Top

いる・こもんず 【普通名詞】 01| ありふれて変なもの 02| 扱いにこまる共有物 03| 分けても減らぬもの 04| 存在とは常に複数で他と共にあり、狂えば狂うほど調子がよくなる
はじめに、ふた、ありき

イルコモンズ編
見よ ぼくら
四人称複数
イルコモンズの旗
(Amazon.comで
大絶版廃刊中)
以前の記事
2017年 03月
2017年 02月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
2006年 01月
2005年 12月
2005年 11月
2005年 10月
2005年 09月
2005年 08月
2005年 07月
2005年 06月
2005年 05月
2005年 04月
2005年 03月
2005年 02月
記事ランキング
<   2014年 02月 ( 26 )   > この月の画像一覧
▼けしゴムのひと
d0017381_10381831.jpg▼「けしゴム」

自分が書きちがえたのでもないが いそいそと けす
自分が書いたウソでもないが いそいそと けす
自分がよごしたよごれでもないが いそいそと けす
そして けすたびに けっきょく自分が
ちびていって きえて なくなってしまう 
いそいそと いそいそと
正しいと思ったことだけを ほんとうと思ったことだけを
美しいと思ったことだけを 自分のかわりのように 
のこしておいて

................................

▼「朝がくると」

朝がくると とび起きて
ぼくが作ったものでもない 水道で 顔をあらうと
ぼくが作ったものでもない
洋服を きて
ぼくが作ったものでもない
ごはんを むしゃむしゃたべる

それから ぼくが作ったものでもない
本やノートを
ぼくが作ったものでもない
ランドセルに つめて
せなかに しょって

さて ぼくが作ったものでもない
靴を はくと
たったか たったか でかけていく
ぼくが作ったものでもない
道路を
ぼくが作ったものでもない
学校へと
ああ なんのために

いまに おとなになったら
ぼくだって ぼくだって
なにかを 作ることが
できるように なるために

------------------

「詩人まどみちおさん死去 104歳、「ぞうさん」など」
 童謡「ぞうさん」や「やぎさん ゆうびん」などで知られ、やさしく深い言葉で命の貴さをうたいあげた詩人のまど・みちお(本名石田道雄〈いしだ・みちお〉)さんが28日午前9時9分、老衰で亡くなった。104歳だった。葬儀は未定。喪主は長男石田京(たかし)さん。1909年、山口県周南市生まれ。19年から日本統治下の台湾で暮らし、29年に台北工業学校を卒業して台湾総督府に勤めた。34年、雑誌「コドモノクニ」に投稿した詩が北原白秋の選で特選に入り、以後、詩や童謡の創作に打ちこむ。43年には応召。46年復員。49年から雑誌「チャイルドブック」の編集に携わり、59年から創作に専念。68年、詩集「てんぷらぴりぴり」で野間児童文芸賞。76年、「植物のうた」で日本児童文学者協会賞、81年、巌谷小波文芸賞。「一ねんせいになったら」「ふしぎなポケット」などユーモアあふれる童謡詩は歌い継がれ、子どもたちに愛されてきた。ぼくも、ゾウも、マメも、かけがいのない存在としてここにいる、とうたった「ぼくが ここに」や「ぞうさん」などの作品を通して、「自分が自分であることのすばらしさ」を伝え続けた。」(朝日新聞 2014年2月28日)

 いまは、けしゴムのかわりに、DELETEキーをつかい、いまは、いまも、いまでもまだやっぱり、それになろうとして、あさがくると、かんがえる、いそいそとかんがえる。さて、きょうは、なにをできるかな。
[PR]
by illcommonz | 2014-02-28 10:49
▼「権力の便座」と「ノーコメント」
d0017381_2253691.jpg
Median Line Analysis @JF991 2014年2月23日
「Ridiculous toilet at Yanukovych's palace #euromaidan #Kiev pic.twitter.com/5b4w7zUYNi」

 ツイッターで公開されたヤヌコビッチ邸の便座の写真。きれいに清掃されていても、腐敗した権力のにおいがしみついているようだ。

エスプレッソTV「ヤヌコビッチ邸訪問ツアー」より

d0017381_226167.jpg
d0017381_226214.jpg

「ウクライナ、野党が首都中枢掌握 政権崩壊状態」
 「反政権デモを続けていたウクライナの野党勢力は22日、首都キエフの大統領府や最高会議(議会)の庁舎など政権中枢を掌握した。ヤヌコビッチ大統領は東部ハリコフに移動。議会は大統領の解任を決議した。政権は崩壊状態に陥り、ウクライナ情勢は重大な局面を迎えた。ヤヌコビッチ氏は22日、ハリコフで地元テレビに出演し、野党側の権力奪取の試みは「クーデター」だと非難。「私は辞めない」と述べ、辞任を否定した。東部はヤヌコビッチ氏の支持基盤でロシア系住民が多い。議会は大統領選を5月25日に繰り上げ実施することも決定。解任決議は大統領の職務不履行を理由とした。」(東京新聞 2014年2月23日)

「ウクライナ 大統領を指名手配」
 「政権が崩壊した状態となっているウクライナでは、野党が主導権を握る議会で任命された内相代行が、ヤヌコービッチ大統領を大勢の市民を殺害した容疑で指名手配するとともに、25日までに暫定政権を樹立するとして議会を中心に協議を続けています。政権に抗議するデモ隊と警察との衝突で多数の犠牲者が出たウクライナでは、野党勢力が首都キエフを掌握する一方で、ヤヌコービッチ大統領はキエフを離れ、大統領を支えてきた与党も離反して、政権が崩壊した状態となっています。こうしたなか、野党が主導権を握る議会で任命されたアバコフ内相代行は24日、大勢の市民を殺害した容疑でヤヌコービッチ大統領を指名手配したことを明らかにしました。ヤヌコービッチ大統領は22日以降、公の場に姿を見せないなかで、野党側は、25日までに暫定政権を樹立するとして議会を中心に協議を続け、政権の移行を進めています。また、議会で任命されたトゥルチノフ大統領代行は23日、「親ヨーロッパ路線への回帰がわれわれの最優先事項だ」とする声明を発表し、ロシアとの関係は維持しつつもEU=ヨーロッパ連合との関係を強化していく考えを強調しました。その一方で、国の財政状態が破綻寸前であることを認め、「国が崖から転げ落ちるのを食い止めることが、新しい政府の課題だ」と述べて、EUなどの支援を受けながら経済の立て直しを優先していく方針を示しました。」(NHKニュース 2014年2月24日)

