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いる・こもんず 【普通名詞】 01| ありふれて変なもの 02| 扱いにこまる共有物 03| 分けても減らぬもの 04| 存在とは常に複数で他と共にあり、狂えば狂うほど調子がよくなる
はじめに、ふた、ありき

イルコモンズ編
見よ ぼくら
四人称複数
イルコモンズの旗
(Amazon.comで
大絶版廃刊中)
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▼無関心とは正反対の、あふれるほどの関心


 「愛の反対は憎しみではありません、愛の反対は無関心なのです。」
 (アグネス・ゴンジャ・ボヤジュ)

 たとえば、いま、リビアで起きていることについて、昼夜を問わず懸命に情報を集め、ひとりでも多くの人にそれを伝えようとしている人たちのことを、「野次馬」だとか「祭り」だといって謗るツイートをたまに目にする。そのたびに思い出すのは、タハリール広場に雨が降って、広場に虹がかかった時、そこに希望の兆しをみいだした人たちが、それを互いにツイートし合っていたことである。この無関心とはまるで正反対の、あふれるほどの関心を何と呼べばよいのか分からないが、たとえそれが何と呼ばれようと、その関心を全面的に肯定したいと思う。

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[追記] 私たちの無関心は誰の味方なのだろう?

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by illcommonz | 2011-02-28 11:27
▼ネグリ+ハート「アラブはデモクラシーの新たなパイオニアである」
d0017381_1354218.jpg アントニオ・ネグリとマイケル・ハートが「アラブはデモクラシーの新たなパイオニアである」というタイトルの論考を「ガーディアン」紙に寄稿している。

▼Michael Hardt & Antonio Negri
"Arabs are democracy's new pioneers"
(Guardian 24 February 2011)

 ネグリとハートが今回の一連の蜂起の主体を「マルチチュード」と呼んでいることは当然として、彼らがその組織のされ方に、シアトル以後の「中心をもたない水平的ネットワーク」のムーヴメントとの類縁性をみていたのは、やっぱりという気がした。エジプト革命がはじまってまだ間もない頃、このブログに「過去十数年間のオルター・グローバル・ムーヴメントとのつながり」について、やや断定的に書いたのは、自分自身の考えというよりも、ネグリとハートならきっとそうみるだろうと思ったからで、それがそれほど的外れでなかったことが分かってほっとした。そのほかに、ネグリとハートは、Twitter や YouTube などのソーシャルネットワークは、この革命を起こした「原因」ではなく、こうした組織化の「徴候」なのであって、これらは身近な道具を使って自立的な組織をつくることができる民衆たちの「表現形態」なのだとも述べている。

▼「怒りの金曜」のアクション・プラン(2011年1月29日)
http://illcomm.exblog.jp/12777985/
▼「音声のムバラク叫んだ時、図交感神経オフにしたデモ隊が
単純な2番目の点滅を持っているされて悪魔化」(2011年2月11日)
http://illcomm.exblog.jp/12853048/

 ほかに、この論考では「たたかいのサイクル」という言葉が使われている。今から2年前の洞爺湖サミットの時、ハートが日本のアクティヴィストたちにむけて、これから「たたかいの第3のサイクル」がはじまるということを書いていて、その後、あまり展開がなかったのだが、イギリスやイタリアの学生たちのムーヴメントを経て、ついにそのサイクルがアラブでブレイクしたのだな、と思った。

"As long as those demands and desires live, the cycle of struggles will continue. The question is what these new experiments in freedom and democracy will teach the world over the next decade." (Negri & Hardt "Arabs are democracy's new pioneers")

