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いる・こもんず 【普通名詞】 01| ありふれて変なもの 02| 扱いにこまる共有物 03| 分けても減らぬもの 04| 存在とは常に複数で他と共にあり、狂えば狂うほど調子がよくなる
はじめに、ふた、ありき

イルコモンズ編
見よ ぼくら
四人称複数
イルコモンズの旗
(Amazon.comで
大絶版廃刊中)
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▼「ベンの歌」

「ダニーは心臓手術を受けたばかりで、その経過は母や姉のイブを心配させていた。ダニーもまた幼な心に死の危機を予知し、孤独だった。そんなダニーの心の空白を1匹のねずみが生めた。1切れのパンで知り合った少年とねずみの交遊は密かに進んで入った。少年はねずみに、全てを話せる友を求め、ねずみは純粋な少年に裏切ることのない信頼を見いだした。だから、ダニーはねずみの名前があの悪名高いベンと知ってもなお暖かい愛情を贈り、友情の証に「ベンの歌」を作って捧げた。生きるためには人間を敵とするベンもまた、ダニーだけは別格だった。ベンとその輩下のねずみに容赦なく浴びせられる散弾銃や火炎放射器。もうダニーにはベンを救うすべはない。火に包まれた下水道。「死なないでベン!」 ダニーの部屋の片隅に、傷つき血にまみれたベンが這い寄った。駆け寄るダニーを振り仰いだベンの眼は涙に光っていた。少年は確かにねずみの涙を見た、と思った。ベンに頬づりする少年の瞳は、幼いものとは思えない力強さにあふれていた。」(映画「ベン」"あらすじ"より)

▼「マイケル・ジャクソンさん急死 検視局「突然の心停止」」
http://www.asahi.com/culture/update/0626/TKY200906260005.html
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by illcommonz | 2009-06-26 12:20
▼古代から、宗教的理由などで
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▼「ボディ・ペインティング」
(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
「ボディ・ペインティング(body painting)とは、 体に塗料などで絵や模様を描くボディアートのことである。ボディペインティングの中でも人の顔に絵や模様を描くことをフェイスペインティングという。古代から、宗教的理由などで装飾されていた。」

この写真を撮った親(?)の顔もみてみたい。

「だれもが絵を描くべきだ。やってみると、なかなか気分のいいものだ。進歩をめざす必要はない。芸術は一種のいたずらだ、美術家はいたずら小僧だ。実際にはなにも起きてないが、彼らはみんなを感情的に反応させようとする。芸術をまなぶのは、自分のたましいを養なうためで、出世するとか、有面人になるとか、金持ちになるとかのためじゃない。あくまでも人生の過程だ。芸術は、食事や、セックスや、運動と同じで、成長に不可欠なものだ。それによって人間は自分が何者かを発見できる」(カート・ヴォネガット)

さて、この子たちは何を発見したのだろう。おそらく描いた子どもと描かれた子どもは、それぞれまったく別のことをまなんだはずだ。「人間とは…」「世界とは…」「家族とは…」「アートとは…」
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by illcommonz | 2009-06-26 04:47
▼第一回「定額給付金アート」展
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▼第一回「定額給付金アート展/反体制芸術活動支援のための」
[主催] イルとイラ [協賛] IRA/イルコモンズ
[後援] 日本政府

*詳細はいずれまた。
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by illcommonz | 2009-06-26 01:24
▼エコの大号令に抗して:「世界の縮減」と「動物になる」こと
d0017381_1122649.jpgエコ・エコ・エコ・エコ・エコ・エコ…と、まるで呪文かカエルの鳴き声のように、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、「エコの大号令」と、それに従順に応える「エコの大合唱」が世間にこだましている。「消費から倹約へ」という、この「転向」それ自体は善いことだと思うが、「優等生的で模範的なものは苦手だ…」というイルコモンズのような困った人は、たとえば「ドゥルーズの動物論」を参考に、「資源の節約」ではなく、「世界の縮減」を考えてみてはどうだろう。つまり、ダニの「環境世界」のように、本質的に「貧しい世界」の中で充足しきって生きる「動物になること」を考えてみるのはどうだろうか。さしあたりまずそれは、「衣・食・住の縮減」、そして、この時代においては、「移動と情報と通信の縮減」ということになるだろう。「~なしですませる」そのスタイルから、ドゥルーズが云うような芸術が誕生するかもしれないし、その芸術は資本や権力に飼いならされない、たくましいものになると思う。

