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いる・こもんず 【普通名詞】 01| ありふれて変なもの 02| 扱いにこまる共有物 03| 分けても減らぬもの 04| 存在とは常に複数で他と共にあり、狂えば狂うほど調子がよくなる
はじめに、ふた、ありき

イルコモンズ編
見よ ぼくら
四人称複数
イルコモンズの旗
(Amazon.comで
大絶版廃刊中)
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▼「彼らは新しいデモの形式をつくりだした。それを抑圧するものに対して、私は抗議したい」


 「私がいいたいのは、新宿アルタ前のスピーチで話したことです。つまり、日本にはデモが必要だ、デモが日本の社会を変える、ということです。今日ここで私は、あらためて日本におけるデモの重要性について話したいと思います。
 私は原発震災が起こってからデモに参加したのですが、それ以前からデモが重要だと考えてきました。脱原発は、いうまでもなく重要ですが、しかし、それとは別にデモが重要だと考えていました。そしてなぜ日本にデモがないのか、と考えていました。もともとデモがなかったわけではないんです。私が学生のころ、つまり、それは1960年ごろですが、デモは非常にありふれたものでした。しかし80年代以後、デモはなくなってきました。そして、デモがないこと、あるいは、デモがすくなくなったこと、と、こんな地震の多い国に原発が54機も建てられたということは、深く関係があります。つまりそれは、原発に反対する意思表示ができなくなってきたということです。日本はそのような社会になってきたのです。
 実は1980年代前半には反原発の運動が盛んで、デモもありました。それまで日本人はヒロシマ・ナガサキの経験から、核に関しては非常に敏感であったからです。しかし次第に、いつのまにか、そのようなプロテストがなくなってしまった。その時期から、労働組合などが弱体化され、また社会党は消滅してしまった。そして90年代には、新自由主義、つまり、資本の専制体制が確立されたわけです。そのことと原発が大量につくられるようになったこととは関係しています。
 地震があった後、外国のメディアは、日本人の冷静なふるまいを賞賛しました。しかし、同時にそれは不可解でもあったはずです。日本人はなぜ異様におとなしいのか?なぜ抵抗しないのか?なぜ抗議しないのか?なぜ怒らないのか?しかし、昔からこのようであったわけではありません。このような日本人の態度はおそらく、ここ20年ぐらいのあいだに形成されたものです。しかし、3.11原発震災の後で、デモがはじまりました。わたしは、単に原発に反対するだけでなく、個々人がその意思を、デモを通して表現することが重要だと思います。その意味で、ようやく日本人が意思表示をはじめたのだと思います。私は、日本でやっとデモがはじまったということに希望を見出しています。
 そのきっかけをつくったのは、「素人の乱」のような若い人たちです。彼らは新しいデモの形式をつくりだした。だから、私は彼らに感謝しています。したがって、それを抑圧するものに対して、私は抗議したい。それゆえに私はこのような声明を出すことに賛成し、協力を惜しまないと伝えたのです。最後に記者のみなさんにお願いがあります。現在、日本の各地に反原発のデモがあるという事実をもっと報道していただきたいということです。デモの存在を無視することはデモを抑圧することになります。」(柄谷行人)

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「デモと広場の自由」のための共同声明
 「3・11原発事故において、東京電力、経産省、政府は、被害の実情を隠し過小に扱い、近い将来において多数の死者をもたらす恐れのある事態を招きました。これが犯罪的な行為であることは明らかです。さらに、これは日本の憲法に反するものです。《すべて国民(people)は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する》(25条)。しかし、東京電力、経産省、政府はこの事態に対して責任をとるべきなのに、すでに片づいたかのようにふるまっています。
 それに抗議し原発の全面的廃炉を要求する声が、国民の中からわき起こっています。そして、その意思がデモとして表現されるのは当然です。デモは「集会と表現の自由」を掲げた憲法21条において保証された民主主義の基本的権利です。そして、全国各地にデモが澎湃(ほうはい)と起こってきたことは、日本の社会の混乱ではなく、成熟度を示すものです。海外のメディアもその点に注目しています。
 しかし、実際には、デモは警察によってたえず妨害されています。9月11日に東京・新宿で行われた「9 ・11原発やめろデモ!!!!!」では、12人の参加者が逮捕されました。You Tubeの動画を見れば明らかなように、これは何の根拠もない強引な逮捕です。これまで若者の間に反原発デモを盛り上げてきたグループを狙い打ちすることで、反原発デモ全般を抑え込もうとする意図が透けて見えます。
 私たちはこのような不法に抗議し、民衆の意思表示の手段であるデモの権利を擁護します。日本のマスメディアが反原発デモや不当逮捕をきちんと報道しないのは、反原発の意思が存在する事実を消去するのに手を貸すことになります。私たちはマスメディアの報道姿勢に反省を求めます。2011年9月29日」

