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いる・こもんず 【普通名詞】 01| ありふれて変なもの 02| 扱いにこまる共有物 03| 分けても減らぬもの 04| 存在とは常に複数で他と共にあり、狂えば狂うほど調子がよくなる
はじめに、ふた、ありき

イルコモンズ編
見よ ぼくら
四人称複数
イルコモンズの旗
(Amazon.comで
大絶版廃刊中)
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▼ストリートの思想家、イルコモンズ
d0017381_22433819.jpg▼毛利 嘉孝
「ストリートの思想―
転換期としての1990年代」
NHKブックス 2009年

こないだNHKブックスから出た「ストリートの思想」という本の第四章で、著者の毛利(嘉孝)さんがイルコモンズについての文章を書いてくれた。それによると、イルコモンズは「ストリートの思想家」であるらしい。それは、こういうことである。

▼第四章「ストリートを取り戻せ」
「二〇〇三年のイラク反戦運動において、中心的な役割をはたして知識人はいない。もちろん大江健三郎を代表とする、岩波・朝日知識人と呼ばれる人たちは積極的に発言していた。こうした伝統的な知識人の影響はなくなったわけではないが、少なくとも現在の若者文化の中ではきわめて限定的である。その代わりに登場したのが、ミュージシャンやDJ、作家やアーティスト、あるいは匿名性の高い無数の運動を組織するオーガナイザーである。こうした人びとは岩波・朝日知識人のようにマスメディアを通じてしか知ることができない有名人ではない。むしろの身のまわりのちょっとした「有名人」であり、目に見える交友関係の延長線上にいる。また政治活動を組織するだけではなく、同時に文化的実践者であることもその特徴だ。こすいた新しいタイプのオーガナイザーを「伝統的な知識人」に対して「ストリートの思想家」とでも呼んでおこう。(...) 「ストリートの思想家」と名づけるのは、彼ら・彼女たちの匿名性とその高い移動性のためである。この新しい思想家たちは変幻自在にストリートに顔を出す。神出鬼没の存在だ。二〇〇三年の反イラク戦争デモ以降の社会運動では、こうした複数の「ストリートの思想家」が重要な役割をはてしていく。(...) ECDと並んで二〇〇〇年代の「ストリートの思想家」として重要なのは、小田マサノリである。小田マサノリは、イルコモンズという名義でアクティヴィストとして活動するほか、「なりそこないの文化人類学者」、「元現代美術家」を自称している。先に紹介したイラク戦争の反対運動の際には、美術批評家の椹木野衣たちと一緒に「殺すな」という反戦運動を組織した。その後も多くのデモに参加するとともに、自ら運動を組織し、二〇〇〇年代のパフォーマンス的な戦時運動のひとつの形をつくってきた。パフォーマティヴなデモもさることながら、小田マサノリを特別な存在にしているのは、そのメディアの使い方である。デモや集会、シンポジウムや反対運動があるたびに、小田マサノリは、いろいろな映像をサンプリングして、時にユーモラスで、時に痛烈な批判精神溢れる映像作品を作り、YouTubeなどインターネットにアップしてきた。また世界中で起きているいろいろな運動の形式や手法をいち早く映像で紹介してきた。こうした活動に加えて「イルコモンズ・トラベリング・アカデミー」などの名称で、さまざまな場所で出張講義を定期的に行なっている。

d0017381_2244176.jpgとはいえ、小田マサノリの活動は、既存のメディアであるテレビや新聞、雑誌を中心に情報を得ている人には見えにくい。小田マサノリ/イルコモンズ名義で、エッセイとも論文ともつかない対話型の文章を書くことはあるけれでも、活字媒体ではほとんどその名前をみつけることができないからだ。けれども反戦運動やフリーター運動など、最近の若者の文化政治運動に少しでも関心のある人であれば、誰でも彼を知っているし、彼が今どこで何をやっているかも、日々更新されるそのブログを通じて知っている。小田マサノリも、ECDと同様に、新しい時代の「ストリートの思想家」と言っていいだろう。とはいえ、ここでいう「ストリート」は、単に在野というこ意味でも「路上」という意味でもない。むしろ社会がデジタル化され電子化され、ますます非物質的な領域に侵食されていることを意識しつつも、その情報の「流れ」や「道筋」を取り返していく思想家なのである。小田マサノリにとっては、インターネットの空間もまたひとつのストリートなのだ。

