Top

いる・こもんず 【普通名詞】 01| ありふれて変なもの 02| 扱いにこまる共有物 03| 分けても減らぬもの 04| 存在とは常に複数で他と共にあり、狂えば狂うほど調子がよくなる
はじめに、ふた、ありき

イルコモンズ編
見よ ぼくら
四人称複数
イルコモンズの旗
(Amazon.comで
大絶版廃刊中)
以前の記事
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
2006年 01月
2005年 12月
2005年 11月
2005年 10月
2005年 09月
2005年 08月
2005年 07月
2005年 06月
2005年 05月
2005年 04月
2005年 03月
2005年 02月
記事ランキング
<   2013年 09月 ( 34 )   > この月の画像一覧
▼3.11以後の社会学講義/危機の時代の人文社会科学
d0017381_22354682.jpg
▼イルコモンズ「社会学特殊講義E」教材

 「『君たちはどう生きるか』は、まさにその題名が示すように、第一義的には人間の生き方を問うた、つまり「人生読本」です。けれども、この一九三〇年代末のこの書物に展開されているのは、人生いかに生きるべきか、という倫理だけでなくて、社会科学的認識とは何か、という問題であり、むしろそうした社会的認識の問題ときりはなせないかたちで、人間のモラルが問われている点に、そのユニークさがあるように思われます。コペル君のごく身近に転がっているありふれた事物の観察とその経験から出発し、「ありふれた」ようにみえることが、いかにありふれた見聞の次元に属さない、複雑な社会関係とその法則の具象化であるか、ということを一段一段と十四歳の少年に得心させていくわけです。そういう目で、あらためてはじめの頁にかえって読みなおしてみますと、じかの観察から出発して、そこからいろいろな物事を関連づけ、その意味を探ってゆくという方法について、この書物では周到に布石が置かれていることに気がつきます。屋上からの大観察自体の中に、著者はいろいろな小観察を精巧な玉細工のようにちりばめます。自動車の流れを右左とかわしながら、懸命に小さな自転車のペダルをふむ少年と、その少年の動きを屋上から目で追っているコペル君は、見られるものと見るもの、との関係にあり、見られるものはそのことを意識しないが、見るものには分かっています。にもかかわらず、眼下の少年にたいしては、一方的にみる立場にあるコペル君自身も、眼前に林立するビルの無数の窓の中から見られていて、そのことが自分には分からないのかもしれないということに気づくという視座の転換の問題。つまりここにすでに、社会科学的な、そうしてすぐれて今日的な対象の分析と、主体・客体関係という認識論的な意味づけが分かちがたく結び合わされて、読者に提示されているわけです。おじさんは、天動説から地動説への転換という、誰でもよく知っているために、あまりにも当然としている事例を持ち出してきます。地動説はけっして一回限りの、過去の出来事として語られていません。それは、自分を中心とした世界像から、世界の中での自分の位置づけという考え方への転換のシンボルとして、したがって、現在でも将来でも、何度も繰り返される、またくりかえされなければならない切実な「ものの見方」の問題として提起されているのです。地動説への転換は、もうすんでしまって当たり前になった事実ではなくて、私たち一人ひとりが、不断にこれから努力していねばならないきわめて困難な課題なのです。そうでなかったら、どうして自分や、自分が同一化している集団や「くに」を中心に世の中がまわっているような認識から、文明国民でさえ、今日も容易に脱却できないでいるのでしょうか。つまり、世界の客観的な認識というのは、どこまでいっても、私たちの「主体」の側のあり方の問題であり、主体の利害、主体の責任と分かちがたく結び合わされている、ということ、その意味でまさしく私たちが「いかに生きるか」が問われているのだということを、著者はコペルニクスの学説に託して説こうとしたわけです。」(丸山真男『君たちはどう生きるか』をめぐる回想」より)

 「ヨーロッパではムッソリーニやヒットラーが政権をとって、ファシズムが諸国民の脅威となり、第二次世界大戦の危険は暗雲のように全世界を覆っていました。『日本少国民文庫』の刊行は、もちろん、このような時勢を考えて計画されたものでした。当時、軍国主義の勃興とともに、すでに言論や出版の自由は著しく制限され、労働運動や社会主義の運動は、凶暴といっていいほどの激しい弾圧を受けていました。そのなかで先生(山本有三)は、少年少女に訴える余地はまだ残っているし、せめてこの人々だけは、時勢の悪い影響から守りたいと思いたたれました。先生の考えでは、今日の少年少女こそ、次の時代を背負うべき大切な人たちである。この人々にこそ、まだ希望はある。だから、この人々には、偏狭な国粋主義や反動的な思想を越えた、自由で豊かな文化のあることを、なんとかして伝えておかなければならないし、人類の進歩についての信念をいまのうちに養っておかねばならない、というものでした。荒れ狂うファシズムのもとで、先生はヒューマニズムの精神をまもらねばならないと考え、その希望を次の時代にかけたのでした。」(吉野源三郎「作品について」より)

 「この作品(ケストナー「飛ぶ教室」)には、吉野源三郎「君たちはどう生きるか」と同じようなものを感じました。時代が破局に向かっていくのを予感しつつ、それでも「少年たちよ」という感じで書かれたものだと思います。読み直してみると、いい話を書こうというだけではなくて、切羽詰ったものがその裏に潜んでいるような気がしました。」(宮崎駿「本へのとびら」より)

