の問題そのものを解決することはできないが、社会の風景やものの見方を変えることができる。この書き換えられた「アパルトヘイトの壁」がその動かぬ証拠だ。この壁はこれからさらに書き換えられ、共感の連鎖と連帯の風景をつくりだしてゆくにちがいない、いや、というより、そうなるように自分もまたその連鎖と風景に加わりたいと思った。そして、不信と恐れそして憎悪と排除でできた壁が、それとは正反対の共感と連帯の表現で完全に埋めつくされたとき、壁はその意味を変えることになるだろう。

最後にもう一度「渋谷246ギャラリー」に話をもどすと、絵の良し悪しや出来はともかくも、あの壁画に対しては、残念ながら、こうした共感や連帯をまったく感じることができなかった。絵を描いた「日本デザイナー学院」の学生たちは、おそらく、そういうふうには考えてなかったと思うが、やはりあの壁は「路上生活者に対するアパルトヘイトの壁」に見えてしまうのだ。「排除は排除の連鎖を生む」。あの壁画が一度グラフィティで上から塗りつぶされる、ということがあったのは、あの絵に「排除」や「隔離」を敏感に感じとった人間がいたからではないだろうか?排除は排除の風景を生むのだ。

d0017381_711298.jpgきっとあまり気が進まないかもしれないが、「日本デザイナー学院」には、ぜひともこの現実に向かいあい、あの壁に「排除」や「隔離」を感じた人たちと「対話」の場を持つことを期待したい。彼/女たちが望んでいるのは「論争」ではなく、「アートって何だったっけ?デザインって何だったっけ?」という、問いなのだから。そして、もし可能なら、あの壁が排除したものを、アートのファンタジーやデザインのヒューモアでもって、もう一度、呼びもどすようなものに書き換えることを望みたい。「246表現者会議」の主催者や参加者のなかには絵描きが何人もいるので、協力は惜しまないはずだ。本当の「コラボレーション」というのは、そういうものだと思うし、「ルート171ギャラリー」はその格好の手本になるかもしれない。

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[追記] 上で紹介したメールに「パレスチナの壁には、世界各地から落書きしに、
パレスチナまできてるんですね。すばらしい行動だと思います。和物は一切
ありませんでした。わたしはできたら、連帯もこめて、日本のアナキストシーンも
マーキングしたいなー思っています。そこでですね、できたら、やはり日本の
アナーキーシーンになにか作ってもらって、それを隔離壁に貼りたいな思って
います」とあったので、さっそく、ひとつつくってみた。

d0017381_7565567.jpg
元・T.C.D.C.の仲間からの呼びかけだったので、T.C.D.C.のロゴマークを使った
ポスターにした。切り抜けばそのままステンシルにもなるようにデザインしてみた。
コピーは「僕らのドラムのビートは、このアパルトヘイトの壁をつきぬけてゆく」。
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by illcommonz | 2007-12-28 07:27
▼殺すな
d0017381_1111526.jpg「ブット元首相、暗殺される=
集会で自爆テロ-総選挙控え治安悪化」

パキスタンの首都イスラマバード近郊のラワルピンディで27日、野党指導者のベナジル・ブット元首相(54)が来年1月8日の総選挙に向けて主催した政治集会で自爆テロがあり、ブット氏は死亡した。元首相暗殺を狙ったテロとみられる。パキスタンでは、ムシャラフ大統領の宣言した非常事態が15日に解除され、総選挙が次の焦点となっていた。最も有力な野党指導者のブット氏が死亡したことで、政情の混迷に再び拍車が掛かるのは必至の情勢だ。ブット氏が集会での演説を終え、会場を後にする際、会場出入り口で爆発が起きたという。ロイター通信が警察の話として伝えたところでは、容疑者は男で、ブット氏に向けて発砲した後、自爆した。同氏は病院への搬送中に死亡した。頭部に銃弾を受けたとの情報もある。同氏以外にも少なくとも15人が死亡しており、犠牲者は増える恐れがある。(時事通信)

ベツレヘムに滞在中の友だちに頼まれて「隔離壁」に貼るステッカーのデザインをしてたら、このニュースがとびこんできた。まだ途中だけど、まずここに貼る。

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by illcommonz | 2007-12-28 01:14
▼もうひとつのクリスマス映画「無買日 京都二〇〇七」
d0017381_1231211.jpg
「無買日 京都二〇〇七」(Buy Nothing Day Kyoto 2007)
[出演] ガービ・クロース ダニエル・クロース スザンヌ・クロース 
イルコモンズ・クロース ケンジ・クロース シロー・クロース ユリ・クロース
[撮影] 甲斐賢治+小田マサノリ
[編集] イルコモンズ
[制作] イルコモンズ映画舎
カラー/モノクロ 13分