▼「デモと広場の自由」のための共同声明 呼びかけ人
柄谷行人、雨宮処凛、小熊英二、鵜飼哲、平井玄、酒井隆史、佐々木中、毛利嘉孝、コリン コバヤシ、高祖岩三郎、浜邦彦、上岡誠二、本山謙二、木下ちがや、丸川哲史、香山リカ、山森亮、西山雄二、渋谷望、池田雄一、斎藤貴男、小田マサノリ、鶴見済、山森亮、小倉利丸、東琢磨、岡山茂、中島京子、飯田哲也

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「脱原発デモ:参加者逮捕に評論家ら抗議」
 「東日本大震災から半年の9月11日に東京・新宿であった脱原発のデモ行進で、公務執行妨害容疑などで参加者12人が警視庁に逮捕されたことを受け、評論家の柄谷行人さんらが29日、東京都内の日本外国特派員協会で記者会見し「デモへの抑圧に抗議する」と訴えた。柄谷さんは、慶応大の小熊英二教授、一橋大の鵜飼哲教授らとともに「原発の全面的廃炉を要求する声が国民の中からわき起こっている。民衆の意思表示の手段であるデモの権利を擁護する」との共同声明を発表。作家の雨宮処凛さんは「20~30代の初めて参加した人が圧倒的に多く、今まで動かなかった層がどっと動いたことを警察は恐れたのではないか」と指摘。来週にも日弁連に12人の人権救済を求める方針を明らかにした。柄谷さんは「若者たちが新しい形のデモを始め、私は希望を見いだしている。それを抑圧するものに抗議したい」と述べ「デモの存在を無視することは、デモの抑圧につながる」とマスメディアの報道姿勢も批判した。警視庁によると、逮捕された12人は釈放されている。」(毎日新聞 2011年9月29日)
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by illcommonz | 2011-09-30 22:18
▼「END:CIV」 「文明:終了」


▼「END:CIV」2011年 75分 アメリカ
[監督] フランクリン・ロペス
[出演] ポール・ワトソン、ワジヤタウィン、ゴード・ヒル、マイケル・ベッカーほか
[公式サイト] http://endcivjp.wordpress.com/

「野生化に向けての決定的な映像議論。これを観た後には永久に電気の使用を
断つことになるかもしれない。」フィラスティン(ミュージシャン)

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▼「END:CIV」東京上映会
[日時] 2011年10月2日(日) 19:00-
[場所] 東京・新宿 Cafe Lavanderia
※投げ銭制

[上映後トーク]
 フランクリン・ロペス(「END:CIV」監督)
 イルコモンズ(現代美術家/文化人類学者)
 鶴見済(フリーライター)

 「END:CIV」は、私達の文化が常習的に繰り返す組織的な暴力と環境破壊についてのドキュメンタリーだ。その結果として生み出されるのは、汚染された大地と、精神に動揺を来した国家である。デリック・ジェンセンの著作『エンドゲーム(最終局面)』に部分的に依拠しながら、 END:CIV は次のような質問を見る者に投げかける。「エイリアンが故郷を侵略して木々を切り倒し、水と空気そして食料を汚染したとしたら、あなたは抵抗するだろうか。
 文明の崩壊の原因を辿れば、多くの場合、資源の過剰な消費という要因にたどり着く。経済の混乱、石油の枯渇、気候変動、環境の悪化などの問題によって、世界は不安定な状態に陥っている。新聞や雑誌の見出しに日々踊るのは、人々の期待への裏切りとスキャンダルの物語だ。だが現在のグローバル・システムの終焉を怒りとともに要求する必要などない。システムは、既に崩壊しつつあるのだから。
 最悪の被害をこうむった場所にさえ、勇気と共感、そして利他主義の行動の輪は広がっている。戦争と不況の最大の被害者が立ち直る姿、そして真正面からこの危機に立ち向かう人々の勇気ある行為を映し出すことで、「END:CIV」は全てを消費しつくそうとする狂気からの脱出と、より健全な未来への道のりを照らし出す。
 デリック・ジェンセンの主張を根拠に、このドキュメンタリーは見る者に、この大地への本当の愛を求めてくる。矢継ぎ早に進行しながら、音楽や過去の映像、モーショングラフィックス、アニメーション、ユーモアや皮肉を巧みに散りばめる事で、私達の身の回りで内部崩壊しているグローバルな経済システムを、このドキュメンタリーは解体しようとしているのである。 END:CIV は当事者の犠牲や勇気ある行動を取り上げ、そこに強烈な、感情をかきたてる映像を加えることで、ジェンセンの詩的で直感的なアプローチと絶妙の調和を示している。未開地で撮影された映像は、日常的に起こっている恐ろしい破壊行為の明白な証拠であるとともに、息を呑むような自然の美しさという一服の清涼剤を与えてくれる。」