[関連]
d0017381_2264970.jpg
d0017381_227734.jpg
エスプレッソTV「追悼集会」より

「ウクライナから「革命」をネット中継する」
 「ネット放送局「エスプレッソTV」が立ち上がったのは昨年11月。親ロシアのヤヌコビッチ現政権が欧州連合(EU)との自由貿易協定締結を拒否したことに端を発した親EU派の反政府デモ「ユーロマイダン」を中継する、独立系メディア。エスプレッソTVの現場生中継は、映像の編集・送出にはマック用の放送システム「ツールズオンエア」を使い、ユーチューブのライブストリーミング機能「ユーチューブ・ライブ」を通じて放映されているという。エスプレッソTVの生中継は、ワシントン・ポストやニューヨーク・タイムズ、ガーディアンなどの欧米メディアがこぞって取り上げ、この衝突を象徴するネットメディアとなった。地元英語紙「キエフポスト」によると、1月にはエスプレッソTVのジャーナリストが一時、治安部隊に身柄拘束されるなど、抗議行動の最前線からの放送を続けてきた」(ハフィントンポスト 2014年2月22日)

d0017381_2273038.jpg
 「エスプレッソTV」のユニークなところは、あらゆる配信映像を対して、一貫して「ノーコメント」という報道姿勢をとっているところで、これはインディペンデント・メディアならではの、もうひとつの「不偏不党、中立公正」のジャーナリズム精神だと思う。ゴダールも、映画「ソシアリズム」のなかで、そういう使い方をしていたが、通常は「コメントをさしひかえる」という意味で使われる「ノーコメント」という言葉の意味とニュアンスは映像によって変わる。たとえば「呆れてものがいえない」という意味にとれるときもあれば、「怒りで言葉にならない」や「悲しみで言葉につまる」というときもあり、また「なにもいう気がしない」「コメントする価値もない」というときもあり、「ノーコメント」いうありふれたことばに鋭い批評性が宿る瞬間があっておもしろい。このところの安倍とそのまわりにいる連中の一連の失言、呆言、暴言はどれも無視できないものばかりだが、しかしあまりにお粗末すぎるので、今後しばらくは、「ノーコメント」(あきれてなにもいう気がしない)ですませようと思う。

「籾井氏「失言したのでしょうか」 NHK経営委で発言」
 「就任会見での政治的中立性を疑われる発言が問題になっている籾井勝人・NHK会長は、今月12日に開かれたNHK経営委員会で、「私は大変な失言をしたのでしょうか」と述べ、発言自体には問題がないとの認識を示していた。25日以降に公開予定の経営委員会の議事録案の概要から、明らかになった。籾井氏は、美馬のゆり委員に発言問題の収拾策を問われて、「私的意見を会見で述べたことは大変申し訳ない」と陳謝しつつ、「私の発言の真意とはほど遠い報道がなされている。会見録を通読して欲しい」と強調。美馬氏が既読だと応じると、「それでもなおかつ私は大変な失言をしたのでしょうか」と述べた。それに対し、美馬氏が「発言がどうだったかではなく、今後組織としてどう対応していくのかを聞いている」と再質問。籾井氏は「放送で信頼を回復していくことが長い目で見た方向。営業の収入減は、営業でカバーするのが一番の方法。対策をどうするかは、正直よくわかりません」と発言した。」(朝日新聞 2014年2月23日)

 ノーコメント、以上。

「NHK全理事が辞任届提出認める 「事実」と籾井会長」
 「NHKの籾井勝人会長が就任初日に理事に辞任届を預けるよう求めていた問題で、NHKの塚田祐之専務理事ら10人の理事全員が25日の衆院総務委員会で、辞任届を提出していたことを認めた。民主党の福田昭夫氏の質問に対する答弁で、各理事は「日付は空欄のまま署名、押印して提出した」などと述べた。籾井会長は「各理事は事実をそのまま述べたと思う。それはそれで結構だ」と述べ、理事に辞任届を書かせていたことを認めた一方で、「人事のことなので、これ以上のコメントは控えたい」と答弁した。一方、今月12日に就任した堂元光副会長は「現時点では出していない」と答えた。」(共同通信 2014年2月25日)

 ノーコメント、同上。
[PR]
by illcommonz | 2014-02-24 22:08
▼映画「オキュパイ・ラブ」と「ブラザー・サン シスター・ムーン」ほか3篇

▼映画「ブラザー・サン シスター・ムーン」主題歌(詞・曲:ドノヴァン)

 「陽の光よ、月の光よ、自分の悩みだけに心をオキュパイされた、私の目をひらいてください、わたしの栄光が目にみえるように。わたしの心にも、なにものかが宿り、その愛がいま、この胸によみがえる。


▼映画「THX1138」(ジョージ・ルーカス監督
 「時は25世紀。人類はコンピュータが支配する地下に広がる世界で、精神抑制剤を投与されながら機械的管理の下、登録番号で呼ばれながらさまざまな作業に従事していた。しかし主人公のTHX1138と女性のルーム・メイト、LUH3417は抑制剤の投与をしない日々を続けてしまい、次第に“人を愛する感情”が目覚め、この世界では禁止されている肉体関係を交わしてしまう。尚かつ薬の未投与のおかげで毎日の作業にも支障をきたしはじめ、その事を知ったコンピュータはTHXを投獄し、裁判にかけようとするのだが……」


▼映画「愛の世紀」(ジャン=リュック・ゴダール監督)