[参考] ハックティヴィスト集団「アノニマス」による反乱のためのアートワーク
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by illcommonz | 2011-02-28 01:39
▼「あなたが本当は何者であるかを試される瞬間」はずっと続いている、そしてそれは何度も回帰する。
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 「次々にリビアから送られてくる画像は、闘い続ける市民の「命」の画像。私達はこの画像を、茶の間でコーヒーなど片手にして観るわけだが、マスコミの論調は「不安定な中東」という言い方で日本の経済に対する悪影響とか、無理やりこじつけた不安な安全保障政策とかに重きを置いている。そこには圧政に苦しみ、拷問・殺害の恐怖を乗り越え、起ち上がった人々への敬意は微塵も感じられない。日本の経済が不安なときに、迷惑なやつらめ、という論調だ。私達が形ばかりでも民主主義の恩恵を被っていられるのは、かつてそのような勇気ある無数の市民がまさしくおびただしい血で勝ち取ってきた成果だ。さらには、残虐な戦争の餌食となった無垢な人々の怨嗟だ。そんな歴史のイロハに背を向けて、さもしたり顔で中東や世界で戦う人々を突き放すような言い方にこそ私は身の危険を感じる。ああ、この人達は平気で民主主義の敵にまわり、笑みを浮かべながら私達に銃弾を浴びせるのだな、と。」(晴旅雨旅「リビアの画像」

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 「リビアのためのデモ行進」がはじまる直前の代々木公園で、デモのそばを通りかかった二人連れの若い男女の男の方が、デモに集まった人たちを指して、「ほら、人間のクズどもがいるよ」と云うのを耳にした。それを耳にした瞬間、怒りや憤りを一気に通り越して、背筋がゾッとした。それはカダフィが抗議者たちに対して投げつけたのと同じ言葉。一方は、絶叫のような演説、他方は、抑揚のないつぶやきだが、日本語で耳にする後者の方がはるかに冷酷に聞こえ、その冷たく冷め切った口調に背筋が寒くなった。と同時に、上に引用した「ああ、この人達は平気で民主主義の敵にまわり、笑みを浮かべながら私達に銃弾を浴びせるのだな」という言葉がよみがえってきた。もしデモに集まった人たちが「人間のクズ」だとしたら、この若い男はなんだろう?さしずめ人間のかたちをした別のなにかということになるのだろうが、この問いに答えはない。あまりの言葉に、一時は通り越していった憤りと怒りを押し殺し、なにか話しておくべきかとも思ったが、その必要はなさそうだと思った。その言葉を聞いた連れの女性の表情が硬直していたように見えたからで、それが気のせいでなかったことを願いたい。そして、もしあの二人連れのどちらかがこのブログをみていたら、ぜひ次の文章をよんでほしい。それがあのとき話したかったことで、二人には、ぜひこの件のことで、もう一度、正面から向き合ってほしいと思う。

 「これは、あなたが本当は何者であるかを試される瞬間です。あなた自身の真実の瞬間です。あなたの良心はまだ生きていますか。あるいは、あなたは人間性よりも利害関係を重んじますか? あなた自身の尊厳を証明し、私たちが人間性の回復を要求することを手伝ってくれるでしょうか。それとも、戦車が我々を轢くのを、脇に立ってただ見ているだけでしょうか? それはあなたが決めることですが、覚えておいてください。それはあなたが一生抱えていくことになる何かであり、いつかあなたはこの件で子供たちと正面から向き合わなければならないかもしれません。」(エジプトの青年からの手紙)

 「メディア・ウォール」の内側にいると分かりにくいかもしれないが、いま、この世界では「あなたが本当は何者であるかを試される瞬間」がずっと続いているということに、どうか気づいてほしい。そして、その「瞬間」はなにも今だけの話でなく、たとえば、「あのとき、あなたは何をしてたの?」とか、「あのとき、あなたは何を考えてたの?」という問いかけのかたちで、今後のあなたの人生や、あなたの友人や恋人、家族や同僚たちとの関係のなかに、くりかえし回帰してくることもあるということも、どうか覚えておいてほしい。

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 たとえば、このリビアの少年がやがて大人になり、どこかであなたと知り合うことになったとする。彼はあなたがどういう人物なのかを知りたくて、2011年2月のあなたのブログやツイートを検索し、そのとき、あなたがどこで何をし、何を考えていたかを知ろうとするかもしれない。そうなったとき、あなたは大丈夫だろうか?これからあなたが生きていく人生では、そういうことだって起こり得るのだということも、どうか心にとめておいてほしい。
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by illcommonz | 2011-02-27 22:47
▼人間のクロスロード

