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いる・こもんず 【普通名詞】 01| ありふれて変なもの 02| 扱いにこまる共有物 03| 分けても減らぬもの 04| 存在とは常に複数で他と共にあり、狂えば狂うほど調子がよくなる
はじめに、ふた、ありき

イルコモンズ編
見よ ぼくら
四人称複数
イルコモンズの旗
(Amazon.comで
大絶版廃刊中)
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▼「6月30日、官邸前抗議、18時半から。ぜったいこいよ。」

▼「CIVITAS×SASPL 解釈改憲反対抗議行動@首相官邸前 6月30日18:30~」

 「くそなことには、NOだ。6月30日、官邸前抗議、18時半から。ぜったいこいよ。」
 「うん。」
 「18:30-終了未定。」
 「わかった。」

【二つ返事】(ふたつへんじ)
 「二つ返事とは、ためらうことなくすぐに承諾する返事のこと。」(日本俗語辞典より)

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「Japanese man sets himself on fire to protest against changes to pacifist constitution」
 「Shinzo Abe, the Japanese prime minister, has caused anger by planning to reform the country's pacifist constitution -- with a man in central Tokyo setting himself on fire in protest」(The Telegraph 29 Jun 2014)

「集団的自衛権反対で焼身自殺図る 男性がJR新宿駅の横断橋」
/Kyodo_BR_MN2014062901001551.html 「29日午後2時10分ごろ、東京都のJR新宿駅南口の横断橋上で、拡声器を使い「集団的自衛権反対」などと1人で主張していた男性が自分の体に火を付け、自殺を図った。間もなく消し止められ、病院に搬送されたが重傷。警視庁新宿署が状況を調べている。新宿署によると、午後1時5分ごろ、近くの警備員から「横断橋の鉄枠に50~60代の背広姿の男性が乗っている」と110番があった。警察官や消防が駆け付けた後も、安倍政権への抗議を続け、ガソリンとみられる液体を体にかけ、ライターで火を付けた。日曜日の昼時で買い物客が多く、現場は一時騒然となった。」(共同通信 2014年6月29日)
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by illcommonz | 2014-06-29 20:42
▼憲法をまもるということは、憲法を政府におしつけることである。政府がつぶれるくらい、つよく、(以下略)
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【日本国憲法第12条】 この憲法が国民に保障する自由および権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない/Article 12: The freedoms, rights and opportunities enunciated by this Constitution are maintained by the eternal vigilance of the people.

「憲法解釈変更を来週に閣議決定 政府、与党」
 「政府、与党は26日、他国への攻撃を自国に対する攻撃と見なして実力で阻止する集団的自衛権行使を可能とする憲法解釈の変更を、来週中に閣議決定する方針を固めた。早ければ7月1日午後を目指す。」(東京新聞 2014年6月26日)

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 「押しつけられた憲法だから、問題なのではないありません。すべてのよい憲法はたいてい、人びとが政府におしつけたものなのです」(C・ダグラス・スミス「映画 日本国憲法」)

 憲法をまもるということは、憲法を政府におしつけることである。いま、問われているのは、憲法第12条に記されている国民の「不断の努力」である。政府は「現実、現実、現実」というが、憲法でたいせつなのは、目の前の状況よりも、人びとがこの憲法を政府におしつけたときの「立憲意志」である。憲法は政府に対する「命令」であり、過去と現在と未来の人びとへの「約束」である。したがって、いま、ここでまたもういちど、立憲のときのように、ひとりひとりの力を束ねあわせ、政府に憲法をしっかりおしつけなければならない。政府がつぶれて、ぺしゃんこになるくらい、つよく、きつく、しっかり、おしつけなければならない。政府など何度つぶれてもかまわない。憲法を解釈できるなどという思いあがった政府があれば、それをぺしゃんこにおしつぶすのが、立憲民主主義のくにの民の責務である。

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[参考1]
 政府は「この憲法は米国がおしつけたものだから変えなければならない」というが、歴史はおおよそ以下のとおり。


▼「日本国憲法の草案はメイドインジャパン」 (65分)

 政府(とくに自民党)が「おしつけられた」といいたがるのは、ときの政府がつくった憲法案(松本試案)がまるで使いものにならないとゴミ箱に捨てられ、ひとびとがつくった草案のほうがずっと民主的であると高く評価されたことが、政治家として、くやしいからなのだろう。草案をまとめたのは米国でも、それを政府におしつけたのは米国ではなく、国民であり、誰がまとめたものであれ、それでよい、それがよい、政府におしつけるにはちょうどよい、と思ったからこそ、人々はそれを政府におしつけ、そして、そのあともずっと、おしつけづけたのである。なんでも自分で決めたがるナルシストの安陪は、ひとにおしつけられるのがいやなのだろうが、憲法というものはそういうもので、それがいやなら、また辞めればいのだ。


▼「日本国憲法誕生(前編)」 (36分)


▼「日本国憲法誕生(後編)」 (36分)

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[参考2] 「国民の不断の努力」アクション

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「集団的自衛権閣議決定断固反対超緊急首相官邸前抗議」
[日時] 2014年6月30日(月) 18:30-
[場所] 東京・首相官邸前
 「安倍政権が急ピッチで進める平和憲法破壊の暴挙、集団的自衛権の行使容認について、自民党と公明党は27日(金)までに正式合意し、7月1日に閣議決定する方向で動いています。国内外のありとあらゆる人々の反対の声にも関わらず、安倍ファシスト政権は、その恐るべき悲願である憲法と戦後民主主義の破壊をついに実現しようとしています。6月30日(月)、首相官邸前において、複数の団体によって大規模な抗議行動が呼びかけられています。我々TOKYO DEMOCRACY CREWもその呼びかけに応え、昨年末の特定秘密保護法反対運動に集まった多くの無党派市民に再結集を呼びかけるものです。圧倒的多数の市民の声で、安倍政権に反対の意志を示し、その野望を砕きましょう。日本の民主主義は今まさに瀬戸際です。」
[呼びかけ] 釈で憲法9条を壊すな!実行委員会/戦争をさせない1000人委員会
[賛同] 東京デモクラシーネットワーク/怒りのドラムデモ/東京デモクラシークルー/C.R.A.C.(Counter-Racist Action Collective)/SASPL 特定秘密保護法に反対する学生有志/Civitas Musashino

