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いる・こもんず 【普通名詞】 01| ありふれて変なもの 02| 扱いにこまる共有物 03| 分けても減らぬもの 04| 存在とは常に複数で他と共にあり、狂えば狂うほど調子がよくなる
はじめに、ふた、ありき

イルコモンズ編
見よ ぼくら
四人称複数
イルコモンズの旗
(Amazon.comで
大絶版廃刊中)
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▼ひとこと文句をいうまえに


▼「学生節 in the UK」(2010年)
[撮影] フィル・カラー
[音楽] クレイジーキャッツ
[編集] イルコモンズ

「学費3倍値上げに激怒、学生が与党本部に乱入 英国」
「英国のデービッド・キャメロン政権が打ち出した、大学の授業料を3倍に引き上げる方針に抗議する学生らが10日、ロンドンにある与党・保守党本部の窓を破って中に押し入り、6階建ての建物を一時占拠する騒ぎとなった。ロンドンをはじめ各地で学生が大規模なデモを展開。ロンドンのデモには警察発表で2万人、主催者発表では5万人が参加した。引き上げ後の学費は最大で年間9000ポンドで、来年5月に導入予定。保守党と連立政権を組む自由民主党は、ことしの総選挙前の公約で学費引き上げに反対していた。」(AFP通信 2010年11月11日)

「授業料値上げに反対、学生デモが一部暴徒化 英国」
「英国各地で24日、大学の授業料を最大で3倍に引き上げる政府方針に抗議する学生らが大規模な抗議デモを行った。10日に続き今月2度目の授業料値上げ反対デモが行われたロンドンでは約1万人が参加。一部が暴徒化し、官公庁が集まるホワイトホール周辺で警察車両を破壊したりバス停に火を付けたりしたほか、外務省の壁に落書きをしたり国防省への侵入を試みるなどした。この騒動で32人が逮捕され、警官2人を含む17人が負傷した。マンチェスターやブライトン、ケンブリッジなどでも数千人規模のデモが繰り広げられた。」(AFP通信 2010年11月25日)

 ひとこと文句をいうまえに
 ホレ、おやじさん 
 ホレ、おやじさん
 あんたの息子を信じなさい
 ホレ、信じなさい 
 ホレ、信じなさい

 柳は緑花紅 
 風が吹いたらナンマイダ
 あんたの知らない明日がある
 ホレ、明日がある 
 ホレ、明日がある

 どっこい、ここは通せんぼ
 ここには入れぬわけがある
 あんたの息子を信じなさい
 ホレ、信じなさい
 ホレ、信じなさい

 ひとこと文句をいうまえに
 ホレ、おふくろさん 
 ホレ、おふくろさん
 あんたの娘を信じなさい
 ホレ、信じなさい 
 ホレ、信じなさい

 色即是空、あみだくじ
 空即是色、アホダラ経
 あんたの知らない明日もある
 ホレ、明日もある
 ホレ、明日もある

 どっこい、ここは通せんぼ
 ここには入れぬわけがある
 あんたの娘を信じなさい
 ホレ、信じなさい
 ホレ、信じなさい

 ひとこと文句をいうまえに
 ホレ、先生よ
 ホレ、先生よ
 あんたの生徒を信じなさい
 ホレ、信じなさい
 ホレ、信じなさい

 道徳教育、こんにちは
 押しつけ道徳、さようなら
 あんたの知らない明日もある
 ホレ、明日もある
 ホレ、明日もある

 どっこい、ここは通せんぼ
 ここには入れぬわけがある
 あんたの生徒を信じなさい
 ホレ、信じなさい 
 ホレ、信じなさい

 「学生節」(1962年)
 [作詞] 西島大 [作曲] 山本直純 [演奏] クレイジーキャッツ

 ひとこと文句をいうまえに、
 ホレ、団塊さん、ホレ、団塊さん。

Q:団塊世代に対し、若い人の社会運動にお金を寄付すべきだと提言していますね。

A:若いころは学園紛争の主役となり、社会変革に燃えていたのが団塊世代です。しかも終身雇用に守られながら退職年齢に達しました。日本の高度成長の恩恵を十分に享受できた最後の世代でしょう。その人たちが今、退職して私生活に埋没してしまっては、若い世代から突き上げられます。」(山口二郎「団塊世代は"食い逃げ"するな 若者の社会変革、寄付で助けよ。」2010年11月29日 日経新聞)

同感である。山のぼりや庭いじりもいいが、こんな世の中にしてしまった責任をすこしは感じて、デモに行く電車賃さえろくに持たない若者に寄付してやってもいいのではないだろうかと思う。もちろんこういうやりかたには文句もあるだろうが(とはいえ団塊の世代は身におぼえがあるはずだ)、こんな世の中を生きてゆかなければならない若者の身にもなって、せめて、こんなふうに云ってほしいものだ。自分たちの革命はうまくいかなかったが、もしかしたら自分たちの知らない明日があるのかもしれない、よろしい、「若者はあばれてよし、どんどんやれ!」と。