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東京での上映の後、千葉、大阪、福岡でも上映されます。詳しくは公式サイトをごらんください。
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by illcommonz | 2011-09-30 18:37
▼若者と不服従
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日仏シンポジウム「日仏両国における若者と不服従」
[日時] 2011年10月3日(月)11:00-19:00
[場所] 日仏会館 601会議室
※一般公開 入場無料 同時通訳あり

[映画]
14:00- 「ディゾナンス」50分 フランス 2010年
アラン・ソーリエール+ティエリー・リボー監督

16:30- 「レディオ・アクティヴィストたち/
福島以後の日本のプロテスト」(60分/ドイツ/2011年)
ユリア・レーザ+クラリッサ・ザイデル監督

[発表] 11:00-16:30
 樋口拓朗(京都大学)
 岩田渉(Project 47/市民放射能測定所CRMS)
 サンドラ・ロジエ(パリ第1大学)
 笹沼弘志(静岡大学)
 佐藤嘉幸(筑波大学)

[討論] 17:30-
 松本哉(素人の乱)
 小田マサノリ(東京外国語大学、イルコモンズ)
 フランクリン・ロペス(映画『END:CIV』監督・製作者)
 ティエリー・リボー(UMIFRE19)

[共催] CNRS人文社会科学研究院・在日フランス大使館文化部

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 「アトミックサイト」で上映した「レディオアクティヴィスト」がこのシンポジウムで上映されます。この機会にどうぞお見逃しなく。
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by illcommonz | 2011-09-30 18:28
▼多摩美「野生の思考の研究/考えるな、みよ、きけ、おもいだせ、これがブリコラージュだ」
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 「野生の思考」に書かれているレヴィ=ストロースのわかりにくいブリコラージュ論を、ヴィジュアルや映像を使って、なるべくわかりやすく、具体的に紹介します。

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▼イルコモンズ編 「考えるな、みよ、きけ、おもいだせ、これがブリコラージュだ」

 「プリミティヴ・サイエンス(=原始科学)」というより、「プライマル・サイエンス(第一科学」と名づけたいこの種の知識がどのようなものであるかを理解させてくれる活動が、現在のわたしたちのなかにもある。それは「ブリコーラジュ」とよばれる仕事である。

d0017381_122517.jpg▼郵便配達人シュヴァル

 たとえば「アール・ブリュット(アウトサイダー・アート)」「アール・ナイーフ(素朴派)」「郵便配達人シュヴァルの理想宮」「ジョルジュメリエスの舞台装置」などである。ブリコルール(ブリコラージュするひと)は、プロとはちがって、ありあわせの道具や材料を使って、自分の手で、ものをつくる人のことである。

d0017381_12252991.jpg▼ジョルジュメリエスの舞台装置
 ブリコルールは、多種多様な仕事をこなすことができる。しかし、エンジニアとちがって、それぞれの仕事にあった材料や道具がなければ仕事をはじめることができない、というようなことはない。そのつど「もちあわせ」の道具や材料でなんとかする、というのがゲームの規則である。だが、そのもちあわせの道具や材料は雑多でまとまりがなく、偶然の結果として、そこにあったものである。それらは、いろんなときに蓄積され、更新され、増えたりしたもの、あるいは、以前になにかをつくったり分解したときの残りものである。ブリコルールのことばを借りて云えば、「まだ何かの役にたつ」という原則によって集められた要素である。(ブリコルールは古い目覚まし時計を分解すると、その歯車をとっておく、それは「まだ使える」ものだからである。そのまま歯車としても使えるし、それとは別の用途にも使える)。