[SAVE-LIBYA] Defeated Mercenary Protected By And From Protesters
※次のコンテンツは、見た人を不快にさせる、または不適切な可能性があると YouTube コミュニティが特定したものです。ご自身の責任において閲覧してください。

 「リビアから届いた映像の中には、倒れたアフリカの傭兵に、怒った群衆が襲いかかろうとするのを、自らの体を投げ出してかばおうとしてる市民のグループの姿もあった。つい先程まで自分の命を狙っていた、その相手を守っていたのだ。(CNN)」 (orangeflower08‎ 2011年2月27日)

 ことばにすると、「虐殺を憎んで、傭兵を憎まず」ということになるのだろうが、いままさに虐殺の危険に晒されている側の人たちに、そんな人道的なふるまいができるのだろうかと思うが、その不可能事と思えるようなことを、いま、リビアの市民はみせてくれている。

 岡崎京子の「ヘルタースケルター」のなかに、こういうくだりがある。

 「法なんて人間のこしらえたルールにすぎない。善も悪もはげしさを増すとき、
 かるがるとそれをのりこえる。それはいつも十字路の上で起こるのだ。」

 リビアから次々に届けられてくる一連の映像をみていると、カダフィが体現する人間の愚かしさと市民たちが体現しようとする人間の尊厳とが互いにせめぎあい、デッドヒートをくりひろげている人間のクロスロードをみているような気がしてくる。

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[参考] リビアの今の状況に、適用されるのかどうか分からないが、こういう国際法もある。

▼「戦時国際法」(出典: フリー百科事典『ウィキペディア』
 「戦時国際法(せんじこくさいほう)は、戦争状態においてもあらゆる軍事組織が遵守するべき義務を明文化した国際法であり、狭義には交戦法規を指す。戦争法、戦時法とも言う。
・非戦闘員の保護
非戦闘員とは降伏者、捕獲者、負傷者、病者、難船者、衛生要員、宗教要員、文民であり、これを攻撃することは禁止されている。非戦闘員は保護対象であり、これを無視して危害を加えることは戦争犯罪である。降伏者及び捕獲者は、これを捕虜としてあらゆる暴力、脅迫、侮辱、好奇心から保護されて人道的に取り扱わなければならない。
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by illcommonz | 2011-02-27 21:50
▼アルジャジーラ「東京での「リビアのためのデモ行進」」
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▼'Free Libya' protests in Tokyo
"Tokyo stands up for the #Libyan citizens. Check out the gallery of demonstrations for Libya - on our live blog": http://blogs.aljazeera.net/live/africa/live-blog-libya-feb-26 (Feb 26 2011)
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by illcommonz | 2011-02-27 19:27
▼ポケットに「人権パスポート」をいれて、リビアの「反政府デモ」行進へ
d0017381_22323974.jpg「March for Libya リビアのためのデモ行進」
[日時] 2011年2月26日16:00-17:00
[場所] 東京・代々木公園 ケヤキ並木
「26日土曜日16:00から代々木公園でリビアの反政府デモを行います! 是非ともご参加ください!代々木公園ケヤキ並木、16時にそこを出発し行進します。詳細はフェースブックでmarch for libya と検索してください!」

 心情的にはそうしたい気持ちもあるのだが、それがグリーンであれ、トリコロールであれ、アナーキストとしての思想信条からすると、やはり特定の国の旗を掲げるのには抵抗があるので、明日は、アムネスティの「人権パスポート」をもって、この「反政府デモ」行進に加わろうと思う。

d0017381_22363769.jpg▼「人権パスポート/ポケットに世界人権宣言を」
 「世界人権宣言は、私たち一人ひとりを守るためのものです。アムネスティ・インターナショナルは、人権を守る人びとが心をひとつにできるよう 「人権パスポート」をつくりました。ここには、世界人権宣言がやさしい日本語で書かれています。あなたもこれを読んで、宣言に署名してください。そして、いつもポケットに入れて持ち歩きましょう。」

▼アムネスティ・インターナショナル
「人権パスポート」日本語版
訳文=藤田真利子+谷川俊太郎
挿画=フォロン


第1条 みんな仲間だ
「わたしたちはみな、生まれながらにして自由です。ひとりひとりがかけがえのない人間であり、その値打ちも同じです。だからたがいによく考え、助け合わねばなりません。」