[追記] 団塊といえば、この男。

d0017381_2292750.jpg▼菅直人
「1946年10月10日、岡山県出身の父・菅寿雄の勤務先、山口県宇部市に長男として生まれた。東京工業大学理学部応用物理学科(現・物理学科)に入学。学生運動にのめり込んだが、全共闘や民青からは一線を画した「全学改革推進会議」を立ち上げ、リーダーとして活躍した。2005年9月11日の第44回衆院選(小泉首相の解散による郵政選挙)では、東京都の民主党候補では僅差ながらも唯一小選挙区での勝利を果たした。同年9月17日民主党敗北を受けて党代表を辞任した岡田克也の後任を決める党代表選挙に立候補し、党代表戦に敗れた後は、団塊の世代を取り込むための「団塊党」なる運動や、バイオマスの活用を盛んに提唱し始めた。」


まったく信用できない。
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by illcommonz | 2010-12-08 02:31
▼新宿ど真ん中デモ feat.クラウンアーミー

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by illcommonz | 2010-12-07 21:15
▼やかましい路上のわたしたち
昨日の新宿でのデモの様子。

▼東京・新宿アルタ前をうめつくした「ど真ん中デモ」
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クラウンアーミーたちは「デモの交通整理」で警察のおてつだいd0017381_11421681.jpg

▼この日は警察側も「右側に気をつけろ」と思っていたようだ。
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▼異なる意見が路上で交差する、これが街路の政治。d0017381_114326100.jpg

▼米軍はいらない、自衛隊もいらない、防衛はクラウンアーミーで十分。
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▼道路のど真ん中を駆ける警官、息苦しい日本、そんなに急いでどこへゆく。
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▼こちらは、キープオン、キープライトの人たち
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▼こちらは、キープオン、キープレフトの人たち
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 こんなふうに、たがいに異なる意見を持つ人たちが、思い思いのスタイルとやり方で自分の考えを表明する「街路の政治」は、写真や映像でながめるようなものではなく、参加することに「意義」があると思う。もちろん「うるさい」とか「やかましい」という「異議」もあるだろうが、もともとデモクラシーは「政治に口出しをするなど、けしからぬ」と考えられていたデモス(=民衆)たちが、政治に口出しをするという「異例の事態」からはじまった。はじめ支配者たちの耳には、デモスたちがあげる声は、意味不明のやかましい雑音か、野獣のさけびにしかきこえなかったという。したがって「デモクラシー」ということばはもともと罵倒や悪態のことばだった。デモというのは、治世者にとっては呪わしいものであるデモクラシーの、その「はじまりの風景」を再現/反復するものなので、それがやかましかったりうるさかったりするのは当然のことであり、デモクラシーとは、本来的に、うるさくて、やかましいものなのだ。間接民主主義の選挙権それ自体は尊いものだが、投票所で静かにだまって投票する行為は、飼いならされたデモクラシーの儀式であることを忘れてはいけない。ていたらくな国会の答弁や、ぼんくらな政府の閣僚たち(たとえば「答弁はふたつでいい」と発言した大臣とか)のニュースばかりみせられて、政治に意気消沈し、だまってしまうとしたら、それは治政者の思うつぼである。治政者の理想は、国民が政治に完全にあいそをつかし、日曜日には、政治から遠くはなれたところで、たとえば、ショッピングモール山のぼりで、静かな休日を過ごしてくれることのはずだ。だからこそ、休日に街路にでて、やかましいデモスとなり、路上から雑音の一票を投じるデモは、投票と同じくらい尊いものだと思う。また、そう思うからこそデモにゆく。たまの休日、見たい映画や読みたい本をあとまわしにして、「デモスのつとめ」を果たしに、デモにでかけるとき、自分の背中をおしてくれることばやうたがある。

 「問題を解決するために強い意志を持ち、献身的に努力する市民たちの小さなグループが世界を変えられるということは、疑いようがありません。現に、世界を変えてきたのはまさにそれなのです」(マーガレット・ミード)

 「よきことはカタツムリの速度でうごく」(ムハトマ・ガンジー)

 ほかに、こういう歌もある。

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ナタリー・マーチャント「あなたはどちら側にいるの?」
Natalie Merchant "WHICH SIDE ARE YOU ON?"

 「あなたはどちら側にいるの?」はフローレンス・リースが1930年代につくったプロテスト・ソング。ウディ・ガスリーをはじめ、無数のカヴァーヴァージョンがあるが、反抗の音楽がフォークからパンクになり、パンクからテクノへと変わっていったなかで、いまではめったに歌われることの歌だが、歌詞のなかにある「あなたはどちら側にいるの?」というリフは、今でもいろんなところで使われている(たとえば、去年ニューヨークで開かれたアクティヴィズム展ではこのリフがタイトルとして使われていた)。



 ねえ、おしえて、あなたにできることを
 Oh, tell me how you can
 くたびれた皮膚でいたいの、
 Will you be a lousy scab
 それとも、ひとでありたいの?
 Or will you be a man?
 あなたはどちらが側にいるの?
 Which side are you on?
 あなたはどちらが側にいるの?
 Which side are you on?