 「生きることのきびしさは、お金をかせぐようになるとはじまるものではない。お金をかせぐことではじまって、それがなんとかなれば終わるものでもない。こんなわかりきったことをむきになって言いはるのは、みんなに人生を深刻に考えてほしいと思っているからではない。そんなことはぜったいにない。みんなを不安がらせようと思っているのではないんだ。ちがうんだ、みんなにはできるだけしあわせであったほしい。ちいさなおなかがいたくなるほど、笑ってほしい。ただ。ごまかさないでほしい、ごまかされないでほしいのだ。不運はしっかり目をひらいて見つめることを、学んでほしい。うまくいかないことがあっても、おたおたしないでほしい。しくじっても、しゅんとならないでほしい。へこたれないくれ、くじけない心をもってくれ。ボクシングでいえば、ガードをかたくしなければいけない。そしてパンチは、もちこたえられるものだってことを学ばなければならない。さもないと、人生がくらわす最初の一撃でグロッキーになってしまう。人生ときたら、まったくいやになるほどでっかいグローブをはめているからね。へこたれるな、くじけない心をもて、わかったかい。出だしさえしのげば、もう勝負は半分こっちのものだ。なぜなら、一発おみまいされてもおちついていられれば、あのふたつの性質、つまり、勇気とかしこさを発揮できるからだ。ぼくがこれから言うことをよくよく心にとめておいてほしい。かしこさをともないわない勇気は乱暴でしかないし、勇気をともなわないかしこさは、へのようのものなんだよ。世界の歴史には、賢くない人びとが勇気を持ち、かしこい人びとが臆病だった時代がいくらもあった。これはただしいことではなかった。勇気ある人びとがかしこく、かしこい人びとが勇気を持つようになってはじめて、人類も進歩したなと実感されるのだろう。なにを人類の進歩というか、これまではともにすると、誤解されてきたんだ。」(エーリッヒ・ケストナー「飛ぶ教室 まえがき その2」より)

(参考)
 特定秘密保護法案、集団的自衛権、改憲、「ナチスの手口に学べ」 発言、右傾化、レイシズム、オリンピック、原発事故、ショックドクトリン

(関連)
▼イルコモンズ 「文化人類学解放講座B」
[第一講] 社会学的めまい:コペルニクス的転換
http://illcomm.exblog.jp/19709975/
▼イルコモンズ「社会学特殊講義E」
[第一講] 社会学を/から学ぶこと:コペル社会学「人間分子の関係、網目の法則」
http://illcomm.exblog.jp/19705259/
[PR]
by illcommonz | 2013-09-30 22:48
▼マーチングバンドは、いつのまにかサンバチームに変わっていた。誰も気がつかないあいだに変わった。

 「祝・原発ゼロ大行進」ということで、マーチングバンド(T.F.M.B.)は、いつのまにかサンバチーム(T.S.P.M.B.)に変わっていた。誰も気がつかないあいだに変わった。この手口を学んでしまったので、まだどんどん変わる。この日の行進は、原発がないことが、どんなにはればれとして気分の好いことかを、秋晴れの東京の街に、全力の人力でデモンストレーションした「原発ゼロへ/の賛歌」だった。

孤独ちゃん @mmaayyaakkoo 2013年9月29日
 「反原発☆渋谷大行進、長かった。2時間半。ただ歩いただけなのにこの疲労感。ドラム隊の方々の体力はどうなってんだ!」 


 長い長い2年半の反原発の坂をオーバーカムして(=のりこえて)、原発ゼロのゴールへ。雨の日もあれば日照りの日もあった。陽のあたる場所もあれば陽のあたらぬ場所もあった。それでも声と音をとぎれさせることはなかった。見知らぬものたちが集まり、なんのうちあわせもなしに、声と音をだせば、はじめはてんでばらばらになるのがあたりまえ。しかし2年半もすれば、この動画のように、おのずと息があってくる。そのリズムやテンポやキーはそれぞれちがっていても、最後に音をぴたっと止めることに関しては、ほんとに息があってる。なにしろ、とめることが目的なのだから。

加藤梅造 @umezox 2013年9月29日
 「9.22差別撤廃東京大行進、9.29反原発☆渋谷大行進と2週続けて大きなデモ。どちらも怒りを希望に変えようとする力強いデモとなった。そして来週10.6は怒りのドラム街宣@新宿、再来週は10.13 No Nukes Dayと続く。 http://ow.ly/pjMXZ」

----------------------------------
[追記]

d0017381_1231790.jpg
[写真]ナマステ・インド帰りのインドの人たちと代々木公園の並木道でセッション

タケウチミホ @sakeuchi317 2013年10月1日
 「イル先生が引用している呟き。確かに楽器鳴らしながら2時間半歩いたことに「体力どうなってるの?」という「?」は、言われると「そうだよねぇ」と。でもあのあと、ケヤキ並木で外呑みしていた一団はまだまだ楽器を鳴らしていたのでした(笑)。 」

 でした。ほんとにどうなってるのでしょう。もっとも、翌日、全身筋肉痛で、カゼもひきましたけどね。
[PR]
by illcommonz | 2013-09-30 13:20
▼いまたのしまないでいつたのしむ
d0017381_10234648.jpg
今日は、にちようびで、とびきり、天気が好く、
しかも、めずらしく、はやく目がさめたのは、
なんたってそれは、原発がとまってるからで、
それに今日は、インドのカレーもたべられそうなので、
おひるすぎには、代々木公園にいって、ひるまっから、
ぐびぐび(ぷはー)、もぐもぐ、ぱくぱく、ぷかぷか、
ぷっぷっぷー、してます。

ちびこもんず
[PR]
by illcommonz | 2013-09-29 10:23
▼「9.29反原発☆渋谷大行進」
d0017381_2048244.jpg
「9.29反原発☆渋谷大行進」
[日時] 2013年9月29日(日) 集合14:00 デモ出発15:00
[場所] 東京・代々木公園けやき並木(渋谷側)※雨天決行
 「大飯原発4号機が15日に停止。日本はふたたび「稼働中の原発ゼロ」に。もう二度と稼働させずに即時に全原発廃止を求めるデモ!」