 「国家の理想とは、ひとつになること。しかし、個人の夢は、ふたりでいること。」

 ゴダールがこの映画の前に撮った映画「新ドイツ零年」の日本語字幕では、「国家の夢は一人のもの、個人の夢は二人のもの」と短く縮めて訳されてましたが、もともとは同じ言葉です。この言葉の意味はいろんなふうに解釈することができますが、ひとつにはまず、国家というものはつねに一つになることを願うが、それに反して個人は二人でいたいと願う、というのがそれです。同じくこれは、国家は人を一人きりにしておこうとするが、それに反して個人は二人でいようとする、というふうにもとれます。いずれにせよ、国家の野望と個人の願望はつねに相反するものであって、「一であること」を求める国家に抗して個人は「二であること」を願うというわけです。かたや『愛の世紀』では、ゾフィーのこの言葉のかわりに、バタイユのこの言葉が二度引用されていました。

 「国家、国家というが、国家ほど
 愛されるものとかけはなれたものはない。
 国家と愛の崇高さは、対極にある」

 ここでは「国家」と「愛」とが対極の関係にあるということが云われていますが、これとさきほどの言葉をあわせ読むと、そこでは「二であること」と「愛」とがむすびつき、この「二であることの愛」は、一なる国家への「抵抗」として存在することになります。そこで、もしこういってよければ、ゴダールが『愛の世紀』の「第二部」で描こうとした「愛」というのは、いわば「国家に抗する愛」であり、国家が求める「一」に対して「二」であろうとする「抵抗の愛」ではなかったのかと思うのです。そして、かつては「国家」というものが「一であること」を求めてきましたが、いまではその国家を超えたものが「グローバリゼーション」という名のもとに地球を「愛なき一の世界」にしようとしています。そんな「愛なき世紀」のはじまりの年にゴダールは、まるでそれに抵抗するかのように「二であること」とその「愛」を描きはじめたわけです。
イルコモンズ「<一>なる国家と歴史の孤独に抗する<二>であることの愛とそのはじまり」
http://www.godard.jp/ourmusic/ourmusicbakuretsutalkshow8.htm
 ↑
「アクセスしようとしたページは見つかりませんでした。」

[参考]
▼【警告】 夜遅くなるとイルコモンズがやってきて、愛をかたる
http://illcomm.exblog.jp/3282388/

----------------------------------
[関連]

▼マイケル・ムーア監督「ある愛のものがたり、キャピタリズム」

 どうしてぼくらは、こんなに資本主義を愛してしまうのだろう。
[PR]
by illcommonz | 2014-02-22 13:34
▼映画「オキュパイ・ラブ」とエーリッヒ・フロム
d0017381_20484752.jpg
「愛は行動すること」(ヴェルクロウ・リッパー「オキュパイラブ」2012年)

「愛は活動すること」(エーリッヒ・フロム「愛するということ」1956年)

A:愛と行動
 「愛は活動である。もし私が何かを愛しているとするなら、それは彼や彼女に限らず、愛するものたちに対して、絶えることのない積極的な関心を持ち続けている状態にあるということである。なぜなら、もし私が、つねに目覚めていて、注意を怠らず、活動している状態でなく、怠惰であれば、私は自分自身を、愛するものに積極的に関係させることができないからである。目覚めている状態とは、倦怠が占める場所がないということである。今日の多くの人たちが置かれている矛盾した状態とは、起きながら眠っていることである。はっきりと完全に目覚めていることは、倦み疲れさせられず、倦み疲れないための条件で、それが愛することの条件のひとつでもある。世界に対して絶えず自分の目と耳を動かしていること、考えることと、感じることに積極的であるということは、愛の実践に不可欠な条件である。」(エーリッヒ・フロム「愛の理論」ほかより抜粋)


▼「スペインの革命」

 「愛するということは、なんの保証もないのに、行動を起こすことであり、こちらが愛せば、きっと相手の心にも愛が生まれるという希望に、全面的に自分をゆだねることである。したがって、愛とは信念の行為であり、わずかな信念しか持っていない人は、わずかしか愛することができない。この愛の習得に不可欠な姿勢は能動性であり、愛とは能動である。能動性とは、自分の力を生産的に用いることで、愛とは、人が世界全体に対して、どう関わるかを決める態度と、その意志の向けかたのことである。」(同上)


▼「オキュパイムーヴメント あなたの顔をみせて」

 「愛の基本となる要素「尊敬であり、尊敬とは人間のありままの姿をみて、その人が唯一無二の存在であることを知る能力のことである。」(同上)

 「愛は何よりも与えることであり、受け取ることではない。たくさん持っている人が豊かなのではなく、たくさん与える人が豊かなのだ。自分が独立していなければ、人を尊敬することはできない。自由であってはじめて人を尊敬できる。愛は自由の子であり、けっして支配の子ではない。」(同上)

---------------------

B:愛と資本主義

d0017381_20501537.jpg
▼「岡崎京子サンプリング/愛と資本主義のフォークロア
 「近代の資本主義が必要としている人間は、なんの抵抗も感じず、大勢の人間と一丸となって、働く人間である。また、より多く消費したいと思う人であり、趣味が画一化され、すぐに影響され、予想どおりに動く人たちが好ましい人間とされるのである。彼らは、権威や主義や良心にしたがっているのではなく、そうしたものから自由であり独立していると思いこんでいるが、実のところ、よろこんで命令され、期待されていることをおこない、なんの抵抗もなしに、社会の機構に順応している、そういう人間を資本主義は必要としている。その結果はどういうことになるだろう。近代の人間は彼自身から、そのなかまから、そして自然から疎外されることになる。彼は自らすすんで商品化され、自分の生命を、現在のマーケットのなかで利益をもたらす投資対象として体験している。そこでの人間どうし関係は、疎外された自動機械どうしの関係となり、そこでは、思想も行為も感覚もほかの人たちとちがわないことが、その関係の基礎となる。

