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いる・こもんず 【普通名詞】 01| ありふれて変なもの 02| 扱いにこまる共有物 03| 分けても減らぬもの 04| 存在とは常に複数で他と共にあり、狂えば狂うほど調子がよくなる
はじめに、ふた、ありき

イルコモンズ編
見よ ぼくら
四人称複数
イルコモンズの旗
(Amazon.comで
大絶版廃刊中)
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▼大友良英アンサンブルズ 煙の王様たちと昭和残響伝

▼[YouTube] "without records" - YCAM Otomo Yoshihide / ENSEMBLES

昨年、YCAMで大友良英が100台のレコード・プレーヤーを使ったインスタレーションを行なうという話をきいたとき、まずまっさきに頭に浮かんだのは、クリスチャン・マークレーが1992年に東京でやった「100台のターンテーブル・オーケストラ」だった。

このマークレーのオーケストラに、ターン・テーブル奏者の一人として自ら参加した大友もおそらく、いや、当然、そのことが頭にあったはずだが、結果として、大友がこしらえてみせた音響とその風景は、マークレーのそれとはまったく異なるものだった。両者の違いのひとつは使用する機材とその配置にある。

マークレーのインスタレーションではたしか、Technics のDJ仕様のターンテーブル(たぶんSL-1200シリーズ)が使われ、螺旋状に配置された100台のターンテーブルがさまざまなディスクを同時にプレイしていた。螺旋状の配置はターンテーブルの回転を想起させるものであり、つまりそれによってマークレーは、会場をひとつの巨大なターンテーブルにしてみせたわけである(その点でボアダムスがブルックリンでやった「77 ボア・ドラム」に近い)。そこに展開していた光景は「スペタクル」のそれであり、そこで響いていた音は「アンサンブル」ではなく、ひとつの「オーケストラ」のそれであった。


▼[YouTube] Christian Marclay mini documentary

それに対して、今回の「休符だらけの音楽装置」展で大友が用いたのは、高性能のターンテーブルではなく、それぞれ素性の異なる、さまざまな色やかたちの「古いポータブル・レコード・プレーヤー」だった。

それらは、日本コロンビアやビクター、ナショナル、タクトといった国内の家電メーカーが一九六〇年代から一九七〇年代(昭和三〇年代から四〇年代)にかけて製造販売していたもので、当時まだ非常に高価なものだった本格的なステレオセットを買えない若者や子どもたちがレコードを聴くためのエントリーマシンだった(今回集められた100台のプレーヤーの中には、自分が子どもの時はじめて手にした(そして最後は分解して壊してしまった)のと同じビクターのレコードプレーヤーや、親戚の家にあったナショナルのプレーヤーもあった)。

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▼出番を待つ100台のポータブル・レコード・プレーヤー(撮影=飴屋法水)

そこにはモノラル方式のものもあればステレオのものもあり、また7インチのシングル盤以外に10インチや12インチのレコードを(そしてもちろんソノシートも)きけるものなどなど、さまざまなタイプの「ポータブル・レコード・プレーヤー」が集められた。こうした、いわゆる「ポータブル・レコード・プレーヤー」と「ターンテーブル」には大きな違いがある。「ポータブル・レコード・プレーヤー」は自前のアンプとスピーカーを内臓しているため、アンプやPAに接続しなくても単体で音を発することができる。つまり「ポータブル・レコード・プレーヤー」は、自分で回転しピックアップした音を、自分でアンプリファイし、自分自身で音を発することのできるインディペンデントな音響装置である。

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▼ビクターのポータブル・レコード・プレーヤー(イルコモンズ蔵)