▼「ドゥルーズ の Abecedaire 動物のA」(ドゥルーズの哲学 好々爺口調シリーズ)
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▼[YouTube版] ドゥルーズの Abecedaire - Animal(動物)の A [1/5]

この続きは下記の「ニコニコ動画版」で。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1617721
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1643104
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1675109
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1680401

[補説]「ドゥルーズはユクスキュルの本の中に登場するダニの生態を引き合いに出す。ダニは光と体温と触覚という3つの感覚だけを頼りに生きている。ダニは光感覚を使って適当な高さの枝先に登り、そこで真下を動物が通るまで何年でも待ち続ける。下を動物が通ろうとすると、ダニは鋭い温度感覚によって動物の存在に反応し、その上に素早く飛び降りる。そして触覚を利用し、体毛の少ない場所を探り当て、動物の皮膚の中に頭ごと突っ込むと、その血液をたっぷりと吸い込むのである。血液を十分に吸い込んだダニは地面に落ち、卵を産んだ後、死を迎える。ドゥルーズは、全的な知覚を有しているという幻想を持つ人間に比べて、ダニが持つ限定的な知覚のあり方を賞賛している。人間であるという全的な幻想を捨てて、「動物になる」(=哲学者になる)ということは、自身が限定された知覚の只中に於いてあるということを引き受けつつ、もう一度生を生き直すということである。」(上田和彦「ジル・ドゥルーズによるアベセデールA,B,C,I」より)
http://d.hatena.ne.jp/uedakazuhiko/20071022/p1

d0017381_1164366.jpg[参考文献]
ヤーコプ・フォン・ユクスキュル
「生物から見た世界」
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by illcommonz | 2009-06-26 01:18
▼「サンデー・ブッシュマン」たちへ
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 「陽が昇るから、目を覚ます。
 目を覚ますから、腹が減る。
 腹が減るから、狩りをする。
 狩りをするから、メシ食える。
 メシ食えるから、金いらない。
 金いらないから、仕事しない。
 仕事しないから、時間がある。
 時間があるから、遊んでる。
 遊んでるから、不満がない。
 不満がないから、ケンカがない。
 ケンカがないから、気分がいい。
 気分がいいから、眠くなる
 眠くなるから、陽が沈む。
 陽が沈んだら、あと知らない。
 だから、アフリカ平和です。
 だから、僕らはブッシュマン。」
 (「ブッシュマン宣言」より)

毎年、「文化人類学解放講座」では映画「ブッシュマン(コイサンマン)」をみる。映画を見終わった後、「アフリカはちっとも平和じゃないし、僕らはブッシュマンにはなれないけど、たとえば、日曜日だけの「サンデー・ブッシュマン」にだったらなれるかもしれないね、どう思う?」というような話をする。今年は、その話といっしょに椎名林檎のこのうたをきいてみたけど、どう思った?



 僕らが手にしている富は見えないよ。
 彼らは奪えないし、壊すこともない。
 世界はただ妬むばっかり。

 もしも彼らが君の何かを盗んだとして、
 それはくだらないものだよ。
 返してもらうまでもないはず。
 なぜなら価値は生命にしたがってついてる。

 彼らが手にしている富は買えるんだ。
 僕らは数えないし失くすこともない。
 世界はまだ不幸だってさ。

 もしも君が彼らの言葉に嘆いたとして、
 それはつまらないことだよ。
 なみだ流すまでもないはず。
 なぜならいつも言葉は、
 嘘をはらんでいる。

 もしも彼らが君の何かを盗んだとして、
 それはくだらないものだよ。
 返してもらうまでもないはず。
 なぜなら価値は生命にしたがってついてる。

 ほらね 君には富があふれている。

 椎名林檎「ありあまる富」

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「いくらショッピングしても、満たされないのはなぜなんだろう。ぼくらの世界はきっとモノを豊かにすることは上手だけど、心を豊かにすることは下手なんだと思う。もし今、宇宙人が地球に来たならば、きっとこう言うだろう。「豊かな星だ。だが、狂ってる」」

 「解決の手がかりになるもの、それはロマンである。言い換えれば、憧れである。それは裕福になることへの憧れではなく、皆が平等に幸せになることへの憧れである。そして私たちは、自分たちの利益だけを追求することをやめ、憧れを追求するべきである。例えば、ギフトエコノミーというものがある。これは利益を目的とせず、公平な分配を目的としている。コンピュータにおけるwikipedia や青空文庫がそうである。これは他者と共に幸せになろうという気持ちによって、実際に行動しているものの例である。そもそも、憧れとはかっこいいものである。素敵なものである。」