 自分がどちら側にいるかということは、自分でいわなくても、ものごとを何でも二つに分けないと気がすまない人たちが、「左翼だ」とか「反体制だ」とおしえてくれる。たしかにそういうふうに分ければ、そうなるのかもしれないが、自分自身は、ものごとをなんでも二つに分けるものの考え方や世界観をまるで信じてないので、実はぜんぜんそう思ってない。強いていうなら「ゴリゴリの直接民主主義者」ということになるかもしれないが、実はそれほどゴリゴリでもない。かつては「行動が思想を決める」というゴリゴリな思想もあったが、それよりも「誰と共にいるかがそのひとがどちら側にいるかを決めるのでは」とゆるやかに考えている。「わたしはこわれやすい卵の側につきたい」と語った作家もいるが、どちらかというと自分は、いつ・どこにいても、「やかましいデモス」でありたいとそう思っている。そして、やかましいデモスのひとりとして、他のデモスたちと共にありたいと思うので、休日にドラムをもってデモにでかけてゆくのだと思う。そしてデモでキープ・レフトで進むのは、「うつくしく、いさましい日本のわたし」ではなく、「やかましく、うるさい路上のわたしたち」でありたいからなのだと思う。
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by illcommonz | 2010-12-06 14:34
▼キープ・オン、キープ・レフト、右側に気をつけろ、
d0017381_1034283.jpg「右側に気をつけろ」
(ジャン=リュック・ゴダール)
▼「キープレフト」(出典: フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia」)
「キープレフトとは、左側通行の国において原則として一番左側の車線を通行すべきことを表す言葉である。通常は道路の中央付近を空けておくことで対向車との接触を防ぎ、また、追越しや右折等がスムーズに行われることで円滑な交通の実現を意図している。」

 「デモの空間のひろさはその国のデモクラシーの度合いに比例する」といわれる。日本では公安条例があるため、デモの列はヨコにひろがることができない。しかしタテとウエにむかってひろがることは可能である。「キープ・オン、キープ・レフト」とは、道路の中央付近を空けておくことで過剰警備を行う警官との接触を防ぎ、ドラムの演奏やパペットなどの提示をスムーズに行うことで、1ミリでも長く、1秒でも長い、デモクラシー空間の実現を意図している。今日の「新宿ど真ん中デモ」への参加は、新宿の「ど真ん中」を合法的にこじあけ、「キープ・オン、キープ・レフト」によるデモクラシー空間の解放と拡張を試みることをその目的のひとつとしている。この国の議会政治のおそまつさにあきれ、ただそれに呆れたり、嘆いてみせるだけではなにも変わらない。そもそも民主党や自民党の議員たちがやってるのは、「権力あらそい」や「派閥あらそい」でしかなく、それは本来の政治ではない。それをみて、政治そのものをあきらめる必要はないし、また、あきらめてしまえば、国民を政治から遠ざけようとする「政治劇」の思うつぼである。どの時代のどの国家でも、治政者たちがもっともおそれるのは、国民が政治に関心をもつことである。日本では、だめな政党のぼんくらな議員たちにあきれた政治をさせることで、国民の政治に対する関心をそいできた。これまでもずっとそうだったし、ここにきて、そのまつりごとが、ますますひどくなっている。「もっと国民に政治に関心をもってもらいたい」という政治家もいるが、それは「選挙」と「政権維持」のためであって、それ以外のことで、国民が政治に関心を持つことを本当に望んでいる議員などいないだろう。本当に国民が政治の「主体」になってしまえば、その「代表=代議員」としての自分の存在意義があやうくなるからだ。その点で、議会制民主主義は矛盾したデモクラシーである。こういうとき、こういうときこそ、「メディアをうらむな、自分がメディアになれ」と同じで、「政治をうらむな、自分が政治になれ」である。かんたんなことだ、政治家になるのではなく、「街頭の政治」になればよいのだ。デモはそのためにある。「わたしたちはどこにでもいるし、わたしたちはだまってない、かわりの政府はいくらでもある」。デモがデモンストレーションしているのは、それである。デモは、「効率主義」や「成果主義」にまみれた者たちの目にはたいして成果のあがらない、非効率的なものにみえるだろうが、いまのこの世界を、いくらかましなものにしてきたのは、デモである。それはビジネスや市場が望むようなスピードやテンポではすすまない。マスコミが「だめなスペクタクル」としてみせる議会政治はほんとうのデモクラシーではなく、ほんとうのデモクラシーは「帝国よりも大きくゆるやか」で、そのデモは「河よりも長くゆるやかに」すすむ。そして、それはたいてい、やかましい。しかし非常ベルや警報装置と同じで、そのやかましさが大切なのである。

