はじめに、ふた、ありき
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▼「リーマン・ブラザーズ破綻、
破産法申請」 「アメリカの大手証券会社・リーマン・ブラザーズはニューヨーク現地9月15日未明(日本時間15日午後)、連邦破産法第11条の適用を申請する事を発表した。リーマン社は2008年3月から5月期の決算で株式上場後初めての当期赤字を計上。また6月から8月期の決算でも2四半期連続赤字になる見通しを9月10日に発表。更にサブプライムローンの影響による関連損失も計上したが、更に損失の出る恐れのある不動産関連の資産も多数持っていたため、株価が急落していた。」(2008年9月15日 朝日新聞 「アメリカの証券会社 リーマン・ブラザーズが破綻」出典:『ウィキニュース』より) 今から一年前の9月、その当時、もう誰にもとめることができなくなってしまっていた、金融テクノロジーと資本主義プログラムの暴走がひき起こした経済的落盤事故。世界中を生き埋めにしたニューヨーク金融炭鉱の悲劇。際限のない投機によって膨張したマネーの重みで山がくずれ落ち、負債証券の土砂が濁流のように流れだした。ネットワークでつながった世界は次々とこの落盤事故に呑み込まれていった。死者数・行方不明者数は依然として不明。市場という特定の場所を超えてひろがった、この時代のユニバーサルな悲劇によって、世界はいまだ出口がみえない埋もれた坑道の暗い闇の中に閉じこめられたままである... 「空気を節約するためにカンテラが吹き消された。あたりは漆黒の闇に覆われた。誰も口を開かなかった。五秒おきに天井から落ちてくる水滴の音だけが、闇の中に響いていた。 「みんな、なるべく息をするんじゃない。残りの空気が少ないんだ。」 (村上春樹「ニューヨーク炭鉱の悲劇」より) "残りの空気が少ないんだ"と、いまは、CO2を減らすために電気が節約されている。 「闇が少しづつ現実を溶解させていった。何もかもがずっと昔に、どこか遠い世界で起こったことであるように思えた。あるいは、なにもかもがずっと先にどこか遠い世界で起こりそうなことであるように思えた。 みんな、なるべく息をするんじゃない。残りの空気が少ないんだ。」 (村上春樹「同上」) 一年前の金融資本主義の落盤事故は、どこか「遠い世界」ではなく、いま・ここにある世界で起きた。倒れてきた坑道の壁にぺしゃんこにされなかっただけでも、まだましだが、資本主義がさんざん吸い荒らし、吸い尽くしていった後の、残り少ない空気のなかで、いま僕らは息をつめて生きている。うす明るい闇の息苦しさと閉塞感は完全な闇よりもかえってたちがわるい。経済危機と環境危機の二重苦がもたらす精神的危機がガスのように蔓延している。一年経っても救援隊はやって来ない。あるいは、ビージーズの歌の歌詞のように、もう手のほどこしようがないとあきらめて、ひきあげてしまったのかもしれない。いや、そうではない。救援隊も一緒に生き埋めになっているのだ。 リーマンショックの後、グリーンスパンは「百年に一度の大津波」だと云ったが、資本主義は地震や台風のような自然現象ではない。人間が考えだし、人間がつくったシステムである。その意味で、この事故と悲劇は、その資本主義の暴走をくいとめることをしなかった、この時代の人間の怠慢と不注意がひきおこした「百年の愚行」である。もし希望があるとすれば、こうした愚行は今回がはじめてではないということだろう。愚行はずっと昔に、つまり1929年に、この世界で起きたことでもある(そして、このままゆけば、いずれまた同じ愚行をくりかえすだろう。金融資本主義の次は、エコ資本主義の番だ)。だが、人間がやることならなら、人間の力で終わらせることができる。人間の怠慢と不注意が起こした愚行なら、過去の歴史にまなぶことで、それを改めることができるはずだ。「こわれやすい卵」として、いつまでも土のなかにうずもれているだけでなく、また、政府の経済政策をあてにするのでもなく、こんな世界は「もうたくさんだ」と、カタツムリのように自分の力で地面に這い出してゆくことを考えはじめなければならない。 今から一年前、リーマンショックの直後のニューヨークにたまたま行く機会があった。タイムズ・スクエアにあるリーマン・ブラザースのビルを見に行くということはしなかったが、経営破綻関連のニュースを目にするたび、ふたつのイメージが頭に浮かんでいた。ひとつは、映画「エンロン」でみたアグレッシヴなトレーダーたち、もうひとつは、ミヒャエル・エンデの「モモ」にでてくる「灰色の男たち」だった。次々と経営破綻していった証券会社には、「灰色の男」たちの現代版であるアグレッシヴなトレーダーたちが陣取っていたのだろうと思いながら、ふたつのグラウンド・ゼロを持つことになってしまったニューヨークを見て回った。それから一年経った今、そのとき浮かんだ「灰色の男たち」のイメージに導かれるようにして、エンデが晩年に語ったことばを読みかえしている。これはリーマン・ショックよりもずっと以前の1994年に、エンデがあるインタヴューにこたえて語ったものだ。 「どう考えてもおかしいのは、資本主義体制下の金融システムではないでしょうか。問題の根源はお金にあるのです。(...) ここで現代の社会を見渡せば、私たちはバビロンのまっただなかにいることに気づくでしょう。