(あらすじ)
「買うものであなたが決まる(You are what you buy)」という丸井のクレジットカードのCMを見たイルコモンズ。「そんなことあるものか!このCMは人間に対する冒涜だ!」と腹をたて、毎年、クリスマス・シーズンに行われるアドバスターズの「BUY NOTHING DAY」に参加することを決意。 早速、自作のキャンペーン・ポスターをつくり、YouTubeにキャンペーン・ビデオをアップし、さらに、「資本主義への日々の投票用紙」であるレシートで覆われたマネキンまでこしらえるが、それでもまだ腹の虫がおさまらない。そこで、毎年、「BUY NOTHING DAY」に京都四条河原町の阪急百貨店前で行われる「禅タ・クロースの座禅」イベントに参戦。はたしてそこでイルコモンズが見たものは何か? そして、「僕らがどんな人間かを決めるのは何なのか?」という問いにイルコモンズが出した答えは何か?現代美術家で民族誌家でメディア・アクティヴィストのイルコモンズが、クリスマスに贈るヒューマン・ドキュメント。

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d0017381_1581023.jpg今年の「バイ・ナッシング・デイ」を一緒に過ごしたサンタのなかまたちに、「クリスマスのお返し」として贈ったムービーをネットにアップして分け合うことにしました。解像度がやや低めなので、画面サイズを小さくし、部屋の電気を暗くして、ごらんください。2分40秒あたりからはじまるシークエンスに、ちょっとした「映画の魔法」をかけてみました。映画のはじまりの時代からある、とても単純で古典的な手法ですが、「時代をもとにもどし、いまの社会の流れを変えたい」というサンタの願いを表現するのには、ぴったりでした。来年1月の「イルコモンズ回顧」展と同時開催の「ビデオ・ランデブー~映像の現在」展でも上映しますので、そちらにもぜひどうぞ。
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by illcommonz | 2007-12-27 01:54
▼第一回「246表現者会議」
d0017381_16582540.jpg仕事が終わったら、
渋谷のこの会議に出席しようと思う。

第一回「246表現者会議」
日時:2007年12月26日(水) 18:00~
場所:渋谷駅南口R246高架下歩道
(渋谷アートギャラリー246)
参加者:武盾一郎、小川てつオ、ほか
こたつと鍋こそないが、またしても路上である。いま、日本のあちこちの都市を亡霊たちが
うろついている。「路上解放」という名の亡霊たちがうろついている、という冗談はさておき、
ここで書いた通り、これはアートにとって決してゆるがせにできない事件であり問題だと思う。
この問題をちゃんととりあげることができないような美術批評誌は、チリ紙交換に出すか、
山羊に食わせてやった方がましだと思う。今日の夜は、別の連絡会議にも出席するので、
あまり長居はできないけど、とにかく現場に行ってみようと思う。連絡会議の後は、
「うさぎ!会議」もある。ちょっとカゼをひきかけてるので、全部に行けるかどうかは
分からないけど、行けるところまで、行ってみようと思う。