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[参考3] 民主主義のはんたい

 「民主主義の反対は、独裁主義である。独裁主義は、専制主義とか、全体主義とか、ファシズムとか、ナチズムとか、そのほかいろいろな形をとって現れるが、その間には根本の共通点がある。それは、権威を持っている人間が、普通一般の人々をけいべつし、見おろし、一般人の運命に対してすこしも真剣な関心をいだかないという点である。そこにはほんとうに人間を尊重するという観念がない。支配者は、自分たちだけは尊重するが、一般人は一段さがった人間としてしか取り扱わない。独裁者たちは、かれらの貪欲な、傲慢な動機を露骨に示さないで、それを道徳だの、国家の名誉だの、民族の繁栄だのという、よそ行きの着物で飾るほうが、いっそう都合がよいし、効果もあがるということを発見した。現にそういうふうにして日本も無謀きわまる戦争をはじめ、その戦争は最も悲惨な敗北に終わった。これからの日本では、そういうことは二度と起こらないと思うかもしれない。しかし、そう言って安心していることはできない。独裁主義は、民主化された今後の日本にも、いつ、どこから忍び込んでくるかわからないのである。独裁政治を利用しようとする者は、今度はまたやり方を変えて、もっとじょうずになるだろう。今度は誰もが反対できない民主主義という一番美しい名前を借りて、こうするのがみんなのためだと言って、人々をあやつろうとするだろう。それを打ち破るにはどうしたらいいであろうか。それを打ち破る方法は、ただひとつある。それは国民のみんなが政治的に賢明になることである。人に言われて、その通りに動くのではなく、自分の判断で、ただしいものとただしくないものとを、かみわけることができるようになることである。国民のひとりひとりが自分で考え、自分たちの意志で物事を決めてゆく。民主主義にも決して権威がないわけではない。ただ、民主主義では、権威は、賢明で自主的に行動する国民の側にある。それは、下から上への権威である。そこではすべての政治の機能が、社会を構成するすべての人々の意見に基づき、すべての人々の利益のために合理的におこなわれる。政治の上では、万事に調子が、「なんじ、臣民」から、「われら、国民」に変わる」。それが政治の面に表れた民主主義にほかならない。歴史の教えるところによれば、一部の者に政治上の権威の独占を許せば、その結果はかならず独裁主義になる。独裁主義になると戦争になりやすい。全体主義の特色は、個人よりも国家を重んじる点にある。その中で一番尊いものは、強大な国家であり、個人は国家を強大ならしめるための手段であるとみる。独裁者はそのために必要とあれば、個人を犠牲にしてもかまわないと考える。もっともそう言っただけでは、国民が忠実に働かないから、独裁者といわれる人々は、国家さえ強くなれば、すぐに国民の生活も高まるようになると約束する。あとでこの約束が守れなくなっても、言いわけはいくらでもできる。もうすこしの辛抱だ。あと5年、いや、もう十年がまんすれば、万事うまくいく、などという。それもむずかしければ、現在の国民は、子孫の繁栄のために犠牲にならなければならないと言う。やがて、祖国を列国の包囲から守れとか、もっと生命線をひろげなければならないとか言って、いよいよ戦争をするようになる。過去の日本でも、すべてがそういう調子で、一部の権力者たちの考えている通りに運んでいった。」(文部省著作教科書「民主主義 (上) (下)」(1948-1949年)より抜粋)

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[参考4] みなさんも、それぞれの理由と、場所と、やり方で、抗議を。

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▼Civitas Musashino 「解釈改憲に対するステートメント」

 CIVITASは、閣議決定による集団的自衛権の容認(いわゆる「解釈改憲」)に反対します。
 今回の閣議決定に反対する理由は、主に以下の3つです。

① 長く定着してきた憲法解釈の一部を閣議決定によって恣意的に変更することは、憲法の事実上の無効化/形骸化を招き、「三権分立」「立憲主義」といった、近代民主主義国家の根幹を脅かすこと。
② 「必要最小限の集団的自衛権の行使」といった武力行使の制限要件が、他国との共同の軍事行動の中で厳守される可能性は極めて低く、事実上際限のない軍事行動を許容する危険性が高いこと。
③ 日本の安全保障政策のあり方については、今後活発に議論されるべきものの、そうした国家の根本的な方針転換は、閣議決定ではなく、まずは国会で熟議を尽くしたうえで、最終的には国民投票によって有権者の信託をあおぐべきであること。