[呼びかけ]
 「9月29日、渋谷・原宿にて、首都圏反原発連合主催による、すべての原発のできる限り速やかな廃止と「原発のない社会」を求める街頭デモを行います。自民党安倍政権は、今年の成長戦略に「原発の活用」を盛り込み、既存原発の再稼働方針を明確にしています。2012年5月に一旦原発全50基が停止。その後、同年7月大飯原発3、4号機が再稼働。定期検査で停止する2013年9月15日にかけて稼働していた原発は、そのたった2基のみ。全国的に原発なしで乗り切れる事が酷暑のこの夏、ほぼ証明されました。そして9月15日からは50基の原発は全て停止。世論調査では、「原発再稼働に反対」が過半数を超えています。放射能汚染水の海洋流出は国際的重大問題に。原発事故の収束の目処は全く立っていません。いまこそ、世論の力で、安倍政権の思惑を許さず、脱原発を現実的なプロセスにしていく必要があります。全50基が停止している9月29日、私たち首都圏反原発連合は、再び世間に原発反対の声を広げるべく渋谷・原宿でデモを行います。原発はこのままなくなった方が良いと思われる皆さん、どうぞご参加ください。よろしくお願いいたします。」
[主催]首都圏反原発連合
[PR]
by illcommonz | 2013-09-28 20:47
▼「9.27 再稼働反対!首相官邸前抗議」
d0017381_2244862.jpg
▼「9.27 再稼働反対!首相官邸前抗議」
[日時] 2013年9月20日(金)18:00-20:00
[場所] 東京・霞ヶ関 首相官邸前および永田町・霞が関一帯
(霞ヶ関駅、虎ノ門駅、桜田門駅をご利用ください)
※千代田線・丸ノ内線の国会議事堂前駅は混雑が予想されます。
[呼びかけ] 首都圏反原発連合

--------------------

 すべての原発はとまっているが、汚染水はとまっていない。

「福島第一原発 “シルトフェンス”が破損」
「東京電力福島第一原子力発電所で、港の中に設置し汚染の広がりを抑える「シルトフェンス」と呼ばれるカーテン状のフェンスが破損しているのが見つかり、東京電力が原因を調べています。26日午前10時40分すぎ、福島第一原発の5号機6号機の海水を取り込む取水口付近で、港の中に設置し、汚染の広がりを抑える「シルトフェンス」と呼ばれるカーテン状のフェンスが破損しているのが見つかりました。破損していた「シルトフェンス」は、1号機から4号機側の汚染された海底の土が巻き上がり5号機6号機側に広がらないために設置されているもので、東京電力は、原因を調べるとともに、台風の影響で高くなった波が収まってから復旧することにしています。このトラブルを受けて、国の原子力規制庁は、現場の検査官に状況を確認させるとともに、5号機6号機の周辺の海で、放射性物質の濃度を測定するよう東京電力に指示しました。今回破損が見つかったシルトフェンスは、ことし4月にも破損していて、東京電力はこのときは高い波が原因とみています。」(NHKニュース 2013年9月26日)

 そして、うそつき総理大臣は、今日もまた、うそにうそをかさねる。

「首相「原発技術放棄せず」電力改革を推進」
 「安倍晋三首相は25日午後(日本時間26日未明)、米ニューヨーク証券取引所で講演し、電力システム改革を推進する方針を示した。同時に日本の原発技術に関し「放棄することはあり得ない。東京電力福島第1原発の事故を乗り越えて、世界最高水準の安全性で世界に貢献する」と表明した。電力をめぐって、日本の発光ダイオード(LED)照明やリチウムイオン電池技術が省エネに貢献していると指摘。福島県沖での浮体式洋上風力発電に言及し「こうしたイノベーション(技術革新)を加速するため、電力自由化を成し遂げて日本のエネルギー市場を大転換する」と強調した。」(東京新聞 2013年9月26日)
[PR]
by illcommonz | 2013-09-27 13:22
▼経産省官僚「あましたりまであと3年、がんばろっと」
d0017381_2332940.jpg
「匿名ブログで「復興は不要」経産省官僚、身元ばれ閉鎖」
 「復興は不要だと正論を言わない政治家は死ねばいい――。2年前、匿名ブログに書き込まれた一文が、ここ数日、インターネット上に広まり、騒ぎになっている。閲覧者らが身元を割り出し、筆者が経済産業省のキャリア男性官僚(51)であることがばれたためだ。事態をつかんだ経産省も「遺憾であり、速やかに対応する」として、処分を検討し始めた。この男性は経産省の課長などを務め、今年6月から外郭団体に出向している。復興に関わる部署ではないという。ブログでは匿名だったが、過激な書き込みが目立ち、仕事にかかわる記述から閲覧者らが身元を割り出したとみられる。24日午後から、実名や肩書がネット上にさらされた。「復興は不要だ」との書き込みは、2011年9月のもの。被災地が「もともと過疎地」だというのが根拠だ。今年8月には、高齢者に対して「早く死ねよ」などと書き込んだ。同7月には「あましたりまであと3年、がんばろっと」などと、天下りを示唆する内容も記した。」(朝日新聞 2013年9月26日)

「不適切書き込みの経産省職員が懲戒処分」
 「経済産業省は、50代の男性キャリア職員が東日本大震災に関連してインターネット上に「復興は不要だ」などと不適切な書き込みを繰り返し行っていたとして、この職員を停職2か月の懲戒処分にしました。官僚によるネット上の書き込みでは、復興庁の元幹部職員が投稿サイトのツイッターで市民団体を中傷する書き込みを行っていたとして、停職30日の懲戒処分を受けています。経済産業省は「職員が身分を名乗って書き込む場合は上司の了解を求める決まりを作っていたが、今回は匿名だったため把握できなかった。このようなことが2度と起こらないよう再発防止を徹底したい」と話しています。」(NHKニュース 2013年9月26日)

