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いる・こもんず 【普通名詞】 01| ありふれて変なもの 02| 扱いにこまる共有物 03| 分けても減らぬもの 04| 存在とは常に複数で他と共にあり、狂えば狂うほど調子がよくなる
はじめに、ふた、ありき

イルコモンズ編
見よ ぼくら
四人称複数
イルコモンズの旗
(Amazon.comで
大絶版廃刊中)
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▼母の日
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 母の日、母が家にくる。家に来るのは12年ぶり。

 せめて掃除でもしておくか、と思ったが、なにせ家はこういう「秘宝館」みたいな家なので、いまさら掃除をしてどうにかなるというものではない。

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▼[左上] 展示室 [右上] 音楽室 [左下] 工作室 [右下] 庭

 それに母親に似て、日頃から掃除はまめにしてるので、実のところ掃除するところがない。それはともかく、はなれて暮していると、なにかと生活のことが心配なようなので、母が来たら、ガイガーカウンターで家の線量を計ってみせようと思う。ちなみに今日の線量は0.07マイクロシーベルト。
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by illcommonz | 2012-05-12 00:00
▼文化人類学解放講座:人類学者になりすました人びとと、その受難の映画史
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文化人類学解放講座教材「人類学者になりすました人たち」

 劇作映画の「キャスト(登場人物や主人公)」として人類学者が登場する映画をジャンル別に分類してみてみると、「オカルト、ホラー、ミステリー、カニバリズム、コメディ、ポルノ、モンド」が多く(ラブ・ストーリーはほとんどない)、映画のキーワードは「秘境、猟奇、残酷、恐怖、神秘、謎」などである。



▼[上] 映画「ゾンビ伝説」(1988年) [下] 映画「デモンズ2001」(2000年) 

 ・ロバート・ワイズ監督「たたり」(1963年)
 ・ジョー・ダマト監督「アマゾンの腹裂き族」(1977年)
 ・メルヴィル・ゴーティ監督「マニトゥ」(1978年)
 ・ルッジェロ・デオダート監督「食人族」(1979年)
 ・ウンベルト・レンツィ監督「人喰族」(1981年)
 ・ヴェルナー・ヘルツォーク監督「緑のアリの夢見るところ」(1984年)
 ・ウェス・クレイヴン監督「ゾンビ伝説」(1988年)
 ・E・マックス・フライ監督「アモス&アンドリュー」(1993年)
 ・トッド・ホランド監督「Dr.ジャガバンドー」(1998年)
 ・ルイス・リオサ監督「アナコンダ」(1997年)
 ・D・マイリック+E・サンチェス監督「ブレアウイッチ・プロジェクト」(1999年)
 ・ジョン・タートルトーブ監督「ハーモニーベイの夜明け」(1999年)
 ・グレン・スタンドリング監督「デモンズ2001」(2000年)
 ・アンドリュー・テイラー監督「カバルリ」(2002年)

 こうした作品のなかで、人類学者(になりすました人たち)たちに割りふられてきた役割(役柄)には、ある共通点がある。それは「受難の人」ということだ(ほかに「変わりもの」というのもあるが、それはさておき)、なぜ、人類学者たちは、映画のなかで、いつもこんなにひどい目にあうのだろうか。それは人類学の「フィールドワーク」と関係していると思われる。人類学者の箭内匡はこう書いている。

 「映画、精神分析、人類学的フィールドワークがほぼ同じ時期に誕生したことは、おそらく単なる歴史的偶然ではないと思われる。というのは、この三者は、「日常的な現実の外にある世界と、何らかの一貫した形で正面から向き合うことを主眼とする」、という点でよく似ているからである。人類学的フィールドワークは、異なる文化を生きる人々の現実を、旅行者が写真をとるような外面的かつ断片的なやり方ではなく、できる限り彼ら自身の内面に接近しながら、自律性をもった全体として把握することを目指す。このために人類学者は、フィールドワークの期間中、現地の人々と生活を共にし、自らの生身をもって彼らとかかわりあってゆくのである。映画・精神分析・人類学的フィールドワークの向き合う現実は、どれも、近代的な意味での「自己」に対しての「他なるもの」(いわば近代的自己の「夜の部分」)の空間である。」(箭内匡「文化人類学が変わる」)