 閣議決定による集団的自衛権の行使容認が浮上して以降、大手新聞者各社が世論調査を実施していますが、選択肢の提示に致命的な異同が見られ、その結果数字も異様なほどバラつきが出ています(こうした選択肢の問題について参考:毎日新聞世論調査室「集団的自衛権と世論調査」)。自陣営に都合の良い世論調査の結果だけを取り上げて「世論」とするのは現時点では拙速であり、確かなことは、情報の共有も熟議もまだ不足している、という事実のみです。ただし、注意すべきは、今回の閣議決定に反対する層には、「元々は改憲派であるが閣議決定による解釈改憲には反対」という保守層も含まれていることです。自民党の保守本流であり大勲位である中曽根康弘元総理、野中広務元官房長官、加藤紘一元幹事長、古賀誠元幹事長などの自民党のリベラル派、現職自民党議員の村上誠一郎議員なども閣議決定に反対し、慎重な議論を求めています。
 一部からは「他国から侵略されたらどうするのか」といった意見も聞かれますが、日本は現状すでに個別的自衛権の行使が可能であり、他国からの軍事攻撃に対しても反撃/応戦可能です。加えて、安倍首相が5月15日の記者会見でパネル付きで紹介した、集団的な自衛権が必要とされる想定ケース(「日本人を乗せた米国艦隊が攻撃を受けた場合」等)は、 現実的にありえない状況設定に基づいており、端的に知的なレベルで不誠実なものです。
  そもそも自民党は元来、憲法9条の改正を主眼にした憲法改正を結党以来の理念としていました。昨年7月の参選挙後、単独では憲法改正に必要な要件を満たせなかったため、まずは超党派で憲法改正手続きを定める96条の先行改正による憲法改正条件の緩和を試み、そうした96条の先行改正への反発が強まると、さらにハードルを下げ、今度は国会での議論を尽くさない、閣議決定による憲法解釈の変更の準備に取りかかりました。しかし、6月27日朝の時点の報道(毎日新聞のリーク:「政府が集団安保容認 想定問答に明記 「限定」方針逸脱」)によれば、閣議決定によるこうした安全保障政策の根本転換は、「解釈の一部変更だが、解釈改憲ではない」というのが政府の最終見解のようで、国際関係の変化や技術革新によって「逆の結論が導かれた」とのことです。こうしたレトリックの是非については多分に議論の余地があるものの、いずれにせよ、「国会での議論を経ない閣議決定によって安全保障政策の転換を行う」というのが、今回の一連の動きの核心部分であることは変わりません。
  長らく日本の発展に寄与してきた保守政党が、自身の掲げていた理念を顧みず、国民に信を問う「憲法改正」でなく、唐突な閣議決定によって短期的な政治目標を達成しようとする姿勢は、社会の公器としての政治政党への信頼を著しく失墜させるものです。加えて、国家の根幹にかかわる安全保障の方針を少数の人間の決定によって恣意的に読み替えてしまうことは、日本国家の法治主義や立憲主義の伝統を回復不能なレベルで傷つけてしまう危険な行為です。よって、これは「平和主義者」と「現実主義者」との対立ではなく、「法の支配を尊重する法治主義者」と「憲法を無視する一部の為政者」との対立だと認識されるべきです。
 以上の理由から、CIVITASは憲法解釈の変更による集団的自衛権の容認に反対し、法の支配を尊ぶ保守主義者、リベラリスト、革新主義者、そしてすべての無党派市民とともに、この閣議決定に強く抗議します。
 みなさんも、それぞれの場所で、それぞれのやり方で、抗議を。2014.5.27. CIVITAS MUSASHINO」
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by illcommonz | 2014-06-28 09:04
▼「アベ装置を解体すること、それは地球の未来にとって必須です」
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「アベ自民いやね!激おこぷんぷんマーチ」
[日時] 2014年6月29日 14:30集合 15:00スタート
[場所] 東京・新宿 柏木公園(JR新宿駅より徒歩約6分)
[コース] 新宿柏木公園→大ガードくぐり→靖国通り→明治通り→中央通り→新宿駅東南口→甲州街道下→中央通り→東口交番前→大ガードくぐり→柏木公園

「アベじみんの悪政のかずかずに「いやね!」というデモです。集団的自衛権、武器輸出の解禁、消費税増税、原発の再稼動、原発の輸出、秘密保護法、生活保護の切り下げ、残業代ゼロ、TPP、沖縄に基地のおしつけ、東京オリンピック、朝鮮学校無償化排除、日本軍慰安婦問題、、、まだまだたくさん、ありえな~~い!!!」

[海外からのメッセージ]