「246表現者会議発足の挨拶」小川てつオ
 渋谷駅の東口と南口を結ぶ246号、JRと東横線の高架下に、以前からダンボール小屋などで、5~10人の人が住んでいる。高架下のために雨を避けることも出来、また大きな排気口があって、冬でも外気よりも少し暖かい。2007年3月に、その246号の両脇と地下道の壁面に、壁画が描かれた。渋谷桜丘周辺地区まちづくり協議会の依頼により、日本デザイナー学院が、学生の間で公募を行い、学生たちの「春の小川プロジェクト」チームが描いたものだ。描く時は、住んでいる人たちも家を動かし協力した。7月に全面的にグラフィティを描かれ、それに対して白く塗りつぶし再び壁画を描く。10月の終わりころに、滞在者各位に対する「移動のお願い」という張り紙がされた。渋谷区2丁目、3丁目、道玄坂一丁目、渋谷アートギャラリー246の連名である。滞在している場所は、ギャラリーの一部で、今後ギャラリーにふさわしい舗装や展示の足場、彫刻物などの展示に使う予定だから早急に移動してくれという内容。10月30日、支援団体、町内会、東急、交通省、などの話し合いが持たれ、平行線のまま、現在、役所側が、住んでいる人に寮に入るように説得を続けている。12月はじめ、放火とみられる出火のためダンボール小屋が一軒焼失。(幸いけが人はなし)。
 はじめ、この話をきき、現場を見に行ったとき、なんともいえない怒りを感じた。アートの名において、「追い出し」をかけるなんて、あまりにアートを馬鹿にしている、と思ったのである。なんで、現場にいる一番の地域の人である人たちのことを(しかも敵対的ではない人たちのことを)無視するような作品を作って、平気なんだろうと不思議だった。それは、追い出しにいたる発想の中にすっかり収まってしまっているようにみえた。ぼくは、ここで、アートとは何かを問わなければ、アートが危ない感じがした。他の人の意見を聞く中で、アートを巡る問題がここにたくさん詰まっていることを感じた。とても一人では考えきれないし、また一人で考えるより大勢で考える方がいいと思って、会議をやろうと思いました。この問題に関心を持つ人や関係する人たちと、なぜこういうことになってしまったかをじっくり話し合ってみたい。からまった糸はほぐし、色んな立場の人の話をきちんときき、アートの可能性、を考えてみたい。個人的には、自分のアートを考えたり学んだり反省したりするきっかけにしたいし、色んな人と出会うのを楽しみにしてます。発起人の一人としては、自分の意見と異なっても誰の意見も無視されない、大切に扱われる場をつくることを頑張りたいと思っています。
 会議に色んな人が参加してくれるといいなと思ってます。
 気軽に興味本位でもいいので、遊びにきてください。

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[追記] 現代アートといえば、こんなメールががきてた。

「GEISAIミュージアム2
2008年5月11日(日)開催決定!」
ブース先行申し込み受付中!詳しくはこちら。
http://www.geisai.net/

どうも、いまの現代美術には、グローバル・マーケットの世界に自ら進んで組みこまれて行こうする流れと、ストリートやコミュニティの現場にとどまろうとする流れの、ふたつの流れがあって、そのあいだでの「格差」がいよいよ広がりつつあるような気がする。別の見方をすれば、コピーライトのある私有化されるアートと、コモンズとしての共有化されるアートのふたつに分極化しつつあるようだ。そのどちらが次の時代のアートになるのかは分からないが、「どちらか一方に賭けろ」と云われれば、もちろん迷わず後者のほうに賭ける。たとえそれが「貧乏くじ」だったとしても、やっぱりそうすると思う。フューチャー・ポーヴェラ、貧しい未来よ、こんにちは、といいたい。
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by illcommonz | 2007-12-26 17:11
▼ザ・デイ・アフター・クリスマス
d0017381_604022.jpg▼「クリスマス巡礼者が回復
紛争沈静のベツレヘム」

【ベツレヘム25日共同】世界のキリスト教国やゆかりの場所で24日夜から25日にかけ、クリスマスの礼拝や祝賀行事が行われた。イエス・キリスト生誕の地とされるヨルダン川西岸のパレスチナ自治区ベツレヘムには、紛争の沈静化を受け、2000年以降で最多の巡礼者数千人が世界から集まり深夜ミサで祈りをささげた。カトリックの総本山、バチカンのサンピエトロ大聖堂で行われたミサで、ローマ法王ベネディクト16世は地球について「ひどい扱いを受け、汚染されている。将来が脅かされている」と述べ、地球温暖化や環境汚染をもたらしている物質文明の弊害を警告した。2000年秋に始まったイスラエルとパレスチナの衝突は、ベツレヘムではほぼ終息し、和平交渉の7年ぶりの再開などで治安イメージも改善。市中心部の広場は24日、パレードやコンサートで終日にぎわった(2007年12月25日)。