 そう考えると、映画のなかの人類学者たちが「受難の人」であることは単なる偶然ではない。それは物語的必然であり、映画と人類学者は近代が「日常的な現実の外にある世界と、何らかの一貫した形で正面から向き合う」ための「身代わりの装置」だったのである。

[感想] 人類学者になりそこねてよかった。


▼映画「Dr.ジャガバンドー」(1998年)

 かつて、文芸批評家スーザン・ソンタグは、人類学者レヴィ=ストロースについて、「英雄としての人類学」という評論を書いたが、この映画をみると、「英雄」という役柄はもはや過去の失われた栄光となり、いまや「コメディアンとしての人類学者」という評論が書かれなければならないようだ。人類学者のレナート・ロサルドは「裸の王様としての人類学者」について、こう書いている。

 「民族誌が文化の研究にとって役に立つ視点であることがようやく認められた、そのちょうど同じ頃、民族誌のホームグラウンドである文化人類学はあるピンチに陥っていた。古典的な民族誌の読者たちが次第に「裸の王様シンドローム」に感染してきたのである。かつては、「文化の研究の王様」にふさわしい堂々とした衣装を身にまとっていたはずの文化人類学がいまや、まぬけな裸の王様のように見えてきてしまったのである。かつては「これこそ本当の真実」のように読めた言葉が、いまではパロディのように、あるいは、多くの見解のうちのひとつにしかすぎないように思えてきたのである。そのせいで、かつてはあれほど尊敬されていた民族誌の書き方の退屈さが驚くほどあからさまになってしまった。」

[感想] 人類学者になりそこねてよかった。
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by illcommonz | 2012-05-10 12:53
▼秋山理央撮影・編集「祝!原発ゼロ パレード」


 「21世紀の"ええじゃないか"ですだよ。」(ニセもんじゅくん)

 雨が降ろうと雹が降ろうと、怒るときは怒るし、喜びときは喜ぶ、ただそれだけのこと、喜怒哀楽のない生き方はしたくないということ。見よ、呆れよ、可笑しければ、笑いたまえ、これが人間だ。

[おわび]
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「ご不便をおかけして申し訳ありませんが、ただいま世界を変えようとしております」
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by illcommonz | 2012-05-09 23:05
▼杉並のすてきな「おばさん力」
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 「人がつながっているという安心感ほど、大切なものはない。一方、孤立して自信を失い、失ったものをお金で埋め合わせようとしているのが、現代の不安な暮らしだ。しかし、つながりをお金で埋められはしない。こればかりは、生身の産物だ。暮らしの中につながりを、なんとかとりもどす道筋を探さなくてはならない。どこにそれが生き残っているのか?その可能性のひとつは「おばさん」と呼ばれる人びとのなかにある。世の中が人とつながる自信をとりもどしてゆく足掛かりは「おばさん力」のなかに見つかると、わたしは思っているのだ。よく言えばおばさんは、人好きでたくましい。見知らぬ人ともすぐつながれる自信を持っている。関係力がおとろえた世の中にあって生き延びている珍種かもしれないが、いまや貴重な持ち物を保存している種族だとも言える。なぜ、人と気軽につきあう自信を持っているおばさんが多いのか?ひとつには、生活のなかでたまたま「家事」を通して、モノや人と直接的につきあう日常があるからだと思う。決して「女だから」ではない。そう、わたしは考える。さまざまな野菜や魚などの食材、水や火、天候や季節、そして生身の子ども。ときに病人。本来、男女子どもの誰もが担うべき「家事」を事実上おばさんたちが止むなく受け持っている。どうして家事や人の世話といえばいつも女なの、納得できない、と折々に思いながらも、つぎつぎにわき出る用事に追われていく。しかし人間、じかにからだでモノとつきあって暮らせば、結果として生きる自信がつく。だから「男のおばさん」ももちろんいる。「じゃりん子チエ」というマンガでは、チエという小学生の女の子が、家事から家の仕事まで取り仕切っている。彼女は「子どものおばさん」だ。なんでもこい、と自信にあふれているが、その自信はからだでモノや人と直接かかわる生活からきてるにちがいない。ところが、すべてを商品化し、暮らしをお金に換えようとする社会は、関係の商品化、つまり、人と人、人とモノの直接関係を奪い取ることによって、人の生きる自信そのものを揺るがせているのだ。子どもの自信の前に、大人の自信喪失こそが問題である。
 荒れ果てた社会が広がる。どこから歩き直しはじめたらよいか、見当もつかない。でも、モノや人と直接ふれあう毎日の体験は、積み重なる時間のなかで、人の自信をしずかに培ってゆく。あきらめずにそう信じたい。そして、作ること、工夫すること、協働することの楽しさを分かち合いながら、子どもたちと暮らしてゆきたい。」(下河辺(小澤)牧子「子どもの自信」(「子どもたちのいるところ」より抜粋)