高祖岩三郎「アベに対抗して「街におどり出ること」の意義について」
 「僕が外地から想像しえるこの行動企画の意義について、一言させていただきま す。ただし情勢が世界的に混迷していることも手伝って、檄文というよりも、ま だるっこしい賛同メッセージになっていると思います。
 アベ政権が体現しているものは、現在世界的に観察しえる「資本主義的民主主義 国家」による統治の根本的危機とそれへの統治者からの対応の最も淫らな事例で はないかと思われます。これらの統治体制の内部では、異なった領域性と強度に おいてではあるが、一様に民衆の生にまつわる危機が進行しています。だが、こ の統治形態は、ますます経済、産業、情報、交通、軍事、文化など、諸々の装置 との一体化を強め、政治という領域固有の権能を自己放棄し、実質上ほとんど 「無頭化」しているように見えます。言い換えると、そこでは責任をもった主体 が消失し、民意(民衆の実存的要請)を聞く耳が、衰退し続けているのです。だ から、政策はそれらの諸装置の運行と一体化し続け、何が起こっても、それらの 総体としての社会的過程を止めることが出来ないのです。その意味で、アベとい う人間の名前と像をもった現象は、そうした装置の集合体の擬人化以上でも以下 でもないと言えるでしょう。これはオバマや、その他、今日の指導者のほとんど 全てに、当て嵌まると思います。
 政権を、主体性をもった人間の集合として扱い、合法的なルートを通して、政策 を立案し実行する諸機関と折衝してゆくのは、間違えなく重要なことです。ただ しそれを実践している人びとの困難が証しているように、そのルートにも(メ ディア、ロビイスト、組合、NGO、政治政党など)二次三次の装置が介入し、民 意と政府の関係は、奇々怪々な利害の壁で分断されて来ているように見えます。 そして民意との距離をなしくずし的に獲得した政権は、居直り状態で、ひたすら 現社会装置の継承、強化、更新、恒常化を目指す自動機械と化し、そこに統制、 管理、弾圧をめざす「裸の権力」を、立法化という形で内在化てゆくことになり ます。
 日本がかかえる危機は、ことに放射能汚染の拡大と人口減少(老齢化)にとも なって、いわゆる旧来の政治/社会問題の領域を超え、「生の力」全般にわたる 衰退を表わしているように見えます。民衆の危機的な生が、なしくずし的に自己 運動を続ける装置に回収され、(危機への対応を含む)自律を獲得することが困 難になっている。それが苦しいところです。今後、日本群島の世界的周縁化は不 可避かもしれません。ともかく、日本国家は、政治力、経済力、生産力、国際的 影響力をますます喪失し、同時に諸装置の延命の為に、個々人の幸福を考えるこ とをどんどん放棄してゆくでしょう。これは日本国家を保持することの困難が、 ついに露呈し始めているということです。そこで統一された国民としての日本を 何としても保とうという要請、その防衛本能の強迫神経症的表現として、民衆個 々人の生を犠牲にする「強い日本」政策が回帰するのだと思います。
 そこでそれに対抗すること、デモという行動形式によって対抗することの意義 は、何処にあるのでしょうか?デモには、大雑把に言って、三つの機能があると 思います。一つは、抗議という形で、権力に訴えかけて政策を考え直させること です。二つは、幅広い大衆的な賛同を組織することです。三つは、運動内部の力 能化と関係性の充実です。無論、実践の中で、これら三つは一つに繋がっていま す。上記で明らかなように、第一を実現することは、ほとんど不可能です。聞く 耳を持たない無頭者は、説得するよりも(全ての選択肢を駆使して)解体する以 外にないでしょう。第二を実現することは、どちらへも転ぶ可能性があると思い ます。一回の行動に賭けることが重要であると同時に、行動から行動へという連 鎖の中で、影響力のある出来事性を獲得してゆくことが現実的だと思えます。そ こで第三を獲得することが、今は最も重要なのではないだろうかと僕には思われます。
 デモが聞く耳を持たない無頭者を解体する為には、その流れが臨界量を超出し、 巷を凌駕し、社会的日常の運行を遮断し、都市空間の中に新しい物質的現実を創 出せねばならない。つまり非可逆的な出来事を創出することです。それは、一方 では集合身体が巷に出て、非日常的空間を創出し、そのことで政治の進行に空白 を創出し、異なった社会性を構築することであり、他方では、それを可能にする 社会的実践の幅と深みを拡張させることでもある。デモはそれを実現すること、 そしてその結果にまつわる出来事の総体だと思います。
 日本政府の政策の正否を議論する段階はーー民衆の生活に影響を与えるミクロの 次元の改革として最も切実な意味があると同時に、それだけでは、不充分にな りーー超過されてしまったのではないでしょうか。むしろ僕が、期待しているの は、皆さんの闘争の内的充実です。それはこれまで皆さんが、築いて来られた反 資本主義的/反権威主義的社会性の構築 ―― 交流イベント、社会センター、野 宿者キャンプ、自主避難、界隈における共同体構築 ―― つまり幅広い意味での 「コミューン」の充実と先鋭化です。おそらくそれのみが、日本群島における全 面的な「生の危機」に真っ向から対応し、「世界における周縁化」を積極的に肯 定する唯一の可能性ではないでしょうか。(たとえばザパティスタは地域の周縁 性を全面的に逆用することで、地球的革命にとって主導的役割りを果たしてきた のです。)デモは、それに向けて、諸々の闘争を、別の次元で、横断的に繋ぐ契 機として意味があり、その趨勢をもって都市の巷を物質的に変えてゆく実践とし て必須です。その次元で、東京は、リオ、イスタンブール、アテネ、ソウル、 ...と繋がっているのだと思います。
 アベ装置を解体すること、それは地球の未来にとって必須です」

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[追記]

[PR]
by illcommonz | 2014-06-28 06:57
▼「IRA10周年を祝う会」
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▼「IRA10周年を祝う会」
[日時] 2014年6月28日16:00-23:00
[場所] 東京・新宿イレギュラーリズムアサイラム

ナリタくんとのつきあいは、もうすぐ10年になる。
いっしょに札幌やニューヨークや横浜にもいった。
もしナリタくんがいなかったら、自分はたぶん、
いまよりずっとあたまのかたい「ごりごりの左翼」に
なってたと思う。

ナリタくんは、自分にとってつねに、よい相棒であり、
よい話し相手であっただけでなく、よい聞き手でもあった。
ナリタくんの口から「むり」とか「だめ」ということばを
きいたことがない。ナリタくんの口ぐせは「マジ?」と
「いいね!」である。ナリタくんの「いいね!」は、
ネットの「いいね!」より100倍、価値があり、
いつもそのことばにはげまされ、そそのかされてきた。

これからの10年も、ナリタくんに「いいね!」と
いうことをやりつづけたいと思う。ナリタくんに
「マジ?」といわれつづける、クレイジーな
アクティヴィストでありたいと思う。もちろん、
自分はいつもマジであり、マジでそう思っている。

イルコモンズ(いるといら)
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by illcommonz | 2014-06-28 06:54
▼「この勝訴は多くの人々の脱原発運動の実り、結晶です」
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「6.28 NO NUKES DAY 川内原発を再稼働させるな!さようなら原発★首都大行進」
[日時] 2014年6月28日(土 12:45 大集会 14:30首都大行進(デモ)
[場所] 東京・明治公園
[主催] 首都圏反原発連合/さようなら原発1000万人アクション/原発をなくす全国連絡会
[協力] 脱原発世界会議/経産省前テントひろば/再稼働阻止全国ネット

