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![]() 「戦後生まれの、お父さん、お母さん、ありがとうございました。 ぼくたち、わたしたちは、おおきくなりました。 そして、いま、戦前を、戦前を生きています。」 (七尾旅人「911ファンタジア」より) ▼「貧困率:日本15.7% 先進国で際立つ高水準」 「長妻昭厚生労働相は20日、国民の貧困層の割合を示す指標である「相対的貧困率」が、06年時点で15.7%%だったと発表した。日本政府として貧困率を算出したのは初めて。経済協力開発機構(OECD)が報告した03年のデータで日本は加盟30カ国の中で、4番目に悪い27位の14.9%で、悪化している。日本の貧困が先進諸国で際立っていることが浮き彫りとなった。相対的貧困率は、国民の年収分布の中央値と比較して、半分に満たない国民の割合。今回政府はOECDの算出方法を踏襲した。06年の17歳以下の「子供の相対的貧困率」は14.2%で、同様に03年のOECDデータの13.7%(30カ国中、19位)より悪化している。03年のOECDデータで貧困率がもっとも悪いのは、メキシコ(18.4%)で、トルコ(17.5%)、米国(17.1%)と続く。最も低いのはデンマークとスウェーデンの5.3%。長妻厚労相は「OECDの中でもワーストの範ちゅうに入っており、ナショナルミニマム(国が保障する最低限度の生活)と連動して考えたい。来年度から支給する子ども手当で貧困率がどう変化するかもシミュレーションしていく」と述べた。」(毎日新聞 2009年10月20日) ![]() ▼「びゅうヴェルジェ安中榛名」 「「景」に暮らす・・・コンセプトに掲げた「景」とは、己の生き様、自分らしさ、個有のライフスタイルのこと。平易なコンセプトですが、この地の独特な住環境に身を浸すと、その奥深さを実感できます。妙義山のダイナミックな風景の中に暮らすことで、自分らしさ、家族らしさを見つける。大自然に包まれて暮らす…。だから、この街では自分に素直になります。忘れ去っていた自分に出会うことができます。「自分らしさ」の原点は、幼き頃、若き頃の思い出の中にある人もいるでしょう。また、深層に追いやっていた憧憬の暮らしにある人もいるでしょう。この街に暮らし始めた方々を見ていると、住み始めて半年程度の助走期間で「自分らしさ」を見つけ、1年もすると「自分らしく」暮らしています。表情が柔和になっていきます。日々の感動を素直に言葉にしていきます。そして、十人十色、百人百色の個性を持った方々が、この街を志向したという共通の価値観によって、とても心地良い暮らしが広がっています。自分らしい「景」を探しにきませんか?この立地だからこそ「景」が無限に広がっていきます。」 ![]() ▼びゅうヴェルジェ安中榛名(群馬県安中市秋間みのりが丘) 「自然に近く、都心に近い。ライフスタイルも多彩な新幹線駅近の土地分譲地。 東京へ60分、軽井沢へ1駅12分」 ▼「山岳ベース事件」 「山岳ベース事件(さんがくべーすじけん)とは1971年から1972年にかけて連合赤軍が起こした同志に対するリンチ殺人事件。当時の社会に強い衝撃を与え、同じく連合赤軍の起こしたあさま山荘事件とともに日本の新左翼運動が退潮する契機となった。当時、連合赤軍は、テロを行ったメンバーの多くが指名手配されるなどして都市部で自由な行動ができなくなっていた。そこで、警察の目の届かない山岳地帯に「革命戦士」となるための軍事教練や今後のテロ作戦のための拠点として、神奈川県の丹沢山地および群馬県内の榛名山や妙義山の周辺に、廃屋などを利用したアジトを複数設営し、これを「山岳ベース」と呼称した(名称は「榛名ベース」のように「地名+ベース」で呼ばれた)。これらのベースは1971年に丹沢山地に第一号が設営され、同年11月頃からメンバーが榛名ベースに大挙集合して軍事教練を行った。山岳ベースに集まったメンバーは合計29人(内女性は10人)いた。山岳地帯に逃げ込んで警察の捜査網から一時的に逃れたメンバーたちであったが、地元住民に不審な行動を通報されたことによって、警官隊の山狩りが開始された。その最中の1971年12月頃から「総括」と称して内部でメンバーに対する批判や自己批判の強要が行われるようになり、それがエスカレートして粛清に発展した。粛清の多くは榛名ベースで行われ、山狩りによって榛名ベースを放棄して妙義ベースに移ってからも行われた。「総括」の対象者は連合赤軍幹部の森恒夫と永田洋子の2人が独断で決定した。 ![]() 「総括」は建前は相手を「革命戦士として自ら更正させる」ことを目的としており、周囲のものが暴力をふるうことは「総括援助」と称して正当化された。その際のリンチは非常に凄惨で、激しい殴打を伴った。女性は逃亡を防ぐためとして髪を切られ、被害者らの死因は殴打による内臓破裂や、氷点下の屋外にさらされたための凍死であった。 ◆山岳ベースで死亡したメンバーと死亡日 ▽1971年12月31日 尾崎充男 (22歳・革命左派) ▽1972年1月1日 進藤隆三郎 (21歳・赤軍派) ▽1972年1月1日 小嶋和子 (22歳・革命左派) ▽1972年1月4日 加藤能敬 (22歳・革命左派) ▽1972年1月7日 遠山美枝子 (25歳・赤軍派) ▽1972年1月9日 行方正時 (25歳・赤軍派) ▽1972年1月17日 寺岡恒一 (24歳・革命左派) ▽1972年1月19日 山崎順 (21歳・赤軍派) ▽1972年1月30日 山本順一 (28歳・革命左派) ▽1972年1月30日 大槻節子 (23歳・革命左派) ▽1972年2月4日 金子みちよ (24歳・革命左派) ▽1972年2月12日 山田孝 (27歳・赤軍派) ![]() (フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)
by illcommonz
| 2009-10-22 15:48
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