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「沖縄への基地押しつけはおしまい!新宿ど真ん中デモ」
[日時] 2010年12月5日(日)13:00トーク 14:00デモ出発
[場所] 東京・新宿 新宿駅東口アルタ前広場
[主催] 沖縄を踏みにじるな!緊急アクション実行委員会

「無人島の近くで船がぶつかった。それだけで日本中が大騒ぎ。「領土を守れ」と叫びながら軍隊を増強して国境に配置する。歴史上なんども繰り返された戦争への道だ。危機をあおり緊張を高めているのは、日本のほうじゃないか!そもそも基地を押しつけられる沖縄住民の生活はどうなる?米軍基地周辺で一日じゅう鳴り響く銃声や戦闘機の爆音。「防衛」ではなく侵略のための殺人訓練。県外移設の約束を裏切り、県知事選挙後の「辺野古」移設具体化をねらっている日本政府。圧力をかけ続けるアメリカ政府。こうしたすべてにたいする沖縄住民の怒りは少しも変わっていない。沖縄差別としての米軍基地押し付けも、日本の侵略主義のなごりである「尖閣」問題も、すべて「本土」にくらす私たちが変えていくべきことだ。11月23日に発生した朝鮮と韓国の砲撃事件でも、「挑発した」とか「された」とか、武器を持ってにらみ合っていれば偶発的に戦闘が起きるのはあたりまえ。そして、また事件海域で米軍の原子力空母がしゃしゃり出て演習を行うという。「世界警察」もたいがいにせーよ。沖縄の基地をこの事件で正当化するなよ。武力があるから戦争になるんだ。いまの日本の戦争ムードは絶対おかしい! むずかしく考える必要はない、まずはそれを訴えよう。友達を誘い、道具を持ち寄り、音楽を鳴らして、新宿を埋めつくそう。脅威論に踊らされるな、平和を作りだそう。「新宿ど真ん中デモ」へ!」
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by illcommonz | 2010-12-05 11:05
▼「地球を破壊しようと思うんだ」
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"JAPAN WINS 1ST (AND ONLY) PLACE FOSSIL OF THE DAY FOR TRYING TO KILL KYOTO PROTOCOL"
"Japan received the dubious distinction of being the only government to win a Fossil of the Day award today for its efforts Monday to prevent the continuation of a protocol to the United Nations climate convention that was agreed to in its own city of Kyoto. This comes not two months after a new protocol and other agreements were reached in Nagoya, Japan at the United Nations Convention on Biological Diversity."(November 30 2010)

▼「日本に不名誉な化石賞…COP16後ろ向き発言」
「メキシコで開会中の国連気候変動枠組み条約第16回締約国会議(COP16)で30日、最も後ろ向きな発言をした国に贈る「化石賞」の1位に日本が選ばれた。化石賞は、世界の500以上の環境団体が参加するNGOネットワーク「CAN」が選ぶ不名誉な賞。日本を選んだ理由については、日本が会議開幕日の29日、「いかなる条件であっても、京都議定書の次の温室効果ガス削減期間の設定や延長は受け入れない」と発言したことを挙げた。COP16では、途上国が京都議定書の延長を求める展開になっている。日本、カナダ、ロシアは反対している。」(読売新聞 2010年12月1日)

日本が「化石賞」を受賞したのは今回がはじめてではなく、去年のコペンハーゲンのCOP15でも受賞している。

「COP15で日本が「今日の化石賞」を受賞」(イルコモンズのふた 2009年12月18日)

 「うしろむきの発言」で思い出したのだが、こないだスーパーのレジに並んでいたときのこと。「レジ袋はどうしますか?」とレジ係のおばさんに聞かれた時の、おじさんの発言はすごかった。そのおじさんいわく。

 「あぁ、じゃ、この店でいちばんおおきな袋をちょうだい。
  2枚ちょうだい。地球をね、破壊しようと思うんだ。」

 どうせ「うしろむきな発言」しかできないのなら、いっそのこと、このくらいのことを云えばいいのにね。

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by illcommonz | 2010-12-04 05:59
▼無印良品のイスラエル出店計画を中止させたキャンペーン
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良い報せが届いた。

 「朗報です。良品計画がイスラエル出店の中止を発表しました!ただし理由としては、「具体的調査の結果」による「経済的理由」を挙げており、やや曖昧な説明なのは残念です。ともかく出店の中止を発表した良品計画に対し、歓迎・賛同・激励など、あなたのメッセージを!ぜひ、あなたのメッセージをお送りください。お寄せいただいたメッセージは無印良品に届けます。」(「良品計画にあなたのメッセージを送ってください!」

無印良品ニュースリリース「イスラエル出店計画中止のお知らせ」
「株式会社良品計画(東京都豊島区/代表取締役社長 金井政明)は、2010年4月12日に当社ニュースリリースにて発表しましたイスラエルへの出店計画の中止を決定いたしました。当社は当該リリース発表後の具体的調査の結果、経済的な理由により、本計画の中止を決定しましたので、ここにお知らせいたします。」(2010年12月1日)