 「自民党安倍政権は、大きな 「脱原発の世論」を無視し、民主党政権の打ち出した「原発ゼロ」を撤回、エネルギー基本計画に原発再稼働を明記しました。更に原子力規制委員会において、これまで厳しい指摘をしてきた地震学の島崎邦彦委員長代理を退任させ、「原子力村」の住民と交代させる人事を強行しました。311の福島原発事故から学ばずそれ以前の政策に戻し、そして事故被害者を置き去りにしようとしています。今現在、稼働中の原発はゼロで電気は足りているのにも関わらず、避難計画も未整備なままに各地の原発の再稼働が画策され、 鹿児島県の川内原発が優先的に再稼働されようとしています。噴火や火砕流の危険性も高い川内原発は、絶対に稼働するべきではありません。内原発の再稼働を阻止する事は、今後目論まれている再稼働ラッシュ阻止の最重要焦点です。先日「大飯原発3、4号機差止訴訟」では原告団が勝つという、画期的な司法判断がありました。原告団や弁護団の皆さんのご尽力は言うまでもなく、この勝訴は多くの人々の脱原発運動の実り、結晶です。6月28日、「首都圏反原発連合」「さようなら原発1000万人アクション」「原発をなくす全国連絡会」が中心になり、川内原発を再稼働させないために、集会とデモを呼びかけます。首都東京で「川内原発を再稼働させるな!」の意思を可視化し、声を轟かせましょう!」
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by illcommonz | 2014-06-28 06:45
▼「人々の無関心は常に攻撃者の利益になることを忘れてはいけない」(エリ・ヴィーゼル)
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 「愛の反対は憎しみではない、無関心である。信頼の反対は傲慢ではない、無関心である。文化の反対は無知ではない、無関心である。芸術の反対は醜さではない、無関心である。平和の反対は、平和と戦争に対する無関心である。人々の無関心は、常に攻撃者の利益になることを忘れてはいけない。」(エリ・ヴィーゼル)
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▼「宛先:自民党東京都連 
私たちは、都議会本会議内で女性差別発言をした自民党都議会議員を特定し厳正に処分するよう、自民党東京都連に対して強く求めます。」
(発信者:東京都議会における差別発言を許さない市民一同)
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 「2014年6月18日、東京都議会の本会議において、みんなの党会派の塩村文夏議員が、女性の妊娠・出産を巡る都の支援体制について一般質問をしていた際に、自民党都議らの座る一角から男性の声で「自分が早く結婚した方がいい」「産めないのか」などといった野次を浴びせかけられました。
 出生率の低下が日本全体の問題として叫ばれており、その対処が模索されています。この問題の一因は女性をとりまく状況にあります。いま日本の社会では、女性は、妊娠・出産をたとえ強く望んでいたとしても実際に行うためには、その女性本人をとりまく社会環境に由来するさまざまな障害を乗り越えなくてはならず、それゆえに非常に重い負担を強いられています。まして、東京都はもっとも子育てしにくい場所だといわれています。塩村議員はまさにこうした都のなかで起きている社会的問題を解決するために女性の気持ちを代表して一般質問をしていたところだったのです。しかるに、前述のような野次は、塩村文夏議員に対して彼女が女性であることを理由に個人の意志や事情に関係なく結婚や妊娠を強要するという人格無視の差別的発言にあたるばかりでなく、この東京都の社会的問題を解決するために協力しようという意志をみじんも感じさせないどころか女性に圧力をかけるという点でむしろ問題を悪化させるものであり、ゆえに東京都に住んでいるか働いているすべての女性までをも侮辱するものです。
 議員の発言の社会的影響力は無視できません。このような重い差別的発言が東京都議会で見過ごされるのであれば、東京都は2020年オリンピックという機会に向けて世界に開かれた国際都市として発展できなくなるでしょう。もしもこの問題がインターネットを通じて国際的に知られれば、各国選手のボイコットも予想されます。
 したがって、こうした発言を行った都議会議員が責任を問われず放置されている現状は、きわめて重大だといえます。そもそも、なぜ議長はいったん進行を中止してでもこの野次を放った議員を叱責しなかったのか、まったく理解に苦しみます。しかしそれ以上に、みんなの党会派から申し入れを受けた議会運営委員会の吉原修委員長(自民)はなぜ事の重大さに言及せず「(各)会派の中で品位のない発言をしないよう確認すればいいのでは」と述べるにとどめたのでしょうか。これでは単に身内をかばっているように見えてしまいます。
 私たちは、この現状を深く憂慮し、都議会本会議内で女性差別発言をした自民党都議会議員を特定し厳正に処分するよう、自民党東京都連に対して強く求めます。

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To: 自民党東京都連, 吉原修, 東京都議会 議会運営委員会 委員長

 私たちは、都議会本会議内で女性差別発言をした自民党都議会議員を特定し厳正に処分するよう、自民党東京都連に対して強く求めます。

賛同し署名する

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▼「宛先:石原伸晃環境大臣
「最後は金目」発言について改めて謝罪し、大臣を辞任してください」
(発信者:TOKYO DEMOCRACY CREW(東京デモクラシークルー)
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「6月16日、石原伸晃環境大臣は首相官邸で記者団に対し、福島第一原発事故の除染で出た汚染土などを保管する中間貯蔵施設の建設について、「最後は金目でしょ」などと発言しました。政府は候補地の福島県大熊町、双葉町の住民説明会を終えたばかりであり、東日本大震災と原発事故による多大な被害を受けた地元との交渉について、金で解決するという今回の発言の趣旨は到底看過されるべきものではありません。石原氏は自民党幹事長だった2012年にも、福島第一原発を「第一サティアン」と呼び、地元の強い反発を招いたことがあります。このような発言を繰り返す人物は、環境大臣として全くふさわしくありません。石原氏は発言を撤回し、謝罪として福島県を訪問するとしていますが、本当に謝罪の意思があるのであれば、そうしたパフォーマンスで済ませるのではなく、今すぐに環境大臣を辞任してください。」