 こんな男の「復職は不要だ」と、なぜ云えないのか経済産業省。このポスターを直視できるのか、経済産業省。恥をしれ、経済産業省、人間らしい仕事をしろ、経済産業省。

d0017381_2342450.jpg
[PR]
by illcommonz | 2013-09-27 03:30
▼[アルバム] 「差別撤廃 東京大行進」 スナップ写真・記念写真・集合写真
d0017381_046269.jpg
2013年9月22日(日)晴れ 東京・新宿「差別撤廃東京大行進」にて 
 このブログを自分の「思い出のアルバム」として使うことはあまりないのだが、たまにはいいだろう。自分が子どものころ、家がびんぼうで、いわゆる「よそゆきの服」というものを持ってなかった。なので、よそゆきの服がいるようなときは、服のかわりに、床屋で散髪をしてもらい、白いシャツと黒い半ズボンをはかされたものだった。そのことをふと思い出したので、この日は、正装のかわりに、散髪にゆき、こういう格好ででかけたのだった。サックスにクラリネットをつっこんで。

d0017381_0542315.jpg

d0017381_0544516.jpg
「人の世に熱あれ」

d0017381_055352.jpg
「人間に光あれ」

d0017381_055533.jpg
「WE SHALL OVER COME, TODAY!」

d0017381_145992.jpg
 「仲良くしようぜ」ということで、ドラム隊(T.D.C.)は、いつのまにかマーチングバンドに変わっていた。誰も気がつかないあいだに、トーキョー・フリーダム・マーチングバンド(T.F.M.B.)に変わった。この手口を学んだらどうか」

d0017381_0584570.jpg
 「わたしの叔父のアレックス・ヴォネガットは、わたしにとても重要なことを教えてくれました。ものごとが本当にうまくいっているときに、それを見逃さないようにしなくてはいけないと。叔父がいったのは、大きな勝利などではなく、ごく単純なできごとです。そして、アレックス叔父さんは、そんな至福の瞬間には、必ず声に出して、こう言えと私に教えてくれました。「これがすてきでなくて、ほかになにがある」と。」(カート・ヴォネガット)

[写真]
▼20130922 差別撤廃東京大行進
http://ignorance201306.blogspot.jp/2013/09/20130922.html
▼2013-09-22差別撤廃東京大行進
http://d.hatena.ne.jp/cat777/touch/20130922
▼写真: 20130922_c0442
http://photozou.jp/photo/show/1974250/188113116

--------------------------------------
(おまけ)

d0017381_1361782.jpg
くまのぽーすけくんは、管楽器には3つの音があるのを知ってるかな。

d0017381_1384912.jpg
まず、これが、「We shall over come」の最後の、ぴぃぃいぃいぃぃぃいぃぃぃぃ!
これは、とりのさえずりの音。

d0017381_1375422.jpg
次にこれが、「自由への賛歌」のはじめの、ぷぅぅうぅぅぅうぅぅうぅぅうぅぅうう!

d0017381_137671.jpg
そして最後は、「これがすてきでなくて、ほかになにがある」の、ぼぉぉぉぉぉおぉぉぉおぉぉ!

つまり、管楽器というのは、そういうものなのだよ。
[PR]
by illcommonz | 2013-09-27 01:48
▼トーキョー・フリーダム・マーチングバンド 「We shall over come/人の世に熱あれ、人間に光あれ」

▼トーキョー・フリーダム・マーチングバンド
「We shall over come/人の世に熱あれ、人間に光あれ」
「差別撤廃 東京大行進」 2013年9月22日
[演奏] Tokyo Freedom Marching Band (T.F.M.B.)
[発言] のいえほいえ/李信恵
[撮影] ken23qu [編集] illcommonz
1分45秒 B&W

 「我われは、かならず卑屈なる言葉と怯懦なる行為によって、祖先をはずかしめ、人間を冒涜してはならぬ。そうして人の世の冷たさがどんなに冷たいか、人間をいたわることがなんであるかをよく知っている我われは、心から人生の熱と光を願求礼賛するものである。水平社は、かくして生れた。人の世に熱あれ、人間に光あれ。」(「水平社宣言」1922年)

--------------------------------
「2013.09.22、差別撤廃東京大行進(以下、東京大行進)に参加してきました。
せっかくの機会なので、思うところをつらつらと記録しておきます。

今回自分が参加したのは、差別撤廃だとか何とか、何かを主張する事が目的ではありませんでした。
ただ、意思表示をしたかった。

差別が無くなる事を願い、行動に移す事のできる人間が数多くいる。
という事実を、見せたかったんです。

誰にかと言えば、自分のアイデンティティに苦しむ人達に。

君達を乏しめる連中もいるけど、
それに対抗して立ち上がってくれる人達もたくさんいるんだよ、と。
何よりも、君達は、君達のままでいいんだと。

自分の話ばかりするのもアレですが、自分自身、在日韓国人という出自についてはずいぶんと悩みました。

「在日韓国人だから◯◯」といった押し付けに反発しながら、とは言え日本人ではない自分の出自を思い、どちらともつかない宙ぶらりん状態の中で、自分が自分である事を許されていないような、そんな気持ちになっていました。

当時も、慣れないインターネットを開けば、既に在日はひどい言われ方をしていて。
通っていた朝鮮学校にも街宣車がやってきたり、チョゴリ切り裂き事件だ何だと、小学生は頻繁に集団下校をさせられていました。

『自分(達)は拒絶されている。
何故かと言えば、どうやら祖父母や両親の下に生まれた事が悪いらしい。』

ふざけるなと憤る一方で同時に、拒絶されているという暗い感覚が、胸の奥に沈殿していきました。
涙を流し、壁を殴り、大声でわめきながら帰る通学路。今となっては、当時は色々と限界だったなと思います。苦笑