 ニュースリリースには「経済的な理由」とあるが、無印良品にイスラエルへの出店を思いとどまらせたのは、「STOP!! 無印良品キャンペーン」だと思う。
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「イスラエルはパレスチナの人びとに対し、さまざまな犯罪行為を行なってきた国です。何百もの国連決議がイスラエルによる占領・入植政策を非難してきましたし、ハーグ国際司法裁判所(ICJ)は、アパルトヘイト・ウォールの違法性を指摘しています。イスラエルによる犯罪行為を止めさせ、人権と国際法が守られる世界をつくっていくために、無印良品を作る株式会社良品計画にこの国への投資計画をぜひやめてもらいたいと私たちは考えています。」

 無印良品のイメージを「転用」した秀逸なデザインと丁寧なサイトづくりは、従来の日本の消費者運動にはあまり例がないもので、その点でも特筆に価するが、最終的に無印良品を動かしたのは、このキャンペーンに寄せられた無印良品愛用者たちからのメッセージだった思う。

▼「寄せられたメッセージ」
http://act.parc-jp.org/cyber/muji/message

 自分もこのサイトから無印良品にこんなメッセージを送っていた。

-----------------

 株式会社良品計画御中

 貴社が予定されているイスラエルへの出店をやめてください。

 どうしてもイスラエルに出店するというのなら、
 パレスチナのガザ地区に同じ規模の店舗を出店し、
 パレスチナの人びとのくらしを支援してください。

 イルコモンズ(東京都)

----------------

 メッセージの内容はさておき、いま、よみかえしてみると、自分にしてはめずらしく、物腰のやわらかい文章になっている。おそらくそれは、このキャンペーンが体現していた丁寧なとりくみの姿勢とその「運動の質」によるものだと思う。無印良品に出店計画を中止させるだけの質と力をもった多くのメッセージが集まったのは、このキャンペーンが無印良品の愛用者や支持者たちに好感と共感をもってうけとめられたからだと思う。12日に予定されていた無印良品前でのアクションのよびかけには、このキャンペーンをよびかけた人びとのなかにも無印良品の愛用者がいることが記されていた。

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「STOP!! 無印良品 in 東京」

[日時] 2010年12月12日(日) 13:30~14:30
[場所] 東京・有楽町 無印良品有楽町店前
 「私たちは、その計画を取りやめてほしいと考え、12月12日(日)にアクションを起こすことにしました。無印良品のお店の前で、出店をやめてほしいということを書いたチラシを配り、お店のスタッフにも、お願いのお手紙を渡す予定です。(本社で対応して下さるというお返事が頂けた場合は、本社にも渡しに行こうと考えています。)アクションをやろう、と話し合った私たちの中にも、無印良品の商品の愛用者がいます。けれど、無印良品がイスラエルに出店してしまったら、もうその商品は買いたくないと思っています。イスラエルはパレスチナの人びとに対し、さまざまな犯罪行為を行なってきた国です。何百もの国連決議がイスラエルによる占領・入植政策を非難してきましたし、ハーグ国際司法裁判所(ICJ)は、アパルトヘイト・ウォールの違法性を指摘しています。けれど、イスラエルはそうした決議や勧告を受け入れてはいません。イスラエルは、貿易や投資など、国外との経済活動に依存している国です。イスラエルに出店をするということは、無印良品がこの国に投資を行うということです。イスラエルによる犯罪行為を止めさせ、人権と国際法が守られる世界をつくっていくために、この国への投資計画をぜひやめてもらいたいと私たちは考えています。ぜひ、あなたも一緒にアクションに参加してください。」
 
 イスラエルへの出店計画では判断をあやまったものの、本来の無印良品の特徴は、そのデザインの好さや質の好さ、そして、その丁寧な姿勢にあると思う。今回のこのキャンペーンは、無印良品を決して全面否定するのではなく、その好ましい部分を運動のなかにとりいれながら、無印良品をその本来のありかたに立ち返らせようとするものだったと思う。実際、サイトに寄せられたメッセージをよむと、イスラエルへの出店は「無印良品らしくない」として、本来の「無印良品」のありかたに戻ることを求めるものが多く、キャンペーンをよびかけた人びととそれにこたえた人びととのあいだに共感にもとづく連帯がうまれていたことがわかる。それがなしとげた成果もさることながら、好感と共感がうみだす力でものごとを変えてみせた良質のキャンペーンだったと思う。

 「無印良品がイスラエルへの出店を中止したらこのキャンペーンは終了します。私たちは常に無印良品とやり取りをしていますので、出店が中止されたらすぐに連絡をもらえるようになっています。ですので、無印良品があなたに何を言ってこようとこのキャンペーンが終わるまでは、無印良品は出店計画を着々と進めていると考えてください。」

d0017381_411443.gif 理由はともかくも、無印良品から「中止決定」が伝えられたので、このキャンペーン自体は終了することになるのだろうが、キャンペーンが終了した後も、「良質の運動」の記録として、このサイトが存続することを願っている。