小田マサノリを「ストリートの思想家」だと言う時、それは彼がストリートをフィールドとして選んでいるということにほかならない。通常、フィールドは囲われた面で捉えられるのに対して、ストリートは線で示される。そこにはとどまるべき場所はなく、常に移動が要請される。ストリートとは、家をもたない人(ホームレス)のものである。だが、かつてニーチェが述べたように、近代人とはすべからく故郷喪失者である。フィールドワーカーとは、ホームレスという例外状態を自らの常態として引き受ける存在を指すのだ。」
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d0017381_22443320.jpg・・・という感じで全部で9ページにわたる記述がある。現代美術家を廃業して以来、最も長いレビューだと思う。内容に関しては、異論も反論も特にない(こないだ著者にもそう話した)。ネットをふくめ、そこを「ストリート」と呼ぶのであれば、たしかにそうかもしれない。ただし、いつ・どのストリートにいても、必ず「メインストリート」からハズれるクセがある。ECDは「言うこと聞くよな奴らじゃないぞ」のなかで「オダマサノリで道をハメはずし・・・」とうたっていたが、いつも道を踏み外してしまうのは、そのオダマサノリ本人だったりする。その点からすると、「ホームレス」というのもあたってる。いろんなものを書いたりつくったりするけど、どれひとつとして「本職」や「本業」でない、という意味で「ホーム(グラウンド)レス」である(いったい自分の「天職」は何なのだろう?)。たとえば学者が自らのアイデンティティとする「専門」や「研究職」を持たず、また「本」や「論文」も書かないので、学者や物書きとしては「ホームレス」である。さらに表現者が自らのアイデンティティとする「作品」や「オリジナリティ」を持たず、「個展」もやらないので(「回顧展」はよくやる)、美術家や表現者としても「ホームレス」である。「地下大学」や「夜の大学」「青空大学」などには呼ばれるが、「大学」という機関の内部には属してない。「イルコモンズ・アカデミー」や「イルコモンズ・リブートキャンプ」は「拡張された芸術」活動だったのだが、日本ではそれをアートとしてみる習慣がないので、「ギャラリー」や「美術館」で公開されることもない。どこでもたいてい周辺や境界線にいて、ホームグラウンドがなく、いつも手ぶらである。だから、さまざま雑多なものを伝えるメディアになれるし、メディアであることがいちばんしっくりくる。

d0017381_22445632.jpg「活字媒体ではほとんどその名前をみつけることができない」というのは、著書がないからだと思うが、この7年間に書いた評論文やレビュー、連載や対談、コラムやエッセイを集めると結構な量になる。もっとも、「本」がないところが「ストリートの思想家」たるゆえんなので、それはそれでいいのかもしれない。現代美術家を廃業し、文化人類学者になりそこねつづけたゼロ年代は「ストリートの思想家」だったので、テン年代はものをつくる活動をふやして「ストリートの工作者」になってみたい。

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[追記] 東浩紀は「渦状言論」のなかで、同じ時期に出版された
佐々木敦の「ニッポンの思想」とならべて、この本をこんなふうに紹介している。

▼『ニッポンの思想』と『ストリートの思想』
「この二つ、ちょうど同じ時期に出たのは、偶然ながらとてもよいことだと思いました。みなさん、ぜひこの両者を並べて読んでみてください。前者も後者も浅田彰と1980年代から始まっているにもかかわらず、じつに対照的な「思想史」を描いている。活況を呈しているらしいくせに見通しにくいと言われたゼロ年代の思想の光景ですが、この二冊が同時に出たことである種の立体的な見通しが得られ、初学者や編集者のみなさんにもとても理解しやすいものに変わったのではないかと思います。これは歓迎すべきことです。ちなみに、基本的には前者は東浩紀派(?)肯定の本、後者は否定の本です。毛利氏は同書の冒頭で「ストリートの思想」と「オタク的な思想」を対比し、後者をはっきりと批判するところから議論を始めています。ここで批判されているのが*1ぼくや『思想地図』であることは明らかですが、しかし、ぼくは毛利氏の筆致には党派性は感じず、むしろすがすがしい気がしました。毛利氏とは確か数度お会いしたことがあるはずで、どこかで対話できたらよいな、と思います。ぼくは必ずしも、「オタク的な思想」が、そこで毛利氏が総括しているほど貧しいものだと思っていません。また「オタク的な思想」がストリートや政治と無縁とも思っていないただ、つい最近まで、「オタク的な思想」のツールがそのような話題を扱えるところまで熟していなかったこと、またぼく自身が、批評市場の活性化のためにそのような話題を戦略的に避けてきたことは確かです。その点には理由もあれば反省もあります。それらの状況判断を含めて、あらためて有益な対話ができるのではないか。だれか、対談・鼎談でも組んでみませんか。この話題、ブログでやるとすぐ消費されてしまうので、週刊朝日か文學界の連載で続けようと思います。」(「東浩紀の渦状言論 はてな避難版」より)
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by illcommonz | 2009-08-06 22:48
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