現在の環境は、当時よりも悪化しています。

インターネットの普及が進み便利になる反面、ネットはバカのオモチャになりました。
在日韓国人に対する差別的な誹謗中傷が溢れ、時には、慣れた俺でも顔をしかめてしまう程です。
ネットの外に出て、新大久保や鶴橋など、街中に現れる集団まで現れました。

今、外部からの差別や、自分のアイデンティティと戦っている子供たちは、どんな苦しみだろうと思うんです。

教えてあげたい。

誰かの存在を、出自なんて理由で乏しめる・・・日本ではそれを、「良識」とは呼ばないんだと。
他人が何を言おうと、君は君のままでいい。
そこに許すも許さないも無いんだと。
そして、それを応援してくれる味方が、たくさんいるんだと。

東京大行進の事は、メディアにも取り上げられました。
このニュースは必ず、多くの苦しんでいる人達の下に届いたでしょう。

彼らが何を思うかはわかりませんが、誰か一人でも喜んでくれたなら、それだけで嬉しいなと思うんです。

--------------
p.s. なんだか東京大行進の主旨を巡って、細かい主義主張のところで反発したり、だから欠席したり、という方々もいらっしゃったそうです。

それは勿論自由だし、差別問題につい て真面目に考えていただけてる事はやっぱり、素晴らしい事です。

でも俺が感謝するならやっぱり、歩いてくれた人達なのです。
歩いてる人達が何を考えてるかなんて、外からはわかりません。
今苦しんでる人々に向けて「味方がたくさんいるよ」って目に見える形で示してくれた参加者の方々と、その機会を与えてくれた運営の方々に、手が腫れるぐらいの拍手を贈りたいと思います。

長くなったのでこの辺で。
各方面へ、敬意を込めて。

きょばノートッ「【東京大行進】後輩達へ、偽善と自己満足と」より)
[PR]
by illcommonz | 2013-09-26 23:46
▼イルコモンズ 「文化人類学解放講座B」

▼ヒラリー・ハリス「有機体」(1975年)

▼イルコモンズ「文化人類学解放講座B」
[時間] 2013年9月25日(水)15:00~16:30 (※毎週水曜4限)
[場所] 中央大学3号館1階3114教室

[第一講] 社会学的めまい:コペルニクス的転換

 「コペル君は、叔父さんと二人で、銀座のあるデパートメント・ストアの屋上に立っていました。コペル君は黙って、すぐ下の銀座の通りを見下ろしていました。降っているのか、いないのか見分けにくいほど細い霧雨が灰色の空から静かに絶え間なくおりてきて、コペル君の外套にも、ちいさな銀色の水玉がいっぱいつきました。7階建ての上からみおろす銀座通りは、細い一本の溝でした。その底を、たくさんの自動車が、あとからあとから続いて流れてゆきます。流れのあいだには、ところどころに、電車がいかにも、もの憂そうにのろのろと走っていました。玩具のように小さくみえる、その電車の屋根は濡れていました。いや、自動車も、アスファルトの路面も、立ち並ぶ街路樹も、何もかもみんなびっしょり濡れて、光っていました。黙って見下ろしているうちに、コペル君には、ひとつひとつの自動車が何か虫のように思われてきました。銀座通りが次第に遠く狭くなっていって、京橋のあたりは、彼らの巣の出入り口のように見えるではありませんか。奇妙な想像にふけりながら、コペル君はしばらく京橋のあたりを見つめていましたが、やがて顔をあげました。眼の下には、雨に濡れた東京の街が、どこまでも続いて、霧雨の中に茫々とひろがっていました。それは、見ているコペル君の心も沈んでくるような、暗い、寂しい、果てもない眺めでした。東京に生まれて東京に育ったコペル君ですが、こんなまじめな、こんな悲しそうな顔をしている東京の街を見たのは、これがはじめてでした。すると、コペル君の心の中に、今までにはなかった一つの変化が起こってきました。最初にコペル君の眼に浮かんできたのは、雨に打たれている、暗い冬の海でした。眼の下の東京市が一面の海で、ところどころに立っているビルはが、その海面からつきでている岩のように見えてきたのでした。コペル君はその想像のなかで、ぼんやりと、この海の下には、人間が生きているんだと考えていました。ふと、その考えに自分で気づくと、コペル君はなんだか身震いがしました。びっしりと大地を埋め尽くしている小さな屋根、その数え切れない屋根の下に、みんな何人かの人間が生きている、それは当たり前のことでありながら、恐ろしいような気のすることでした。こうして見下ろしている今、その人たちは何をしているのでしょう。何を考えているのでしょう。それは、コペル君にとって、まるで見通しもつかない、混沌とした世界でした。


▼ゴドフリー・レジオ「コヤニスカッツィ」(1982年)