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[追記]  細野晴臣「花に水」(無印良品店内BGM)

メッセージには書かなかったが、かくいう自分も、細野晴臣の「花に水」が店内BGMに使われていた頃(たぶん1980年代前半)からの無印良品の愛用者で、無印良品がイスラエルに出店するという話をきいたときは、正直こまった。1993年から愛用している自転車をはじめ、身のまわりには無印良品の生活用品が結構ある。もうひとつこまったのは、大学の講義でスウェットショップ(=搾取工場)の話をする時、スウェットショップを使ってない企業の例としてパタゴニアや無印良品をあげてきたのだが、今後は無印良品のイスラエル出店のことを話さなくてはならなくなるからだ。出店が中止になってほんとによかった。ちなみに家にある無印良品のものでいちばん重宝しているのは、このステンレス・パンチング・ザル。

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もやしを洗うとよくわかるが、パンチング加工なので、メッシュのザルのように野菜くずがひっかかったり目づまりしたりしない。しかもステンレス製で、ザルがたわまないので、使った後もごしごし洗える。これはほんとによくできてると思う。いつかガザに出店してパレスチナの人びとにも使ってもらいたい(イスラエルの軍事政府が隔離壁を撤廃し、パレスチナとの和平が実現すれば、イスラエルの人びとにも使ってもらいたい)。

一方、無印良品のサイトと関東・関西の一部の店舗のみで限定販売してる「わたいれ/はんてん」のデザインについてはちょっと疑問がある。「わたいれ」は肩のラインを落とさずに直線裁ちでいいと思う。自分が愛用している久留米の「わたいれ」の方が値段も手ごろで(3,000円)、デザインも初期の無印良品っぽくみえるのだが、どうだろう?。あと、わたいれとグレーのフードパーカーの組みあわせは意外にわるくない。
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[参考]久留米のはんてん
 「綿入り・はんてん(半天・半纏・袢纏・ちゃんちゃんこ)日本製 Made In Japan 原産国:日本 【素材】表 地:アクリル60% ポリエステル40%裏 地:綿100%中 綿:綿70% ポリエステル30% 【特徴】当社の本場久留米はんてんは、「綿わた入りはんてん専用中綿」を自社工場にて熟練の職人がひとつひとつ真心を込め、手作業にて綿を詰め、縫製し、厳しい検品を受け合格した商品だけが出荷されています。【だから着てみて暖かい、着てみて分かる良さがあります。】自信を持ってお送りできる自慢の商品です。 ・綿わたが入っているので暖かい。人体からのわずかな湿気や空気中の湿気が繊維質に保たれます。それが人体の体温で暖められることにより暖かさを増します。ふっくら感がなくなったら、陽に干すとふっくらとよみがえります。・手縫いでの縫製。着たときのごわつき感がなく、しなやかさが保たれています。 これからの寒い季節。とても暖かいはんてん。昔から続いてきた良さ、懐かしさをぜひ体感してください。」
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by illcommonz | 2010-12-04 04:02
▼「わたしのすがた」をみる
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 おそるべき、いまの世にぞ、われらは生きる
 さしせまる危機にありて、生きるはきびし
 みよや、国はきそいたち、いくさをはらむ
 きけ、たみのなやむこえは、世界にみてり
 賛美歌115番「われらは生き、われらは住まう」

 飴屋法水の招待で、28日目の「わたしのすがた」をみせてもらった。

飴屋法水考案「わたしのすがた」
[日時] 2010年10月30日(土)-11月28日(日)
[場所] にしすがも創造舎 豊島区西巣鴨4-9-1
「F/T09では「転校生」「4.48サイコシス」を演出し、日本演劇史に鮮烈かつ不動の1ページを書き加えた飴屋法水。演劇、美術、音響、動物店の経営など、さまざまなフィールドを越境しながら、一貫して「生命」や「身体」を見つめ続けてきた彼が、ついに戯曲も舞台も俳優もない、脱・演劇的装置の作成に取り組む。今回飴屋が着目したのは「不動産」。かつて誰かがそこに存在し生を営んでいた空間、しかし今は誰も存在しない場所。にしすがも創造舎を基点に、観客はたったひとりで4箇所の「不動産」を訪れ、そこに息づく事物や生物、物質、言葉と対峙する。複数の生や時間が交錯する場所/非場所で、見る者はどんな「わたしのすがた」を見出すのだろうか。会場や体験方法など作品の全容がわかるのはF/T10開幕当日の正午、その場、その時に立ち会うものだけが知りうる謎に包まれた30日間の幕があく。」