d0017381_20532099.png
▼「孤独からの逃避ためのテクノロジー」

 誰もかれも、できるだけ他の人間と親密になろうと試みるが、すべての人間は孤独なままにとどまり、人間が分離されているときに生まれる不確実さ、不安、罪悪感に満たされている。現代文明は、人びとがこの孤独に気づいたり覚醒させないために、多くの緩衝装置を備えている。今日の人間の幸福は、「手のなかに楽しみがある」ということである。たのしみとは消費の満足であり、商品や見世物や食べ物や飲み物やタバコや人間や講義や本や映画などが手に入ることである。すべてのものは消費され、のみこまれてしまう。われわれの性格も、交換と需要のために、物々交換と消費のために蓄財されている。物質的なものはもちろん、精神的な対象もすべて交換と消費の対象となる。近代の人間は、自分自身を商品を変えたのである。彼は自分の生命を、パーソナリティの市場における自分の位置とか状況を考慮して、最高の利益を生むような投資対象とし経験する。彼の目的は、そのパーソナリティを、他の人と有利に交換することである。当然、愛に関しても状況は同じである。自動人形はけっして愛することをしない。彼らは、人間商品である自らの「人格のパッケージ」を互いに交換し、できるだけ公正な契約を交わすだけである。こうした疎外された構造を持った愛である結婚の、もっとも重要な表現のひとつは「チーム」という考え方で、そこで強調されているのは、耐え難い孤独からの避難所をつくるということにすぎない。愛とはいうが、単に人は孤独からの非難所をそこに見出しているにすぎない。世界に対して二人の同盟をつくるということだが、そこでは二人の人間のエゴイズムが、愛や親密さと勘違いされている。「チームワーク」としての愛、そして、孤独からの避難所としての愛は、近代西欧社会における愛の崩壊、社会的に形成された愛の病理のかたちである。」(エーリッヒ・フロム「愛と現代西欧社会におけるその崩壊」ほかより抜粋)

 資本主義は愛を占拠する。「オキュパイ・ラブ」という映画が資本主義とのたたかいを描くのは、そのためである。

---------------


▼映画「エーリッヒ・フロム」予告編 (2012年)

C:愛の能力と社会改革
 「西洋文明の社会構造とそこから生まれた精神は、愛の発達を促すものではない。現代の社会が必要としている人間は、多数で円滑に協力しあう人間、飽くことなく消費したがる人間、好みが標準化されていて外からの影響を受けやすく、その行動を予測しやすい人間である。また、自分は自由で独立していると信じ、いかなる権威・主義・良心にも服従せず、それでいて命令には進んでしたがい、期待にそうように行動し、摩擦を起こすことなく、社会という機械に自分をはめこむような人間、命令に黙々と従って働く人間である。その結果、現代人は、自分自身からも、仲間からも、自然からも疎外されている。誰もが孤独で、孤独を克服できないときに、かならずやってくる不安定感・不安感・罪悪感におびえている。それに対し、自分ひとりでいられるということ、これは愛する能力の条件である。もし私が自分自身の力で立っていることができないからという理由で、他の人に愛情を持つというのであれば、彼あるいは彼女は、人命救助者ではあっても、そのふたりの関係は愛による関係ではない。逆説的ではあるが、ひとりでいられるという能力が、愛する能力を持つことの条件なのである。わたしたちは私たち自身を信頼している。わたしたちは、たとえ環境が変わっても、変わることのない自己の存在を信じている。たとえ意見や感情に変化があっても、生涯を通じて持続する私たちのパーソナリティの中核の存在を知っている。自分自身を信頼する人のみが、他の人に対しても誠実でありうる。なぜなら、そのような人だけが、未来においても自分は今と同じであると確信できるのであり、自分自身を信頼するということは約束という能力の条件である。愛に関していえば、自分自身の愛を信頼することは、他者のなかに愛を生じさせる能力への信頼である。他者を信頼するということは、他者が持つ潜在能力に対する信頼である。他者に対する信頼は、人類への信頼にいたる。その信頼は、人間の潜在能力というものは、それぞれに適した条件さえ与えられれば、平等と正義と愛の原則にしたがった社会を築くことができるという考えに基づいている。わたしたちは、自分の潜在能力の成長、自分自身の成長、そして、わたしたちの理性と愛の力の強さを、どの程度、経験したかによって、他者の潜在能力と人類の潜在能力を信頼することができる。この信念を持つには、勇気、危険をおかす能力、苦痛や期待はずれに耐える覚悟が必要である。生活の安泰と無事だけを主張する人は、こうした信念を持つことはできない。愛されること、愛することには、ある価値を最上のものとして受け入れ、その価値にむかって跳躍し、すべてをその価値にかける勇気が必要なのである。こうした愛は、現代の社会においては限られたものである。その理由は、多くの仕事が愛という態度をゆるさないばかりか、商品に飢えている社会は、愛に同調しない者だけが成功を収めるような社会だからである。したがって、愛に真剣にとりくむ人びとは、愛が個人的な現象でなくなるようにするためには、私たちが住む社会構造に、大きなそして徹底的な変革を起こさなければならないという結論に達するにちがいない。」(エーリッヒ・フロム「愛の実践」ほかより抜粋)

 DIY、アウトノミア、アクティヴィズムは、愛の能力の鍛錬であり、実践である。

----------------------------------
[関連]
いるといら(イルコモンズ&IRA)主催 映画「OCCUPY LOVE」上映会
l[日時] 2014年2月22日 19:00開場/19:30上映開始
[場所] IRREGULAR RHYTHM ASYLUM (新宿区新宿1-30-12-302)
[入場料] 500円+カンパ
[トーク] いるといら
[フード] Loca☆Kitchen
[PR]
by illcommonz | 2014-02-21 21:34
▼いるといら(イルコモンズ&IRA)主催 映画「OCCUPY LOVE」上映会