 「叔父さん。」とコペル君は話しかけました。
 「いったい、ここから見えるところだけで、どのくらいの人間がいるのかしら。」
 「さあ」といったまま、叔父さんにも、すぐには返事ができませんでした。
 「まあ、いってみれば何十万人、いや、ひょっとすると、百万を越すくらいな人間が、海の潮のように、満ちたり、ひいたりしているわけさ。」
 叔父さんもコペル君もしばらく黙って、眼の下の東京市を見つめました。この下には、疑いもなく何十万、何百万の人間が、思い思いの考えで、思い思いのことをして生きているのでした。コペル君は、何か大きな渦のなかに、ただ漂っているような気分でした。
 「ねえ、叔父さん。」
 「なんだい。」
 「人間って…」と言いかけて、コペル君はちょっと赤くなりました。でも、思いきって言いました。
 「人間って、まあ、水の分子みたいなものだねぇ」
 「そう、世の中を海や河にたとえれば、一人一人の人間は、たしかに、その分子だろうね」。
 ふと、コペル君は、自動車の流れの中に、一台の自転車の走っているのを見つけました。「危ない!」と屋上のコペル君は心のなかで叫びました、今にも自転車がはねとばされるかと思ったのです。しかし、眼の下の少年は、すばやく身をかわして、その自動車をやりすごしました。どこの小僧さんで、何の用事で走ってゆくのか、無論、コペル君にはわかりませんでした。その見ず知らずの少年を、自分がこうして遠くから眺めている。そして、眺められている当人の少年は、すこしもそれに気づかない、そのことは、コペル君には、なんだか奇妙な感じでした。
 「叔父さん、僕たちがあすこを通っていたときにさ、誰かが、この屋上から見てたかもしれないねえ。」
 「いや、今だって、ひょっとすると、どこかの窓から、僕たちを眺めている人があるかもしれないよ。」
 叔父さんにそういわれてみると、窓がみんなコペル君のほうに向かっているように思われます。中に人がいて、こちらを見ているかどうかはわかりませんでした。しかし、コペル君は、どこか自分の知らないところで、じっと自分をみている眼があるような気がしてなりませんでした。コペル君は妙な気持ちでした。見ている自分、見られている自分、それに気づいている自分、自分で自分を遠く眺めている自分、いろいろな自分がコペル君の心の中で重なり合って、コペル君は、ふうっと、めまいに似たものを感じました。コペル君の胸のなかで、波のようなものが揺れてきました。いや、コペル君自身が、何かに揺られているような気持ちでした。コペル君は、だいぶ長い間、黙りこんでいました。
 「どうしたのさ。」
 叔父さんがしばらくして、声をかけました。コペル君は夢からさめた人のような顔をしました。
 「さっき何を考えていたの。」と叔父さんがたずねました。
 「………」
 コペル君はなんとこたえていいかわかりませんでした。で、黙ってました。 しばらくして、コペル君が言いました
 「僕、とてもへんな気がしたんだよ。」
 「なぜ?」
 「だって、叔父さんが人間の上げ潮とか、人間の引き潮とかいうんだもの。」
 「………」
 叔父さんが、わからないというような顔をしました。すると、コペル君は、急にはっきりした声で言いました。
 「人間て、叔父さん、ほんとに分子だね。僕、今日、ほんとうにそう思っちゃった。」
 「そうか」と叔父さんは、しばらく考えていましたが、やがてしんみりと言いました。
 「そのことはようく覚えておきたませ。たいへん大事なことなんだよ。」

 ものの見方について

 今日、君が「人間て、ほんとに分子みたいなものだね」と言った時、ずいぶん本気だった。君の顔は、僕にはほんとうに美しく見えた。ほんとうに君が感じたとおり、一人一人の人間はみんな、広いこの世の中の一分子なのだ。みんなが集まって世の中をつくっているのだし、みんな、世の中の波に動かされて生きているのだ。君が広い世の中の一分子として自分を見たということは、決して小さな発見ではない。


▼コペルニクス「ビコーズ」

 君はコペルニクスの地動説を知ってるね。コペルニクスがそれを唱えるまで、昔の人は、みんな、太陽や星が地球のまわりをまわっていると、目で見たままに信じていた。これはキリスト教の教えで、地球が宇宙の中心だと信じていたせいもある。しかし、もう一歩、突きいって考えると、人間というものが、いつでも自分を中心として、ものを見たり考えたりするという性質をもっているためなんだ。ところがコペルニクスは、思い切って、地球のほうが太陽のまわりをまわっていると考えてみた。そう考えてみると、今まで説明のつかなかった、いろいろのことが、きれいな法則で説明されるようになった。しかし、君も知っているように、この説が唱え始められた当時は、たいへんな騒ぎだった。教会で教えていることをひっくりかえす、この学説は危険思想と考えられて、その書物が焼かれたり、さんざんな迫害を受けた。一般にこの学説が信奉されるまでには、何百年という年月がかかったんだ。人間が自分を中心としてものを見たり、考えたりしたがる性質というものは、これほどまでに根深く、頑固なものなのだ。コペルニクスのように、自分たちの地球が広い宇宙の中の天体の一つとして、その中を動いていると考えるか、それとも、自分たちの地球が宇宙の中心にどっかり坐りこんでいると考えるかは、世の中とか、人生とかを考えるときにも、やっぱりついていまわることなのだ。子供のうちは、どんな人でも、地動説ではなく、天動説のような考え方をしている。それが大人になると、多かれ少なかれ、地動説のような考え方になってくる。広い世間というものを先にして、その上で、いろいろなものごとや、人を理解してゆくんだ。しかし、大人になるとこういう考え方をするというのは、実は、ごくだいたいのことに過ぎないんだ。人間がとかく自分を中心として、ものごとを考えたり、判断するという性質は、大人の間にもまだまだ根深く残っている。いや、君が大人になるとわかるけど、こういう自分中心の考え方を抜けきっている人というのは、広い世の中にも、実にまれなのだ。ことに、損得に関わることになると、自分を離れて正しく判断してゆくということは、非常にむずかしいことで、こういうことについてすら、コペルニクス風の考え方のできる人は、非常に偉い人といっていい。たいがいの人が、手前勝手な考え方におちいって、ものの真相がわからなくなり、自分に都合のよりことだけを見てゆこうとするものなんだ。しかし、自分ばかりを中心にして、物事を判断してゆくと、世の中の本当のことも、ついに知ることができないでしまう。大きな真理は、そういう人の眼には、けっしてうつらないのだ。それと同じことが、世の中のことについてもあるのだ。だから、今日、君がしみじみと、自分を広い広い世の中の一分子だと感じたということは、ほんとうに大きなことだと、僕は思う。それは天動説から地動説に変わったようなものなのだから。」(吉野源三郎「君たちはどう生きるか 第一章「へんな経験」より)