マークレーの「ターンテーブル・オーケストラ」は、ターンテーブルをレコードをプレイするための再生/演奏装置(あるいは楽器)として使ったが、それに対して大友は「Without Records / レコードなし」とした。それによって「ポータブル・レコード・プレーヤー」は、レコードの再生と演奏のための装置であることをやめ、プレーヤーそれ自身が自らの発する音を個々に鳴り響かせる「プレーヤー=演奏者」に変化した。この「自律した音響装置」(こういってよければ「音楽機械」)が発するのは、どこか別の場所ですでに録音されたり記録された音ではなく、個々の「ブレーヤー」自身がいま・ここで、ナマで何かにぶつかり、たたき、ひっかき、こすれ、ひきづることで発する音である。あるものは、どもり、あるものは、つぶやき、そしてまたあるものは、叫び、泣き声ををあげる。そうした、ひとつとして同じもののない「プレーヤー」固有のリズムと唯一無二のノイズが奏でる合奏は、コントロールされ指揮された「オーケストレーション」ではない。それは、各々の「プレーヤー」がそれぞれに持つキズや歪み、逸りや壊れを排除せず、多数多様な「個」の断片や切片を、「共」の音として共存させる「アンサンブル」であり、それはデモクラシーのはじまりの場の喧騒を思わせる。

そもそもデモクラシーは、まさか政治に口出しをするなどとは思われていなかったデモスたちが一斉に声をあげ蜂起することからはじまったとされるが、そうしたデモスたちのあげる声は支配階級の人間たちにとっては動物の鳴き声や獣の叫びのようなノイズにしか聞こえなかったという。かたや、まさかそんな音を出すとは思われていなかった「ポータブル・レコード・プレーヤー」たちが鳴り響かせる「アンサンブル」は、そうしたデモクラシーのはじまりの場で鳴っていたであろうデモスたちのノイジーな「アンサンブル」を思わせる。そう、デモクラシーのサウンドトラックはつねにノイズ・ミュージックであり、大友のインスタレーションには、マルチチュード的な民衆蜂起のアンサンブルを聞き取ることができる。ちなみに、フランス語の「アンサンブル」という語には社会的な用法がある。それは「団結」を意味し、この「アンサンブル」という言葉が「魔法」のような力を持ったことがある。1995年のパリでのことであり、アントニオ・ネグリはそれについてこう書いている。

d0017381_2031214.jpg「毎週土曜日には、まるで花火のように美しいデモが行なわれました。デモの先頭には、フォグランプを点灯させ、タンバリンのリズムに合わせて行進する鉄道員たちがいました。さまざまなものごとが結集することによって、大都市のなかで「コモン」と集団的利益が構築されてゆくという感覚を軸に、ひとつの根本的で決定的な運動が生み出されたのです。ストライキが起きるまでは、日常茶飯のこととして、地元のギャングとバス運転手たちが衝突しては、運転士が殴られたというってバス路線の抗議ストがくりかえされていたわけです。ところが「みんなでひとつになろう (Tous Ensemble)」という言葉が、社会的行動の地平を一転させたのですが。まさに魔法の言葉でした。」

さまざまな歪みやズレやキズをもった、決して上等ではない庶民向けの「ポータブル・レコード・プレーヤー」たちがつくりだす「アンサンブル」は、相対立するものや異なるものが一致団結してたちあがる、民衆の「アンサンブル」としての「デモ」を思わせる。

YCAMと今回の東京のインスタレーションは基本的に同じものだが、東京のインスタレーションは、10分に一度くらいのゆっくりしたサイクルで「アンサンブル」が鳴り響くように設呈してある(古いポータブル・レコードプレーヤーの愛用者の目からすると、古い機材なのでそのくらいの方が機械にとってもよいと思う)。そのため、アンサンブルを待ちながら、それが歴史の反復のように起きるまでの期待と待機の時間を過ごすことができる。またプレーヤーの配置はYCAMの展示よりもよりランダムになっていて、オーケストラのように指揮者や聴衆の方に向かって配置されておらず、それぞれ別々の方向を向いたものたちが、そこで「群れ」をなしてるという感じに並んでいる。あるいは、庭園のように整備されない、原生林や森の植物たちのように群生していると云ってもよい。