▼映画「OCCUPY LOVE(オキュパイ・ラブ)」(カナダ 2013年)
[監督] ベルクロウ・リッパー
[出演] チャールズ・アイゼンシュタイン、ビル・マッキベン、
ジェレミー・リフキン、ナオミ・クライン、コリン・ビーヴァン
[公式サイト] http://unitedpeople.jp/occupy/

 「世界の春」が、始まろうとしている。「オキュパイ・ラブ」は、人々に健康、幸せ、そして生き甲斐を提供するはずの現在の資本主義を基板とした古いパラダイムの社会システムが、経済的にも環境的にも崩壊していることを明らかにしていきます。現在人類が直面している危機は、「もうたくさんだ!」と、何百万人もの人々が目覚めるきっかけとなり、すべての生命が共生できる新しい世界を創造しようという行動のきっかけとなりました。エジプトの市民革命、スペインの大衆反乱、そしてニューヨークのオキュパイ・ウォール・ストリート運動など、世界各地で急速に起こりはじめた社会変革を「オキュパイ・ラブ」は、芽生え始めた公共の愛の探求をしながら鮮明に描き出していきます。本作には、ナオミ・クライン、ビル・マッキベン、ジェレミー・リフキン、チャールズ・アイゼンシュタインなど、新しい経済システムの創造、持続可能な暮らしへのシフトを訴える世界的な主要人物たちが登場します。新しいパラダイムを創る時が来ました。すべての命のための世界を!」

 「わたしたちは心の、民主主義の、環境の、そして、経済の深刻な危機の時代に生きています。しかしこの危機は、変革のための大きなチャンスでもあります。強欲や分断にもとづく現在の古いパラダイムは崩れ落ちかけています。人と人がつながり、人と地球がつながりを取り戻す、生命の誕生したころから存在するラブストーリー、新しい物語への変革の時がやって来ました。愛の世界的なムーブメント、ラブストーリーが始まっています。今こそ草の根から立ち上がる時です。地球に根を張り、コミュニティに根ざしながら、真に「愛で心を一杯に(Occupy Love)」して、あちこちの都市で、街で、田舎でつながり、世界中の人々と心と心を通わせていきましょう。今こそ母なる地球の危機に、私たちの友人や隣人そして家族の危機に気づき社会を変革する時です。すべての生命が共生できる新しい世界の創造するために。Love is the movement. あなたも参加しませんか?」(ヴェルクロウ・リッパー 2014年1月17日)

d0017381_2412371.jpg
いるといら(イルコモンズ&IRA)主催 映画「OCCUPY LOVE」上映会
l[日時] 2014年2月22日 19:00開場/19:30上映開始
[場所] IRREGULAR RHYTHM ASYLUM (新宿区新宿1-30-12-302)
[入場料] 500円+カンパ
[トーク] いるといら
[フード] Loca☆Kitchen

 まいくちぇっく!まいくちぇっく!ぼくらの名まえはいるといら、この世でいちばんすきなのは、みんながすきなこと、ときどきわすれるけど、ほんとはみんながいちばんすきなこと。ということで、2011年の冬、ニューヨークの「オキュパイ・ウォール・ストリート運動」に参加した、いるといらが、アクティヴィズムのなかの「複数のラブ・ストーリーズ」についてお話しします。

 「オキュパイ・ウォール・ストリートは、従来の革命のように政権を倒して権力をとろうとするものではない。もしそうならワシントンかホワイトハウスを占拠しようとしただろう、オキュパイ・ウォール・ストリートが、ウォール街を「占拠」したのは、ウォール街の強欲によって米国と世界が「占拠」されてしまっていたからだ。つまり、オキュパイ・ウォール・ストリートの占拠は「占拠されたものをとりもどし」、それをもういちど、みんなで共有するための占拠なのだ。それはウォール街から権力を奪ったり、それにとって代わろうとするものではない。なぜなら権力と支配は、直接民主主義の社会を愛するオキュパイ・ウォール・ストリートがいちばん嫌うものだからだ。では、オキュパイ・ウォール・ストリートは、なにをとりもどそうとしているのだろう。それは…」 (イルコモンズ「見よこれがウォール街占拠ムーヴメントだ」『週刊金曜日』2011年12月2日より抜粋)


▼チャールズ・チャップリン「絶望してはいけない」
(※2011年、OWSのメディアチームがくりかえしネット配信していた動画の日本語字幕版)

 「私は皇帝になどなりたくはない。私にはまったく関係のないことだ。私は支配も征服もしたくはない。できることなら、みんなをたすけたい、ユダヤ人も、ユダヤ人以外も、黒人も、白人も。私たちはみな、助けあいたいのだ。人間とはそういうものだ。私たちはみな、他人の不幸ではなく、おたがいの幸福と寄りそいながら生きたいのだ。私たちは憎みあったり、見下しあったりなどしたくはないのだ。この世界には、すべての人が暮らせるだけの土地があり、大地は豊かで、恵みを与えてくれる。生きるということは、自由で、美しい。しかし私たちは、生きかたを見失ってしまったのだ。欲が人の魂を汚し、憎しみとともに世界は閉塞した、そして不幸と惨劇へ私たちを突き進ませた。いま、私の声は、世界の何百万人もの人びとのもとへ、絶望した男たちへ、女たちへ、子どもたちへ、そして、罪のない人たちを拷問し投獄する組織の犠牲者たちのもとに届いている。私の声が聞こえる人たちに告げよう。「絶望してはいけない」。私たちをおおっている不幸は、強欲であり、人間の進歩を恐れる者の憎悪なのだ。だが、憎しみは消え去り、独裁者たちは死に絶え、人びとから奪いとられた力は、人びとのもとへ返されるだろう。人は決して永遠に生きることはできないが、自由が滅びることはない。兵士たちよ、野獣どもにその身を預けていけない。君たちを見下し、奴隷にし、人生をもてあそぶ者たちは、君たちが何をおこない、何を考え、何を感じるかを指図し、そして君たちを飼いならす。君たちを家畜にし、使い捨ての駒として扱うのだ。そんな自然に背く者たち、機会の精神と機械の心を持った機械人間どもに身をゆだねてはならないのだ。君たちは機械ではない、君たちは家畜ではない、君たちは人間だ。君たちは、心に人類愛を持った人間たちだ。憎んではいけない。愛されない者だけが憎むのだ。憎むのは、愛さず、自然に背く者たちだけだ。兵士よ、奴隷をふやすために闘ってはいけない。自由のためにこそ闘いたまえ。「ルカによる福音書」の第十七章にはこう書かれている。「神の国は人間の中にある」と。それは一人の人間の中にではなく、ひとにぎりの人間の中にでもなく、すべての人びとの中にあるのだ。君たちの中にあるのだ。人には、機械をつくる力、幸福をつくる力がある。人は、人生を自由で美しいものにし、人生を素晴らしい冒険にする力を持っている。だから、民主主義の国の名のもとに、その力を使おう。みんなでひとつになろう。みなに雇用の機会を与え、君たちに未来を与え、老後に安定を与えてくれる、新しい世界のために、常識のある世界のためにこそ闘おう。野獣たちはいろんな約束をして権力を得てきたが、奴らは平気で嘘をつき、約束を決して守らないし、これからも守らないだろう。独裁者は勝手気ままに、人びとを奴隷にする。いまこそ、約束を実現させるために闘おう。世界を自由にするため、国境の壁を失くすため、憎しみと堪えがたい苦しみと貪欲をなくすために闘おう。理性ある世界のために、科学と進歩が全人類を幸福へ導いてくれる世界のために闘おう。兵士たちよ、民主主義の国の名のもとに、みんなでひとつになろう。」(チャールズ・チャップリン「映画「独裁者」のためのスピーチ」1940年)