d0017381_12472739.jpg▼ゴールドバーグ・マシン

 ブリコルールが仕事をしているところをみてみよう。計画ができるとブリコルールはりきるが、そこでまず最初にやることは「うしろむきの作業」である。いままで集めて持っている道具と材料の全体をふりかえってみて、何があるかをすべて点検するか、再点検しなければならない。特に大切なことは、道具や材料と一種の対話をかわし、目の前にある課題に対して、これらの材料からひきだせる可能な回答をすべてならべあげてみることである。そして、そのなかから採用すべきものを選択するのである。その可能性は、それぞれの材料がたどってきた歴史や、もともとの用途、その後の転用による変形によって限定されている。また、適当なものがみつからないところに、別のものを転用することもある。そのため、なにかひとつを選択するたびに、構造が全面的に再編成されるのである。

d0017381_1232878.jpg▼サラ・ジー「無題」

 エンジニアはつねに活路をみいだし、その「向こう」に進もうとするが、ブリコルールは好むと好まざるとにかかわらず、その「手前」にとどまる。なにかができあがったとき、計画ははじめの意図とは不可避的にズレてしまうが、これはシュールリアリストたちが「客観的偶然」と名づけたものである。

 「いつの日にか、画家と同じように、自分の行動に先立つ何らかの適切なスクリーンが委ねてくれるものを、何らの改変も行わずに再現することを受け入れるような日がきてこそ、人ははじめて自らの身を処する術を知る。そうしたスクリーンは確実に存在する。 そこではすべての論理的原則が覆され、もっともらしさを無視する「客観的偶然」の諸力が出迎えにやってくることだろう。そして、このスクリーン上にこそ、人間の知りたいと願うものすべてが、燐光の文字で、欲望の文字で、綴られているのだ。(アンドレ・ブルトン)

 それだけではない。ブリコラージュの詩は、単になにかをつくったり、実行するだけではない。ブリコルールは、ものと対話するだけでなく、ものを使って「語る」。限られた可能性のなかから選択することによって、つくり手の個性や人生を語り、自分自身のなにかをその作品のなかに残すのである。

d0017381_12415976.jpg▼イルコモンズ
give piece a chance

 いろいろな出来事の痕跡や断片、ガラクタや破片を使い、中古品を用いて仕事し、それらをたえず並べかえて意味を見つけだそうとするのだが、それだけではない。科学は、無意味に直面したときにはあきらめて妥協するが、ブリコルールは無意味に抵抗し、無意味の世界からものを解放する者となるのだ。」(レヴィ=ストロース「コンクリート・サイエンス」から抜粋)


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 「野生の思考」とは、野蛮人の思考でもなければ、未開人や原始人の思考でもない。効率を高めるために、植えつけられたり、飼いならされた思考とは異なる、野生状態の思考である。「栽培された思考」は、歴史のある時期に、地球上のある地点に出現したものである。

 d0017381_1238216.jpg▼タハリール広場の抗議者

 この両者が共存し、交配することもあるが、栽培されたものや飼いならされたものが、野生のものを絶滅させることもある。野生の動物や植物と同じように、いまなお野生の思考が比較的よく保護されているジャンルがある。アートの場合がそれであり、わたしたちの文明はそれに対して国立公園なみの待遇をあたえている。

d0017381_12431210.jpg▼タハリール広場のモニュメント 
 また社会生活のなかにも、まだ開発がすすんでないため、それにあてはまるジャンルがある。多くの場合、わたしたちには理解できない理由で、そこには依然として野生の思考が繁茂している。」(レヴィ=ストロース「コンクリート・サイエンス」から抜粋)

 しかし現代では、「マーケティング」や「ブランディング」などの「飼いならされた思考」がアートにはいりこみ、アートは「野生の思考」の保護区ではなくなりつつある。一方、アートが失いつつある「野生の思考」が比較的よく保護されている場所がある。それはストリートである。また、革命や非常時などに、サヴァイヴァルのための「野生の思考」が目覚めることがある。