さらにYCAMと東京では照明が違っていた。YCAMでは広いホールの高い天井からダウンライトとスポットライトで会場全体が薄明るく、ほぼ均等に照らされていたが、東京の会場では、ボルタンスキーのインスタレーションで使われるような小さな白熱球が低い天井から吊り下げられ、それぞれの電球がプレーヤーたちを小さく照らし出すというかたちに変わっていた。電球のフィラメントのかたちが見えるくらい光量がしぼられているため、会場全体は非常に薄暗く、光もまばらで、陰影があり、影が濃いという感じがした。さらに、昔よくあったような柄のついたリノリウム製の床のせいで、派手な「スペクタクル」とは無縁の、どこかうらさびれた感じもした。そこに小さな電灯の明かりがポツポツと灯り、あちらこちらでモーターや機械の作動音がきこえる。ときおりサイレンのような音もきこえる。どこかそれは、京浜工業地帯あたりの小さな工場街の夕暮れ時を思わせるサウンドスケープである。そんな場所で、次の「アンサンブル」が鳴り出すのを、ぶらぶら歩きながら待ってると、不意にある楽曲がよみがえってきた。

レコード・プレーヤーが奏でる機械的な音の合奏とは対照的に、非常に感傷的で、陰影にとみ、ノスタルジックで、かつ、リリカルな響きを持ったその楽曲は、かつて大友がリミックスした山下毅雄の「ひとりだけの空」と、大友がその山下に捧げた「Song for TV」である。

d0017381_20324676.jpg大友良英「山下毅雄を斬る」

CD「山下毅雄を斬る」のライナーノーツのなかで大友はこう書いている。

「アヴァンギャルドな世界を渡り歩いてきた私の本質は案外素朴な浪花節だったりするのだけれど、そんなことに気づいて、そのことを平気でカムアウト出来るようになったのは、なによりも山下音楽との出会いが大きかったような気がする。アルトサックス二本だけで演奏された「煙の王様」の挿入曲「ひとりだけの空」はその映像とともに日本のテレビ史に残る本当に美しい作品だ。」(大友良英)

その山下のオリジナル版は「山下毅雄の全貌 ドラマ編」のなかで聞くことができる。

d0017381_20355395.jpg▼山下毅雄「山下毅雄の全貌 ドラマ編」←ここで視聴可

「ひとりだけの空」は、1962年(昭和三十七年)に、テレビ番組「煙の王様」のために書かれた作品なので、会場に集められた100台のポータブル・レコード・プレーヤーとほぼ同じころにつくられた作品である。この曲について山下自身は「山下毅雄の全貌 ドラマ編」のライナーノーツにこう書いている。

「ああ、煙だ。ああ、懐かしいなあ。アルトのデュオがキレイだねえ。ホントに奇をてらうことなく、そのまんまの気持ちでやってるの。はずかしいけど、そういうことなんです。いまそういうのが少ないのが残念ね。ああ、この女の子の声。まだ生きてるんだろうね。ああ、良い声だ。涙が出てきますね。」(山下毅雄)

大友は「山下毅雄を斬る」と題した文章のなかで、山下についてこう書いている。

「残念なことに、昭和50年代以降日本が明るいバブルに向かってゆくなかで彼の活躍の場は次第になくなってゆく。だが彼の最初期の作品「裸の王様」の陰影あるメロディは武満徹の「どですかでん」とともに、今も私の心を揺るがし続けていることだけは明記したい。彼の作品から平気で陰影を消毒してしまう無神経なリミックスがはびこる世間への警鐘として。」(大友良英)

そう書く大友による「ひとりだけの空」のリミックス・ヴァージョンは、というと、まず遠雷と電車の効果音から静かにはじまり、町の子どもたちがあげる歓声をバックに、マリンバとアコースティック・ギターのデュオがこの曲の陰影にとんだメロディをいとおしむように丁寧に演奏してゆく。それは「昭和50年代以降、日本が明るいバブルに向かってゆく」以前の薄暗さや陰影を消さないすばらしいリミックスに仕上がっている。「私の本質は案外素朴な浪花節だったりするのだけれど」と、そう書く大友の叙情的な側面がうかがえる本当に美しい伴奏である。100台のポータブル・レコード・プレーヤーに囲まれたなかで、ふと、その曲の響きを思い出した。