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 これから「歩き直し」の時代がはじまる。気がつけば50基以上の原発をゆるしてきてしまった、これまでの歩み方をやめ、同じ失敗を二度とくりかえさないよう、モノや人と直接ふれあう毎日のはじまりである。そこでは、自分で作ること、工夫すること、協働することの楽しさを分かち合いながら、できれば、こういうすてきな「おばさん力」を持った人たちのいるところで暮してみたい。こどもの生きる自信はそこからやってくる、それは、自分が子どものころにそうだったからで、これについてはまた別の機会に書こうと思うが、子どものころ、自分が生まれた小さな町で、工場の廃液による公害問題が起こった。そのとき、町で集会とデモがあり、祖母に手をひかれて行くと、いつもはやさしく愛想のいい近所の八百屋のおばさんやおじさん、肉屋のおばさんやおじさん、魚屋のおばさんやおじさん、靴屋のおばさんやおじさん、おもちゃ屋のおばさんやおじさん、饅頭屋のおばさんやおじさん、花屋のおばさんやおじさん、お寿司のおばさんやおじさん、ガラス屋のおばさんやおじさん、材木屋のおばさんやおじさんたちが、それまで一度も見たことのない表情で、自分たち子どものために怒っていた。聞いたことのない大きな声をあげていた。それをみて、「この町で、もし何かあれば、こうやっておばさんやおじさんたちが自分たち子どもを守ってくれるのだ」ということが分かり、とても安心したのをおぼえている。もちろんその時は、そんな言葉は知らなかったが、「社会」というものの存在をはじめて意識したのはそのときだ。デモに行くといつもそのことを思い出す。日曜の杉並の「祝! 原発ゼロ・パレード」でも、有象無象のおばさんやおじさんたちをみながら、そのことを思い出していた。そして、今度また生まれてくるときは、杉並のような街の子どもになりたいとも思った。

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[関連]


▼「その時、歴史が動いた 3000万の署名大国を動かす」
 「東京・杉並の主婦からはじまった原水爆実験禁止を求める署名活動は、堰を切ったように全国で2008万人が署名、その名簿は重さ125キロになるという空前の平和運動となった。「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ヒバクシャ」、次第に広島・長崎の被爆者と平和運動には共通の接点が形成され、世界に広がった。世界では実に7億の署名が得られた。1955(昭和30)年には第1回の原水爆禁止世界大会が広島で開催された。原水爆禁止運動は、国民的なうねりとなって原爆の被害の実態を明らかにし、被爆者の救済を求め、核廃絶を訴える運動に発展していく。」

 そして、歴史はつながった。
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by illcommonz | 2012-05-09 01:48
▼モーリス・センダック「すぐにこの世を去れ、なるべく早くだ」


