![]() はじめに、ふた、ありき
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![]() ここらで、ちょっと、一服しようかな。 ■あ、やっと、もどってきたね。今回はまた ずいぶん長くかかったね。 ●なにしろ息をヌいてまわるのが僕の仕事だ からね。でも最近は何だかもう、殺人的に 忙しくて。こちらの息がキれそうだよ。 ■なにはともあれ、これでようやくふたりそ ろって話ができる。やっぱりひとりで書くの は体によくないね。息が詰まりそうになる。 ●そう。「存在する」とは、これ、すなわち、 病める時も健やかなる時も雨の日も風の日も 絶対的に「複数-で-共に-あること」って、 そう、ナンシーの本に書いてなかったっけ。 ■本じゃなくて、翻訳版の本の帯にね。 ●あ、そうか。でも、あれは良い帯だね。そ れに原書と訳書を一緒にならべると、こんな 風になかなかきれいだよ。 ■そんなことより、どう思う、タバコのアレ。 ●あぁ、アレねぇ、「ついに、ヘルスケア・ プロパガンダがはじまったか...」って感じで、 プロクターの『健康帝国ナチス』を、いま、 また読みかえしてるところだよ。「健康増 進法」って、どう考えても、不気味すぎる。 ■たしかに靴音が迫ってきてる感じがするね。 ●聞いたところによると、宮内庁は「恩赦の たばこ」も廃止することにしたそうだよ。ま さに国策なんだね、これは。優良生活者と 健康市民のための、というか、ためだけの、 健全で明るく衛生的な社会と街づくりは、僕 らみたく、規則ただしく乱れた生活を送って る人間にとっては息の詰まる思いがするね。 ゴダールが云うようにもともと「愛」と「国家」は 対極にあるものだから、見かけは どうあれ、アレが国民の健康への気遣い なんかではないことが分かってるだけに、 余計なお世話だという気がする。むろん、 受動喫煙の方がよっぽど迷惑だというのは 承知してるから「ここで吸うな」と云われれば 「はい、ごめんなさい」ってひっこむけど、 そうじゃない、主体的喫煙にまで口をはさま れるのは、やっぱり余計なお節介だね。 ■あ、いやそうじゃなくて、ここで話したい のはあのウルサイ警告文が、タバコのパッケ ージ・デザインをだいなしにしてるってこと の方で、人の健康に配慮するふりはしても、 デザインにはそうしないんだなってことだよ。 ●たしかにタバコのパッケージやロゴには、 それをデザインしたデザイナーがいるからね。 例えば、ピースはレイモンド・ローウィだし、 ハイライトは和田誠、ホープは塩塚四郎かな。 ■でも、この話をすると「海外はもっと徹底してる」ってそう云われるんだ。 それは僕も承知してて、例えば、カナダのタバコのパッケージがそうで、 汚れた肺や歯ぐきの写真をあしらったものから、病院のベッドに横たわる 肺ガン患者の写真がレイアウトされたものまであるからね。さすがに あそこまでいくと、もうタバコのパッケージには見えない、と、そう云わざる 得ないくらい明確なコンセプトメーキングとデザインワークがされていて、 あそこまでやられれば、さすがにこちらも「まいった」って感じで観念するけど、 いまの日本のタバコのあれは、まるで蛇の生殺しみたいで、あれじゃ、 デザインが成仏できないし、特に君みたいに、ものをつくる人間からすると、 デザインに対する陵辱的行為だという風に思わないか? ●いや、パッケージにしろ、ポスターにしろ、デザインは、作り手の手を一度 離れてしまえば、後は世間の手垢と雨風と消費にもまれ、最後はゴミとして 捨てられる試練の連続だから、そこは割と平気なんだけど、もしグッドデザインを 破壊するんなら、グッドテイストにしろバッドテイストにしろ、それに匹敵する だけの強度をもったデザインでもって凌駕してほしいとは思うね。そうすれば 迷わずに成仏できるからね。 ■つまり見苦しいのはイヤだということだね。 ●まぁ、そういうことになるね。 ■僕はデザインは得意じゃないけど、工作ならできるので、 自分用にこんな自前のパッケージこしらえてみたんだけど、どうだろう? ![]() ●ハハハ、これはいいね。