 愛にもいろいろあるが、まずは、人類愛、隣人愛、そして、「無関心の反対」としての愛。それはたがいに顔をみあわせることからはじまる。


▼オキュパイ・ラブ 「ショウ・ミー・ユア・フェイス」(2011年)

 「愛とはいうが、国家ほど愛されるものとかけはなれたものはない。国家と愛の崇高さは対極にある。国家には世界全体を抱擁する力がないか、失われている。」 (ジョルジュ・バタイユ)
 
 そして、愛国心をおしつけようとする政治家たちは、愛とは云うが、その彼らには、人類愛もなければ、隣人愛もない、あるいは、あらかじめ失われている。そもそも国というものは、愛そうにも、顔がない。あるのは、せいぜい旗だけだ。人は旗を愛すことなどできない。

------------------------------
[関連]
▼映画「オキュパイ・ラブ」とエーリッヒ・フロム
http://illcomm.exblog.jp/20384101/
[PR]
by illcommonz | 2014-02-21 20:57
▼「不磨の大典」


「首相 憲法改正への意欲改めて強調」
 「安倍総理大臣は、衆議院予算委員会の集中審議で、憲法について「時代に合わないものや仕組みもあり、変えてはならない『不磨の大典』ではない」と述べ、憲法改正に向けた意欲を改めて強調しました。安倍総理大臣は憲法改正について「戦後の占領時代に憲法や教育基本法が作られたが、時代に合わないものや仕組みもあり、それぞれ変えてはならない『不磨の大典』ではない。私たち自身の問題として、しっかりと正面から向き合いながら考え、私たち自身の手で変えていくことこそが戦後体制からの脱却になる」と述べました。また、安倍総理大臣は集団的自衛権の行使について「政府の有識者懇談会の議論の中では、個別的自衛権の行使は憲法9条によって制約がかかっているということであり、必要最小限となっている。そうした制約は集団的自衛権にもかかっている」と述べ、行使を容認する場合でも必要最小限になるという認識を示しました。さらに、安倍総理大臣は自衛隊の武器使用基準に関連して「相当、抑制的になっており、自衛隊法の改正を行っていく。海外で日本人の輸送ができるようになったが、日本人を救出する寸前にテロリストに襲われた段階で助けることができない。果たしてそれでいいのかということで、そういう法的担保をしっかり作っておこうということだ」と述べ、自衛隊法の改正に取り組む考えを示しました。」(NHKニュース 2014年2月20日)

「集団的自衛権:解釈変更は閣議決定で 行使巡り首相表明」
 「安倍晋三首相は20日の衆院予算委員会で、集団的自衛権の行使容認について「最終的には閣議決定する」と述べ、解釈を変更する際には閣議決定するとの考えを示した。私的懇談会「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)が行使容認の結論を出した後、内閣法制局や与党との協議を経て閣議決定し、自衛隊法など必要な法整備に着手する考えだ。首相は解釈変更について「自民党の選挙公約でも検討を進めると明確にしている。案を今は示すことはできないが、いずれかの段階で国民に示す」と改めて意欲を示した。安保法制懇の結論が出た後のスケジュールについては「閣議決定に至るまでは議論は続く。内閣法制局と議論し、与党と調整する」と説明した。これに対し、民主党の岡田克也元外相は「国会でいつ議論するのか。閣議決定までにきちんと国会で議論すると約束すべきだ」と追及したが、首相は「国会が開かれていれば国会で議論していただく。閣議決定した案も議論していただく。閣議決定は政府として与党とともに責任を負う」とかわした。首相はまた、自民党が野党時代に国会提出した行使容認への法的裏付けとなる「国家安全保障基本法案」については「政府として提出する場合、解釈変更をしていなければ憲法違反の法律を出すことになる。閣議決定した上でなければ出すことはできない」と答弁。自衛隊法改正の必要性は繰り返したが、同法案の提出については明言しなかった。」(毎日新聞 2014年2月20日)