Q:スパイク・ジョーンズ「若者へのメッセージは?」
A:モーリス・センダック「すぐにこの世を去れ、なるべく早くだ」

「絵本作家センダック氏死去 日本でも人気」
 「かいじゅうたちのいるところ」などで知られる米国の著名な絵本作家モーリス・センダック氏が8日、米コネティカット州の病院で死去した。83歳だった。AP通信などが伝えた。1928年ニューヨーク・ブルックリン生まれ。64年に「かいじゅうたちのいるところ」でコールデコット賞を受賞、70年には国際アンデルセン賞も受賞するなど、現代米国を代表する絵本作家だった。同作品は日本を含め世界的に人気が高く、2009年には実写映画化もされた。」(2012年5月8日 共同通信)




 追悼と感謝をこめて、この二本の動画を同時に再生する。
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by illcommonz | 2012-05-09 01:21
▼野獣の少年、逝く。


「ビースティ・ボーイズのアダム・ヤウクさん、がんで死去」
 「グラミー受賞歴もある米ヒップホップ・グループ、ビースティ・ボーイズのメンバー、MCAことアダム・ヤウクさんが4日、がんのためニューヨークで死去したと、グループ広報が明らかにした。47歳だった。ヤウクさんは3年前からがんの治療を続けていた。ビースティ・ボーイズは白人ヒップホップの先駆けとして今年、「ロックの殿堂」入りを果たしたが、4月に行われた式典にヤウクさんは出席できなかった。ヤウクさんは2009年、唾液腺のがんと診断されたことを発表。ビースティ・ボーイズは同年のライブツアーをキャンセルした。米音楽誌ローリング・ストーンによれば、ビースティ・ボーイズはこの年の夏を最後にライブを行っていない。ヤウクさんは、チベット独立運動の支持者としても知られていた。」(AFP通信 2012年5月5日)
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by illcommonz | 2012-05-07 21:12
▼一天俄かに掻き曇り、雹と共に嵐まかり越したる原発ゼロパレード
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「脱原発」祝って高円寺でパレード
 「国内の原発50基が5日、42年ぶりに全て停止したのを祝って、東京・高円寺で6日午後、「脱原発」の実現を祝うパレードが行われた。「祝!原発ゼロパレード」は杉並区民らでつくる「脱原発杉並」が主催。「原子力発電に頼らずに暮らしているのを実感できる。こんなことは生まれて初めて、という若い人もたくさんいる。それならば祝ってしまおう」と呼びかけた。パレードに先立つ集会で、リサイクル店「素人の乱5号店」の松本哉氏は「国民の8割、つまり1億人が原発に反対しているのに再稼働するのはとんでもない。いろいろな人が集まって知恵を絞ることで原発に頼らなくて済む世の中がやってくる」と語った。同じく女子中学生は「子供にも原発について知ったり決めたりする権利が必要。大人は便利な暮らしのためにあんな危険なものを子供たちに残さないで」と訴えた。参加者は時折ひょう混じりのにわか雨が降る天気の中、「原発止めたぞ」などと声を上げながら行進。パレード会場に通りかかった女性は「電気が足りなくなると言っていたら、いつまでたっても原発はなくならない」と話した。参加者数は主催者によれば2~3千人。」(オルタナ 2012年5月6日)

