はじめに、ふた、ありき
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▼「4.48 サイコシス」 [作]サラ・ケイン [演出] 飴屋法水 「ト書や物語が消失し、病める精神の内的心象が断片的に綴られたサラ・ケインの遺作に、F/T09春『転校生』で衝撃を与えた飴屋法水が対峙。4時48分が無限に反復するかのような一瞬にして永遠の「生」と「死」。演劇、美術、音響、動物店経営など、多様なフィールドを越境して「生命」を凝視し続ける飴屋は、ケインの言葉にいかなる声と体を与えるのか。」 [日時] 2009年11月16日(月)– 11月23日(祝) 19:00- [場所] 東京・池袋 あうるすぽっと(豊島区立舞台芸術交流センター) ............................................................... 飴屋さんが招待してくれたので、大学の講義が終わったら、「アクティヴィズム3.0」の展示を一日休んで、池袋にこの舞台をみにいってきます。「ヨコハマ映像祭」でみごとなインスタレーションをみせてくれた山川くんの舞台パフォーマンスもたのしみです。 [参考] 田口ランディ「4.48サイコシス」は凄いです!!」 「昨夜、「4.48 サイコシス」の初演を観た。……観るというよりも、体験した。演劇は鑑賞するものではなく体験するものである。私は確かに劇場で凄い体験をしたが、あの舞台美術、装置、演出、それについて語るとこれからこの演劇を体験する人たちにはなはだ迷惑であろう。まずは予備知識なしで体験してほしい。ショックだから。マジ、がっつんとやられますよ。だからどう凄いか詳しくは言えない。辛い。この芝居は「精神の病み」を扱っている。「病み」であって「狂気」ではない。どう違うかといえば、私たちにとって「病み」のほうがずっと怖い。なぜなら「病み」は私にとって了解可能な言語構造で成り立っているからだ。「狂気」は完全にあっち側である。了解不可能である。言語が崩壊している。病みは違う。延長線上に自分が見える。(…) 山川冬樹はすごかった。彼とは日本ホーメイコンテストで会ったことがある。ずいぶん前だったが、その頃はまだ線の細い美青年だった。久しぶりに観た山川冬樹はものすごい存在感を放っており、精神の病みに興味なんかない、という人は彼を観るためだけに足を運んでも充分満足できるだろう。恐るべき怪優であった。なにしろ声がいい。その倍音のたっぷりこもった低音は人間以外のなにかを思わせる。精霊か、もののけか、そのような霊的なもの。(…) だから、この恐ろしく病んだ独白の続く芝居に、飴屋さんが倍音をぶつけてきたことはブラボーである。精霊はまだ私たちの血のなかに宿っている。この芝居は視覚的に充分刺激的だが、本質は聴く芝居だと思う。音が重要な役割を果たしており、聴覚への刺激のために視覚が利用されている。末梢神経を刺激するような、どちらかといえば不愉快に感じる音が快感である。音は言語以前であり、音による刺激は感覚を直撃する。目で観たものはすぐに意味付けされて現代用語の基礎知識として消化されるけれども、音はそう簡単に言語化などされず、全方位的に脳を刺激しつつ、観客の陰部をくすぐるのである。目は瞼によって閉じることができるが、耳は開きっ放しであり、場全体を感受している。それゆえ、演出家には音に対する極度なまでの感受性が必要であろう。音に対して飴屋法水は申し分なく凄いこだわりを見せた。さすがだ!」 こういう批評の書き手がいるのが、うらやましい。
by illcommonz
| 2009-11-21 03:11
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