ところで、クリスマスになると、いつも思い出すのは、カトリック系の幼稚園に通っていたときのクリスマスのこと。その幼稚園では年長組になると、クリスマスの学芸会で「聖劇」をやることになってた。「聖劇」というのは、「いと高きところに栄光あれ、大地に平和あれ、人の心に愛あれ」とか、そういう聖歌をうたいながら、ベツレヘムでのイエスの誕生の物語を再現する宗教劇のことで、別名「キリスト降誕劇」ともいう。こないだ読んだニュースによると、イギリスのパブリック・スクールでは、非キリスト教系の移民の子どもたちに配慮し、「降誕劇」の上演を廃止したり、宗教的ではない別の演目にふりかえる傾向にあるらしい。パブリック・スクールとしては「政治的にただしい判断」だと思う。それはさておき、年長組のクリスマスのときは、ベツレヘムへ旅をする「東方の三博士」の役をやることになった。「東方の三博士」は長まわしのセリフが多く、幼稚園児にはちょっとむずかしい役だった。演技はともかくとして、ことばやうたを覚えるのは得意だったので、博士役のひとりに抜擢された。とてもうれしかった。なかでも、いちばんお気に入りのセリフは、「みよ!あれがベツレヘムの灯だ!」というやつで、夜更けに丘の上から遠くの方を指差して、ひときわ大きな声で、そう云うのだ。すると、長い旅でくたくたになってた他の二人の博士たちが口をそろえて「おお!」といい、それにつづけてこう云う。「さあ、行こう、ベツレヘムへ行こう!」と。そして3人で舞台のそでに静かに消えてゆく。そういう役だった。ベツレヘムという地名は幼稚園児の生活にはまったくなじみのないことばなので、ちょっと覚えにくいのだが、「さあ、ベツレヘムへ行こう!」というセリフが、そのころ好きだった「ブレーメンの音楽隊」の「さあ、みんなでブレーメンへ行こう!」というセリフと似てたので、すぐに覚えられた。いまでも「ベツレヘム」や「ブレーメン」という地名をきくと、そのときのことを思い出し、いつか行ってみたいと思うが、まだ行ったことはない。いつか行ける日がくるのかどうかもわからないけど、いつか行ってみたいと、いつもそう思ってる。たとえ行けなかったとしても、まだ見ぬ遠い土地のことをあれこれ想像し、それに憧れ続けるのがロマン主義者の、なによりのたのしみなので、たぶん、いつまでたっても行かないような気もするが、もし機会があれば、やっぱり行ってみたいと思う。それはともかくも、人生はいいことばかりではない。その冬に流行したインフルエンザにまっ先に罹ってしまい、ほかの園児たちに伝染さないように、けっこう長いあいだ幼稚園を休むことになった。熱を出して寝てたときも劇のことが気がかりで、覚えたセリフを忘れないように、本番のステージを想像しながら、頭のなかで劇の練習をつづけていた。そして、ようやく通園の許可がおり、幼稚園へ行くと、担任の先生から、自分がやるはずだった「東方の三博士」の役は他の子がやることになったと、そう告げられた。それはものすごいショックだった。担任の先生から、そのことをどんなふうに告げられたのかまるで憶えてない。そのときの記憶がすっぽり消えている。つながりはよくわからないが、つめたく寒い長い廊下の先にあった配膳室の、温められた牛乳にすごく分厚い膜が張っていたということだけ、なぜかよく憶えていて、それをみて嘔吐した記憶がある。いまでも温かい牛乳を飲めないのは、たぶんそのことと関係しているのかもしれないが、よくわからない。ともあれ、いま思い出せるのは、学芸会の本番では、「三人のサンタクロース」の役にふりかえられたということで、これは劇の本筋とは関係のない幕間の余興のようなものだった。それは三人のサンタが横一列にならんで、トルコのコサック・ダンスのように足をあげて踊るというもので、この役にセリフはなかった。本当は愉快で楽しいダンスのはずなのだが、踊ってるうちに、悲しさがぐんぐんとこみあげてきて、ついに我慢できずに、泣きながら踊った記憶がある。子どもの頃のアルバムにその時の写真が残っていて、真正面をむいたまま、泣きべそをかいて、目をはらし、鼻を真っ赤にして踊ってる姿があった。我ながらそれを見るのがつらくて、あるとき、その写真をアルバムからはがして捨ててしまったので、写真自体はもう残ってないが、そこに写ってた光景はよく憶えている。その写真は学芸会の後に幼稚園で配られた写真なので、ネガはない。その幼稚園は今も同じ場所にあるので、もしかすると幼稚園のどこかにまだネガが保管されてるかもしれない。もしそうなら、いつか見てみたいと思うが、まだ見に行ったことはない。これから先、見に行くことがあるのかどうかもわからないが、いつか見てみたいと、いつもそう思ってる。たとえ見に行くことがなかったとしても、二度ともどることのできない過去のことを、あれこれ想像し、それに憧れ続けるのがロマン主義者の、なによりのたのしみなので、おそらくいつまでたっても見に行かないような気もするが、もし機会があれば、やっぱりもう一度見てみたいと思う。それはともかくも、人生にくりかえしはつきもので、文化人類学の博士号をとらずに大学院を退学し、現代美術家になってしまったとき、「ああ、そういえば、」と思い出したのは、「東方の三博士」になりそこねたときのことだった。人生にくりかえしはつきものだから、この先もまたきっと、何かになりそこね、夢みたものには何にもなれない、という「なりそこねの人生」がつづくのかもしれないが、そんなふうに、なりそこねているものや、行きそこねている場所がある限り、いつまでもそれを夢みたり、想像したりすることができるので、ロマン主義者としては、そのほうが仕合わせである。

