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「これまでの私の著作を批評する「道の手帖・鶴見俊輔」という本を、河出書房新社が二〇〇八年一二月三〇日に発行した。この本で私におくられた批評にこたえる。こたえたいと思って、この文章を書く。(中略) 私が十八歳、十九歳で、大学生だったころ、シルプ編の哲学者叢書が出ていた。(中略)本人が現存であり、それに対して現存の哲学者が意見を述べ、ひるがえって原著者がなにかを書くという形式の本である。(中略) 今、私は、年齢だけは、このシリーズの著者と肩を並べるところまできたが、同じ趣向の本に、自分が生きて出会うと思っていなかった。これは謙遜でなく、事実。私はこたえを書く。リジョインダー程度の小文だかが、二十篇をここに置く。二〇〇九年九月 鶴見俊輔」これは事実である。つい先日、このこたえがA4判の封筒にはいって郵送されてきた。ほかの評者たちのもとにもおそらく同じものが郵送されているはずだ。鶴見本人から直接送られてきた二十篇の「こたえ」をひとつひとつをよみながら、こう思った。もし自分が今の鶴見の年齢まで生きたとして、はたしてこれと同じことができるだろうか?と。しかし、よく考えてみれば、自分には著書も作品もないので、その心配はないのだ、と気づいた。それはともかくも、これが、鶴見へ評者たちから「おくられた批評」に対するこたえであるのなら、このこたえもまた「おくられた」ものだと思うので、全体の二〇分の一にも満たない抜粋だが、こたえの一部を、ここに置いてみる。 「こんなに長く自分が生きると思っていなかったのでとまどっている。でも、よいことのひとつは、わかったことの中に、わからなかったことへの手がかりが含まれている場合である。四年間の米国生活の中に、そのときわからなかった米国が含まれていた。イルコモンズの批評は、そこに焦点を置く」(鶴見俊輔「寄稿者への返信⑯イルコモンズ「あなたのきいているのとは別のもうひとつの太鼓をきく」) 批評を書くときの、よいことのひとつは、そのときわからなかったことや知りたかった別のことへの手がかりが含まれている場合である。たとえば、この言葉がそうである。 「足なみの合わぬ人をとがめるな。かれは、あなたのきいているのとは別のもっと見事な太鼓に足なみをあわせているかもしれないのだ」(ヘンリー・ソロー) こういう言葉に出会うことを「批評のわけまえ」だと思っている。つまり、鶴見からこたえをおくられる前に、すでに「わけまえ」をちゃんともらっていたので、これではもらいすぎである。また、もらったものをひとりでしまいこんでおくことは、よくないことだし、こういうのは「いくら分けても減らぬもの」だと思うので、こうして分け合うことにした次第。これは謙譲ではなく、義務。「イルコモンズ」*という名前から発する義務。 二〇〇九年九月 イルコモンズ *注: イル・コモンズ 【普通名詞】 01| ありふれて変なもの 02| 扱いにこまる共有物 03| 分けても減らぬもの 04| 存在とは常に複数で他と共にあり、狂えば狂うほど調子がよくなる
by illcommonz
| 2009-10-02 01:57
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