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To: 石原伸晃環境大臣

 「最後は金目」発言について改めて謝罪し、大臣を辞任してください

賛同し書名する

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「亡びろ、
自民党」


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[追記] ▼「都議会「ヤジ発言者を特定・処分」要求に議長が不受理」
 「18日の東京都議会本会議でみんなの党の塩村文夏(あやか)議員(35)が女性蔑視のヤジを浴びせられた問題で、塩村氏は20日午前、議会として発言者を特定し、地方自治法に基づいて処分するよう吉野利明議長に文書で要求した。これに対し、吉野議長は同日午後、発言者が特定されておらず「要件が不十分」として受理しなかった。吉野議長は取材に「発言者の特定は議長の権限外。発言者が特定されないと手続きできない」と語った。処分要求は都議会の規則で問題があった日から3日以内に訴えるよう規定され、20日が期限。議長は同日中に出し直すよう求めているが、塩村氏側が発言者を特定するのは困難な状況だ。一方、議長も所属する都議会最大会派の自民党は、自会派の席からヤジが飛んだとの指摘を受けて19日から順次、所属議員に確認する作業に乗り出した。自民都議団の吉原修幹事長によると、20日正午時点で該当者はいないという。」(毎日新聞社 2014年6月20日)
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by illcommonz | 2014-06-21 00:13
▼デモクラシー・オン・アワ・マインド
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文部省著作教科書
「民主主義 (上) (下)」
(1948-1949年)
より抜粋

【民主主義の本質】
 「民主主義が何かということを定義するのは、非常にむつかしい。しかしその点をはっきりとつかんでおかないと、大きな食い違いが起こる。民主主義をただしく学び、確実に実行すれば、繁栄と平和とがもたらされる。反対の場合には、人類の将来に戦争と破滅とが待っている。人類の住むところは、地球上のこの世界以外にはない。これを生きとし生けるすべての人間にとっての住みよい、平和な、幸福な、ひとつの世界に築きあげてゆくことができるか、あるいは逆に、これを憎しみと争いと死の恐怖とに満ちた、この世ながらの地獄にしてしまうかの分かれ道は、民主主義をほんとうに自分のものとするかどうかにある。ゆえに、おおげさな言い方でもなんでもなく、民主主義は文字通り、生か死かの問題である。平和と幸福とを求める者は、なにをおいてもまず、民主主義の本質をただしく理解することに努めなければならない。多くの人々は、民主主義とは単なる政治上の制度だと考えている。しかし、政治の面からだけ見ていたのでは、民主主義をほんとうに理解することはできない。政治上の制度としての民主主義ももとよりたいせつであるが、それよりももっとたいせつなのは、民主主義の精神をつかむことである。」

【人間の尊重】
 「それでは、民主主義の根本精神とはなんであろうか、それは、つまり、人間の尊重ということにほかならない。人間が人間として自分自身を尊重し、互いに他人を尊重しあうということは、政治上の問題や投票よりも、はるかにたいせつな民主主義の心構えである。民主主義の精神が自分自身を人間として尊重するからといって、それをわがままかってな利己主義ととりちがえるものがあるならば、それはとんでもないまちがいである。みずからの権利を主張する者は、他人の権利を重んじなければならない。自己の自由を主張する者は、他人の自由に深い敬意を払わなければならない。そこから出てくるものは、お互いの理解と好意と信頼であり、すべての人間の平等性の承認である。キリストは、「すべての人にしてもらいたいと思うことは、人にもまたそのようにしなさい」と教えた。孔子も「おのれの欲しないことは、人にすることなかれ」と言った。もしもこの好意と友愛の精神が社会にゆきわたっているならば、その社会は民主的である。どこでも、いつでも、この精神が人間の関係を貫いている場合には、そこに民主主義がある。民主主義は、家庭の中にもあるし、学校にもあるし、工場にもある。社会生活にもあるし、経済生活にもあるし、政治生活にもある。」

【民主主義の反対】
 「民主主義の反対は、独裁主義である。独裁主義は、専制主義とか、全体主義とか、ファシズムとか、ナチズムとか、そのほかいろいろな形をとって現れるが、その間には根本の共通点がある。それは、権威を持っている人間が、普通一般の人々をけいべつし、見おろし、一般人の運命に対してすこしも真剣な関心をいだかないという点である。そこにはほんとうに人間を尊重するという観念がない。支配者は、自分たちだけは尊重するが、一般人は一段さがった人間としてしか取り扱わない。独裁者たちは、かれらの貪欲な、傲慢な動機を露骨に示さないで、それを道徳だの、国家の名誉だの、民族の繁栄だのという、よそ行きの着物で飾るほうが、いっそう都合がよいし、効果もあがるということを発見した。現にそういうふうにして日本も無謀きわまる戦争をはじめ、その戦争は最も悲惨な敗北に終わった。これからの日本では、そういうことは二度と起こらないと思うかもしれない。しかし、そう言って安心していることはできない。独裁主義は、民主化された今後の日本にも、いつ、どこから忍び込んでくるかわからないのである。独裁政治を利用しようとする者は、今度はまたやり方を変えて、もっとじょうずになるだろう。今度は誰もが反対できない民主主義という一番美しい名前を借りて、こうするのがみんなのためだと言って、人々をあやつろうとするだろう。それを打ち破るにはどうしたらいいであろうか。

【権威は国民の側にある】
 「それを打ち破る方法は、ただひとつある。それは国民のみんなが政治的に賢明になることである。人に言われて、その通りに動くのではなく、自分の判断で、ただしいものとただしくないものとを、かみわけることができるようになることである。国民のひとりひとりが自分で考え、自分たちの意志で物事を決めてゆく。民主主義にも決して権威がないわけではない。ただ、民主主義では、権威は、賢明で自主的に行動する国民の側にある。それは、下から上への権威である。そこではすべての政治の機能が、社会を構成するすべての人々の意見に基づき、すべての人々の利益のために合理的におこなわれる。政治の上では、万事に調子が、「なんじ、臣民」から、「われら、国民」に変わる」。それが政治の面に表れた民主主義にほかならない。

