![]() はじめに、ふた、ありき
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![]() Q:芸術家がお金によって堕落しないようにするにはどうしたらよいのですか? A:現在の芸術は資本主義社会の中で貨幣によって乱用され、多くの若い人々に誘惑的に働いています。(…) 私から忠告させてもらえば、現在の体制を変えなければならないということです。そのためにわれわれは、お互いに結びつき、連帯しなければなりません。そのために多くの人々、多くのグループを集めなければなりません。そして今とは違ったことをしなければなりません。ただ選挙によって何らかの政党を選び、それによって現在の体制を結果的に擁護するというようなことでは駄目なのです。逆にまったく直接的で民主主義的な工作をしなければなりません。(ヨーゼフ・ボイス) 現代美術が持ってきた否定の真理は、これまで常に、それをとりまく社会への正当な否定であってきた。一九三七年にパリで、ナチの大使オットー・アベックが、絵画「ゲルニカ」の前で、ピカソに「これを作ったのはあなたですか」と尋ねたとき、ピカソはまったく正当にこう答えた。「いえ、それは、あなたです」と。(ギー・ドゥボール) 「新しい反資本主義のこれまでの運動との違いは、まるでお祭りやカーニヴァルのようなアピールの形式、警察の弾圧をかわすための「とぼけた戦略」(道化師の格好をするとか花を配るとか)の採用をみれば明らかだ。「新しい闘いの文化」は、アートと政治の密接な関わりにおいて見てとることができる。「伝統的な闘いの文化」の闘士たちの活動においては、芸術が採用される場面はごく限られていた。よくてせいぜい「アクセサリー」あつかいだった。しかし、新しい世界をいま・ここでつくることがアクティヴィストたちの主要な課題となってからは、新しい反資本主義とアーティストの仕事はかつてないほど近づいてきている。いまやアーティストとアクティヴィストは互いに創造性を分かち合っているのだ。」(エセキエル・アダモフスキー) 人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りに、ちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は、人の世よりもなお住みにくかろう。越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。(夏目漱石) いまはむかし。そのころの世界にはキャピタリズムというものがあって、大きなお金や灰色の男たちが人びとをたいへん苦しめていました。でも、はじまりのあるものには、かならず終わりがあるもの。やがてキャピタリズムもだんだんすりへり、しぼみ、ほころび、くたびれてゆき、やがて、ものごとの運命にしたがって、有機的(ゆうきてき)にすたれて、消えて、なくなりました。キャピタリズムをなくすためにたたかっていたアナーキストのママやパパたちは、することがなくなったので、毎日、あみものをしたり、ぬいものをしたり、楽団をつくったりして、ゆかいに、たのしく暮しました。ある日、こどもたちが物置小屋で、ねずみごっこをしていたときのこと。物置のすみに、ふるいダンボール箱があるのをみつけました。箱をあけてみると、なかには紙の束がつまっていて、紙には文字が活字で印刷されてました。手書きの文字に慣れてるこどもたちの目には、印刷された文字がめずらしかったので、いつもそうするように、みんなでよんでみることにしました。ふーん、、へぇ~、、うふふ、、えーー!、、うそ!、、くすくす、、ふぅん、、ふわぁ~ぁ、、と、そうやって、ひととおりよみおわると、こどもたちはみんなで話しました。なんだかこれって、いまのわたしたちのことが書いてあるみたいね。でも、ちょっとへんだよ、だって、ぼくたち、じぶんたちのしてることを、「アート」なんてよんだりしないよね。ねぇ、ねぇ、アートってなに?それから、「アクティヴィズム3.0」って、なんだろうね、ぼくらがしてることを、むかしの人たちは、そんなふうに呼んでたのかな、こんな名前、はじめてきいたね。あ、あと、なんだっけ、クリエイティヴっコモンズライセンスってなんだろ?これって呪文? あ、そうかも。それに、自分の書いたものに自分の名前をわざわざ書くのもへんよね。そうだね、へんだね、おかしいね、むかしのひとってばかだったのかな? そんなことを話しながら、こどもたちは物置からでてゆき、こんどは、からすごっこをして遊びましたとさ。さて、これもいまはむかしのはなし、そして、世はこともなし、めでたしめでたし、はい、おしまい。(いるといら) 今日ないものは、明日もない (岡本太郎) いま、僕らがいつも歩いている街のきまりごとは自分たちの手ではなくって、企業、広告主、そしてすでにもう誰かもわからんような「権威」によって決められてしまっている。そこには権力と取引をしない生活者の声はなかなか届かない。いつのまにか、自分たちの街は広告主によって占拠され、みんなのための公共スペースは私有化され、僕ら自身も無意識のうちに、いたるところで規制されつくしている。(グラフィティ・リサーチ・ラボ) 革命は、ひとが楽に生きるために行うものです。