▼ロジェのサトンゲ


▼スタッフ・ベンダ・ビリリ

 「彼らのほとんどは楽器らしい楽器を持たず、廃品や有り合わせの道具を楽器に転用して、つまり椅子に箒をくくり付けてをドラム・セット代わりにし、一斗缶に棒を付け、そこらで切ってきた電線を張ってギターの代わりにし、地声を張り上げて画一化されない独自の音色とフィーリングを求めて音を模索している。作品では、Jupiter Bokondji 率いる「Okwess International」というバンドが主にフィーチャーされている。キンシャサ産の手作りギターの名品「Almaz」、木の箱に竹ひごを束ねたものを乗せたキンシャサ風手作りドラム・キット、丸太をくりぬいた伝統的な片面太鼓「Mbunda」を駆使して演奏される、社会風刺とアイロニーに満ちた硬質のルンバ・ロック、内戦を生き延びキンシャサに流れ着いた戦災孤児たちの国内難民キャンプで彼等を支えるリンガラ語によるラップ、廃墟と化したビルを占拠する地方出身労働者たちのラガマフィン、コンゴ中を遍歴して450もの部族の歌を収集するシンガー・ソングライター、身体障害者のおっちゃんばかりで作られた和やかなルンバ・ブルースのバンド・・・それはそれは美しい、表情豊かな、多種多様なコンゴ音楽のドキュメンタリー。」(映画「Jupiter's Dance」評より)


▼コノノ NO.1

 「自分のやることをあらゆる角度から徹底的に調べあげるのは、野蛮人と農民と田舎者である。それゆえ彼らがその思考から事実にいたるとき、その仕事は完璧である」。(バルザック)




▼ストリートドラム


▼サヴァイヴァル・リサーチ・ラボ

 「神話の世界は、できあがったと思うやいなや、またすぐにバラバラになって、その断片からまた新しい世界ができあがってくるかのようだ」(フランツ・ボアズ)


d0017381_1255826.jpg▼トールバイク

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▼「プデチゲ(部隊チゲは、韓国のチゲの一種。肉、野菜、豆腐などといった一般的なチゲの材料と共に、ソーセージ、スパムに代表されるランチョンミート、インスタントラーメンといった食材を辛味のスープで煮込んだ、大衆的料理である。在韓米軍部隊が多い京畿道議政府市が本場とされ専門店が軒を連ねるが、その由来には諸説があり、朝鮮戦争中やそれ以降の混乱期に在韓米軍部隊からの援助物資・放出物資・残飯を利用して作られたとも、韓国軍部隊の若い兵士が共同生活をする中で広まったともいわれる。」

d0017381_12571852.jpg▼アルカイダの「ブリコラージュ・テロリズム」

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d0017381_13154319.jpg 抽象的な概念や専門的な用語ではなく、具体的なかたちや色があるのも、音がするもの、感情や感覚に訴えるものを利用+転用するのがブリコラージュの特徴のひとつでもあるので、以後、この講義もそうしたブリコラージュのやり方ですすめてゆきます。
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by illcommonz | 2011-09-29 13:17
▼変化する生命の屈折
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「病いはひとつの「出来事」ではなく、また外から移入された「自然」でもない。
それは、ある屈折した機能において「変化してゆく生命そのもの」である」
(ミシェル・フーコー)
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by illcommonz | 2011-09-26 20:01
▼劇場の中より外がはるかに劇的になってしまった今、どんな演劇が演劇として成り立つのか
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ミナモザ公演「ホットパーティクル」
[日時]2011年9月21日(水)-27日(火)
[場所] 東京・新宿 SPACE雑遊
[作・演出] 瀬戸山美咲
[出演] 佐藤みゆき(こゆび侍)/平山寛人(鵺的)/浅倉洋介/
外山弥生/秋澤弥里/西尾友樹/大川大輔/中田顕史郎 