d0017381_20451073.jpg▼「煙の王様」
(解説)
CD「山下毅雄を斬る」では、この曲の後にメドレーで「Song for TV」が収録されている。「Song for TV」は、大友の膨大な作品群の中で私が最も好きな作品のひとつで、今から七年ほど前に「昭和残響伝」というテーマでDJをやったとき、最後にかけたのが、この曲だった(ほかには浜口庫之助やJ・A・シーザー、それにPYGの「花・太陽・雨」、そして城達也のナレーション音源などをかけた覚えがある。)

大友や自分が生まれた昭和三〇年代や四〇年代が「よかった」とは決していわないが、その頃の陰影のあるモノや暮らしや風景が好きなのは確かだ。いまの時代と比較して、もしその時代によいところがあったとすれば、それはその頃につくられたものは、すぐに買い替えたり捨てるためにつくられたものではなく、大事にすれば長く使えるように丈夫につくられていて、こわれにくいし、こわれても修理や修繕ができたということだろう。長持ちするから長く使い、長く使っているうちに汚れもすれば傷もできるし、ノイズも出る。だが、そこに愛着が生まれる。かつてレコードやテープにA面とB面があったように、ものごとには表と裏があり、光と闇があり、それが互いに交錯していた。それを消してしまったバブル時代の無駄に明るい音楽やスーパーフラットな造形に比べると、昭和三〇年代や四〇年代の陰影のある世界や休符のある時間の方が「好き」なのは確かである。「Song for TV」について、大友自身はライナーノーツにこう書いている。

「ラストはそのままメドレーで、私の本質に立ち返って「泣きと音響」で締めくくらせてもらった。この曲のループは度々いろいろな作品にでてくる私の好きなモチーフ。CDではフェイドアウトしているが、実はこの音はそのあとも止まる事無く、あるときは轟音の濁流となったり、またあるときはサントラで童謡のような顔をしたり、またあるときはミニマルな電子音にもなるし、ジャズにも歌謡曲にもなって今も鳴り続けている。」(大友良英)

「テレビのための歌」と題されたこの「泣きと音響」の曲は、「休符だらけの音楽装置」展では「ポータブル・レコード・プレイヤーのための歌」となり、100台のポータブル・レコード・プレーヤーがつくられた時代の遠い残響を響かせるサウンドトラックとして、低く静かに鳴り続けているようだった。

最後に、「山下毅雄の全貌 ドラマ編」に収められた「煙の王様」のエンディングには、こういうセリフがはいっている。

「今日、工場の人がきて、そう云ったの。ずぅっと、あそこにいられるんですって!きこえた、パパ!」

*ここで視聴可

これは「煙の王様」のなかで立ち退きを迫られていた家の子どものセリフで、「ああ、この女の子の声。まだ生きてるんだろうね。ああ、良い声だ。涙が出てきますね」と山下が書いていたのはこの声だが、これは「休符だらけの音楽装置」の100台の古いポータブル・レコード・プレーヤーたちが「まだここにいてもいいんだ」とそう云っているように思えた。

「休符だらけの音楽装置」展はとにかく涙がでるほどよいインスタレーションだった。もうすぐおしまいなので、ぜひ見に/聞きにいかれることをお勧めしたい。

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[追記] 大友の手によるレコード・プレーヤーの改造やセッティングもさることながら、会場全体の照明とプレーヤーの電気制御も見事だった。なんでも自分でやるDIYも大事だが、こうしたサウンド・インスタレーションをやるには、腕のいいエンジニアがついていてくれないといけないなと思わされた。
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by illcommonz | 2009-07-30 20:56
▼「なんとかパーティ&フェス2009」予告編つき
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「大変だ大変だ!今年の夏は、長野で大変なことが起こってしまう!!!!