 きのう、仕事をしながら朝からずっとNHKラジオの国会中継で、このやりとりをきいていた。ラジオなので、その声の調子から、安倍の考えてる(というより、考えてない)ことがよくわかった。「集団的自衛権の解釈変更は閣議決定で行う」という、この呆言は、たしか維新の会の議員に「第一次安倍政権のときに唱えておられた「戦後レジームからの脱却」についての現在のお考えをお聞かせください」とおだてられ、嬉々としてしゃべったもの。結論からいえば、安倍がどんなに屁理屈をこねても、憲法は「不磨の大典」(「不磨、つまり、すり減らないほど基本法律(ウィキペディア)」)であって、安倍がどんなに駄々をこねても、閣議決定で憲法の解釈変更などできない。どんなに安倍が「時代に合わない」と言いはっても、憲法には「事情変更の原則」は適用されない。そもそも憲法に記されているのは単なる法律ではなく、不磨の理念、あるいは、不朽の理想であって、それを事情にあわせて簡単に変更することはできない。もしできたら、それは理念でも理想でもない。現実にあわせて理想をあきらめたり捨てたりできるのは、世俗の世の中の話であっても、憲法にはそれは通用しない。唯一、変更ができるのは、主権者である国民の国民投票によってで、安倍とその「おともだち内閣」の閣僚たちにそんな資格はない。

(参考)


 「一国の総理を侮辱するような言い方になって、もうしわけないけど、安倍さんがね、憲法議論をする資格があるのかな、ということのほうが、この一連の議論をきいていて、気になりますね。大学の授業で、こういう答案書いてきたら点をあげませんよ。もうすこし勉強してから、政治家なんだから、勉強してから、ものいってくださいよ、あなたにそれを論じる資格はありませんよ、と僕はいいたいね。」

 なので、これは「私たち自身の問題」ではなく、あくまで「安倍個人の問題」なのだが、それは単に「無知」という問題ではなく、安倍の「メンタリティ」の問題であって、いずれそれは、後の時代の精神分析学者たちに「アベコンプレックス(通称アベコン)」のような症例名で呼ばれるようになると思うが、

d0017381_20424899.jpg
 たとえば、こういうコスプレ写真をとりあげて、安倍とヒトラーを比べるのは、たぶんミスリーディングで、むしろ安倍は、昨今の若者論で流行している「承認論」の文脈で診断されたほうがいいと思う。

d0017381_2043635.jpg

---------------
[追記] 安倍が憲法解釈を勝手に変更できない理由についてのとてもよい解説


▼ニュース・コメンタリー「立憲主義を否定する首相が「憲法を解釈するのは私だ」(2014年02月15日)
[PR]
by illcommonz | 2014-02-21 20:43
▼イルコモンズ画「むち打ち禁止/2020年 東京五輪」
d0017381_057214.png
ジョナサン・バーンブルック「Olympukes」(五輪のための標識)

 デザイナーのジョナサン・バーンブルックがロンドン五輪のためにデザインしたピクトグラム標識集。オリンピックの様々な問題が警告されている。たとえば「五輪はまず金もうけである」「宣伝の絨毯爆撃あり」「開会式などどれも同じである」「審判に不正あり」「スタジアムは過酷労働で建設される」などなど。ソチ五輪関連のニュースをみていて、足りない標識があることに気づいたので、バーンブルックにかわって、2020年の東京五輪用にデザインしておいた。オリンピックという国策に協力することだけがパブリック・デザインの仕事ではない。

d0017381_058355.jpg
▼イルコモンズ画「むち打ち禁止/2020年 東京五輪」

[関連]
▼[ソチ五輪] 男子ムチ打ち、ロシア代表
http://illcomm.exblog.jp/20381211/
[PR]
by illcommonz | 2014-02-21 00:59
▼[ソチ五輪] 男子ムチ打ち、ロシア代表


「女性バンド「プッシー・ライオット」に"むち" ソチでコサック部隊」
 「冬季オリンピックが開催されているロシア南部ソチで、ロシアの女性パンクバンド「プッシー・ライオット」のメンバーが2月19日、プーチン大統領を批判するパフォーマンスをしたところ、治安部隊にむちでたたかれたり、唐辛子入りのスプレーをかけられたりして強制的に中断させられた。その様子は動画共有サイトYouTubeに投稿された。47NEWSなどが報じた。治安部隊には、コサック・ダンスで有名な保守的な民族派の民警組織「コサック」も含まれていたという。治安部隊はコサックらで構成されていた。動画サイト「ユーチューブ」にロシアのテレビ局が投稿した映像によると、メンバーを含む6人がマスクをかぶり「プーチンが祖国愛を教えてくれる」と声を上げながらパフォーマンスを開始すると、直後に10人以上の治安部隊が割って入り、マスクを無理やり脱がせた上で、殴ったり地面に押し倒したりした  プッシー・ライオットのメンバー2人は2月18日、人権活動家とともに、「窃盗事件の関連」という名目で治安当局に一時拘束されたばかりだった。この2人は、2012年にロシア正教会の聖堂でプーチン氏を批判する歌を歌ったとして暴徒行為罪で検挙されて服役し、2013年12月に釈放された。釈放後もプーチン氏の批判を続けている。ロシアでは2013年、同性愛者による集会の禁止や、未成年者に対して同性愛の情報を伝えることを禁止する法律が成立しており、人権状況に対して欧米各国や人権団体は批判を強めている。」

2020年、ばかが組織委会長をつとめるオリンピックが東京でひらかれたとき、会場のそとでは、どんな非道なことが行われることになるのだろうか。
[PR]
by illcommonz | 2014-02-21 00:22
▼「大事なときには必ず失言する」
d0017381_2373934.jpg
Hideyuki Hirakawa @hirakawah 2014年2月20日
「「失言すると分かっていた。森元首相を五輪組織委会長にして恥をかかせることはなかった」「見事に失言した。あの爺さん、大事なときには必ず失言する」と指摘/国民「失言すると分かってた」 http://bit.ly/1feU143」

d0017381_2352069.jpg
森元首相 真央に「あの子、大事なときには必ず転ぶ」
 「東京五輪・パラリンピック組織委員会会長の森喜朗元首相は20日、福岡市での講演で、ソチ五輪・フィギュアスケート団体について「負けると分かっていた。浅田真央選手を出して恥をかかせることはなかった」と述べた。さらに女子ショートプログラム(SP)で16位だった浅田真央を「見事にひっくり返った。あの子、大事なときには必ず転ぶ」と指摘した。浅田が団体でトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)を成功させれば、アイスダンスの劣勢を盛り返し、銅メダルを獲得できるとの期待が日本チームにあったとの見方を強調。「(団体戦で)転んだ心の傷が残っているから(SPで)転んではいけないとの気持ちが強く出たのだろう」との同情も示した。」(スポニチ 2014年2月20日)