 「2011年春、私は原発に会いに行く。東日本大震災から1ヵ月が経った4月某日。「私」は頭を抱えていた。劇場の中より外がはるかに劇的になってしまった今、どんな演劇が演劇として成り立つのか。悩んだ末たどり着いたのはフィクションを放棄するという選択だった。つくりものが現実に勝てないなら、いさぎよく敗北をめ、現実そのものを舞台に載せよう。とはいえ、現実にもいろいろある。「私」が知っているのは、あくまでも3月11日以降の「私」自身の現実だけだ。ならばそれを描こう。結婚の予定はおろか、恋人もいない、売れない劇団をひとりでやっている33歳の女が、なかば自暴自棄になりながら眺めた東京の現実、演劇の現実、そして勢いだけで向かった福島で見た景色。
 その日、「私」はみんなから避けられている福島第一原発に自分を重ね合わせてしまった。「いつ死んでもいい」が口癖だった「私」は「彼」に会いに行くことを決める。まるで片想いの相手に会いに行くように。そんなことして何になるのか。その先に何か答えでもあるというのか。そもそも、「彼」に会いにいくことはひとつの可能性を捨てることにはならないか。原発まであと20キロ。自分の人生を見失った愚かで不謹慎な女の旅が始まる。
 「私」=瀬戸山美咲(ミナモザ主宰・東京都出身)を演じるのは、佐藤みゆき(こゆび侍所属・福島県出身)。わが身を捧げたドキュメンタリー演劇が幕を開ける。これは、今、地球上に生きる全人類におくる超個人的な愛と平和の記録。すべて実話です。

 ※ホットパーティクルとは、放射能を持った粒子のこと。主にプルトニウム粒子を指す。その毒性は強く、人体を激しく汚染する。
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 「劇場の中より外がはるかに劇的になってしまった今、どんな演劇が演劇として成り立つのか?」。この問いは演劇のみならず、映画、文学、マンガ、音楽、建築、デモ、現代美術など、およそ「同時代の表現」すべてに共通する問いで、この時代の表現者たちが例外なくひきうけなければならない「アポリア」(=難題)だと思う。「アトミッサイト」は、原発グランギニョル劇「原発供養ノ夜」というかたちで、このアポリアと格闘したが、ミナモザはどのように格闘してみせてくれるのだろうか。25日の夜の公演の後にトークがあるようなので、それを聞きにいくことにした。

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[追記1]
 「ホットパーティクル」については、3.11以後の「ドキュメンタリー演劇」とか「リアリズム演劇」とか、いろんな見方ができると思うが、これは七転八倒の「原発ラブコメディ」だと思った(ここでの「コメディ」は「喜劇」だけを意味しない。)。「原発ラブコメディ」、それはいまだかつて誰もみたことのない演劇のジャンルであり、世界初上演にして快作だと思った。舞台にのせられたのが「現実そのもの」だったとしても、ドラマターグの存在がそこをまぎれもない「演劇空間」に変え、演劇として成立させていた。3.11以後の演劇は可能だ。

[追記2]

▼エルビス・コステロ&アトラクションズ「愛と平和と和解のどこがそんなに変なんだよ」

 芝居の後、この曲のことを思い出しながら、もしなれるんなら、自分はジョン・ライドンの方がいいなと思った。
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by illcommonz | 2011-09-23 19:25
▼脱原発アクションウィークは終わったが、デモはつづく。
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▼「Twitter発脱原発デモ第5弾!!!」
[日時] 2011年9月24日(土)13:30集合 14:00出発予定
[場所] 東京・渋谷みやしたこうえん北側(渋谷区神宮前6-20-10)
[主催] TwitNoNukes 脱原発デモを実行するTwitter有志 
公式Twitterアカウント:@twitnonukes

 「9月24日(土)、渋谷・原宿で、すべての原子力発電のできる限り早期の停止と「原発のない社会」の実現を求めるデモを行います。ツイッターで個人の呼びかけから始まったこの脱原発デモも、ついに第5回目を迎えました。8月27日に行った前回のデモでは、このデモとしては過去最高の1200人もの方々が参加しました。福島第一原子力発電所の事故から半年が過ぎようとしている今、脱原発を望むの人々の思いは、寧ろ切実さを増している事が窺えます。その一方で、原発容認の立場を取る野田新政権のもと、経産省は停止中の原発の早期再稼働を目指す姿勢を見せ、原発利権を握る政治家・財界・メディアも巻き返しを図ろうとするなど、今、日本の反原発/脱原発運動は、非常に大きな岐路に立たされています。おそらく、脱原発を望む方々の中にも、状況を注視し、声を上げ続ける事に少しずつ疲れを感じ始めている人もいるのかもしれません。また、反原発/脱原発がすでに多くの市民の思いになっている事から、そのまま脱原発に向かって行くのでは?と考えている人も多いかもしれません。しかし、事故から半年が経過しようとしている今、新政権に交代した今こそが、反原発/脱原発運動の本当の正念場ではないでしょうか。声を上げれば変えられるかもしれない事も、声を上げなければ、変わる事などまずあり得ません。次の世代に残すべき未来を、原発利権に塗れた人間たちの都合の良いようにされたまま、不安や恐怖に曝され続けることに少しでも疑問を感じる方は、どうか、このデモに参加して下さい。よろしくお願いします。」