第28条 この宣言がめざす社会
「この宣言が口先だけで終わらないような世界を作る権利もまた、わたしたちのものです。」

第30条 権利を奪う「権利」はない
「この宣言でうたわれている自由と権利を、ほかの人の自由と権利をこわすために使ってはなりません。どんな国にも、集団にも、人にも、そのような権利はないのです。」

※簡易プリント版は「アムネスティ・ジャパン」のサイトからダウンロードできます。

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by illcommonz | 2011-02-25 22:58
▼【問い】「今後とりくんでみたい文化活動はなんですか?」
d0017381_20403359.jpg昨晩、横浜でこの報告会をきいてきた。

▼「中間報告:
アーティスティック・ディレクターが語る、
横浜トリエンナーレ2011の方向性」
[日時] 2011年2月23日 19:00-20:30
[場所] 横浜・ヨコハマ創造都市センター3階

 肝心のテーマや出品作家名は、3月11日のプレス会見まで公表できない決まりらしいので「方向性」はいまひとつ分からなかったが、「「世界はどこまで知ることが出来るか」という問いは、世界とどのように関われるかという、より認識論的な問いではある」ということと、「円、サイクル、見えるもの/見えないもの、浮遊、儀式、太陽でもなく死でもなく」というのがキーワードらしいということだけは分かった。

 会場で無記名のアンケート用紙が配布され、その質問項目の中に「あなたが今後、とりくんでみたいと思う文化活動はなんですか?」というような問いがあったので、「インディペンデント・メディアアクティヴィズム活動」「アフィニティグループ活動」の後に、「「反政府デモ」活動」と記入しておいた。もちろん日本のマスメディアが「反政府デモ」と表現する、それとは別の文化活動のことである。
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by illcommonz | 2011-02-24 20:45
▼若者の普遍的な欲求とマイクロ・オペレーティングシステム
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【リビア】 「WE_WILL_NOT_SURRENDER_WE_WILL_WIN_OR_WE_WILL_DIE_THIS_IS_NOT_THE END!_YOU_WILL_FIGHT_US_+_YOU_WILL_FIGHT_THE_GENERATIONS_THAT
_FOLLOW_US_UNTIL_LIBYA_IS_FREE!」

【エジプト】 
「政府はいまの体制が不可欠だといいますが、私たちはこの体制を望んでないのです。私たちが望んでいるのは憲法の改正です。人びとが次の大統領を選ぶべきだという人もいます。政府を望んでないと私たちがそう云うのは、単に私たちがムバラクを個人として望んでないということだけでなく、私たちは押しつけられた人物に縛られたくないということなのです。私たちは自分たちの手で大統領を選びたいのです。なぜなら私たち自身で、この国を未来に導いていきたいからです。」(簡訳「タハリール広場のデモクラシー派アクティヴィストへのインタヴュー」より)

【日本】
「デモの背景事情として,現政権下の歴史的経緯や利権の配分構造等の指摘がある。ただ,デモがここまでの広がりを見せるのは,(特に若者にとっては)言いたいことを自由に言える社会であってほしい,自分たちの未来を自分たちで選びたいといった普遍的欲求のためだと思う。」(Fiat_Justitia 2011年2月24日)

 自分たちもふくめ、ひとつの国(のなかにおしこめられている人たち)のなかには、いろんな世代や階層や民族があり、それぞれに違うものの考え方や思惑がある。人権をなにより尊いものだと考える世界市民もいれば、口をひらけば「安定」としか云わない(云えない)安定バカの政治家もいる。しかし、どの国にも「若者」とよばれる世代がいて、若者たちには国のちがいを超えておおよそ共通したものの考え方や感じ方がある。それは過去と現在のしがらみから解放されて、自分たちの未来(将来)を自分たちの手できりひらいてゆきたいという欲求である。それはときとして「安定」をこわすものなので、自分たち(だけ)の「安定」にしがみつく世代や階層は、それをまるめこむか、おさえこうもうとする。