【独裁者と全体主義】
 「歴史の教えるところによれば、一部の者に政治上の権威の独占を許せば、その結果はかならず独裁主義になる。独裁主義になると戦争になりやすい。全体主義の特色は、個人よりも国家を重んじる点にある。その中で一番尊いものは、強大な国家であり、個人は国家を強大ならしめるための手段であるとみる。独裁者はそのために必要とあれば、個人を犠牲にしてもかまわないと考える。もっともそう言っただけでは、国民が忠実に働かないから、独裁者といわれる人々は、国家さえ強くなれば、すぐに国民の生活も高まるようになると約束する。あとでこの約束が守れなくなっても、言いわけはいくらでもできる。もうすこしの辛抱だ。あと5年、いや、もう十年がまんすれば、万事うまくいく、などという。それもむずかしければ、現在の国民は、子孫の繁栄のために犠牲にならなければならないと言う。やがて、祖国を列国の包囲から守れとか、もっと生命線をひろげなければならないとか言って、いよいよ戦争をするようになる。過去の日本でも、すべてがそういう調子で、一部の権力者たちの考えている通りに運んでいった。」

【人間の平等】
 「これに反して、民主主義は、国民が栄えるにつれて国家も栄えるという考え方の上に立つ。民主主義は、決して個人を無視したり、軽んじたりしない。それは個人の価値と尊厳とに対する深い尊敬をその基本としている。民主主義は、国民を個人として尊重する。したがって民主主義は社会の秩序および公共の福祉と両立する限り個人にできるだけ多くの自由を認める。自由と並んで民主主義が最もたいせつにするのは、人間の平等である。民主主義は、すべての国民を個人として尊重する。すべての個人が尊厳なものとして取り扱われる以上、そのあいだに差別を設けるということは、あくまでも排斥されなければならない。民主主義が発達するまでは、人間の世の中には生まれながらの上下の差別があった。そんな不公平なことがあろうか。どんな生まれであろうと、人間の生命の重んぜられるべきことに変わりはなく、人格の尊うべきことにへだてはない。」

【民主主義のほんとうのすみか】
 「繰り返して言うと、民主主義は、単なる政治上の制度ではなくて、あらゆる人間生活の中にしみこんでいかなければならないところの、ひとつの精神なのである。それは人間を尊重する精神であり、自己と同様に他人の自由を重んじる気持ちであり、好意と友愛と責任感とをもって万事を貫く態度である。この精神が人の心に広くしみわたっているところ、そこに民主主義がある。社会も民主化され、教育も民主化され、経済も民主化される。逆に、この精神が欠けているならば、いかににぎやかに選挙がおこなわれ、政党がビラをまき、議会政治のかたちが整っていても、それだけで民主主義が十分に実現されたということにはならない。だからほんとうの民主主義は、議会の建物の中でつくられるものではない。もしもそれがつくられるものであるとするならば、民主主義は人々の心の中で作られる。それを求め、それを愛し、それを生活のなかに実現してゆこうとする人々の胸の中こそ、民主主義のほんとうのすみかである。」

 (※【 】の見出しは、イルコモンズによる)

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 安陪くんは、この教科書をよくよんで、もういっぺん、小学校の勉強からやりなおしたまえ。
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by illcommonz | 2014-06-17 15:39
▼「国民の生命、自由、幸福追求の権利が、根底から覆される急迫、不正の事態」
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「集団的自衛権 72年見解転換 行使3要件 自民提示」
 「安全保障法制の見直しをめぐり、自民、公明両党は十三日午前、国会内で六回目の協議を開いた。座長の高村正彦自民党副総裁は「他国に対する武力攻撃が発生し、(日本の)国民の生命、自由などが根底から覆されるおそれがある」場合には、集団的自衛権行使が認められるとする憲法解釈変更の私案を示した。集団的自衛権行使は認められないとした一九七二年の政府見解から大きく転換しており、公明党は難色を示した。 「たたき台」と題した高村氏の私案は三要件で構成。自衛権行使が認められるのは「国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆される急迫、不正の事態」と定義した七二年の政府見解を独自に解釈した。」(東京新聞 2014年6月13日)

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 「国民の生命、自由、幸福追求の権利が、根底から覆される急迫、不正の事態」というものがあるとすれば、いま安倍政権がやろうとしてることこそ、まさにその事態で、安倍政権に対して、まずまっさきに集団的自衛権を行使しなければならない。この国の憲法第12条にはこう書かれている。

▼第12条「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。」(日本国憲法)

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 まだ「喪中」の身(しかも失業中の身)なのだが、いまが「急迫、不正の事態」なので、国民の不断の努力の行使と、その責任を果たすため、今夜は官邸前に警笛を鳴らしにゆこうと思う。

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「ファシズム許すな!安倍政権打倒 首相官邸前抗議」
[日時] 2014年6月17日 19:00~21:00
[場所] 東京・首相官邸前対岸歩道内

