はじめに、ふた、ありき
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▼「現代世界の昔ばなし:資本主義時代のフォークロア マンガ・文学・童話でよむ消費文化の光と影」(日本篇) (「文化人類学解放講座」配布プリントより) 今週の「文化人類学解放講座」は先週のつづきで、二〇世紀の消費「文化」について学びます。現代の消費文化について、大学の先生や研究者たちが書いたものには、みなさんがよんで共感できるものが少ないので、同時代のマンガ家や文学者、表現者たちが書いたものを、「資本主義時代のフォークロア」としてよみ、消費文化の光と影について考えます。なお、来週は学園祭で休講なので、いつもよりたくさんプリントをくばります。プリントをよくよんで・みて、よく予習・復習をしておいてください。 「1989年の秋に僕の海外生活は終わりを告げた。日本を離れたのが1986年の秋だったから、ちょうど三年間ヨーロッパをうろうろしていたことになる。たしかにこの三年間でずいぶんいろんなことが変わってしまったように思う。でもそれについてあれこれ結論じみたものを書くのはまだ時期尚早であるだろうと思う。ただひとつ僕にはっきり言えることは、この三年のあいだに日本の社会における消費のスピードが信じられないくらいドラスティックに加速されたということだ。久し振りに日本に戻ってきてまず最初に感じたのがそれだった。僕はその凄まじい加速度を目にして本当に、何の誇張もなくただ唖然としてしまったのだ。思わず立ちすくんでしまったのだ。それは僕に巨大な収奪機械を想起させた。生命あるもの・ないもの、名前を持つもの・持たぬもの、かたちのあるもの・ないもの、そういうすべての物事や事象をかたはしから飲み込み、無差別に咀嚼し、排泄物として吐き出してゆく巨大な吸収装置だ。それを支えているのは、ビッグブラザーとしてのマスメディアだ。まわりを見回して目につくものは、咀嚼され終えたものの悲惨な残骸であり、今まさに咀嚼されようとするものの嬌声であった。そう、それが僕の国なのだ。好むと好まざるとにかかわらず」(村上春樹「遠い太鼓」より) 「東京は資本主義の夢の島。何でも売ってて何でも買える。買わないと殺される(でも一体に誰に?)負けないぞ!買って買って買いまくってやる!なんたってオレ達は…この日出処の消費の島国の王子様と王女様なんだから」(岡崎京子「我買うゆえに我有り」より) 「ある晴れたすてきな日曜日、すてきな男の子がすてきな女の子とすてきな車に乗ってデートしている。彼らの乗っているすてきな車を造っている会社は実はすてきな軍需品も造っていて、遠い遠い国で起こっているすてきな戦争のすてきな人殺しに関与してすてきなお金をもうけている。すてきな彼と彼女はドライブスルーに寄ってすてきなランチを買って木陰で食べる。メニューは熱帯雨林を伐採した牧場で抗生物質入りの飼料で育った牛肉のダブル・チーズ・バーガーと食品添加物たっぷりのストロベリーシェイク、劣悪な油で揚げたフライドポテトとチキンナゲット、そして、コーヒー。すてきな彼女がすてきな彼からもらった金のピアスをゆらしながら、おしゃべりする。それは遠い遠い国の不当に搾取された労働条件のもと発掘されたものからできている。そしてそれはすてきな彼が不当に搾取された労働によって得た賃金で買ったものである。」(岡崎京子「にちようび」 より) 「買え、買え、もっと買え。」灰色は、毎日、人びとの心にささやきはじめました。「お前の持っているものは、もう古い。そんな古いものを持っていたら、馬鹿にされる。そんな古いものを持っていたら、貧乏くさい。そんな古いものを持っていたら、女の子にもてないぞ」。灰色は、とにかく人に「あれはもう古い、これはもう古い」と思わせたいのでした。そうすれば、人はどんどんものを買って、人がどんどんものを買えば、灰色の棲む「大きなお金の塊」が、さらに大きくなるからでした。それが灰色の「もう古いの計画」でした。そうやって、ものが古いと思われて、新製品が買われると、古いものは捨てられて、ごみになります。それを手下の一人が、こうまとめました。「つまり、ごみがふえれば、お金の塊は大きくなるのだ。我々の目標は、ごみをどんどんふやすことである」。そして、新しいイメージの化粧品たちをよく見ると、どれも同じ工場でつくられた、同じ内容のものが、何度も容器の形や、匂いや、宣伝するタレントさんを変えて売られているだけのようでした。そういう新しいイメージの品物を、せっせと買っている「豊かな」国々の人たちは、言い張りました。「けれど、微妙な違いを気にして、選ぶのが楽しいんだよ。どれも同じだなんて、違いがわからないから、そんなことを言うんだよ」。そうやって「豊かな」国々の人たちは、何十種類ものシャンプーや、何十種類もののポテトチップスが並んだ商品棚の前で、イメージの世界にとじこもるように買い物をしました。しかし、そこには大きな問題がありました。それは何を買うにも、たくさんの品物の中から選ばなければならないので、選ぶ時間がつもりつもって、まったく他のことをする時間がなくなってしまうのでした。(小沢健二「うさぎ!」より) 「あなたが、これから向かうのは、わたしたちが、やってきたところ」 (岡崎京子LOVE,PEACE & MIRACLE」より) [教材] ・岡崎京子「ヘルタースケルター」(1995-6年) ・岡崎京子「LOVE,PEACE & MIRACLE」(1996年) ・岡崎京子「チョコレートマーブルちゃん」(1995年) ・岡崎京子「でっかい恋のメロディ」(1995年) ・岡崎京子「にちようび」(1995年) ・岡崎京子「我買うゆえに我有り」(1990年) ・岡崎京子「pink」(1989年) ・村上春樹「遠い太鼓」(1990年) ・小沢健二「うさぎ!」(2005年-)
by illcommonz
| 2009-10-22 16:20
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