▼「なんとかフェスティバル~長野騒乱」
[日時] 2009年8月21日(金) 日没ごろよりスタート!2泊3日で24日まで。
[場所] 長野県長野市・ジローズビッグマウンテン(またの名をアメージングプレイス)

05年の「自転車を返せデモ」や、07年の「高円寺一揆」などでも大騒動の火種を作った、高円寺南口の音楽スタジオ「スタジオDOM」もやたら乗り気なので、これは危ないことになりそうだ!!!!!すでに、出演バンド等も続々と決まりつつある。

さらに、このイベントは単なる音楽イベントではない。漫才、アジテーション、上映などなど、何が起こるかわからない!ともかく、この日程だけ空けておけば、とりあえず後悔はしないはず!!

う~ん、これはとんでもないことになりそうだ!

ってことで! 7月31日に「なんとかパーティ」が行われてしまう!東京をウロついている人々の交流会。もちろん、誰が来てもOK!これは駆けつけるしかない!

▼「TOKYOなんとか集会」
[日時] 2009年7月31日(金) 19:00
[場所] Cafe★Lavanderia
新宿区新宿2-12-19広洋舎ビル1階

あとは、続報を待て!!!!!!!」

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続報を待ってられないので、この文章と「東京なんとか」の最新号をもとに、勝手に予告篇をつくってみた。「もうそろそろ、いいかげんこのへんで、日本でもバーニングマンをやりたい」というその思いだけでつくってみた。


▼「なんとかフェス2009」予告編1 (Nantoka Festival 2009 Japan First Trailer)
(編集:イルコモンズ 音楽:INB+ウラン・ア・ゲル 出演:フィラスティン)
★公式ブログ: http://nantokafes.exblog.jp/

第一回目のアート・テーマは何だろう?「革命後の世界」?「アートバブル以後」?なんだっていいから、なんとか、なにか、やりたい。「バーニングマン」も最初は、設備もないし金もないけど、なんとかして、なんか、やってみたい、という、不定形の「なにか」への欲望と、なんにもないからこそ「なんとか」するというマインドではじまった。「なんとかフェス」がどんなフェスになるかはわからないけど、「バーニングマン」で、ぜひ手本にしたいのは、この一言に尽きる。「ノー・スペクテイターズ!=見物人はいらない!=見物人になるな!」

なお、明日の「なんとかパーティ」では、ゼロ年代のバーニングマン映像をまとめた30分版の予告編を上映する予定ですので、ぜひどうぞ。

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[追記1] 「バーニングマン」の新しい(たしか3本目)のドキュメント・ムービー「ダスト&イリュージョン」が完成したらしい。今回のはかなり本格的なドキュメントになってる。日本でもアップリンクあたりではやく配給してほしい。予告編はこれ。



公式サイトはここ→ http://dustandillusions.com/

[追記2]「東京なんとか」の最新号に、こないだの多摩川ドラムピクニックのレポートが載ってます。そちらもどうぞ。ドラムギャザリングは「なんとかフェス」でももちろんやります。
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by illcommonz | 2009-07-30 16:20
▼アナーキスト人類学者が語る、資本主義の終わり
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「反グローバリゼーション運動の可能性/資本主義の終わりのために」
[日時] 2009年7月25日(土) 14時~17時30分
[場所] 早稲田大学 早稲田キャンパス10号館 109教室(大隈銅像後方)
[基調講演] デヴィッド・グレーバー(ロンドン大学ゴールドスミス校准教授)
[対論者 李珍景(スユ+ノモ研究員)池上善彦(『現代思想』編集長)
参加無料/日本語通訳有
[主催] 早稲田大学 梅森直之研究室 グレーバー来日シンポジウム実行委員会

「金融危機以降、次第に明らかになってきたグローバルな資本主義の破綻は、世界各国で深刻な社会不安や対立を生み出してきました。しかしこうした危機の認識は、資本主義への対抗を模索する人々の間に、世界的な連帯の必要性と可能性の新しい自覚をも育てています。現在、世界中で展開されている様々な反グローバリゼーション運動は、新しい人と人とのつながりのかたちを生み出しながら、ひとつの大きなうねりとなって、現存する社会秩序に大きな変化をもたらそうとしています。