 ものごとをさまざまなコンテクストにあてはめて慎重に考えることはもちろん大事だが、それをやりすぎると何もものが云えなくなる。さまざまなコンテクストにあてはめて、じっくり考えこむのと同時に、思いきってコンテクストをはずし、"はめ"をはずして考えることも大事だと思う。複雑なコンテクストにあてはめて沈思黙考し、慎重に発言するのは「こうるさい大人」たちにまかせておいて、若者たちは若者としての共感からものを考え、云いたいことを云えばよいと思う。文法が少しくらいまちがっていても、自分が云いたいことを表現すればよいと思う。"はめ"をはずすのは若者たちの権利であり、役目だとさえ思う。もしそれがまちがっていれば、誰かがただしてくれる。大人の「こうるささ」はそのためにある。「こうるさい大人」たちは、どの時代のどの国にもいるが、「こうるさい若者」たちがこんなに多い時代と国(いまの日本のことだ)はめずらしいと思う、いや、おかしいとさえ思う。とはいえ、若者たちが"はめ"をはずせないのは、若者たち自身のせいではなく、若者を"はめ"におしこめようとする目に見えないマイクロ・ポリティクス(ミクロな政治)のせいだと思う。ムバラクやカダフィはどこにでもいる。家にも職場にも学校にもネットにもいる。にもかかわらず、それがみえないのは、フラグメント化された無数の小さな"はめ"の中におしこめる、その巧妙にプログラミングされた政治が、すでにプレ・インストールされ、内面化されてしまっているからである。つまり、そのアイコンがみえないだけで、あらゆる場所と時間に「マイクロ・ムバラク・オペレーティングシステム」や「マイクロ・カダフィ・オペレーティングシステム」が存在し、それが自分たちもふくめ、若者たちの思考や行動のバックグラウンドで常駐起動している(さしづめ最近の日本の場合は「マイクロ・安定化・オペレーティングシステム」だろうか)。そのOS(オペレーティングシステム)の支配から解放され、自由になりたいと欲することは、国のちがいをこえた普遍的な若者たちの権利であり、務めだとさえ思うのだが、まちがっているだろうか?「こうるさい大人」の意見を求む。

【OS】
「菅首相、リビア「安定的な政権を期待」」
「外務省は21日、リビアなど中東情勢の緊迫化を受けた緊急対策本部の会合を開いた。菅直人首相は首相官邸で記者団に「死傷者が出ていることを心配している。平和的に改革を進め、安定的な政権がつくられることを期待している」と述べた。」(日経新聞 2011年2月21日)

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JAPANのつづりのなかにも、LIBERATIONのAはある。
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by illcommonz | 2011-02-24 18:09
▼国際感覚ってなんだろう?
d0017381_16123422.jpg 「英会話ができ、外国人とそつなくつきあえればいい?21世紀を生きる若者に求められる国際感覚はそうではありません。
 ・すべての民族、その文化、文明、価値および生活様式(国内の民族文化および他国の文化を含む)にたいする理解と尊重。
 ・諸民族および諸国民の間に世界的な相互依存関係が増大していることの認識。
 ・他の人びとと交信する能力。
 ・権利を知るだけでなく、個人、社会集団および国家には、それぞれ相互の間に負うべき義務のあることを知ること。
 一人の人間として異文化とむきあい、平和・人権・環境など人類共通の問題解決に参加できる地球市民としての資質を身につけたい。自己表現や討論の能力、ボランティアなど具体例を豊富に探ります。」(岩波ジュニア新書「国際感覚ってなんだろう」)

 改訂版ではぜひ、民衆蜂起や反独裁デモへの国際的連帯と精神的支援のしかたを、この国のジュニアたちにも教えてやってほしい。

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[参考] 「日本のメディア・ウォールが遮断した、同時代世界を生きる体験の共有」
http://illcomm.exblog.jp/12918028/ (「イルコモンズのふた」 2011年2月18日)

