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「宅八郎氏 ネットに「ブッ殺します」…脅迫容疑で書類送検」
「神戸市在住の男性会社員(50)の殺害予告をインターネット上に書き込んだとして、兵庫県警東灘署は23日、「オタク評論家」として知られる宅八郎氏(47)=本名・XXXX、東京都XX区=を脅迫容疑で書類送検した。宅氏は書き込みをしたことを認める一方、「評論家としての表現の一つ」と話しているという。書類送検の容疑は今年3月19日、インターネットの交流サイトの掲示板に、男性の実名や勤務先を挙げて「ブッ殺します」などと書き込み、脅したとしている。男性がネット上で宅氏を「アキバ系」と評したことに立腹したという。宅氏と男性は2、3年前に知り合ったという。」(毎日新聞 2009年10月23日)
「オタク評論家」にしては、ネット上の言論と表現をめぐる昨今の社会情勢や、権力による統制の動きに、あまりに鈍感(どんかん)すぎはしないだろうか? それとも、社会や政治のことを、まるで気にかけないところが、宅のオタクたるゆえん(あるいは、オタクの宅たるゆえん)だろうか?それはともかくも、評論の表現って、そういうものじゃないと思うね。評論ってのは、思わず絶句したり、ことばを失うような何かを前にして、そこから、ことばをとりもどしてゆくためのもので、それが評論とその表現だと思うよ。「萌え」とか「カワユス」ばかり云ってると評論も表現も貧しくなるよ。あ、ついでにいうと、本名と住所まで報道する必要はないと思うね。そこをあえて報道するのが、まさに昨今の社会情勢。