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「東京に原発を!デモ」
[日時] 2011年9月25日(日) 14:00集合 14:30出発
[場所] 東京・JR東京駅八重洲北口常盤橋公園
[主催] IPACS (こどもたちの安全のための国際的父母の会)

「今まで多くの責任のある人達(政治家、役人、東電、大学教授、放射能の専門家)が、原発事故について、数え切れない程多くのとんでもない発言を繰り返してきました。人としての羞恥心を全く捨てているのかと思いました。非常識も甚だしい事です。これらの発言を恥ずかしげも無くできる彼等は、2つの理由が考えられます。単に精神が破綻しているのか、もしくは何か利害関係があるからなのか。でも私達は彼等の精神が破綻している事はないように思います。多分優秀な人達なのかもしれません。がしかし、私達も彼等が簡単に欺けると思っている程愚かではありません。ですから、私達は彼等が繰り返した発言を皆と一緒に叫びたいと思いつきました。このデモは反原発ではありますが、『皮肉』を使い、今までのおかしな発言をプラカードに書き、信じたふりをして行います。
 例えば、「放射能の影響はニコニコ笑っている人には来ません、クヨクヨしている人に来ます。」(山下俊一/福島県放射線健康リスク管理アドバイザー)「プルトニウムは飲んでも安心。」(大橋弘忠東京大学大学院教授)など。(こちらのリンクを見れば面白い発言がいっぱい載っています。このリンクを見て気に入った発言を選び、参加するかたそれぞれプラカードに書いて持ってきていただきます。(日本語と英語です)。これ以上面白いコメントは思いつきませんから、新しいキャッチフレーズは考えなくていいと思います。でももし、彼らの発言ほど面白いものではないとしても、「原発は安全だから東京につくってください!」など、書いていただいてももちろんかまいません。
とにかく、原発反対ではなく、原発賛成の発言だけを信じるフリをしましょう。怒りを表すのではなく、『皮肉』を使ってアピールしてみましょう。また、デモの最後に新橋駅前SL広場でみんなのスピーチや報告などをします。

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 ところで、4.10以後、いったい自分は何回デモに行ったのだろう?いま、おぼえている限りでいうと、素人の乱のデモが5回、Twiiterのデモが4回、野菜デモが2回、いわきが2回、福島が1回、東電前が1回、世田谷が1回、立川が1回だから、こないだの渋谷で18回。土・日のこのデモにいくと、あわせて20回。5ヶ月で20回ということは、週に1回か、まだまだいける。
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by illcommonz | 2011-09-23 18:36
▼みよ、これが、反原発の民だ


 「覚悟」というほどのものではないが、原発をやめさせようとする、このムーヴメントは、長期間に及ぶだろうという「予測」があった。だから、半年がたった今でさえ、まだはじまったばかりだと思っている。ムーヴメントをながくゆるやかに持続させてゆくために必要なのは、忍耐や我慢や根性ではなく、たのしみやよろこびであり、それを肯定しあう集団的な祝祭性である。これはオルター・グローバリゼーションムーヴメントからまなんだことだ。被災地のことを考えると、最初の半年は祝祭性をあまり前面にだすことはできなかったが、911以後はすこしづつ変わってゆくだろうと思う。この半年で、デモにドラムで参加する人たちがふえてきてたことは、よろこびであり、デモのたびに「どかどかうるさいアンサンブル」がますますうるさくなってゆくのは、たのしみである。」(イルコモンズ「河よりもながくゆるやかに、デモはつづく」より)
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by illcommonz | 2011-09-23 14:04
▼Chim↑Pom 「SURVIVAL DANCE」
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Chim↑Pom展「SURVIVAL DANCE」
[日時] 2011年9月24日(土)-10月15日(土)
[場所] 東京・無人島プロダクション