悲壮な顔の革命家を、私は信用いたしません。夫はどうしてその女のひとを、もっと公然とたのしく愛して、妻の私までたのしくなるように愛してやる事が出来なかったのでしょう。地獄の思いの恋などは、ご当人の苦しさも格別でしょうが、だいいち、はためいわくです。気の持ち方を、軽くくるりと変えるのが真の革命で、それさえ出来たら、何のむずかしい問題もない筈です。自分の妻に対する気持一つ変える事が出来ず、革命の十字架もすさまじいと、三人の子供を連れて、夫の死骸を引取りに諏訪へ行く汽車の中で、悲しみとか怒りとかいう思いよりも、呆れかえった馬鹿々々しさに身悶えしました。」(太宰治) すべての人間が芸術家であるということは、すべての人間に本当の能力があるということです。なにも音楽をつくったりする必要はないのです。例えば、今日の現代的な飛行機に乗り込みますと、この飛行機を作るためにどれほどの発明の才能が必要であったか、どれほどの創造力、クリエィティヴな力が必要であったかということがすぐに解ると思います。その意味ですべての人間が芸術家だと私は言っているのです。昔のドイツ語の表現ですが、医学を医術、農業を栽培術といったりしましたが、その術が必要なわけです。もちろん芸術でもその術を使わなければなりません。いわゆる近代以降は芸術の概念を非常に高度な精神行為に美化してしまいました。昔は芸術という言葉はもっと技術とかの概念に近いもので、日常的に使えるということを本能的に予感できる言葉でした。その意味で芸術大学とか、あるいは画廊とかいうろくでもない、けつの穴みたなところで営まれているものだけが芸術だと思ってはならないわけです。(ヨーゼフ・ボイス) ![]() 「ストリートの思想家」と名づけるのは、彼ら・彼女たちの匿名性とその高い移動性のためである。この新しい思想家たちは変幻自在にストリートに顔を出す。神出鬼没の存在だ。二〇〇三年の反イラク戦争デモ以降の社会運動では、こうした複数の「ストリートの思想家」が重要な役割をはてしていく。ECDと並んで二〇〇〇年代の「ストリートの思想家」として重要なのは、小田マサノリである。小田マサノリは「イルコモンズ」という名義で「アクティヴィスト」として活動するほか、「なりそこないの文化人類学者」、「元・現代美術家」を自称している。小田マサノリの活動は、既存のメディアであるテレビや新聞、雑誌を中心に情報を得ている人には見えにくい。小田マサノリ/イルコモンズ名義で、エッセイとも論文ともつかない対話型の文章を書くことはあるけれでも、活字媒体ではほとんどその名前をみつけることができないからだ。けれども反戦運動やフリーター運動など、最近の若者の文化政治運動に少しでも関心のある人であれば、誰でも彼を知っているし、彼が今どこで何をやっているかも、日々更新されるそのブログを通じて知っている。小田マサノリも、ECDと同様に、新しい時代の「ストリートの思想家」と言っていいだろう。とはいえ、ここでいう「ストリート」は、単に「在野」という意味でも「路上」という意味でもない。むしろ社会がデジタル化され電子化され、ますます非物質的な領域に侵食されていることを意識しつつも、その情報の「流れ」や「道筋」を取り返していく思想家なのである。小田マサノリにとっては、インターネットの空間もまたひとつのストリートなのだ。小田マサノリを「ストリートの思想家」だと言う時、それは彼がストリートをフィールドとして選んでいるということにほかならない。通常、フィールドは囲われた面で捉えられるのに対して、ストリートは線で示される。そこにはとどまるべき場所はなく、常に「移動」が要請される。ストリートとは、「家をもたない人(ホームレス)」のものである。だが、かつてニーチェが述べたように、近代人とはすべからく故郷喪失者である。フィールドワーカーとは、ホームレスという例外状態を自らの常態として引き受ける存在を指すのだ。 (毛利嘉孝) エコロジーという言葉について、誤解が起きないように云っておきます。よく、それがすでに破壊された自然を回復することだというふうに解釈されていますが、それは狭い間違った誤解です。というのは、自然を救うといっても、現在の社会の状況のなかで、その大きな権力とか、様々な規定とか、経済秩序の中では、どんなことをしても自然を救うことはできないのです。その意味で自然を救うということだけに話を絞って、エコロジーという言葉を生物の世界にだけ狭めるのは反対です。現在の状況では自然を救えない以上、あるいは自然回復できない以上、どのような社会が、社会エコロジー的にみて、本当に生物を救う、自然を救うために役に立つのか、あるいは意味があるかという社会の改革の問題が先に来るのです。(ヨーゼフ・ボイス) コピーライトは、活字テクノロジーの出現以前には、事実上、知られていなかった。中世の学者たちは、自分が勉強している「書物」の本当の著者がだれであるかについて、無関心であった。しかも彼らは明らかに自分の著書であるものにさえ、まれにしか署名しなかった。彼らは社会的に認められない奉仕者の集団であった。ところが、活字の発明は匿名というものものを追放し、文学的な名声をうけるという考えと、知的努力を私的所有物とみなすという習慣をうみだした。