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 西巣鴨周辺の廃屋を舞台に上演された今回の「市街劇」は、劇場で上演されるどんな芝居にも増して、見る者によってその見え方は大きく異なり、そこに見い出すものも、ひとりひとりちがっていたはずだ。さらには、その日の天候や気温、時刻や湿度、そして、そこに居合わせた人たちの存在によっても、その見え方は大きく異なっていたと思う。したがって最大公約数的な何かを語るよりも、自分がそこで何を見たかを実直に告白することの方がこの芝居によりふさわしい語り方ではないかと思う。そしてそれが「わたしのすがた」をみることでもあると思う。ただその前にひとこと。これはいうまでもないことなのだろうが、しかし大事なことなので、まず最初に書いておくと、これは飴屋による「廃墟ツアー」ではないし、飴屋の「クリスチャニズムへ」の傾倒でもない。もちろんそう見てもかまわないし、そうみることで安心したいという気持ちも理解できるが、そうした理解に安住してしまうと、「わたしのすがた」はみえてこないし、物語もはじまらない。以下に記すのは、三時間半の市街劇の中で自分が目にしたものと、そこから想起したことの覚書である。ただし冒頭の賛美歌の引用のように、その場になかったものも含まれているし、さらに上演後に飴屋からきいた話もあるが、それはすべて省いた。

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 2010年11月26日金曜日午後5時、第一幕、東京都豊島区西巣鴨4丁目9番1号、主よ、たとえわずかでも、あなたように生きようとすれば、わたしもきっと罪に定められるでしょう。わたしはそれがこわいのです。人間の知恵に耳をかたむけるのがこわいのです。第二幕、昭和57年4月13日火曜日、だいだいの家、4畳半、9畳、3畳、罪、とが、不義、悪、やみ、汚れ、主よ、主よ、かせそはこばちて、ときはなちたまえ。愛用者サービス券、この券10枚にてウタマコマホー石鹸1個とお引き換えします。第三幕、東京都豊島区西巣鴨4丁目12番地、半分の教会、半分の境界、第一、わたしが生まれたといふことは、わたしに使命のある証拠である。第二、わたしが今生きているといふことは、わたしにまだ使命があるという証拠である。万人に使命がある。之を信じてこそ人格尊重の根拠ができる。後藤静香、使命と人生、大正13年。せとのやぶからのぞくと、とのさまがえる、まかりでて、両手をついたが、やがて考へて、わたしの用事なんだっけ? 赤十字、希望社、第四幕、休日診療所、永遠の安息日、それは道ばたを通っていただけなのに、むりやりひっぱってこられた、見ず知らずの人でした。終生観、33人は眠っている。肉体はよわい。群衆がやってくる。生歌にコーダがきた。思い出さそうよ、吹く風も、帰らぬ主の、あと追うように、今もなお、目に浮かぶ、姿よ眠れよ、大地は静か。もう忘れよう、そしてみんな、うちへ帰ろう。終幕。

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 こうして芝居は幕をおろしたのだが、偶然にも、今回の芝居の舞台となった西巣鴨は、かつての勤め先があった場所で、多少の土地勘があったので、そのままうちには帰らず、寄り道をした。第四幕で灰になったそれを見たとき、帰りにあそこに寄らないと、おわらない/はじまらない、と思ったので、そうした。

 2010年11月26日金曜日午後8時半、東京都豊島区巣鴨4丁目33番地、庚申塚ときわ食堂、スタミナ満点、明日への活力、ホルモン炒め、450円、たまご焼き、350円。

 そう、わたしはこうやって生きのびてゆくのであり、これも「わたしのすがた」である。

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 芝居の終わりに手渡されるパンフレットには、飴屋のこんな言葉が記されていた。

 「わたしは日本に生まれました。わたしは無宗教、無神論者です。」

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 このパンフレットをみながら帰りの電車の中で考えた。「わたしはどうだっけ?」と。たぶん自分はこうだろう。

 「わたしは1966年に生まれました。わたしは多神教、アニミストです。」

 そして神についてはこう考えている。

 「神も仏もくそもあるもんか、とは思うばってん、
 もしいらっしゃるのなら、天地・宇宙・万物をつかさどる神さま、
 おいどんは、男ばい、 しあわせにしてくださいとも、たすけてくださいとも、
 死んでもたのみません。 おいどんは、おいどんのやりかたで、
 がんばるけん、見ていてください。」 (大山昇太)

 わたしのたましいのすがたは、こんなふうにできている。

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[追記] ところで、神さま、仏さま、最近はなにをなさったのですか?