 「パレード」というのは、たとえ小雨でも、雨が降れば中止になるか、だいなしになってしまうものなのだが、昨日の「祝!原発ゼロパレード」はちがった。「ついにこの世の終わりがはじまったか」というくらいの、突然のどしゃぶりの雨と雹と風とが荒れ狂う嵐のなか、羽織袴とウェディングドレスを着たカップルをのせたオープンカーを先頭に、マーチングバンドや龍や鯉やベリーダンサーやあれやこれやの有象無象たちが次から次に、どんどこずんずんやってくるパレードというのは、これまで見たことがないし、たぶんこれから先見ることもないと思う。「祝!原発ゼロパレード」は、嵐でだいなしになるどころか、嵐のいきおいをそのまま借りて、ただの祝賀パレードとは思えない、底ぬけの祝祭の風景をつくりだしていた。雹まじりの激しい雨のなか、自分のまわりをみると、ドラムやホーンがあちこちで水しぶきをあげ、いったい誰がどの音を出しているのか全く分からないくらい一丸となった轟音を街路に響かせていた。自分たちはこの日のために練習した「太陽」という陽気でにぎやかな曲を演奏しながら歩いた。どしゃぶりの空の下で演奏する「太陽」には凄みがあった。泣けばいいのか笑えばいいのか分からない、わけのわからない迫力があった。そしてそれを演奏するどの顔もびっくりするくらい笑ってた。自分も笑ってた。誰もが笑ってた。口をあけて笑ってた。頭が変になったんじゃないかと思うくらい笑ってた。涙を流しそうなくらい笑ってた。原発を停止させたことが、どれだけうれしいのか、どれだけそれを望んでいたのかが、ほんとによく分かる表情だった。昨日のパレードは単なる「パレード」ではなく、なにか別のものだったのだと思う。そこでなにが起きていたかは、いずれ動画でみることにして、原発ゼロの日の翌日からはじまる、次の長いサイクルのなかで、これから何をやるべきかを考えはじめている。でも、まずは、せんたくとそうじ。それから修理や補修しないといけないものが山ほどある。それがすんだら、デモでやるような、にぎやかな音楽ではなく、♯や♭がいくつもついた、しずかでおだやかな音楽を、ゆっくりしたテンポのちいさな音で吹いて、気持ちをととのえたい。
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by illcommonz | 2012-05-07 21:08
▼「祝!原発ゼロ・パレード」のために


 「2011年3月9日、新曲 "Boom!" を提供したJR九州「祝!九州キャンペーン」のCMが放送開始された。これを機に3月17日にスウェーデンに帰国することにしたため、帰国前に仙台の友達に会いに行こうと3月11日に東京駅に向かっていたところ、池袋駅にて東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が発生し、東京に足止めされた。東日本の鉄道網が被災したため、仙台に行くことが出来ないまま帰国した。震災による自粛ムードで曲を提供していたJR九州「祝!九州キャンペーン」のCMが放送中止となる中、ある個人が動画投稿サイト「YouTube」にアップロードしていた同CMアクセス数やコメント数が急増する現象がおきた。5月18日には同CM曲となっていた "Boom!" が発売され、5月30日付のBillboard JAPANHot Top Airplayで第1位となった。同CMは6月2日にギャラクシー賞を、6月下旬に開催されたカンヌ国際広告祭2011では、アウトドア部門で金賞、メディア部門で銀賞、フィルム部門で銅賞を受賞し、CM曲を提供したヒラサワへの注目も集まった。」(Wikipedia「マイア・ヒラサワ」より)

「幻のJR九州CM、カンヌ国際広告祭金賞を受賞」
 「マイア・ヒラサワの書き下ろしソング「Boom!」をバックに、九州新幹線の開通を祝う「JR九州/祝!九州キャンペーン」CMが、カンヌ国際広告祭のアウトドア部門にて金賞、メディア部門にて銀賞を受賞した。3月12日(土)、九州全土に新幹線が開通するという一大プロジェクトのCMソングを手がけたのがマイア・ヒラサワであり、そのハッピーソングと、開通を祝うたくさんの笑顔は、輝く門出に相応しい素晴らしいCMであったが、その前日、3月11日に、東日本大震災が日本を襲った。お蔵入りとなったものの、その映像はYouTubeにアップされ、消沈する日本にあって「元気をもらった」「今の日本に必要な」とそのCMは感動とともにあっというまに口コミで広がり、瞬く間に200万ビュー以上を記録することになった。「カンヌ国際広告賞」は、世界にある数々の広告賞の中でも世界最大級の規模を誇り、アウトドア部門は、看板、サインなどの屋外広告を対象とした部門で、当初はビルボード広告やポスターなどを対象としたものだが、最近はゲリラ的なもの/デジタルを利用したもの等、様々な作品を対象としているカテゴリーだ。このCMがこの部門で金賞を受賞したのも、そのコンセプトに加え、口コミで広がった点などさまざまな背景が理解されたということだろう。我々日本人の多くの人々を勇気付けてくれたこのCMが、世界的なCM賞を受賞したのは嬉しい限りだ。」(BARKSニュース 2011年6月22日)