---------------------

 「ヨーロッパではムッソリーニやヒットラーが政権をとって、ファシズムが諸国民の脅威となり、第二次世界大戦の危険は暗雲のように全世界を覆っていました。『日本少国民文庫』の刊行は、もちろん、このような時勢を考えて計画されたものでした。当時、軍国主義の勃興とともに、すでに言論や出版の自由は著しく制限され、労働運動や社会主義の運動は、凶暴といっていいほどの激しい弾圧を受けていました。そのなかで先生(山本有三)は、少年少女に訴える余地はまだ残っているし、せめてこの人々だけは、時勢の悪い影響から守りたいと思いたたれました。先生の考えでは、今日の少年少女こそ、次の時代を背負うべき大切な人たちである。この人々にこそ、まだ希望はある。だから、この人々には、偏狭な国粋主義や反動的な思想を越えた、自由で豊かな文化のあることを、なんとかして伝えておかなければならないし、人類の進歩についての信念をいまのうちに養っておかねばならない、というものでした。荒れ狂うファシズムのもとで、先生はヒューマニズムの精神をまもらねばならないと考え、その希望を次の時代にかけたのでした。」(吉野源三郎「作品について」)

 「この作品(ケストナー「飛ぶ教室」)には、吉野源三郎「君たちはどう生きるか」と同じようなものを感じました。時代が破局に向かっていくのを予感しつつ、それでも「少年たちよ」という感じで書かれたものだと思います。読み直してみると、いい話を書こうというだけではなくて、切羽詰ったものがその裏に潜んでいるような気がしました。」(宮崎駿「本へのとびら」)

-----------------
 いま、このくにでは「偏狭な国粋主義や反動的な思想」をふりまわす野蛮な政府が政権に居座り、誰も気づかないうちに、表現の自由を規制する悪法や、ふたたび戦争のできる国にする悪法をつくろうとしています。また、巷ではレイシスト(人種差別主義者)たちのゆるしがたい蛮行が横行しています。そういう時勢の悪い影響を考え、今期の「文化人類学解放講座」では、次の時代を背負うべき若い受講者たちにむけて、文化人類学の基本の基本である「自民族中心主義」から「文化相対主義」への転換と、人種差別をゆるさないヒューマニティの精神を学ぶこととします。もし希望があれば、他大学でも臨時に講義をおこないます。

[関連]
▼イルコモンズ「社会学特殊講義E」
http://illcomm.exblog.jp/19705259/
[PR]
by illcommonz | 2013-09-24 22:21
▼イルコモンズ「社会学特殊講義E」
d0017381_3133038.jpg
▼イルコモンズ「社会学特殊講義E」
[時間] 2013年9月24日(火)14:50~(※毎週火曜)
[場所] 専修大学生田キャンパス7号館1階711教室

[第一講] 社会学を/から学ぶこと:コペル社会学「人間分子の関係、網目の法則」

 「めずらしい出来事がおこりました。叔父さんのところへ、コペル君から長い手紙が届いたのです。それは次のような手紙でした。

 叔父さん こんど叔父さんに会ったとき、話そうと思っていたことですが、手紙に書いたほうがいいと考えたので、この手紙を書きます。僕はひとつの発見をしました。でも僕が、ある発見をしたなんていうと、みんなはひやかすにきまっています。だから、僕は、これを叔父さんにだけお話しすることにします。お母さんにもとうぶんのうち言わないでください。 僕は今度の発見に「人間分子の関係、網目の法則」という名をつけました。その発見をどう説明したらいいか、僕にはまだうまくいえないんですけど、考えていった順番をお話しすれば、叔父さんは、分かってくれるだろうと思います。

 月曜日の晩に、僕は夜中に目が覚めました。なにか夢を見て目が覚めたほうですけれど、なんの夢だったか忘れました。目が覚めたら、どうしたんだか、粉ミルクのかんのことを考えていました。僕は、寝床の中で、オーストラリアの牛から、僕の口に粉ミルクがはいるまでのことを、順々に思ってみました。そうしたら、まるできりがないんで、あきれてしまいました。とてもたくさんの人間が出てくるんです。ためしに書いてみます。

(一)粉ミルクが日本にくるまで
 牛、牛の世話をする人、乳をしぼる人、それをに運ぶ人、工場で粉ミルクにする人、かんにつめる人、かんを荷造りする人、それをトラックかなんかで鉄道にはこぶ人、汽車に積みこむ人、汽車を動かす人、汽車から港へ運ぶ人、汽船に積みこむ人、汽船を動かす人。

(一)粉ミルクが日本に来てから
 汽船から荷をおろす人、それを倉庫にはこぶ人、倉庫の番人、売りさばきの商人、広告をする人、小売の薬屋、薬屋までかんを運ぶ人、薬屋の主人、小僧、この小僧がうちの台所まで持ってきます(このあとは、あしたの晩、また書きます)。