 「5月15日夕刻、安倍総理は、集団的自衛権を容認するために憲法解釈を変更することを宣言した。一昨年末、選挙制度のトリックにより、国民のわずか十数パーセントの得票で自民党は政権に返り咲いた。そしてこの間、秘密保護法をはじめ、国民世論の反発を無視するかたちでわたしたちの権利を侵害する法の制定を次々と強行してきた。「他国との戦争ができるようになる」集団的自衛権の容認は、国際社会との協調を重んじてきたわが国の「平和国家」としての歩みを真っ向から否定するだけではなく、国民投票による憲法改正を回避し、閣僚だけで勝手に解釈を変更するという、極めつきの民主主義の破壊行為にほかならない。国際社会は、これはヒトラー率いるナチスが、民主的なワイマール憲法を破棄したファシズム体制への道と同じではないかという疑念を深めている。すでに国際社会で孤立を深めている安倍政権の暴走をこのまま許すならば、近隣諸国との軋轢はますます深まり、東アジア地域の軍拡競争に拍車をかけることになる。日本は戦後最大の岐路に立っている4月の消費増税、そしてこの5月15日を契機に、国内外から安倍政権の暴走への怒りの声が高まっている。原発事故を忘れたかのような再稼働の強行は、政府と国民世論の亀裂をますます深くしていくだろう。全国で、国会前で、多くの人が怒りの声をあげている。この怒りの声がうねりとなり、国民世論とともに安倍政権を追い込むことができるかどうかに、わたしたちの未来はかかっている。「怒りのドラムデモ」は人々の怒りに呼応し、5月24日、6月14日の新宿デモに引き続き首相官邸前で直接抗議をする。憲法を破壊する安倍政権をうち倒そう。
 また、この首相官邸前抗議は、解釈で憲法9条を壊すな!実行委員会主催:"閣議決定で「戦争する国」にするな!6・17大集会ー解釈で憲法をこわすな!ー"
 この集会とデモに連帯します。17日は首相官邸/国会周辺を多くの人の怒りで取り囲み、声を叩き付けましょう。鼻を明かしてやりましょう!

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「閣議決定で「戦争する国」にするな!6・17大集会ー解釈で憲法をこわすな!」
[日時] 2014年6月17日 17:30開場 18:30 開演
[場所] 東京・日比谷野外音楽堂、国会請願デモと銀座デモの2コース

▼【緊急アクション】 「解釈改憲崖っぷち! しっかりしてよ!公明党
6・17 公明党本部前ヒューマンチェーン&要請行動」
[日時] 2014年6月17日(火)※12時45分にJR信濃町駅
13時~13時30分 ヒューマンチェーン
13時30分~、党本部への要請行動
[場所] 東京・公明党本部

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「集団的自衛権行使容認に反対する集会」
 「東京・千代田区の日比谷野外音楽堂では17日夜、集団的自衛権の行使容認に反対する集会が開かれました。午後6時半に始まった集会には、主催者の発表でおよそ5000人が参加しました。この中で、翻訳家の池田香代子さんは「集団的自衛権を明確に否定してきた従来の憲法解釈を一気に変えるのは、この国の在り方をも変えてしまう、憲法解釈クーデターと言うべきものだ」と訴えました。会場では参加者が、「9条壊すな」とか「戦争反対」と書かれたプラカードを手にするなどして、集団的自衛権の行使容認に反対する意志を示していました。都内の29歳の主婦は、「さまざまなことばを重ねても、海外に出かけて行って戦争に参加するという集団的自衛権の本質に変わりはないと思う。同世代の人たちに、この問題を考えてみようと呼びかけたい」と話していました。また40代の団体職員の女性は、「閣議決定で戦争ができる国に変えようとしていることに怒りを覚える。私たちは、子どもの世代やこれから生まれてくる世代に対する責任があり、最後まで声を上げ続けたい」と話していました。集まった人たちは、このあと国会に向けデモ行進し、集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈の変更を閣議決定しないよう訴えました。」(NHKニュース 2014年6月17日)

[結果]
「今国会の閣議決定困難で一致 集団的自衛権で自公」
 「自民党の石破茂、公明党の井上義久両幹事長は18日午前、東京のホテルで会談し、集団的自衛権行使を可能とする憲法解釈変更に向けた閣議決定について、22日に会期末を迎える今国会中は困難との認識で一致した。両氏は幹事長同士で日程調整を続ける方針でも一致した。政府、自民党は7月初旬までの閣議決定を目指している。会談で石破氏は、安倍晋三首相の意向を踏まえ、会期内の閣議決定を要請。井上氏は公明党内の議論になお時間がかかることから「国会会期内の閣議決定は難しい」と指摘した。石破氏は公明党の意見集約を待つ考えを示した。」(2014年6月18日 東京新聞)
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by illcommonz | 2014-06-17 09:51
▼【喪中】の記
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【喪】(も)
「喪(も、英語:mourning)とは、身近な者や心を寄せる者、尊ぶべき者等の死を受けて、それを悲しむ者が一定期間中を過ごすことになる、日常生活とは異なる儀礼的禁忌状態であり、人間社会においておよそ普遍的な現象である。親族を亡くしたときに遺族が身を置く場合が最も一般的。日本語では、喪の状態に身を置くことは、喪に服する、服喪(ふくも)、喪服(もふく)、忌服(きぶく)、服忌(ぶっき)などと言い、また、喪の最中であることは、喪中(もちゅう)、服喪期間、忌服期間などと言う。」(ウィキペディア)


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by illcommonz | 2014-06-13 00:57
▼【訃報】の記
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▼小田 公計 (1937-2014) 平成26年6月6日没 享年77歳

「臨終の日の朝のことば」
看護士: 「小田さん、だいじょうぶですか?」
父: 「だいじょうぶじゃないけん、ここで寝とったい。」
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[通 夜] 平成26年6月8日(日)
[告別式] 平成26年6月9日(月)
[セカンドライン] 平成26年6月13日(金)


【セカンド・ライン】
 「セカンド・ラインは、ジャズ・フューネラルというニューオーリンズ独特の葬儀のパレードから生まれた。ニューオリンズの典型的なジャズ・フューネラルでは、重々しい葬送歌や賛美歌を演奏するブラス・バンドと共に、故人の遺族や友人、関係者が葬儀場から墓地まで棺を運んでパレードする。埋葬を終えた後の帰路のパレードでは、ブラス・バンドは賑やかで活気のある曲を演奏する。多くの場合、スウィング感のある賛美歌やスピリチュアルな曲から始まり、パレードが進むにつれ、ポピュラーでホットな曲へと移り、盛り上がって行く。墓場までの重々しい演奏が故人を悼むためのものであるのに対し、帰路の演奏の明るさには、魂が解放されて天国へ行くことを祝う意味が込められているとされる」(ウィキペディア)
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by illcommonz | 2014-06-13 00:55