![]() はじめに、ふた、ありき
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![]() 「また選挙がやってくるが、ぼくは、もう、どれかの政党の、だれかに投票することはしない。投票する、ということは、ぼくのもっている、ごくわずかの権利のうちの一つである。だから、だれかに投票はしないが、棄権するつもりはない。投票日になったら、その日が晴れていても、どしゃぶりであっても、ぼくは投票所へ出かけてゆく。投票所にいって、投票用紙をもらうと […] 候補者の名前を書くワクの中に、まず斜めの線をぐいと一本引く。つぎに、それと交わるように、もう一本斜めの線を引く。× つまりバッテンをつける。なんだ、つまらない。いい年をして、まるでこどもみたいなことをする。それがいったいなんの役に立つのか、ただ無効投票を一票ふやすだけ、それだけのことではないか、ともおもう。しかし、ぼくがやろうとしているのは、投票ストライキである。ぼくには、投票をストライキする権利、スト権があるはずである。ストライキをしたという気持ちをはっきりあらわすために、大きく堂々と×を書いてくるのである。[…] このストライキは、ぼくひとりでやるストライキである。そんなことしても、なんの効果があるものか、じぶんだけの、したり顔のおもい上りにすぎない、といわれても、ぼくは、じぶんひとりでやる。」(花森安治) イルコモンズも投票はしないが、きっちり投票所には行く。雨が降ってもカンカン照りでも行く。投票するために、ではなく、花森と同じように、「投票スト」をするために行く。もらった投票用紙にボールペンでグリグリっと×印をつけ、投票箱の中にポイっと投げこむ。選挙管理員たちの目の前で、いかにも投票しているような素振りで、そうするのは、なんだかイタズラをしているような気分で、ちょっとおかしい。「まるで子どもみたいで、不まじめだ」と思われるかもしれないが、投票に行かないよりはずっとましだと思うし、投票すればそれですむというわけでもない。花森と同じく、グリグリの直接民主主義者であった、ヨゼフ・ボイスはかつてこう云っていた。 「私から忠告させてもらえば、現在の体制を変えなければならないということです。そのためにわれわれは、お互いにむすびつき、連帯しなければなりません。そのために多くの人々、多くのグループを集めなければなりません。そして今とは違ったことをしなければなりません。ただ選挙によって何らかの政党を選び、それによって現在の体制を結果的に擁護するというようなことでは駄目なのです。逆にまったく直接的で民主主義的な工作をしなければなりません。」(ヨゼフ・ボイス) さらに、こうも云っている。 「現在の社会では社会正義論の問題についてはずいぶん議論されています。しかしそれは国民経済だけの問題です。これだけ経済や社会の改良の話がでているにもかかわらず、実際の労働現場では、決して社会的で人間的な状況が訪れていません。どんな人間も自分で民主主義に参加できるという民主主義の状態は訪れていません。それはなぜかといえば、自己自身を自分で決定しなければならないという権利と義務に誰も立ち向かっていないからです。その意味で社会民主主義ですとか、民主社会主義とかそんなものはどうでもいいのです。あれは一種の改良もしくはティーパーティーにしか過ぎないのです。そして彼らのしているのは、ただ現在の社会が陥っている問題の提起だけです。我々が持っている自己決定の能力というものが、現在、社会権力によってその機能を奪われています。それに対して我々は抵抗しなければなりません。抵抗するのが非常に難しいのは確かですが、この自己決定の能力から我々はことをはじめなければならないわけです。」(ヨゼフ・ボイス) 大事なのは、「投票ストをする/投票しない」かわりに花森は、自分の暮らしを自分でなんとか少しでも「まともなもの」(それは「よりリーズナブルだったり、よりコンビニエントなもの」ではない)にするための「工作」の雑誌である「暮らしの手帖」を、死ぬまでつくり続けたことだ。つまり、自分の暮らし、すなわち、自分のライフスタイル、自分の生き方、自分の人生を、まずは自分の手で、自分の力で、少しでもまともなものに改革するための様々な日々の「工作」の実験とその持続的な普及作業によって、「投票ストをする/投票しない」ことの落とし前ををつけていたわけだ。だから、イルコモンズも「投票ストをする/投票しない」かわりに、その分、デモやストや直接行動に参加するし、これまでそうしてきた。この先もたぶんそうする。場合によっては「鼻をつまんで投票する」こともあるかもしれないが、今回はしない。ただし今回は、罷免したい最高裁裁判官が二人いたので「最高裁判所裁判官国民審査」の方は×印のつけがいがあった。こちらは「無効票」にならないので、とりわけ力をこめてグリグリグリグリっと カンカン照りの夏の午後、半ズボンに麦藁帽子をかぶって自転車で家に帰りながら、子どものころの夏休みのことを思い出していた。子どものころ、町の図書館で読んで、「大人になったら、自分もやろう」と思っていたことを、大人になった今、もう一度それを自分の頭で考えなおして、こうしてやれていることが、ちょっとだけうれしい。だから「したり顔のおもい上りにすぎない」といわれても、ぼくは、また、やる。 さて、明日は、宮下公園の祭だ。「期日前投票宣誓書」に「期日前投票をする事由」として「本人又は親族の冠婚葬祭」にマル印をつけた手前、明日はたとえゲリラ豪雨になってもカンカン照りになっても、行かないわけにはいかない。 ---------------------------------------------------------- [追記] どしゃぶりのなかで演奏した「オールド・ラング・サイン」は気分がよかった。
by illcommonz
| 2009-08-29 17:02
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