 僕は、粉ミルクが、オーストラリアから、赤ん坊の僕のところまで、とてもとても長いリレーをやってきたのだと思いました。工場や汽車や汽船を作った人までいれると、何千人だか、何万人だか知れない、たくさんの人が、僕につながっているんだと思いました。でも、そのうち僕の知っているのは、前のうちのそばにあった薬屋の主人だけで、あとはみんな僕の知らない人です。向こうだって僕のことなんか、知らないに決まっています。僕は、実にへんだと思いました。それから僕は、床の中で、暗くしてある電灯や、時計や、机や、畳や、そのほか、部屋の中にあるものを、次から次と考えてみました。そうしたら、とても数え切れないほどの大勢の人間が後ろにぞろぞろとつながっているのです。でも、みんな、見ず知らずの人ばかりで、どんな顔をしているんだか、見当はつきません。僕はこれはひとつの発見だと思います。僕は学校に行く途中や、学校にいってからも、なんでも手当たり次第、眼にいるものをとって考えてみましたけれど、どれもこれも同じでした。そして、数え切れないほど大勢の人とつながっているのは、僕だけじゃあないということを知りました。だから、僕の考えでは、人間分子は、みんな、見たことも会ったこともない大勢の人と、知らないうちに、網のようにつながっているのだと思います。それで、僕は、これを「人間分子の関係、網目の法則」ということにしました。僕はいま、この発見をいろいろなものに応用して、まちがっていないことを実地にためしています。まだ書きたいのですが、お母さんが、もうお寝なさいと言います。だから、報告はこれでやめにします。叔父さんは、僕がこの発見を打ち明けた最初の人です。

 人間のむすびつきについて

 コペル君 君の発見を、世界中の誰よりも先に、僕に打ち明けてくれて、どうもありがとう。僕はあの手紙を読んで、お世辞ではなく、本当に感心した。僕なんか、君ぐらいの年には、あんなことは思っても見なかった。君が発見したようなことを、はっきり考えられるようになったのは、高等学校に入ってからで、それも本を読んで教えられたからだった。君は「人間分子の関係、網目の法則」という名前より、もっといい名前があったらいってくれ、と手紙に書いたね。僕はいい名前をひとつ知っている。それは僕が考え出したのではなくて、いま、経済学や社会学で使っている名前なんだ。実は、君が気がついた「人間分子の関係」というのは、学者たちが「生産関係」と呼んでいるものなんだよ。(略)
 君が大きくなると、一通りは勉強しなければならない学問に、経済学と社会学がある。こういう学問は、人間がこんな関係を作って生きているということから出発して、いろいろ研究してゆく学問だ。例えば、時代と共に、この関係がどんなに変わってきたかとか、この関係の上に、どんな風俗や習慣が生まれてきたかとか、また、現在それがどんな法則で動いているか、などということを研究している。だから、君が発見したことというのは、こういう学問の上では、出発点になっていることで、実はもうとっくにわかっていることなんだ。こういうと、君は,さぞがっかりすることだろうね。せっかくの発見が、とっくに人に知られていたというんでは、つまんないあと思うかもしれないね。しかし、決してがっかりしてはいけない。人間はどんな人だって、一人の人間として経験することには限りがある。しかし人間は言葉というものを持っている、だから自分の経験を人に伝えることもできるし、人の経験をきいて知ることもできる。こうしてできるだけ広い経験を、それぞれの方面から、矛盾のないようにまとめていったのが学問というものなんだ。だから、いろいろな学問は、人類の今までの経験をひとまとめにしたものといっていい。だから僕たちは、できる限り学問を修めて、今までの人類の経験から教わらなければならないんだ。人類が進歩してきて、まだ解くことができないでいる問題のために、骨を折らなくてはうそだ。君が夜中に眼を覚まし、自分の疑問をどこまでも負っていった、あの精神を失ってしまってはいけないのだよ。それから最後にもうひとつ。

 君が生きてゆくうえに必要な、いろいろなものをさぐってみると、みんな、そのために数知れないほどたくさんの人が働いていたことが分かる。それでいながら、その人たちは君からみると、全く見ず知らずの人たちばかりだ。このことを君はへんだなあと感じたね。広い世間のことだから、誰も彼も知り合いになるなどということは、もちろん、できるることじゃあない。しかし、君の食べるもの、君の着るもの、君の住む家、すべて君にとってなくてならないものを作り出すために、実際に骨を折ってくれた人々と、そのおかげで生きている者とが、どこまでも赤の他人だとしたら、確かに君の感じたとおり、へんなことにちがいない。へんなことに違いないが、今の世の中では、残念ながらそれが事実なんだ。人間は、人間同志、地球を包んでしまうような網目をつくりあげたとはいえ、そのつながりは、まだまだ本当に人間らしい関係になっているとはいえない。だから、これほど人類が進歩しながら、人間同志の争いが、いまだに絶えないんだ。国と国との間でも、利害が衝突すれば、戦争をしても争うことになる。君が発見した「人間分子の関係」は、人間らしい人間関係になっていない。だが、人間は、いうまでもなく、人間らしくなくっちゃあいけない。人間が人間らしくない関係のなかにいるなんて、残念なことなんだ。たとえ、赤の他人のあいだにだって、ちゃんと人間らしい関係を打ち立ててゆくのが本当だ。これは、人類が今まで進歩して来て、まだ解決出来ないでいる問題の一つなんだ。
 では、本当に人間らしい関係とはどういう関係だろう。
君のお母さんは、君のために何かしても、その報酬を欲しがりはしないね。君のためにつくしているということが、そのままお母さんの喜びだ。君にしても、仲のいい友だちに何かをしてあげられれば、それだけで、もう十分うれしいじゃないか。人間が人間同志、お互いに、好意をつくし、それを喜びとしているほど美しいことは、ほかにありはしない。そして、それが本当に人間らしい人間関係だと、コペル君はそう思わないかしら。」(吉野源三郎「君たちはどう生きるのか」より抜粋)

d0017381_3125156.jpg
http://www.flickr.com/photos/102874319@N03/with/9890262655/より

 「今日の少年少女こそ、次の時代を背負うべき大切な人たちである。この人々にこそ、まだ希望はある。だから、この人々には、偏狭な国際主義や反動的な思想を越えた、自由で豊かな文化のあることを、なんとかしてつたえておかなければならないし、人類の進歩についての信念をいまのうちに養っておかねばならない」(山本有三)
[PR]
by illcommonz | 2013-09-24 03:21