「ブッシュマンを知らない人はそれにあこがれることさえできない。」
「文化人類学解放講座」答案より)

今週は映画「クラ」をみるよ。
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by illcommonz | 2009-06-26 01:09
▼群れて何がわるい
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[図案]
イルコモンズ
「カルチュラルタイフーン2009」
アジアにおけるカルチュラルスタディーズ―その過去、現在、未来
グローバリゼーションの破断点で問う文化のポリティクス―貧困、監視、検閲を超えて
[日時] 2009年7月3日(金)~7月5日(日)
[場所] 東京外国語大学(東京都府中市朝日町3-11-1)
[最寄駅] 西武多摩川線多磨駅/京王線飛田給駅

「カルチュラル・タイフーンは、2009年で7回目を数えることになりました。カルチュラル・タイフーン(文化台風)の志は、自分たちが文化研究の学問的ルーティンワークのなかに萎縮してしまう傾向に注意深くありたい、そしてある種の知的台風として、思想的な異議申し立てという雨風をもたらす存在でありたいというところにありました。カルチュラル・スタディーズの持つ本来の批判性を大切にするこのような知的交流の経験は、今年は、十年目を迎えたIACSの流れとひとつになって、まさに「カルチュラル・スタディーズ2.0」とでもいうべきものへ発展したいと念じています。新自由主義が吹き荒れる現代世界において、グローバル化の破断点はいたるところにむき出しになってきました。そうした現場にはきまって文化の抑圧、横領、消去が起こっているのですが、同時にまた、その危機の中からさまざまな抵抗と新しい表現も生まれだしています。わたしたちは、まさにそうした文化のポリティクスの動態を、今回の大会を貫く「カルチュラルスタディーズとアジア」という視点から、あらためて捉えなおします。」

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[図案]
イルコモンズ
「群れる!」これが今年のカルチュラル・タイフーンのテーマです。面白そうな企画に引き付けられて自然発生的にできた群集が考えたこと感じたことを自由に語り合い、その場にいる人々と関係を築いていく。イベント後には、参加した人々に新しい出会いと発見が生まれる。『群れる!』には、そんな意味が込められています。」

.........................................................................

世間ではよく「群れにならないと何もできないくせに」とか云われるが、
「群れて何がわるい?」「群れないとできないこともある」。
そもそも「人びとが「群れる」ことをおそれているのは誰なのか?」と、
「グローバリズムの破断点」で、この「問い」を開くために、
ラクイラ・サミット直前である2009年7月5日(日)に東京で
下記のワークショップとライヴを行います。

d0017381_2321776.jpg[A] 研究講義棟内ブース企画
▼「アナーキスト・ドラム・ギャザリング」(ワークショップ)
「シアトル以後の「新しいアナーキズム」(デヴィッド・グレーバー)の「複数の特徴」である「非暴力、協働、戦術の多様性、予示的政治、コモンズ、ブロックシステム、合意形成、直接民主主義」などを、ドラムサークルを通じて体験するワークショップ。資本主義によって分断され統治されつつあるコモンズとユニティをとりもどすための「社会彫刻」の創造。「群れ」をためのメディアとしての「ドラムサークル」の提示。(ファシリテーター:イルコモンズ)

d0017381_2323617.jpg[B] 屋外ライブパフォーマンス企画
▼「uran a gel + T.C.D.C. + and more」ライヴ
「G8が問題なのではない、G8が代表するものこそが問題なのだ。
資本主義は人類に破滅しかもたらさない。科学に値する唯一の問いは、
いかに資本主義を廃棄して異なる社会を作り出すのか、である。
資本主義の死は心臓に短剣を突き刺すことによってではなく、
何百万という蜂が刺すことで果たされるだろう。
我々は蜂である。東京に集結しよう。」
(ジョン・ホロウェイ)