わたしたちの共同研究プロジェクト「『帝国』の遺産と東アジア共同体」では、これまで、「帝国」をキーワードに、国際的な支配秩序の形成と展開を、それへの対抗運動の分析とともに、とりわけ東アジアという空間に定位しながら検討することを試みてきました。本シンポジウムでは、アナーキズム人類学者のデヴィッド・グレーバーさん、「研究空間スユ+ノモ」の李珍景さん、『現代思想』編集長の池上善彦さんをむかえて、資本主義に対抗し、オルタナティブを創出してきた世界各地の運動実践と、その意義について討論をおこないます。

デヴィッド・グレーバーさんは、2000年に北米のDirect Action Networkに参加し、以後、反グローバリゼーション運動のエスノグラフィーを記述し、その理論化を行ったことで、世界的な注目を集めています。近年では、日本でも『アナーキスト人類学のための断章』(高祖岩三郎訳、2006年、以文社)、や『資本主義後の世界のために』(高祖岩三郎訳・構成、2009年、以文社)が翻訳されています。

李珍景さんは、80年代後半の民主化闘争の時代に学生運動の理論的リーダーとして活躍し、現在は研究空間「スユ+ノモ」の代表的メンバーとして、グローバル資本主義の外部へと向かう生と思考を探求されています。研究者たちのコミューンとしてつくられた「スユ+ノモ」の実践は、昨年出版された『歩きながら問う』(金友子編、インパクト出版会)などで紹介され、近年日本でも注目を集めています。

池上善彦さんは、『現代思想』の編集長として、グローバル資本主義の問題や、それに抗する運動実践について、誌上で先駆的に取り上げてきました。また、近年では50年代の東京南部のサークル運動の研究に取り組むなど、「民衆」の民主主義の実践について思考してきた研究者でもあります。

多くのみなさまの参加をお待ちしております。」

.......................................................
去年、当別のキャンプで会った後、逮捕されて、それっきりだったので、また会えるのがたのしみだ。

d0017381_2481935.jpg▼デヴィッド・グレーバー著
高祖岩三郎訳
「資本主義後の世界のために
新しいアナーキズムの視座」
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by illcommonz | 2009-07-25 02:34
▼アクティヴィスト必携・VOL用語集
d0017381_3104635.jpg以文社から雑誌「VOL」のキーワード集が出版されました。もう書店に並んでいるはずです。イルコモンズは「民族学/人類学」と「ラディカルパペット」の二項目を書きました。もうすぐ再来日するデヴィッド・グレーバーが書いた「予示的政治」の項など、キーワード集ながら、なかなか読み応えのある用語集になってます。


▼VOL COLLECTIVE編「VOL LEXICON」
資本主義とは別の世界を構想し
無数の行動と思考をつくりだすために」
VOL Collective によるキーワード集
以文社

「現代思想、社会、政治経済、芸術―激変する現在を知り、世界を変えるために。思想誌『VOL』による現代思想キーワード集。82個の最新概念から古典概念までを、47人の書き手が独自の視野から論じ尽くす。世界が開ける必携本。『VOL』特別編集号。」

[執筆者] 白石嘉治、矢部史郎、徳永理彩、佐々木夏子、栗原康、中倉智徳、江川隆男、ジム・フレミング、松本潤一郎、山の手緑、渋谷望、仲田教人、酒井隆史、樋口拓朗、和泉亮、安岡健一、木下ちがや、岡田健一郎、綱島洋之、鈴木泉、長原豊、黄喜善、佐々木祐、入江公康、佐々木中、原口剛、中村隆之、永田淳、五所純子、丸山里美、レディオ・マルーン、篠原雅武、櫻田和也、高祖岩三郎、岡山茂、池田雅人、宇城輝人、松本麻里、堅田香緒里、谷口清彦、一色こうき、イルコモンズ、村澤真保呂、デヴィッド・グレーバー、小林勇人

