はじめに、ふた、ありき
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▼「アートと公共性:社会的排除に対して、今、芸術には何が出来るのか」 (宮下公園サマーフェスティヴァル・シンポジウム) [日時] 2009年8月31日(月) 19:00-21:00 [場所] (台風のため)東京・渋谷 氷川区民会館) [パネリスト] ・藤井光=現代美術家:知識情報化社会に伴う社会的矛盾を、先鋭な表現によって浮き彫りにする作品で注目を集めるアーティスト。アート・アクティビストとして、労働運動や表現の規制に抗う社会運動などにも積極的にコミットしている。http://www.youtube.com/user/nikepolitics ・早川由美子=映画監督:ドキュメンタリー映画「ブライアンと仲間たち パーラメント・スクエアSW1」監督。2007年に渡英。ロンドンでジャーナリズムを学ぶ傍ら、独学で映像製作を始める。2009年日本ジャーナリスト会議、黒田清JCJ新人賞受賞。www.brianandco.co.uk ・いちむらみさこ=アーティスト、ホームレス:現在都内公園に在住。ホームレス、ジェンダー、公共をテーマにパフォーマンスや制作活動している。最近の作品は「叫ぶ会」「Give me food for art!」 ・小田マサノリ / イルコモンズ=元・現代美術家、アナーキスト人類学、メディア・アクティヴィスト、音楽活動家。1989~1996年、東アフリカでフィールドワーク。2001年、横浜トリエンナーレ出展。2002年、現代美術家を廃業。2003年「殺すな」発起人。以後、イルコモンズ名義で執筆、デザイン、映像制作を行なう。http://illcomm.exblog.jp/ ・原口剛=都市社会地理学者:寄せ場や野宿の運動にかかわりながら、釜ヶ崎の戦後史を中心として、野宿者の現状、都市論や社会・空間的排除論などについて研究をしている。 [司会進行] ・植松青児=労働者:90年代よりパブリック・アートの実践に関わり、07年以降「憲法カフェ」「移動する広場」「自由と生存のメーデー」等に参加、公共性の再定義/再創出、「未来の民主主義」に関わる社会的/文化的実践を模索している。 ・五野井郁夫=政治学者・国際関係論研究者 ・前田幸男=国際政治学者、批判的地理学研究者 -------------------------------- ひとりでする「美術」を忘れて、みんなで「工作/DIY」できるメディアをつくることかな。つまりは「芸術」の解放と直接民主化。 「私から忠告させてもらえば、現在の体制を変えなければならないということです。そのためにわれわれは、お互いにむすびつき、連帯しなければなりません。そのために多くの人々、多くのグループを集めなければなりません。そして今とは違ったことをしなければなりません。ただ選挙によって何らかの政党を選び、それによって現在の体制を結果的に擁護するというようなことでは駄目なのです。逆にまったく直接的で民主主義的な工作をしなければなりません。」(ヨゼフ・ボイス) 「現在の社会では社会正義論の問題についてはずいぶん議論されています。しかしそれは国民経済だけの問題です。これだけ経済や社会の改良の話がでているにもかかわらず、実際の労働現場では、決して社会的で人間的な状況が訪れていません。どんな人間も自分で民主主義に参加できるという民主主義の状態は訪れていません。それはなぜかといえば、自己自身を自分で決定しなければならないという権利と義務に誰も立ち向かっていないからです。その意味で社会民主主義ですとか、民主社会主義とかそんなものはどうでもいいのです。あれは一種の改良もしくはティーパーティーにしか過ぎないのです。そして彼らのしているのは、ただ現在の社会が陥っている問題の提起だけです。我々が持っている自己決定の能力というものが、現在、社会権力によってその機能を奪われています。それに対して我々は抵抗しなければなりません。抵抗するのが非常に難しいのは確かですが、この自己決定の能力から我々はことをはじめなければならないわけです。」(ヨゼフ・ボイス) あるいは、これ。 「私のあらゆる作品は、都市の体験に対する批評的な次元の確立をねらった、都市への介入行為として理解できると確信しています。(...) (いまの)建築的な環境は、私たちを袋小路に押しこみ、私たちの感覚をマヒさせ、視線の自由を奪い、無意識をあやつり、欲望をむきだしにさせ、権力関係を隠蔽して神話化し、文化的で美しい都市の背景という巧妙な見せかけのもと、空間の社会関係を支配し管理しようと企む者たちの利益のためにデザインされた有効な手段となり、また、そのイデオロギーのメディアになっています(...)。これに対抗するために私たちは、都市行政や不動産事業に対するアクションを起こし、コミュニケーションのメディアとして、それを活用しなければなりません。アーティストは、社会の一部でありながら、その外に追いやられがちな事実や問題をとりあげ、それに困惑しつつ立ち向かうことで、ジェントリフィケーションが進行する都市部での社会生活に、批評と刺激をもたらすことができます。(...) 言論のためのパブリックな場をふたたび切り開いてゆこうという課題は、社会的な課題であり、政治的な課題であり、アクティヴィストたちの課題であるのみならず、それはアートの使命でもあるのです。しかし、現在の都市は、不動産事業の美的センスにもとづく空間的な分離統合によって支配されているため、この「文化環境」から追い払われた者たちは、それに対抗する自前の建築物を持つことが必要なのです。私とデヴィッド・ルーリーが行っている「ホームレス・ヴィーグル・プロジェクト」は、「人を追い払う建築」に対し、「追い払われた人びとの建築」が行うレジスタンスの表現なのです。それは経済によってバラバラにされた都市のコミュニティのあいだの境界を、文字どおり突破するものとしてデザインされています。このヴィークルが空間のなかに入り込むと、それが「ホームレス」と「非ホームレス」とのあいだのコミュニケーションを促すメディアになるのです。いまの中産階級の人びとは、消費者として見事なくらいトレーニングされています。「よき消費者たち」である彼らは、どんなかたちをした、どんな機能のものであっても、たちどころにその目新しいものの価値を正確に見積もるすべを心得ており、その眼はつねに商品に方に向いています。私たちは、何を見ても、その道具のかたちや細部、そしてその動きに注目し、ある特殊な状況のもとでの位置づけを問います。「それは何をするのか?誰が使うのか?どんな状況でそれが必要になるのか?そして、それを持つことはどのくらい大切なのか?」と。もし仮にその道具が、これまで見たことのないようなものであれば、私たちは好奇心をもって、その外見にまず驚き、そしてその道具を操る者の動きを仔細にながめるでしょう。そして私たちは、その道具がどんな変化を及ぼすかに興味をもち、それが使用者にとって、そして私たちにとって、どんな意味を持つのだろうかと考えるでしょう。これは私たちが路上でヴィークルの実験をやっていたときに気がついたことです。多くの街の安住者たちが、自ら進んで近寄って来て、こう質問しました。「これは何なのか?」 普段なら、こうした人びとは、路上生活者を見かけても、決してそんな質問はしないものです。つまり、人びとはこのオブジェを通して、普段なら発することのない問いを、そこで発していたのです。」(クシュシトフ・ヴディチコ) そして、いまはこれ。 「- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 」 (バンクシー) 「Universal Declaration of Access to Creativity」(ヴァキュームクリーナー) でも、この話はまた別の機会に。まずは現場にかかわった人たちの話を聞きたい。
by illcommonz
| 2009-08-31 00:38
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