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[追記]
「研究講義棟内ブース企画」にはIRAやRLLも参加するそうなので、
もし7月4日になにかあれば、すぐに対応したいと思ってます。
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by illcommonz | 2009-06-25 23:06
▼「今可能な美術とは何だろう」と素直に考えた
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「オルタナ美術 ショーケース展 ─今可能な「美術」とは何だろう─」
[会期] 2009年6月25日(木)~7月5日(日)
[時間] 11:00~18:00
[会場] CCAAアートプラザ・ランプ坂ギャラリーランプ1+2
東京都新宿区四谷4-20 四谷ひろば内 (地図)
[交通] 東京メトロ丸の内線「四谷三丁目」下車徒歩5分
[企画] Tattaka a.k.a. 高橋辰夫
[主催] オルタナ美術部
*会期中無休、入場無料

「オルタナ美術部は、「オルタナ美術 ショーケース展」を開催いたします。
部員、展示参加者、来場者と、「今可能な『美術』とは何か」ということを、
素直に考え、実行し、議論する。そのような場を目指します。」
................................................................................

この趣旨文にある「オルタナ美術 ショーケース展」というタイトルと、
「今可能な『美術』とは何か」という問いを、「素直に考え、実行し」、
表現したらこうなりました。

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▼[作品名] イルコモンズの(高さ450mm×幅580mm×厚さ100㎜×4回の)回顧と展望
[形 態] ミクストメディア・アーカイヴ・インスタレーション(*展示替え有り)
[内 容] ショウケース/ノートパソコン/ヘッドフォン/動画(約98分)/公文書/
かつら/つけ鼻/Tシャツ/ミリタリージャケット/カーゴパンツ/記者証/紙袋/
楽器/玩具/ピンバッジ/紙コップ/横断幕/CD/DVD/金網/ステッカー/
フライヤー/ポスター/手紙/そのほか
[備 考] 政治的(反体制的)内容を含む

[課題] 「もうひとつの美術」事件の開示:洞爺湖サミットから一年が経過し、
イタリアサミットを目前にひかえた、2009年6月末から7月初頭の今、
「独り」でも可能な「美術」と何だろう。
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[展示(替え)予定]
(1) 2009年6月23日13:00 ~ 6月26日13:00 ケース1
(2) 2009年6月26日13:00 ~ 7月01日13:00 ケース2
(3) 2009年7月01日13:00 ~ 7月04日13:00 ケース3
(4) 2009年7月04日13:00 ~ 7月05日13:00 ケース4

..........................................

▼オルタナ美術「ショー・ケース」展のための制作メモ

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[メモ0] [会期] 2009年6月25日(木)~7月5日(日)

[メモ1] 【作品に関して】
①サイズ:巾 580mm×高さ(厚さ)450mm×厚さ100mm以内(平面もしくは半立体)
②屋内壁面に設置可能な作品(釘打ち可/転落の可能性のないもの)
(設置は各作家自身でお願いします。簡単な工具はお貸しできますが
釘等設置に必要なものはご準備ください)
③作品は他の作品に著しい影響を及ぼすものは避けてください
④応募点数は1人につき1点のみとします
⑤音や匂い、光などの出るものは事前に相談ください。
電気を使用の際は出来る限り内蔵でお願いします。
・お一人様一口まで。
・毎日の電源管理について。ごく簡単なスイッチのON/OFFであれば当方で行えます
・使用電力量は、ノートパソコン一台分程度を目安にしてください。
・コンセント位置の都合上、外部電源を使った作品の展示範囲は
運営側で指定させていただきます。
⑥販売については出品者と買い手の間で行うものとします

[メモ2] 【ケース】case [keis] 名詞
① 場合、事例、(警察の介入・調査を要する)事件、事態、 立場、
(賛否いずれかの議論を論証するための)主張、陳述、申し立て、
事実記載書、論拠、訴訟(事件)、弁護/擁護論、 該当者、対象、
判例、真相、実情、事情、問題、例、病症、 変わり者、変人、
愚か者、恋愛沙汰、情事
② 箱、ケース、容器、(標本・商品などを入れる)入れもの、袋、さや、
カバン、筒、外被、枠、活字箱

[メモ3] 「昨日の集会でひとつ気になったのは、イルコモンズについて多くを言及されなかったことと、グローバル資本主義がなぜいけないかについてもほとんど語られなかったことです。もちろんそれもありかもしれないけれども、それがポストモダンな「戯れ」ではなく、ある限定的な「わかってる(笑)」人々だけに向けられている言葉であるなら、ある意味裏切られます。それも折り込み済みと言われればそうなってしまうし、そうした「どちらでもあり得る」部分が一番ひっかかっています。イルコモンズにも僕は複雑な心情はありますが、彼は伝えるべきことを作品化して伝えているという意味において「作家」だと思っています。作品のスペクタクル性が気になるのですが、彼の「作品」を生かせる場を、既成の施設や場所や組織はもっと提供していいのではないかと思います。でないとイルコモンズの孤独は釈放されても継続するでしょう。」「G8反対デモとイルコモンズほか逮捕とのびのびデモ集会と」(Tさんのmixi日記より)