 「この1年間、怒りに満ちたデモがたくさんあった。政府や電力会社に要求を突きつける抗議行動もたくさんあった。このすがすがしい原発ゼロ!!を、そんな数多くのデモや行動の成果と見なしてもいいんじゃないか。その喜びをみんなでいっしょに歩いて分かち合いたい―私たち、杉並の「有象無象」は考えました。そして今後、たとえ再稼働される原発があったとしても、全50基を廃炉に追い込むまで、しぶとく、しつこく訴えつづけていかなければなりません。この喜びの日は、新たな決意の日でもあるのです。」(脱原発杉並)

 「ここはもう、こっちが勝利してるって堂々と宣言して向こうが負けてるってことをわからせるためにも、原発が止まるこのタイミングに、もう再稼働なんて言わせないくらい大袈裟に祝って、動いてる原発が0でも暮らしてるってことをみんなにどんどん知らせよう!」(原発やめろデモ)

 「日本で原発がとまると集団自殺が起きる」などと脅かす政治家がいたが、原発がとまって12時間が経過した現時点で、そんなニュースはひとつもきいてない。ウソをつくにもほどがある。こういうデマを流す連中は放っておいて、さぁ、ゆこう、原発のない世界が、どれだけすばらしいかをデモンストレーションするパレードにゆこう。この曲を演奏しながら街をパレードしよう。天気は快晴、気分は上々。原発なしでも電気は足りてるし、原発などないほうが、よほど人は元気で、はつらつと陽気に暮らせる、ということをデモンストレーションしにゆこう。

▼脱原発杉並(副題は自由)+原発やめろデモ!!!!!「祝!原発ゼロ パレード」
[日時] 2012年5月6日14:00集合 デモ15:00
[場所] 東京・杉並区蚕糸の森公園
[ルート] 蚕糸の森公園~青梅街道を西へ~環七を横断~梅里二丁目左折~松ノ木三丁目左折~五日市街道を北東へ~青梅街道横断~高円寺北口~高円寺中央公園(約3.2km)
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by illcommonz | 2012-05-06 00:11
▼ノー・ニュークス・タイム!
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▼「日本の全原発停止までのタイマー」
http://deadlinetimer.com/timer/33822



 ノー・ニュークス・タイム!
 電気は足りてる
 OH YEAH!
 ALL RIGHT!
 うたえ、おどれ!

 ノー・モア・ニュークス!
 電気なら足りてる
 OH YEAH!
 ALL RIGHT!
 いわえ、さわげ!

 No Nukes Time
 We're Gonna Celebrate.
 Oh Yeah!
 All Right!
 Don’t Stop the Dancing.