[本書に登場する概念] アウトノミア、新しい資本主義の精神、一般的知性、オルタナティヴ・メディア、階級組成、キッチン、グリーン・キャピタリズム、経済心理学、幸福、国家、サミット体制、住宅、ストライキ、スペクタクル、政治的霊性、贈与/交換、地球、地代、知的所有、ニューエンクロジャー、認知資本主義、反グローバリズム、ベーシックインカム、暴力、模倣、予示的政治・・・。
[PR]
by illcommonz | 2009-07-24 03:11
▼アートスト
d0017381_602844.jpg
▼「パリ、芸術家のストライキ」
Alternative Media Gathering「もうひとつのメディア」のための集い 2009夏
[日時] 2009年7月28日(水) 19:00-21:00
[会場] studio c.u.t102 東京都品川区平塚2-7-4
[お問い合わせ] tokyo (at) remo.or.jp
[ゲスト] バティスト・バセット氏
「2003年の暑い夏、アヴィニヨン演劇祭が中止されたことは広く知られています。芸術労働者たちがハリウッド映画の封切り会場とされた公立図書館に集結し、公共放送の音楽番組やニュースに介入、ポンピドゥーセンターやMEDEF(フランス経団連)を占拠して、アヴィニヨンからカンヌに至るまで様々なフェスティバルを中止に追い込んだのでした。この芸術家のストライキは一方で「観客」を失望させたとも報道されましたが、その背後には、登録された労働者に年金や健康保険、失業手当を給付してきたintermittents du spectacle(芸術の非正規労働者=アンテルミタン)制度の切り下げという深刻な問題があることも忘れられてはなりません。このたびremoでは、その後も多彩な運動を展開するアンテルミタンと不安定就労者(フリーター)の協同組合CIP-IDFからバティスト・バセット氏をお招きしてプレゼンテーションを行います。バセット氏は精神病院や刑務所で映像ワークショップを行うアーティストで、今年は広島にて滞在制作されていました。かれらの経験を共有し、グローバルな非物質的労働に共通の問題として考える機会にしたいと思いますので、どうぞご参集ください。」
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by illcommonz | 2009-07-23 06:01
▼電気の力
d0017381_538749.jpg"Arrests at new Iranian protests"
"In a new form of protest, activists were urged to turn off lights and domestic appliances at 2055 (1625 GMT). They planned to switch on five minutes later appliances that consume large amounts of electricity, such as irons, toasters and microwave ovens. Activist leaders hoped the resulting surge in demand could cause a power outage and cloak Tehran in darkness, allowing some the chance to protest on the streets. The power protest is the latest in a series of efforts to continue demonstrating without breaking the law or risking arrest. Following a government clampdown on protests shortly after the disputed election, many in Tehran took to their roofs after dark to shout Allahu Akbar (God is Great) in solidarity with the opposition."(BBC NEWS 22/7/2009)

「テヘランで停電、新手の抗議=ムサビ支持者が電化製品一斉使用?-イラン」
「イランからの情報によると、大統領選不正疑惑への混乱が続く首都テヘランの一部地域で21日夜、停電が発生した。選挙で敗北した改革派ムサビ元首相支持派はこの日、アイロンなど消費電力の大きい電化製品を一斉に使い、停電を起こすよう呼び掛けていた。停電が発生した地域では、人々がベランダなどから「アラー・アクバル(神は偉大なり)」「独裁者に死を」と連呼し、アハマディネジャド大統領や体制に対する不満を表明した。当局はムサビ支持派の街頭デモを禁じており、支持者は電力供給をまひさせるという新手で対抗した形だ。」(時事通信社 2009年7月22日)