この画像はどこで見つけた? ■「塩とたばこの博物館」のアーカイブにあったのを失敬したんだ。 昭和30年代に実際に使われてた宣伝らしい。 ●「今日も元気だ、たばこがうまい!」って名調子だね。 生きてる実感にあふれてる。というか、詩的ですらある。 ■よく、たばこは「百害あって一利なし」とか云われ、たしかに 医学的に判断すれば、そうなんだろうけど、別に僕らは、 医学的な損得勘定だけで人生を送ってるわけじゃないからね。 「元気」にしろ、「うまい」にしろ、それは利益計算からはじきだされる ものじゃなくて、デリダのいう「計算し得ないもの」であって、 常に計算を超えたところから「やってくる」、美学的な情動だ。 ●それに、そもそも「生きる」ってことは、死すべきものとしての 人間の運命にさからって、つねに死神の裏をかきながら、 死に抵抗して生き延びてゆくことだからね。岡本太郎に 云わせれば「本当に生きるということは死んでもいいということだ」。 ■僕もそう思うので、パッケージのふちには、こう書きこむことにしたんだ。 「メメント★モリのひととき」 ●そうだね、たばこが「死を与える」ものだというのは事実だけど、 死を想わせるそれは、「いま・まだ・ここにある生」を輝かせてくれる ギフトでもあるからね。つまり、たばこは毒であると同時に薬でもある ファルマコンだということだね。 ■そういうこと。実はこないだ「コーヒー&シガレッツ」でイギー・ポップと トム・ウェイツがふたりでたばこをプカプカ吹かしながら、 コーヒーを飲んでるのを見て、ふと、そんなことを考えたんだ。 知っての通り、二人ともそれぞれに破天荒な人生を送ってきて、 健康とはまるで縁のなさそうな人間だけど、それでもああやって、 二人とも、ちゃんと生きてるのを見てたら、そんな風に思ったんだ。 ![]() ●僕も君に勧められて観たけど、むしろ僕は、あの共に生きてる感じが いいなぁ、って思いながら、その同じシーンを見てた。たしかガタリが こんな風に云ってたよね、共に何かをするってことは一緒に息をすることだって。 いわゆる、まわし飲みとは違うけど、ああやって、互いが吐き出した煙を 互いに吸い込みながら、無為な営みと蕩尽の時間を共有する相棒と 場があるってのはいいもんだな、と、そう思いながら見てた。だから 僕にとって、あのヘルスケア・プロパガンダの不愉快なところは、 そういうイルな生の共有地を奪うだけでなく、さらに喫煙者と嫌煙者の 犬猿化を煽ってるように思えるところで、だからこそ、そういうネガティヴ・ キャンペーンに対しては「ああ、今日も元気だ、たばこがうまい」という イルな生の歓びの宣伝を、つき返してゆきたいものだね。 ![]() 恵んでくれないか、そのファルマコンを。 ●よし、きた、じゃ、これでも食らえ、 小さな死の爆弾の贈り物だ。 ■メルシーズ、アサンテス、 サンキュス、グラッチェ、サーナ。 ●タバコを恵む、といえば、生前、 ドゥルーズは、相棒のガタリからよく、 もらいタバコをしてたみたいだね。 ドゥルーズがちょっと猫背になって、 ガタリがさしだしたタバコを、 「お、すまんね」という感じでもらってる そんな写真をどこかで見たことがある。 ■それは僕も見たことがある。 翻訳版の『カフカ』の表紙の見返しに なってる写真がそれだけど、残念ながら、 下の部分がトリミングされてるので、 タバコのやりとりは見えないけどね。 ●じゃ、この写真はその直後のものだね。 ドゥルーズはひどい喘息持ちだったから、 家ではタバコを吸わせてもらえなかったので、 それで外でガタリと会ったときに、 息ヌキをしてたんじゃないか? ■それもあるだろうし、特にこの世代くらいまでのヨーロッパの知識人や芸術家たちは、 ナチスがやった身体のジェントリフィケーションに対する抵抗として喫煙していたという ところもあるからね。 ●そう考えると、タバコというのは、ギフトエコノミーや生-政治を考えるのに なかなかあおつらい向きだね。 ■この続きはまたいずれ。
by illcommonz
| 2005-06-19 12:10
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