![]() はじめに、ふた、ありき
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![]() 400字詰め原稿用紙20枚で 頼まれた原稿をいま書きあげ、 注釈と文献表もきっちりつけ、 「さて、何枚書けたのかな」と、 うきうきしながら数えてみたら、 140枚だった... 向こう見ずな情熱にもほどがある。 もうとりかえしがつかないので、 事情を話してボツにしてもらおう。 こういうとりかえしのつかないことをたまにするのもいいものだ。 とりあえず失ったものはなにもない、連休も終わった、明日からまた仕事だ。 ボツにする56,000字をどうするかは、いずれまた考えよう。 とりあえず、書けた、書けないかと思ってたものが、書けた。 最後まで書きあげることができた、それでもう十分。 この年齢になってもまだ常識はずれな情熱が ちゃんと残っていたことが分かって、うれしい。 こういうとりかえしのつかないのが、生きたあかし。 こういうことがあるから、生きてるのは、おもしろい。 ----------------------------------------------------- 「大学でよく講演をやっていた当時、わたしはこういった。「みなさん、芸術に手を染めなさい。どんなにまずくても、どんなにうまくても、それでみなさんの魂は成長します」と。みんなが芸術をやるのはそのためだ。有名になりたいからでも、金持ちになりたいからでもない。自分の魂を成長させるためだ。美術批評をいろいろ読んで不満を感じるのは、それがみんなから絵を描きたいという意欲を奪うことだ。ダンスの批評も、みんなから踊りたいという意欲を奪うことだ。それじゃ、いけない。だれもが絵を描くべきだ。やってみると、なかなか気分のいいものだしね。だが、批評家にいわせると、斬新でないとだめ。まるで芸術にも進歩が必要だ、といわんばかり。冗談じゃない、進歩をめざす必要はない。芸術は一種のいたずらだ、美術家はいたずら小僧だ。実際にはなにも起きてないが、彼らはみんなを感情的に反応させようとする。芸術をまなぶのは、自分のたましいを養なうためで、出世するとか、有面人になるとか、金持ちになるとかのためじゃない。あくまでも人生の過程だ。芸術は、食事や、セックスや、運動と同じで、成長に不可欠なものだ。それによって人間は自分が何者かを発見できる。以前のわたしはよく聴衆に議論をふっかけたものだが、いまはもうそんな機会もない。もしそんな機会があれば、こういうだろう。「今夜、ひとつ詩を書きなさい。それをできるだけいいものにしていく。四行、六行、それとも八行。できるだけいいものに。ただし、その詩のことはだれにも話さない。誰にも見せない。やがて、そして、これ以上にならないと満足したら、原稿をビリビリ引き裂いて、ほうぼうのゴミ箱へばらばらに捨てれば、自分の努力の完全な報酬を受け取ったことがわかります。」それが創造という行為であり、そこから大きな満足が得られるわけだ。」(カート・ヴォネガット「すべて成し遂げた後の憂鬱」) ヴォネガットがいってることは本当にそのとおりだなと思う。 たしかに40字×1412行の分のたましいを手にいれた気分がする。
by illcommonz
| 2009-09-23 05:38
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