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たしかイラン政府は改革派の行動を封じこめるために、「電気の供給を止める」という警告を出してたので、それに対抗して、「やられる前にこちらからやってやった」という感じだろうか。デモが禁止されたからといって、社会を変えようとする者たちは、そのくらいで簡単にあきらめたりしない。昔から政権を倒す運動は、庶民が鍋やフライパンを持って街頭に出ることからはじまるが、現代社会では、アイロンやトースター、電子レンジもまた政権打倒の道具になる。どんなに分断されても、秒速300,000キロの速さで電流を走らせる電線で社会はつながっていて、人々は電力を社会を変える力に変換し、連帯を表現することができる。社会を改革しようとするとき大切なのは、こういう非暴力直接行動とその表現である。この戦術が日本や東京でやれるかどうかを問うよりもまず、同じ時代の同じ世界で、こうした戦術が、いつでも・どこでも・だれでも可能だというだけでなく、現実に実行されたことに希望を感じる。発想としてはサーバをダウンさせるのと同じやり方だから、たしかに新手といえば新手だが、電気を使ったレジスタンスは昔からあったし、日本でもあった。うそだと思うなら、これをみてみるといい。「野放し送電」である。

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節電やエコも大事かもしれないが、デモクラシーも大事である。
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by illcommonz | 2009-07-23 05:48
▼カラフルな天体

▼Coldcut +Dianne Harris - Colours the Soul (2006)
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by illcommonz | 2009-07-22 14:10
▼日食
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日食
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by illcommonz | 2009-07-22 11:26
▼1973年のプログレッシヴな「日食」


▼ピンクフロイド「ブレイン・ダメージ/日食」 (1973年)

この天気だと、明日、東京からは日食があまり見えないかもしれませんね(大人はさておき、こどもは一度はみておいたほうがいいと思う)。もし、みれなかったときは、かわりに、この映像をどうぞ。
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by illcommonz | 2009-07-22 00:27
▼ドラムが鳴る
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「ド・ラ・ム・ピ・ク・ニ・ッ・ク!!
奇蹟のように楽しかった。
持ち寄られたおいしい食べ物をみんなで食べて、
フリスビーしてみたり、シャボン玉吹いてみたり、
風がなくて飛ばなかったけど凧揚げを頑張ってみたりしながら、
ドラムサークルがはじまった。日没までということだったけど
気付けば、あっというま!!
結局、午後7時30分くらいまで、オトノワに夢中になったのでした。

みんなで演奏してるときに湧き上がってくる、
あのヨロコビの感情はなんなのでしょう。
太古の記憶が呼び覚まされるのか?!

楽器的には、鉄のバケツがすごくしっくりきました。
現地に行くまでドラヘビを聴いてたんで、なんか
そういう気分で(どんなだ)バケツを叩きました。
あと、イルコモンズさんのダラブッカ(タブラ)という、
ジャンベの本体部分がブリキで出来てるみたいな楽器。
これがまたいろんな音程が出るのが面白くてはまりました。
(夢中になりすぎて帰りには手が腫れてしまった。)
丸くなって演奏するだけじゃなくて、東西に分かれてお互いの
演奏を披露しあうとか(完成度の東と独立独歩の西)
ドラムサークルだかなんだかわからない新しい領域に到達したりして。
あと、虹まで出ちゃったし。夕暮れがまた美しかった…。
きれいな空を見ながら、寝転んで楽器演奏したり
ほんとうにのびのびしました。」

「はーぴー日記」より)

ドラム・ギャザリングには、ときどき「マジック」と呼ばれる瞬間が訪れるそうです。「自分がドラムを叩いてる」という意識が消え、いまそこで鳴っているリズムと一体化し、「リズムが自分を通してドラムを鳴らしている」という、そういう感覚になるそうです。その「マジック」をいっぺん経験してしまうと、「あのマジックをもう一度、、、」と、ドラムサークルをわたり歩くようになるそうです。そういえば、アフリカでシャーマンの一座と一緒に一晩中、朝までドラムを叩いていたとき、トランス状態になる人たちをたくさんみてきましたが、いまにして思うと、あれは「マジック」だったのかなと思います。そのときの経験からすると、「マジック」を呼びこむには、夜の闇の中でドラムギャザリングするのが、いいみたいです。真夜中のドラムギャザリングもいつかやってみたいですね。

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by illcommonz | 2009-07-22 00:17