............................................................
[追記1]
一方、「独り」ではない、「群れ」による表現については、
同時期に開催される「カルチュラル・タイフーン2009」でやる予定です。

d0017381_0395796.jpg[追記2]
「ことば」と「イメージ」と「実物」、、、、
いつかこんなふうに、余白のある
展示もしてみたい。
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by illcommonz | 2009-06-25 22:34
▼きられた、、
d0017381_22101561.jpgといっても、
派遣切りでもなければ、
はたまた、刃傷沙汰でもなく、
郷里の父親が外科手術をしたので、
福岡の田舎に一時帰省した。

術後、「きられた、、、」と、
まるで侠客に斬られたかのように、
手術のことを話してたのが可笑しかった。
もちろん地元の大きな病院で
手術を受けたのだが、
どうも腑に落ちないらしい。
腑に落ちないのは、
腑を切ったせいではなく、
もっと根本的な疑問があるようだ。
考えてみれば、これまでずっと、まっとうで堅実な人生を歩み、
律儀で規則正しい生活を送ってきたのに、「どうして?なぜ?」
という不条理な思いがあるからだろう。「善人のディレンマ」である。

それにひきかえ、イルコモンズのように、いつ・どこで・だれに刺されても、また、
ゆきだおれになっても、おかしくない、というイレギュラーな東京生活を送ってると、
万事につけ「そういうものだ」ということになる。「因果者の達観」である。

どっちがいいかはさておき、血のつながった親子でも生き方は、
ずいぶん違うものだと思った。
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by illcommonz | 2009-06-25 22:13
▼承認制
d0017381_2262486.jpg
連日、このブログに、熱烈な「海外からのコメント」が届いて、とてもレスできませんので、
一時的に「コメント欄」を「承認制」にしています。そのため、コメントが反映されるまでに
時間がかかったり、コメントがはじかれることもありますが、どうぞご容赦ください。
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by illcommonz | 2009-06-25 22:09
▼「地球は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう」
d0017381_6451764.jpg▼文化人類学解放講座
「地球は人間なしに始まったし、
人間なしに終わるだろう。」

「世界は人間なしに始まったし、
人間なしに終わるだろう。」
レヴィ=ストロース
(「悲しき熱帯」より)

▼「人間の"時間"と"サイズ"と"かたち"と"順番"を考えるための教材集」


▼カール・セーガン「宇宙カレンダー」(「コスモス」より)


▼チャールズ&レイ・イームズ「パワー・オブ・テン」


▼「進化」(音楽=ヴァンゲリス)


▼「やつらの足音のバラード」(うた=ちのはじめ)

なんにもない なんにもない
まったくなんにもない
生まれた 生まれた 
何が生まれた
星がひとつ 
暗い宇宙に 生まれた

星には夜があり 
そして朝が訪れた
なんにもない 大地に 
ただ風が吹いてた

やがて大地に草が生え、樹が生え
海にはアンモナイトが生まれた
雲が流れ、時が流れ、流れた
ブロントザウルスが滅び
イグアノドンが栄えた
なんにもない大空に 
ただ雲が流れた

山が火を噴き 
大地を氷河が覆った
マンモスのからだを
長い毛が覆った

なんにもない草原にかすかに 
やつらの足音が聞こえた
地平線のかなたより
マンモスの匂いとともに
やつらがやって来た
やって来たやって来た

「やつらの足音のバラード」
(作詞=園山俊二 作曲=かまやつひろし)

...............................................................

二〇世紀の後半に生まれて、こういうものを見たり聞いたり読んだりして、
思想形成してきたので、「地球」と「人間」について想うのは、こういうこと。

「地球は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう、そういうものだ。」(イルコモンズ)

だから、あまり「地球を救う」という発想にならないが、
「コモン=共有物」としての地球を、特定の時代の
特定の誰かが「売りもの」にするのには、反対だ。

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▼イルコモンズ画「WORLD IS NOT FOR SALE」
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by illcommonz | 2009-06-17 06:48