 「日本はエジプトを発信源に欧米や全世界が巻き込まれたグローバル・メディア空間の国際政治から取り残された、ほぼ唯一の先進産業国だった。取り残されているという現実認識すら、政治やメディア業界のエリートの間にも乏しいところが深刻である。全世界が共有したエジプトの政変のドラマを、大多数の日本人は共有しなかった。このことは今後の日本人の国際社会での地位に(ただでさえ低い地位に)、深刻な影響を与えるのではないかと危惧する。大げさに書いているように見えるかもしれないが、想像してほしい。例えば2001年に9.11事件があったことが、「夜だったから」「祝日だったから」といった理由で報じられなかった国があったとしよう。その国の子供たちはどう育つだろうか。リアルタイムで世界の変化を見詰め、新たな世界に目を開かされながら育った外国の子供たちに、伍していけるだろうか。国際社会の動きを理解し、自ら行動するための基本的な前提や感覚を共有していないことは、重大なハンディとなる。」(池内恵「ムバーラク最後の一日―加速するグローバル・メディア政治」)

 だからこそ、がんばれ、ジュニアたち、ひっこめ、自分たち、消えうせろ、メディア・ウォール。

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画像はGoogle画像
検索でみつけた
どこかの大学の宣伝
 いや、リーダーはいらない。

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 こんな独裁リーダーたちを何十年も放置してきたのは、国際感覚のない、いまの国際社会のリーダーたち。そして、こういう独裁リーダーたちを倒しはじめたのは、国際感覚をもちはじめた、リーダーのいらないムーヴメント。ドント・トラスト・オール・リーダーズ。

 「世界の舞台で活躍するリーダーになることよりも、
 世界の街路で世界につなが/げるメディアになることを考えてみてごらん。
 そういう人生のほうがずっとたのしいよ。」
 (ドント・トラスト・ママ&パパより)
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by illcommonz | 2011-02-23 16:48
▼独裁の真髄/THIS IS WHAT DICTATORSHIP LOOKS LIKE
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【独裁政治】(出典:フリー百科事典『ウィキペディア』より
「独裁政治(どくさいせいじ)とは、一個人、少数者または一党派が絶対的な政治権力を独占して握る政治体制を指す。独裁制とも言う。」

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「カダフィのもっとも血なまぐさいスピーチ」
 「昨夕、リビア元首ムアンマル・アル=カッザーフィー(カダフィ)が行ったスピーチは非常に不穏であった。語彙あるいは表現の全てが殺戮計画を示唆している。もしそれが成功裏に実施されれば、リビアの分裂、あるいはソマリア化をまねく。そうでなくても血の海だ。血に飢えた手負いの獣と化したカダフィは、その政権、属する部族の権威、追随者の平安を維持するため、リビアを炎上させるつもりでいる。このスピーチを侮ってはならない。そこで表明されたことに極めて真剣に対処すべきだ。カダフィが国民の大部分を侮蔑している点は見過ごせない。彼らを無知扱いし、デモ参加者らにいたっては、ドブネズミ、うわごとを口走る輩、ノミだらけの汚らわしい者たち、逸脱者、アメリカの傀儡、である。あらゆる意味で趣と教養を欠いた言辞だ。リビア元首が国民と祖国を愛しているとは思えない。もしそうならば荷物をまとめて去っているはずだ。犠牲を避け、自尊心を保ち、彼の部族の安全を保証するために。こんなにも多くの死傷者を出した後、もし彼が革命勢力に勝ち政権に残ったと仮定して、彼を望まず、益々憎しみを募らせる国民多数をどうやって統治するつもりだろうか。その演説から理解する限り、リビアの大佐は、ウマル・アル=ムフタールではなく、ムッソリーニの流派に属している。後者同様無残な最期を迎えたとしても不思議ではない。」(2011年2月23日「al-Quds al-Arabi」)

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「カダフィ氏を暗殺未遂 リビア「秘書官が狙撃」と報道」
 「中東の衛星放送アルアラビーヤは23日、反政府デモが続くリビアで、最高指導者カダフィ大佐の暗殺未遂事件が起きたと伝えた。22日にカダフィ氏が退陣拒否と徹底抗戦の姿勢を示した演説後に起きたという。 政権離脱を表明したオベイディ前公安書記(公安相)はアルアラビーヤに「演説に失望した秘書官が銃で大佐を狙って撃ったが失敗した」と述べた。(2011年2月24日 中日新聞)