バビロンは売買されてはいけないものが売買されることと同義なのです。現代社会では芸術から宗教まで、売買の観点からみられていないものはひとつもありません。ヨハネ黙示録にはバビロンすぐに亡びると書かれています。みなが信じられない早さで滅亡すると。私のみるところ、現代のお金が持つ本来の問題は、お金自体が商品として売買されていることです。本来、等価代償であるべきお金が、それ自体が商品になったこと、これが決定的な問題です。貨幣というもののなかに、貨幣の本質をゆがめるものが入り込んでいるのではないでしょうか。これが核心の問いだと思います。このシステムが必然的にもたらすことがはっきり見えるようになる前に、理性と理解により、この資本主義システムが改革されるという幻想を私は抱いていません。つまり、史上よくあるように、理性が人を動かさない場合は、出来事がそれを行うようになるのです。その出来事は、私たちの子孫がこの惑星上で暮らしていくことを難しくすると思います。(...) 重要なポイントは、パン屋でパンを買う購入代金としてのお金と、株式市場で扱われる資本としてのお金は、ふたつの異なる種類のお金であるという認識です。大規模資本としてのお金は通常マネージャーが管理して最大の利潤を生むように投資されます。そうして資本は増え、成長します。とくに先進国の資本はとどまることを知らぬかのように増えつづけ、そして世界の5分の4はますます貧しくなってゆきます。というのは、この成長は無からくるのではなく、どこかでその犠牲になっているからです。そこで私が考えるのは、再度、貨幣を実際になされた労働や物的価値の等価代償として取り戻すためには、いまの貨幣システムの何を変えるべきかということです。これは人類がこの惑星上で今後も生存できるかどうかを決める決定的な問いであると、私は思っています。(...) 人々はお金を変えられないと考えていますが、そうではありません。お金は変えられます。人間がつくったのですから。」 それから14年後、ハイパー・バビロン・システムとしての金融資本主義は自滅した。資本主義のグローバル化に反対してきた反資本主義のアクティヴィストやエコノミストたちがそれを「改革」する前に、リーマンショックという「出来事」で自滅した。もちろんこれは一時的なもので、亡びたわけではないが、これがひとつの転機であることは確かだ。1929年の大恐慌の歴史からまなぶべきことは、このままじっと待っていれば、そのうち政府が新しい経済政策(かつてはニューディール政策、いまはグリーンディール政策)で救済してくれるはずだ、ということではなく、大恐慌のさなかに、世界の多くの地域やコミュニティがインディペンデントに立ち上がってきた「オルタナティヴな貨幣システム」のとりくみの方である。具体的には「地域通貨」や「交換リング」だが、いきなりそれをはじめようとしても無理な話で、まずはそのシステムの中にある、ものの見方や考え方を知ることが大切だ。いまはその、またとない機会だと思う。旧態依然とした政府の政策のすすめるがままに、再び、際限のない消費活動によって落盤事故が起きる前の状態にもどすというのでは元の木阿弥だ。そうではなく、「金がすべてである」あるいは「金がすべて」という世界を一気に変えるのでなく、その世界のなかに、地域通貨や交換リングのような、それとは別の「もうひとつの経済」をこしらえるための具体的な環境や条件を整えてゆくのがよい。そのモデルとなる成功例(NYの「イサカアワーズ」など」や失敗例(NAMの「Q」など)は数多く存在する。 いま、どんなに空気が残り少なくなってきているとしても、決してあせらず、カタツムリ(あるいは、エンデが愛したカメ)の歩みにならって、ゆっくりと、そして、大きく息を吸いながら、セプテンバー・フィフティーン以後の世界を考えなければならない。オープンソフトウェア使用者や手芸愛好家たち、そしてアナーキストたちの世界では「もうひとつの経済」がすでに生きられはじめている。それを知り、それに参加し、共有していきたいと思いはじめている。あたりまえの話だが、交換や贈与はひとりの考えや行動では成り立たない。 ところで、グローバリゼーションは1989年からはじまったとされるが、もしそうなら、グローバリゼーションは今年で二〇歳である。これまで放蕩の限りを尽くしてきた世界も少しは、ものを分け合い、金やモノよりも人間を愛することを考えるようになるだろうか?「みんな、残りの空気が少ないんだ、なるべく公平に分け合おう」と云えるようになるだろうか?そうならなければ、これからはじまる水や空気の資源獲得競争はより苛烈で残酷な犠牲をともなうものになり、再び、別のセプテンバー・イレブンがくり返されることになるだろう。世界はセプテンバー・フィフティーンの悲劇を転機にしなければならない。弱肉強食と犠牲をともなうハードボイルドな新自由主義の世界の「終わり」を、「もうひとつの世界」というワンダーランドの「はじまり」にしなければならない、とそう思う。 ▼ザ・ビージース 「ニューヨーク炭鉱の悲劇」と「ラブ・サムバディ」
by illcommonz
| 2009-09-12 09:25
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