と、思いがけず、こんなことを書いたのは、「イルコモンズの回顧と展望」展をやるからなのかもしれないが、もちろんそこで「回顧」するのは、これとはまた別のことであり、そこで「展望」するのも、まったく別のことである。それはともかくも、ここしばらくの自分の行動や言動を通じてはっきりわかったのは、いまのこの世の中のおかしなクリスマスを粉砕したいと思うほど「クリスマスが好きだ」ということだ。おかしな話だけど理屈はだいたいあってる。なので来年もまた、バイ・ナッシング・デイに参加し、鍋集会でクリスマスを粉砕したいと思ってる。「粉砕するための粉砕ではなく、本来の姿にもどすための粉砕」なら、きっと神さまだって大目にみてくれるはずである。非キリスト教系の異教徒だけど、そう思うし、そう想像する。
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by illcommonz | 2007-12-26 06:12
▼イルコモンズ童話「クリスマスはナンニモナイ」
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「あははは。」
「おい、イルコモンズ。」
「なんだ、ちびこもんず。」
「クリスマス、おわったよ。」
「終わったね。でも、心配しなくっていいよ、
今年のが終わっても、また来年のがくるから。」
「クリスマスのケーキ、たべそこねたよ、ぼく。」
「食べなかったね、クリスマスのケーキ。」
「クリスマスツリー、かざりそこねたよ、ぼく。」
「飾らかなったね、クリスマスツリー。」
「クリスマスのうた、うたいそこねたよ、ぼく。」
「歌わなかったね、クリスマスのうた。」
「サンタのじいさん、こなかったよ。」
「こなかったっけ?サンタのじいさん。」
「ぼくのくつした、からっぽだったよ。」
「からっぽだったんだ、きみのくつした。
でもね、クリスマスじゃないときだって、
プレゼントをあげたりもらったりできるんだから、
クリスマスの日くらいは、"プレゼントはなし"
ってのも、わるくないもんだよ。」
「なーんにもなかったよ、クリスマス。。。」
「なーんにもないクリスマスだったね。。。」
「・・・・」
「なーんにもなかったのは、ね、
きみとぼくがいれば、あとは、
なーんにもいらないからだよ。」
「・・・・」
「・・・・」
「おい、イルコモンズ。」
「なんだ、ちびこもんず。」
「おとなのくせに、絵本のよみすぎだ。」
「あははは、そうだね。」
「おい、イルコモンズ。」
「なんだ、ちびこもんず。」
「ちょっと、だっこしてくれ。」
「よし、きた。」
「ぎゃははははははははっははははは!」
「あははは。」
「やめろぉぉぉ、死ぬぅー、くすぐったぃ、やめろー」
「愛してる、って云うまで、やめないよ。」
「ぎゃははは、あはは、あは、あいしてるぅ。」
「よーし、さあ、クリスマスは終わったから、もう寝なさい。」
「おい、イルコモンズ。」
「なんだ、ちびこもんず。」
「ねるまえに、おはなししてくれ。」
「どのお話がききたい?」
「あのおはなし。」
おくりものはナンニモナイ?
「そのおはなし。」
「よし、きた。では、ものがたりの、はじまりはじまり。
"きょうは、いつもと、ちがうひ"...」

(うた)
「聖歌隊のコーラスが流れてる
鐘も響いてるクリスマスです」

夢にみた、何にもなれず、
出会いは、君の夢も、
うばった。だけど、いまも、
僕のなかに、持ちつづけてる、
君とともに…
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by illcommonz | 2007-12-26 05:09