 「9/24より無人島プロダクション・SNACではChim↑Pom展「SURVIVAL DANCE」展を開催いたします。今年の3/11の震災・原発事故後、急きょ5月に開催した「REAL TIMES」展から4か月を経て、昨年すでに開催が決まっていたこの展覧会は、当初予定されていたものとはまったく違う内容になりました。「リアルな瞬間、リアルな時代」を見せた前作のあと、彼らが考えたのは、日本と世界の現状でどう楽しんで生きていくか、アーティストとしてどう立ち向かうか、ということでした。そしてデビュー作「スーパー☆ラット」に代表されるような、世の中を生き抜くための「サバイバル精神」が前面に押し出された、Chim↑Pomの原点ともいえる新作を作り上げました。
 2008年秋に起こった広島の「ピカッ」騒動、そして前回の「REAL TIMES」展に対する議論はそれぞれ社会に少なからず影響を与えることとなりました。そしてその際に受けた取材のあちらこちらで彼らと私たちはしばしば「Chim↑Pomは社会問題を扱っている」という取材側の言い方に出会いました。それは私たちにはとって、ときに不思議な感覚の響きをもちました。彼ら(メディア)のいう「社会問題」、その社会の中にChim↑Pomは存在していないかのような、彼らが社会の外側にいるような、そんな響きでした。けれども、Chim↑Pomはいつも「自分たちがいるこの社会/世界」の真っただ中にいて、その中で当事者の問題としての「社会問題=自分たち問題」を扱ってきたのです。そんな彼らが今の「自分たち問題」と対峙する中で見出したのは、どんな逆境でもそこにまず真正面から向き合うこと、逆境にあわせて進化していくこと、明るく楽しく生きていくこと、そしてそれを実践し実行することでした。初個展「スーパー☆ラット」では渋谷に生息するネズミたちの強い生き方にシビれ (「SUPER RAT」2006年)、都内の名所ではカラスと戯れ(「BLACK OF DEATH」2007年)、インドネシアではゴミ山と格闘し(「Saya mau pergi ke TPA」2008年)、3.11以降は福島第一原発に真正面から対峙し(「REAL TIMES」2011年)、Chim↑Pomは街で、社会で、さまざまな人・動物・事象に向き合ってきました。
 本展「SURVIVAL DANCE」では「管理社会」「放射能汚染」「格差社会」「歴史的悲劇」など、そんな厳しい状況を明るく動的に生き抜く、まさにサバイバルダンスたる生き方を、写真・ 映像・ペインティング・立体・インスタレー ションといったさまざまな表現形態で披露します。 彼らが今回みなさまにお見せするのは「現」 ではなく「未来」です。 「もしこんな未来が起こったらどうやって生き残るか」という20世紀がSFで描いたような状況ではもはやありません。「実際に目の当たりにしている現実をふまえ、どのような人生を生きていけるか」を考えざるをえないリアルで切実な状況になっています。だからこそ今回Chim↑Pomは、表現者として、駆除にも負けない「スーパーラット」的強さとたくましさを、そしてポジティブなサバイバル精神を、そして世界に対しての向き合い方を、新作をとおして提示します。シェルターやバトルなど、競争的発想が目立ったこれまでの「サバイバル精神」から、一歩外へ、現実へと踏み出した、彼らのこの先のビジョンを、どうぞご覧下さい。"We and Chim↑Pom will continue into the future!" 2011年9月 無人島プロダクション

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 「気合100連発」をみたとき、戦後の焼野原のことを想った。すべてが焼けつくされ、もはや空以外なにもなくなってしまったところで、それでもなお、地面のなかからからつきあげてくる「やけっぱちの生命力」と「野生の力」を感じた。あの「生の本能(=エロス)」が、これからどこに向かってゆこうとしているのか、それをみてみたい。
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by illcommonz | 2011-09-23 13:12
▼全員釈放
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【速報】「9/22、残りの5名が全員釈放されました」
「9月22日、勾留されていた残りの仲間5名が全員釈放されました。
詳細は追ってご報告いたします。
ご支援・ご協力いただいた皆様、ありがとうございました。」
「9.11原発やめろデモ!!!!!弾圧救援会」
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by illcommonz | 2011-09-23 12:22