台頭してきた消費指向の文化は、書物を剽窃と海賊版から守ろうとすることや、ホンモノのレベルをつくることに関心を示すようになった。こうして、文学ないしはアート作品を複製し、発行し、販売する、独占的な権利である著作権が生まれたのである。」 (マーシャル・マクルーハン) 一九六〇年代、わたしたちの多くはサンダードラマーでした。わたしたちは、ドラムの持つパワーや神秘性、意識の覚醒に魅せられて、目の前にあったドラムの世界にはいっていったのです。アナーキスト・ドラムサークルで、わたしたちは知らぬが仏という感じで、リズムの海を舵も持たずに渡ろうとしていました。私たちは自分たちがどれほど無知であるかをまったく知らずに、また誰もそんなことを気にかけていませんでした。当時、ドラムにふれる方法は、これらのアナーキスト・ドラムサークルまたはサンダードラム・サークルしかありませんでした。このタイプのドラムサークルは、レインボー・ギャザリングにおける恒例のイベントとして、人気を得ていきました。毎年、何千人もの人びとが、アメリカの公立公園の森のなかで(毎年7月初旬に)開かれるレインボーギャザリングのために集まりました。そこで一週間のあいだ、参加者はおたがいや地球との平和で調和のとれた関係を保ちながら生活し、来たときよりも帰るときのほうがきれいになるほど環境美化に勤めたものです。そこで開かれるドラムサークルでは、何百人という数の人びとが参加し、毎日夜どおしでドラムの音が続くことも珍しくありませんでした。この種のサークルには、誰でも自分のリズムスピリットを自由に表現することができ、誰からリーダーや先生になったりしない、という無言のルールがあります。まさにアナーキズムです。人びとは暗黙の了解のうちに、合意点を探ってゆきます。もしもアナーキスト・ドラムサークルで、みんなで同じパルスを基本にしてやってみないかい?」といったとしたら、「ルールなしがルール!」のグループにルールをおしつけようとしていると解釈されてしまいます。アナーキストドラムサークルでのファシリテートは不可能ではありませんが、あくまでも極力さりげなく、最も基本的な方法した適さないでしょう。特定ドラムサークル、ドラムサークル全体のなかでは、アナーキスト・ドラムサークルと両極の位置にあります。先生から生徒へ、また世代から世代へと交渉で受け継がれてきた伝統を勉強しながら、参加者はその文化の源に深い敬意を抱いています。アナーキスト・ドラマーたちは、特定文化ドラムサークルのことを、野生の馬が柵の中で飼われているように見るでしょうし、特定ドラムサークルのドラマーは、アナーキストドラマーのことを無知で、伝統あるドラミングに対して敬意を払わない無礼者だと思っているでしょう。わたし(アーサー・ハル)は、この両者の間に立っています。私はアナーキスト・ドラマーが形式にとらわれず、自由にドラミングスピリットを解き放つときの、彼らが「知らずに知っている」ほとばしりから出るスピリットを尊重しています。それと同時に、古い文化や伝統が私たちに与えてくれるガイダンスや叡智、テクニックにも深い敬意を抱いています。コミュニティ・ドラムサークルは、このような両極に位置しているようにみえるドラムサークルの両方の長所を併せもっています。コミュニティドラムサークルは、演奏経験や能力レベルに関係なく、誰でも参加できます。そこにはリズムを通した自由な自己表現と、特定文化ドラムサークルにみられるいくつかのベーシックなユニバーサル原理が共存しているのです。」(アーサー・ハル) ギャラリーに展示される美術作品やその技術に飽きた、中産階級や、メインストリームじゃない人たちからなる批判的な大衆がいる。彼らは、自分たちなりに芸術や技術を欲している。いま欲しがっているんだ。彼らは簡単に吸収できるようなやり方で自分たちに語りかけてくる芸術作品を欲している。ある意味、あらゆる契機が同時に来ているし、アートワールドの転換点をつくりあげている。そして、それはオープンネスへと向かっていく転換点なんだ。(グラフィティ・リサーチ・ラボ) 「これらのイベントやアクションには、ある共通のものがあることに気がつくだろう。それは「とりもどす=RECLAIMING」ということである。私たちは、自動車から路上をとりもどす、スクワッターたちのためにビルをとりもどす、ホームレスのために余った食糧をとりもどす、抗議と演劇の場としての大学をとりもどす、マスメディアの深い闇の奥から、私たち自身の声をとりもどす、広告から私たちの街の景観をとりもどす、私たちはつねに「とりもどすこと」を求めている。もともと私たち、みんなのものであったはずのものを、もとにもどすのだ。「私たち」とは、特定の集まりやグループではない、「私たち」とは、みんなのことであり、「私たち」とは政府が云う「私たち」でもなければ、企業のいう「私たち」でもない。私たちは、コレクティヴ=集合体となるこで、人びとにその力を与え返したいのだ。さあ、ストリートをとりもどそう。」(RTSトロント)
by illcommonz
| 2009-11-09 05:34
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