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神さまはスケボー、仏さまはバッジ・プレゼントですか。。。
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by illcommonz | 2010-12-03 03:31
▼「ここしかない一点に石を置く」
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SO+ZO展「未来をひらく造形の過去と現在1960s→」
[会期] 2010年11月13日(土)-28日(日)
[会場] 東京・渋谷 Bunkamura ザ・ミュージアム
 「SO+ZO(桑沢+造形)展」とは、桑沢学園の創設者・桑澤洋子(1910-1977)の生誕100年を契機として展開する「SO+ZO MOVEMENT」の中心事業となる展覧会である。人間主義を基本において、新しい人間と社会のありかたを提案する造形教育を半世紀にわたって行ってきた、桑沢デザイン研究所と東京造形大学の、それぞれが輩出した多彩な才能群に焦点をあて、それが如何に時代を牽引してきたかを検証しながら、60年代以降の、デザインと社会の関わり、アートの様相を辿り、未来への可能性を問う試みである。展示構成は60 年代~2000 年代にいたる10 年単位のゾーニングを図りながら、時代の流れに沿ったデザインの様相を見る構成となっている。したがって、デザイナーや分野別の展示ではなく、「デザインの時代」を総覧するため、作家によっては複数の年代にまたがった複数点の展示構成になる場合もある。浅葉克己、内田繁、長友啓典、倉俣史朗、沖健次、梅田正徳、舟越桂、高梨豊、植田いつ子、諏訪敦彦、吉岡徳仁らを筆頭に時代を創りあげて来た桑沢イズムの成果を一堂に展観し、来るべき未来を創造します。」

 「トランスフォーメーション展」の招待券のおかえしに、「SO+ZO展」の招待券をいただいたので、渋谷までみにでかけた。もうAPECは終わったというのに、センター街周辺にはまだ、マスクで顔を隠したぁゃしぃ「職質警官」たちがいた。「1匹みたら50匹いると思え」というあの虫みたいにうようよいる。そのしつこい職質をホイホイとかわしながら、展示会場にたどりつく。いまでこそポスターやチラシのデザインで生活費をかせいではいるが、もともと文化人類学者になろう、と思っていたので、実は美術やデザインの教育というのを一度も受けたことがない。大学、専門学校、通信教育とはまった無縁で、なんの資格もキャリアも技能もないまま、無免許運転でデザインをしている。そんな自分にどうにかこうにかデザインができるのは、「SO+ZO展」で展示されている浅葉克己や奥村靫正などの80年代の仕事/作品をリアルタイムでたくさんみてきたからかもしれない。特にレコードのジャケットワークや演劇のポスターから多くを学んだ気がする。それらが自分にとってのデザインの学校であり、見よう見まねでやってるデザインのお手本となっている。なので、戸田ツトムがデザインした天井桟敷の「観客席」のポスターや、奥村靫正がデザインした細野晴臣「S-F-X-」のポスターに目が釘付けになった。

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▲戸田ツトム「天井桟敷「観客席」ポスター」

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▲奥村靫正「細野晴臣「S-F-X-」ジャケット」

 どちらも雑誌などではみてきたものだが、実物をみるのははじめてだ。展示された実物をみると、たしかに反転した「観客席」のポスターは「連貼り」の方がより劇的にみえた。また「特殊インク」で印刷された「S-F-X-」のポスターの質感もよかった。ほかに、オノデラユキの「古着のポートレート」が思ってた以上に判型が大きかったが、その大きさがこどもの古着のほころびやくたびれを見事に表現しているように思った。

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▲オノデラユキ「古着のポートレート」

 自分は、おもに政治的な理由で、大企業や大手レコード会社の宣伝の仕事をすることは、これから先もないだろうが、それでもいろいろ勉強になった。「大資本の宣伝だから」とか、「商業デザインだから」といって、それをみようとしなければ、なにも学べないし、盗めない。自分が「見よう見まね」でやってるから、そう思うのかもしれないが、デザインやアートを教える/学ぶことにはたぶん限界があって、最後にものをいうカンやワザやコツは、見て・まねて・盗むものだと思う。そう思うので、不倶戴天の敵だと思っているナイキ社やスターバックス社、ウォールマート社の宣伝広告は、無視するのではなく、「じっと見る」ように心がけている。そこから盗みとれるものはないだろうかという盗人の目でみている。敵の武器をこちらの武器につくりかえようとするゲリラの目でみている。あきらかに不審な行動だが、こればっかりは、どんなに職質警官がうようよいても、とりしまることはできないだろう。最後に、ウルトラグラフィックスの近藤ちはるがデザインしたフジモト・ヒデト「life展」のポスターの前で足がとまった。いまの時代の空気を見事に描き出したそのデザインワークもさることながら、作品に添えられた次のことばに目がとまった。

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▲近藤ちはる「フジモト・ヒデト「life展」ポスター」
 「時代性とは、未来と過去の逆ベクトルを志向しながら、
 "ここしかない一点"に石を置くようなものではないだろうか」(近藤ちはる)

 「流行」の「順ベクトル」だけを志向し、たちまち忘れ去られ消費されてゆく大量のデザインのなかで、10年後や20年後の先まで残ってゆくのは、「やがて未来になりつつある現在」としての「ここしかない一点」にひとつづつ石を置いてゆく仕事だと思う。それはデザインだけでなく、音楽も映画も文学も演劇も服飾もすべてそうだと思う。そんなことを思いながら、渋谷の会場を後にし、次は飴屋法水から招待された「不動産をめぐる演劇」を見に、西巣鴨に向かった。
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by illcommonz | 2010-12-02 16:16