 76歳が、自分の孫くらいの23歳にむかって言うことではない。
 恥をしれ、森、亡びろ、自民党。


「森元首相の「必ず転ぶ」に真央周辺「ひどい」「かわいそう」
 「ソチ五輪フィギュアスケートの浅田真央について「大事なときには必ず転ぶ」などと森喜朗元首相が発言したことに対し、浅田の身近な人物からは20日「ひどい」「かわいそう」などと反発する声が上がった。愛知県豊田市にある浅田行きつけの食堂の加藤節子さん(57)は「悔しがっている本人を追い込むような言葉だ。森さんが滑ってみればいい」。浅田が小中学生時代によく訪れた名古屋市の定食屋の店主井上一夫さん(67)も「人の心情を考えない発言だと思う。真央ちゃんには人の言うことは気にせず、自分の演技をしてほしい」と励ました。浅田が所属する中京大スケート部の湯浅景元部長(66)は「発言された状況が分からないので真意を測りかねる。浅田選手への応援をよろしくお願いします」と話した。」(スポニチ 2014年2月20日)

「東京マラソンで森元首相に大ブーイング「真央ちゃんがかわいそうだろ!」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140223-00000214-sph-soci
 ソチ五輪フィギュアスケート女子に出場した浅田真央(23)に対して「大事なときに必ず転ぶ」などと発言して物議をかもした東京五輪・パラリンピック組織委員会会長の森喜朗元首相(76)が23日、東京マラソンのスタートセレモニーで市民ランナーたちから激しいブーイングを浴びせられた。森氏は午後には、天覧試合となったラグビー日本選手権2回戦が行われた秩父宮ラグビー場に移動。日本ラグビー協会の会長として、天皇、皇后両陛下の説明役を務めた。午前8時半、横川浩日本陸連会長らとともに東京・新宿区の都庁第一庁舎前の特設ステージに立った森氏は「沿道の皆さんもランナーのために応援をしてください。ご健闘を祈ります」などと約30秒間あいさつした。しかし、拍手はまばら。スタート直前の市民ランナーたちは手厳しかった。「森くーん」「森キロー!」などの冷やかしの声に交じって「真央ちゃんがかわいそうだろ!」「転ぶとか言うんじゃねえぞ!」などのヤジが飛び交った。それでも、森氏は号砲から約24分間、約3万6000人のランナーがスタートラインを越えるまで笑顔で手を振り続けた。終了後は大会関係者が森氏に「最後の選手まで見送っていただいてありがとうございます」などとねぎらってフォロー。森氏はかじかんだ両手をすり寄せながら「風邪は引かないよ」と胸を張り、ブーイングのショックは見せなかった。出場した東京都小平市の40代の女性は「ブーイングを恐れてあいさつは手短で無難なものにしたような気がする。それでもスポーツを愛する人たちが集まった場。ヤジが飛んでも当然な気がする」と話した。森氏は20日に福岡市で行われた講演で、ソチ五輪に言及。浅田がショートプログラムで転倒し16位に沈んだことについて「見事にひっくり返りました。あの子、大事なときには必ず転ぶんですね」「負けると分かっている(フィギュア)団体戦に、浅田さんを出して恥をかかせることはなかった」などと発言していた。元首相は発言翌日に、「真意と全く違う。フィギュア団体戦で戦略を間違えたと指摘したかった」などと釈明したが、スポーツファンからの不快感はぬぐい切れていなかったようだ。」(スポーツ報知 2014年2月24日)
[PR]
by illcommonz | 2014-02-20 23:09
▼公共放送

▼英国放送協会(BBC)制作「モンティパイソン」より寸劇「美しく青きドナウ」


▼日本放送協会(NHK)制作「衆議院予算委員会」より寸劇「会長メモ」

(委員)「うしろから、いちいち、言われなきゃいけないようなことをきいてるわけじゃないんですから、おこたえください。おねがいをしているんですけど、どうしておこたえいただけませんか?おこたえいただけない理由も、おしえてください」
(議長)「もみいかつとくん、、、もみいかつとくん?、かえったかな? (笑)」

 朝から仕事をしながら、NHKラジオの国会中継を聞いていたが、もはや、笑えばいいのか、泣けばいいのか、怒ればいいのか、わからない日本のトラジック・コメディ(=悲喜劇)である。6分すぎあたりからが見どころで、民主党議員のいじわるさは、モンティパイソン並み。

d0017381_22184563.jpg
「NHK会長、答弁拒否連発=衆院予算委」
 「NHKの籾井勝人会長は20日の衆院予算委員会で、経営委員会での自らの発言の真偽を繰り返し問われ、その都度、事実関係の確認を拒否した。民主党の大串博志氏は、籾井氏が経営委で従軍慰安婦問題などに関する自身の発言について「どこが悪いのか」と語ったとの一部報道を取り上げ、事実かどうかを追及。しかし、籾井氏は「経営委の議事録はまだ公表されていない」と説明を拒んだため、大串氏が反発し、質疑は一時中断した。見かねた二階俊博委員長も説明を促したが、「1週間後に正式な議事録が出る」と突っぱねた。ケネディ駐日米大使が、NHK経営委員の百田尚樹氏の歴史認識に関する発言などを理由にNHKの取材を拒否したとする報道についても説明を求められたが、籾井氏は「お答えは差し控える」で押し通した。」(時事通信 2014年2月20日)
[PR]
by illcommonz | 2014-02-20 22:22