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【おわび】 
お見苦しい独裁映像が続いたことを、
心よりお詫びいたします。

 と、こんなふうに、まったく支離滅裂な強権的スピーチが一時間あまりも延々と続いた。聞き手の事などまるで意に介さないひたすら強権的で独善的なスピーチは、「独裁体制とは何か」という、どんな定義や説明よりもはるかに雄弁かつ強烈に「独裁体制とはどういう感じなのか」ということを視聴者に擬似体験させる「ザ・独裁ショー」(「みよ、これが独裁だ」「独裁の真髄」?)だったと思う。ムバラクの退陣が発表された直後、アルジャジーラは数分間のあいだナレーションを一切いれず、タハリール広場の歓声だけを放映し続けた。あれは英断だったが、それとはまた別の意味で、この「強権的スピーチ」を、最後の数分間を除いて、ほぼノーカットで放映し続けたのも英断だったと思う。なぜなら、聞く者すべてをうんざりさせ、辟易させ、敵にまわすような「最低のスピーチ」を延々と聞かされているうちに、だんだんと「独裁体制」というものがどういうものなのかが想像できるようになるからである(そしてそれが42年も続くというのがどういうことなのかもすこし想像できるようになる)。この歴史に残る「最低のスピーチ」でカダフィは、世界の大多数を敵にまわしたと思う。そう、独裁者や支配者を失墜させるのには、好きなだけ話させるのが効果的なのだ(これは暴言をくりかえす都知事にも応用できる)。そうすれば、さんざん妄言を吐きちらし、やがて自ら醜態をさらして、そのおぞましい我執とともに自滅する。アルジャジーラは見事な「みせしめ」の手本を見せてくれた。

[追記1] アルジャジーラの同時通訳は「ひどい」といわれるが、実はあれは意図的なものなのかもしれない。かつてゴダールが「野獣の政府は野獣の色で描かれなければならない」といったように、独裁者の野獣のスピーチは、それにふさわしい、ひどい同時通訳で伝えられる方がふさわしいのかもしれない。

[追記2]
「右腕も離反 カダフィ大佐四面楚歌 残るは一族のみ」
 「リビアの最高指導者カダフィ大佐は、長年の「盟友」であるオベイディ公安書記(公安相)にも離反され、四面楚歌に陥った。41年にわたり同国を支配してきた独裁者に生き残りの手立ては残されているのか。「アブドルファッターフ・ユーニス(オベイディ公安相)はどこにいる? 裏切り者(反体制派)に殺されてしまったのだ!」カダフィ氏は22日の演説で何度か、1969年のクーデターで政権を奪取した当時からの腹心であるオベイディ氏に言及した。そのオベイディ氏は数時間後、北東部ベンガジからの声明で、「私は生きている」と反論。中東の衛星テレビ局アルアラビーヤとの電話インタビューでは、カダフィ氏が自分を暗殺しようとし、間一髪で命拾いしたとも明らかにした。この暗殺未遂が起きたとされるのはカダフィ氏の演説の前後。カダフィ氏はその忠誠を疑ったオベイディ氏を暗殺し、その責任を反体制派になすりつけようとしたとみられる。孤立無援のカダフィ氏を支えるのは、有力後継候補の次男サイフルイスラム氏ら一族のほか、なお忠誠を誓う一部軍部隊、外国人傭兵ら。どれだけの戦力が残されているかは不明だが、カダフィ氏の息子には、軍に影響力を持つ国家安全保障顧問の四男ムアタセム氏や、独自の部隊を持つとされる七男ハミース氏などがいる。ただ、アルアラビーヤによれば、23日にはサイフルイスラム氏の側近も辞任を表明した。部隊の任務放棄も続くとみられる。「彼は逃げたりしない。(権力を手放すとすれば)自殺するか殺されるときだ」。40年以上にわたりカダフィ氏の「右腕」だったオベイディ氏はこうも語り、本格的な戦闘が起きる可能性を示唆した。」(2011年2月23日 産経ニュース)
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by illcommonz | 2011-02-23 03:31