 No More Nukes
 We're Gonna Celebrate.
 Oh Yeah!
 All Right!
 Celebration Tonight

 Celebrate
 No Nukes Time
 Celebrate and Dance for Free

 You Know I'm just Feeling
 Don't wait too late
 You Know We're Gonna Do It Right

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「国内の全原発が停止、42年ぶり 泊3号機が定検入り」
 「北海道電力泊原発3号機(北海道泊村)が5日午後11時3分、定期検査のため運転を止め、国内に50基ある原発が1970年以来42年ぶりにすべて停止した。原発が運転再開するめどは立っておらず、昨年3月の福島第1原発事故を経験した日本は、発電量の3割を占める原発の運転ゼロが続く前例のない時期に入った。原発の安全性に不信感を抱く市民グループは「原発ゼロ」を脱原発に向けた一歩と位置付け、全国各地で集会やデモを開いた。泊3号機の地元、北海道では停止前の午後1時、40の市民団体が札幌市の大通公園で集会を開き、雨の中、450人(主催者発表)が集まった。冒頭、3人の子どもが「こどもの日」にちなみ、メッセージを読み上げた。福島第1事故で福島市から札幌市に家族で避難した中学2年の渡辺刀麻君(13)は体験を基に「事故で福島の絆はずたずたに切り裂かれた。子どもが笑顔でいられるようにしてほしい」と訴えた。札幌市の高校1年の池沢加那さん(15)は「重荷を背負うのは私たち子どもです。原発は本当に必要なのですか」と疑問を投げ掛けた。この後、「これからずっと原発ゼロ」「子どもが大事、命が大事」などとシュプレヒコールをあげながら、中心街を歩いた。参加した北海道北広島市の主婦佐々木百合香さん(32)は「3日後に第3子が生まれる予定。子どもに二度と悲劇を経験させないため、原発はきょうで卒業して」と話した。泊3号機は午後5時、核分裂反応を抑える制御棒を原子炉に挿入。運転指令室から北海道電本店(札幌市)の中央給電指令所に電話で連絡が入り、3号機が出力低下作業を始めた。出力は89万キロワットから徐々に下がり、午後11時3分、ついにゼロに。全国の注目を集める中、北海道電は「通常の定期検査による停止で、特別な意味はない」として、記者会見を開かなかった。泊原発のPR施設「とまりん館」には多数の報道陣が詰め掛けたが、原発内の取材は制限され、代表取材しか認められなかった。」(中日新聞 2012年5月5日)

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「泊3号機、23時03分、解列」 稼働原発ゼロの瞬間」
 「泊原発3号機の中央制御室には、出力が2万4千キロワットほどに落ちた5日午後10時53分、「泊3号機、解列操作開始します」とのアナウンスが流れ、原発の発電機と送電線を遮断する作業を始めると告知した。午後11時3分、出力を示す大型モニターの表示がゼロに。「泊3号機、23時03分、解列しました」とアナウンスが流れた。ほぼ同時刻、北電本社(札幌市)の中央給電指令所で3号機の発電状況を知らせる制御盤上のランプは、発電中の「赤」から停止を示す「緑」に変わった。指令員は定期検査入りを示す「長停中(長期停止中)」のマグネット札を張りつけた。」(朝日新聞2012年5月5日)

 「今日から、この国は原発ゼロ。それだけで、何かが良くなるわけではありません。降り注いだ放射能は消えません。日々の暮らしは大量の電気を必要としています。根本的な解決は、次世代に託されます。しかし、福島の事故から一年余。私たち大人も、もういいかげん変わらなければなりません。考えて、決めて、行動できる自分を取り戻さねばなりません。」(東京新聞 2012年5月5日)
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by illcommonz | 2012-05-05 23:00
▼いま、よろこばないで、いつ、よろこぶ
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▼「日本の全原発停止までのタイマー」
http://deadlinetimer.com/timer/33822

 「脱原発大バーゲン」とか、「脱原発大売りだし」とか、「脱原発特大セール」をやるデパートやスーパーがあってもいいはずなのに、なぜ、ないのかわからない。

「原発、42年ぶり稼働ゼロへ=北海道電・泊3号機が検査入り」
 「全国の原発で唯一稼働している北海道電力の泊原発3号機(北海道泊村、91.2万キロワット)が5日深夜、定期検査のため発電を停止する。これにより、国内の原発50基は全て運転停止状態となり、原発の発電量は1970年以来42年ぶりにゼロとなる。原発が基幹電源となってから初の異例の事態で、政府が目指す再稼働が実現しない場合、電力の供給不安を抱えたまま需要が増大する夏を迎える。原発による発電電力量は、ピークの98年度には全体の36.8%を占め、その後も3割前後で推移してきた。しかし、東京電力福島第1原発事故が発生した昨年3月11日以降、国内の原発は定期検査で次々と運転を停止し、再稼働のめどは立っていない。最後の稼働原発となった泊3号機も、5日午後5時ごろから出力を下げ始める。同11時ごろには発電を停止する。」(共同通信 2012年5月5日)
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by illcommonz | 2012-05-05 00:46